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★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第3回発売 10タイトル

78CDR-1020
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
(カデンツァ:レオナール)
アンリ・メルケル (ヴァイオリン)
ウジェーヌ・ビゴー指揮
コンセール・ラムルー管弦楽団
仏 DISQUE "GRAMOPHONE" W1508/12
(1941年11月10-11日パリ、アルベール・スタジオ録音)
アンリ・メルケル (1897-1969)はスペイン交響曲やサン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番のSPレコード録音で知られているフランスのヴァイオリニスト。1929年からパリ音楽院管弦楽団のコンサートマスターを勤めた後ソリストに転向した。このベートーヴェンはフランスがドイツの占領下だった1941年11月の録音である。フランスの名ヴァイオリニストだったレオナール(1819-1890)のカデンツァが聴ける唯一のレコードであろう。レオナールはティボー (1880-1953)、フレッシュ (1873-1944)、エネスコ (1881-1955)を弟子に持った名教師マルシック (1848-1924)の師にあたる。

78CDR-1021
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216
(カデンツァ:フーベルマン)
ブロニスワフ・フーベルマン (ヴァイオリン)
イッサイ・ドブローウェン指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
英 COLUMBIA LX494/6
(1934年6月14日ウィーン録音)
ブロニスワフ・フーベルマン (1882-1947)はポーランドのヴァイオリニスト。6歳よりヴァイオリンを学び、1892年10歳の時ベルリンに出て大ヴァイオリニスト、ヨアヒム (1831-1907)の下で8ヵ月学び、師のヨアヒムの指揮でデビューした。その後ヨーロッパ各地で演奏し天才少年として名を高めた。名ソプラノ、アデリナ・パッティ (1843-1919)が彼の演奏を聴いて感心し、ウィーンで1895年に開かれた「パッティ告別演奏会」に招かれ演奏した。また同年ブラームスのヴァイオリン協奏曲を作曲家の前で弾いて驚かせたという逸話もある。フーベルマンは活動拠点をウィーンに置き演奏会を開きながら子弟の育成をした。1933年にフルトヴェングラーからベルリン・フィルの独奏者として招かれたとき、書簡でナチ専制国では演奏する意思のないことを表明した。1935年にはパレスチナを訪問しドイツを追われたユダヤ系の音楽家のためにオーケストラを組織した。それが現在のイスラエル・フィルである。このSPレコードの生々しい演奏を聴くとフーベルマンが当時のヨーロッパの聴衆に受け入れられたのがよく理解できると思う。
※復刻に使用した盤の第1面が他の面に比べて状態が良くないため、ノイズが多めになっています。

78CDR-1022
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219
(カデンツァ:ヨアヒム)
ヨーゼフ・ヴォルフスタール (ヴァイオリン)
フリーダー・ヴァイスマン指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
英 PARLOPHONE E10921/4 (原録音: 独 ODEON O-7635/8)
(1928年 9月15日&19日ベルリン録音)
ヨーゼフ・ヴォルフスタール (1899-1931)はウクライナのレンブルク (現リヴォフ) に生まれた。1912年13歳の時ベルリンの名教師カール・フレッシュ(1873-1944)につき厳格な指導を受け、3年後にデビュー。フレッシュは彼をオーケストラに入れることにし、ゲオルグ・クーレンカンプ (1898-1943)の後任としてブレーメン・フィルのコンサートマスターに就いた。1921年にはスウェーデンのオーケストランのコンサートマスターを務めた後、1922年からフレッシュのアシスタントとしてベルリンで後進の指導にあたった。1928年オットー・クレンペラー (1885-1973)がベルリンのクロル・オペラの指揮者に就任した時、彼をコンサートマスターに招いた。1930年11月にインフルエンザに感染、それをこじらせて翌1931年2月、32歳で他界した。レコード録音は機械式録音の後期1925年と電気式録音初期1928年にベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲をドイツ・ポリドールに録音している。このモーツァルトはベルリン・クロル・オペラのコンサートマスター就任の頃のもので、この曲の世界初録音だった。透明で銀色に光るヴァイオリンはSPレコード・ダイレクト・トランスファーだけで聴くことができる。

78CDR-1023
モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番イ長調 K.488
(カデンツァ:ピエルネ)
マルグリット・ロン(ピアノ)
フィリップ・ゴーベール指揮パリ交響楽団
米 COLUMBIA 68566D/68D (原録音: 仏 COLUMBIA LFX408/10)
(1935年12月13日パリ録音)
マルグリット・ロン (1874-1966)はフランスのニームに生まれた。17歳でパリ音楽院の一等賞を得た後、1893年19歳でコンサート・デビュー。1906年32歳で母校パリ音楽院の教授に就任した。弟子にはサンソン・フランソワ(1924-1970)、イヴォンヌ・ルフェビュール (1898-1986)、リュセット・デカーヴ (1906-)、ジャン・ドワイヤン (1907-1982)、ジャック・フェブリエ(1900-1979)、ニコール・アンリオ=シュワイツァー (1925-)等初期LPの時代に活躍した人がいる。1943年ヴァイオリニストのジャック・ティボー (1880-1953)と共に若い優秀な音楽家を発掘する国際音楽コンクールをパリに創設した。ロンは高名な割に録音が少ない。2006年のモーツァルト生誕250年にSP録音のモーツァルトを復刻した。SP原盤に小傷が多いのをご容赦願いたい。

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メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64
フリッツ・クライスラー (ヴァイオリン)
サー・ランドン・ロナルド指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
英 HIS MASTER'S VOICE DB2460/62
(1935年4月8日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
フリッツ・クライスラー (1875-1962)はウィーン生まれの20世紀前半に活躍した大ヴァイオリニスト。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は電気録音初期の1926年に録音していたが、これはクライスラーが60歳の時の2回目の録音。指揮者のサー・ランドン・ロナルド (1873-1938)はロンドン生まれ。ベルリナーの平円盤レコードの黎明期から、当時ピアニストとして務めていたロンドンのコヴェントガーデン・オペラに出演した大歌手たちにレコード録音を薦めた功労者でもある。1909年にロイヤル・アルバート・ホール管弦楽団の指揮者となり、機械式録音の時代にも多くの録音を残している。電気録音になってからは協奏曲の指揮をとり、コルトー (1877-1962)とシューマンのピアノ協奏曲を1924年(機械式録音)、1927年と1934年の3回録音している。

78CDR-1025
ベートーヴェン:
ヴァイオリン・ソナタ第6番イ長調作品30-1
ヴァイオリン・ソナタ第10番ト長調作品96
フリッツ・クライスラー (ヴァイオリン)
フランツ・ルップ (ピアノ)
英 HIS MASTER'S VOICE DB3296/3301
(1936 2月4日=第6番,6月19日=第10番ロンドン, アビー・ロード第3スタジオ録音)
フリッツ・クライスラー (1875-1962)は1935年と1936年にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全10曲を録音した。これらはSPレコード27枚で "ベートーヴェン・ヴァイオリン・ソナタ・ソサイエティ" として4巻のアルバムで発売された。この第6番と第10番は第4巻にあたる。ここでのクライスラーは楽譜に書かれた一つ一つの音に生命の息吹が込めて音楽を創りあげている。さすがに60歳の大演奏家の芸術と言える。

78CDR-1026
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第42番イ長調 K.526
ユーディ・メニューイン (ヴァイオリン)
ヘフツィバー・メニューイン (ピアノ)
仏 DISQUE "GRAMOPHONE" DB2057/8
(1933年9月29日パリ、アルベール・スタジオ録音)
ユーディ・メニューイン (1916-1999)はニューヨーク生まれ、サンフランシスコに移り3歳からヴァイオリンを習いシグムンド・アンカー、ルイ・パーシンガー (1887-1966)に師事した。1924年6歳の時アルフレッド・ヘルツ (1872-1942)指揮サンフランシスコ交響楽団でラロのスペイン交響曲を弾いてデビュー、神童として評判になった。その後パリでジョルジュ・エネスコ (1881-1955)、ドイツでアドルフ・ブッシュ (1891-1952)の手ほどきをうけた。1928年には12歳で初レコード録音を行い、同年ベルリンでブルーノ・ワルター (1876-1962)指揮ベルリン・フィルでバッハ、ベートーヴェン、ブラームスの "3大B" のヴァイオリン協奏曲を弾いた。このモーツァルトは17歳の録音。ピアノは妹のヘフツィバー・メニューイン (1920-1981)で当時彼女は13歳だった。この屈託のない生き生きとした演奏を聴いているとモーツァルトの生き写しのように思えるから不思議だ。

78CDR-1027
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第40番変ロ長調 K.454
マグダ・タリアフェロ (ピアノ)
ドゥニーズ・ソリアーノ (ヴァイオリン)
英 COLUMBIA DX856/7 (原録音:仏 PATHE PAT84/5)
(1937年4月22日&1937年5月11日パリ録音)
マグダ・タリアフェロ (1893-1986)はブラジル生まれのピアニスト。サンパウロ音楽院を経て1906年13歳でパリ音楽院に入り、9カ月後に一等賞を得た。その後コルトー (1873-1962)に師事した。ソリストとしての活動だけでなくジャック・ティボー (1880-1953)、ジュール・ブーシュリ (1878-1962)、パブロ・カザルス (1876-1973)などの弦楽器奏者、エドゥアール・リスレル (1873-1929)、ガブリエル・フォーレ (1845-1924)らとピアノ・デュオを組んだこともある。ヴァイオリンのドゥニーズ・ソリアーノ (1916-2006)はエジプトのカイロ生まれ。パリ音楽院でジュール・ブーシュリ (1878-1962)に師事した。ブーシュリのクラスは女流ヴァイオリニストを多く輩出している。ソリアーノは音楽院でブーシュリ教授の助手を務め、1958年に結婚しブーシュリ夫人となった。タリアフェロとは1934年に録音したフォーレのヴァイオリン・ソナタ第1番 (仏 PATHE) があり、1934年の第1回ディスク大賞をとった。

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ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」
J.S.バッハ: アダージョ・マ・ノン・トロッポ
ジョアン・マッシア (ヴァイオリン)
ブランシュ・セルヴァ (ピアノ)
仏 COLUMBIA LFX105/8
(1929年3月13日&1930年6月2日=ベートーヴェン、1929年1月2日=バッハ、マドリッド録音)
ピアノのブランシュ・セルヴァ (1884-1942)はパリ音楽院で学び、1895年に11歳で一等賞を得た。13歳でコンサート・デビューした後スコラ・カントルム音楽院でヴァンサン・ダンディ (1851-1931)のクラスで作曲を学んだ。1902年から同校で教鞭をとるようになり、彼女の死の1942年までつづいた。ジョアン・マッシアはカタロニア出身のヴァイオリニスト。1923年からセルヴァとデュオを組み演奏活動を始めた。セルヴァは1930年11月のコンサート中に卒中に襲われステージ活動を離れた。78CDR-1012のフランク:ヴァイオリン・ソナタイ長調と共に希少SPレコードの復刻である。

78CDR-1029
ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタニ長調作品1-13
ミシェール・ブーシノー (ヴァイオリン)
モーリス・フォール (ピアノ)
仏 PATHE PDT 246/7
(1951年6月16日パリ、アルベール・スタジオ録音)
ミシェール・ブーシノー (1929-)はパリ音楽院で名教授ジュール・ブーシュリ (1878-1962)に師事し、1953年のロン=ティボー国際コンクールのヴァイオリン部門で入賞した。この年のコンクールの創設者のジャック・ティボー(1880-1953)が審査員を務めた最後の年になった。同年の9月に東南アジアから日本に向かう飛行機の事故でティボーは73歳の命を落としたからだ。コンクールの審査員の一人だったダヴィッド・オイストラフ (1908-1974)はブーシノーをソ連政府を説得し助手にした。この録音はコンクールの2年前のものでSPレコード末期の貴重なもの。ブーシノーのSPはこのヘンデルだけでLP時代の録音もごく僅かしかない。ジョルジュ・プレートル指揮のサン=サーンス:死の舞踏(EMI)の中でソロを聴くことができる。