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★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第5回発売 10タイトル

78CDR-1040
ラロ:スペイン交響曲作品21
ブロニスワフ・フーベルマン(ヴァイオリン)
ジョージ・セル指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
日本コロムビアJ8320/22 (原録音:英COLUMBIA LX-347/9)
(1934年6月20日&22日ウィーン録音)
ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)はポーランドのヴァイオリニスト。1892年10歳の時に大ヴァイオリニスト、ヨアヒム(1831-1907)の指揮でベルリン・デビュー。3年後の1895年13歳の時、名ソプラノ、アデリナ・パッティ(1843-1919)に招かれウィーンでの「パッティ告別演奏会」で演奏した。この「スペイン交響曲」の録音は1934年フーベルマンが52歳の時のもの。指揮者のジョージ・セル(1897-1970)はブダペスト生まれ、最初にウィーン、後にライプツィヒで学んだ。ヨーロッパ各地のオペラ劇場で指揮した後、ニューヨークに移住。1942年から1946年はメトロポリタン歌劇場、1946から死去する1970年までの24年間はクリーヴランド管弦楽団を指揮した。この録音はセルが37歳の時のもの。ヴァイオリンをもってオーケストラに真剣勝負で切り込んでいくフーベルマンの凄さがダイレクト・トランスファーによって初めて聴ける。このシリーズのフーベルマンは78CDR-1006ベートーヴェン「クロイツェル・ソナタ」、78CDR-1021モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番K.216がある。

78CDR-1041
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番イ短調 BWV1003
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
日本コロムビアJ8221/2(原録音: 英COLUMBIA LX-259/60)
(1933年6月2日録音)
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はブダペスト生まれのヴァイオリニスト。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事し、13歳でデビューした。1907から1913年に英国に住みピアノのマイラ・ヘス(1890-1965)やフェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)らとのソナタ演奏から大きな音楽的影響を受け、その後ヨーロッパ大陸に戻り1917年から1924年スイスのジュネーヴ音楽院で教えた。第2次世界大戦前の1932年(昭和7年)と翌1933年(昭和8年)に来日した。その時日本コロムビアに録音もしている。このバッハはシゲティが41歳の録音。後年の「無伴奏ソナタとパルティータ」の全曲録音と比較が興味ある。まるで別人の演奏の感がある。

78CDR-1042
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第5番イ長調作品18-5
カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エウィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミユ・ドゥロベール(チェロ)
日本コロムビアJ5091/4 (原録音:仏COLUMBIA D-13066/9)
(1928年4月10日録音)
史上最高の弦楽四重奏団だったカペー弦楽四重奏団のリーダー、リュシアン・カペー(1876-1928)は医師の誤診による腹膜炎で1928年12月18日に急逝した。享年52歳。カペーはパリ音楽院でJ.-P. モーランに師事し1893年に一等賞を得た。その年に弦楽四重奏団を組織した。録音時のメンバーは1918年からもの。1920頃から毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の連続演奏会をパリで開催していた、カペーは1928年4月にフランス・コロンビアに録音を始めた。そしてその年の10月までの6ヶ月間に弦楽四重奏曲11曲とピアノ五重奏曲1曲の録音をした。10インチSP盤が7枚、12インチ盤が44枚である。まるでカペーが自らの死を予期したようなハイペースの録音である。約80年前の録音ながら、この洗練された四重奏団の音色がダイレクト・トランスファーで見事にとらえられている。

78CDR-1043
ショパン:24の前奏曲作品28
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
英HIS MASTER'S VOICE DB957/60
(1926年3月22日&23日イギリス、ヘイズ "A"スタジオ録音)
(お詫び: HMV 盤特有のノイズが大きいです)
アルフレッド・コルトー(1877-1962)は20世紀最高のフランスのピアニスト。スイスのニヨンに生まれ、両親はフランス人。1892年パリ音楽院のルイ・ディエメ(1843-1919)のクラスに入り研鑽を積む。1896年一等賞を得て卒業。1905年にヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)とチェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とピアノ・トリオを組んだ。1917年にパリ音楽院教授、1919年にパリに音楽学校エコール・ノルマルを設立した。コルトーはショパンの「前奏曲」を生涯に3回録音していて、これはその第1回目の録音。コルトーは戦後の1952年(昭和27年)に初来日した。その時75歳だったコルトーは山口県下関市の響灘にある厚島が気に入り購入を申し出た。無人島の厚島はコルトーに贈られ「孤留島」と名づけられたが、コルトーは帰国後体調を崩し、再来日は果たせなかった。

78CDR-1044
ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ
ドビュッシー(ハルトマン編曲):ミンストレル-「前奏曲集第1巻」より
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
仏DISQUE "GRAMOPHONE" DB1322/3
(1929年6月7日ロンドン、小クイーンズ・ホール録音)
ヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)とピアノのアルフレッド・コルトー(1877-1962)の1929年6月7日の録音。ティボーが49歳、コルトーが52歳だった。二人はこの録音の10日前の5月27日と28日にベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」とフランク:ヴァイオリン・ソナタイ長調(HMV DB1347/50)をパリのプレイエル音楽堂で録音していた。ヴァイオリンのティボーは1953年(昭和28年)9月2日(フランスでは9月1日)、日本を含む東南アジア公演に向かう途中、搭乗機が夜のアルプスの南峰スメ山に激突して命を落とした。享年73歳。ティボーとコルトーは78CDR-1015ベートーヴェン「クロイツェル・ソナタ」が出ている。

78CDR-1045
モーツァルト:クラリネット五重奏曲イ長調 K.581
チャールズ・ドゥレイパー(クラリネット)
レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴァイオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)
米COLUMBIA 67664/7D (原録音: 英 COLUMBIA L-2252/5)
(1928年11月2日録音)
レナー弦楽四重奏団は1918年にハガリーのブダペストで結成された。メンバーの全員がブダペスト音楽院出身で、レナー(1894-1948)、スミロヴィッツ、ロートがイェノ・フバイ(1858-1937)の弟子。チェロのハルトマンがダヴィッド・ポッパー(1843-1913)に師事した。 4人はブダペスト・オペラの楽員だったが、1918年のハンガリー革命を機に弦楽四重奏団を結成し2年間、田舎の村に籠もって練習を積んだ。1920年にウィーンでデビュー。そこに居合わせたモーリス・ラヴェル(1875-1937)が聴いて彼らをパリに招き、公演はセンセーショナルな成功を収めた。その後1922年にロンドン、1929年にアメリカでデビューした。レコードは機械式録音時代の1922年にイギリス・コロンビアに録音したのが最初で、1927年のベートーヴェン没後100年では弦楽四重奏16曲中11曲(SPレコード40枚を録音した。このモーツァルトのクラリネット五重奏曲はイギリスのクラリネット界の祖父と尊敬されたチャールス・ドゥレイパー(1869-1952)を迎えて録音された。ドゥレイパーはブラームスのクラリネット五重奏曲もレナーと録音している。

78CDR-1046
ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番イ長調作品69
ウェーバー:アンダンティーノ(変奏曲ヘ長調 J.94)
エマヌエル・フォイアマン(チェロ)
マイラ・ヘス(ピアノ)(ベートーヴェン)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)(ウェーバー)
米COLUMBIA 69081/83-D (原録音: 英COLUMBIA LX-641/3)
(1937年 6月28日&29日=ベートーヴェン、1936年12月22日=ウェーバー録音)
チェロのエマヌエル・フォイアマン(1902-1942)はウクライナのコロミアに生まれた。1909年にウィーンに移りアントン・ワルターに師事し11歳でコンサートデビューした。さらにライプツィヒでチェロの名教師ユリウス・クレンゲルについた。1929年から1933年にベルリン高等音楽院の教授をつとめ、1935年にナチスの迫害を避けるためにチューリヒに在住し、1938年にアメリカに移住した。この録音は35歳の時のもの。フォイアマンは1934年(昭和9年)と1936年(昭和11年)に来日し、演奏会の傍らコロムビアに録音した。ピアノのマイラ・ヘス (1890-1965)はロンドン生まれの女流で1907年17歳の時トーマス・ビーチャム (1879-1961)指揮でベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番でデビューした。その後デイム(男性のサーにあたる)の称号が与えられたイギリス・ピアノ界の重鎮で、門下にソロモン(1902-1988)やビショップ=コワセヴィ(1940-)らがいる。ジェラルド・ムーア(1899-1987)はイギリスの名ピアノ伴奏者。

78CDR-1047
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第34番変ロ長調 K.378(317d)
ドゥニーズ・ソリアーノ(ヴァイオリン)
エレーヌ・ピニャリ(ピアノ)
仏PATHE PDT163/4
(1948年録音)(お詫び:小さなキズによるノイズがあります)
ヴァイオリンのドゥニーズ・ソリアーノ(1916-2006)はエジプトのカイロ生まれ。パリ音楽院で名ヴァイオリン教授ジュール・ブーシュリ(1878-1962)のクラスで研鑽を積み、1932年16歳で一等賞を得た。1934年にピアノのマグダ・タリアフェロ(1893-1986)と録音したフォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番がディスク大賞を受賞した。このモーツァルトは第2次世界大戦後の1948年の録音で、当時ソリアーノは32歳だった。ピアノのピニャリはパリ音楽院出身の女流奏者。ソリアーノは78CDR-1027モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ変ロ長調 K.454(ピアノ=タリアフェロ)、78CDR-1031モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216(ブーシュリ指揮)が出ている。

78CDR-1048
ロッテ・レーマンのアメリカ・コロンビア録音による
シューベルト:歌曲集「冬の旅」作品89 D.911より
第1曲 「おやすみ」
第2曲 「風見の旗」
第3曲 「凍った涙」
第4曲 「かじかみ」
第6曲 「あふれる涙」
第7曲 「川の上で」
第9曲 「鬼火」
第10曲「休息」
第11曲「春の夢」
第12曲「孤独」
第14曲「霜おく髪」
第16曲「最後の希望」
第24曲「辻音楽師」
ロッテ・レーマン(ソプラノ)
パウル・ウラノフスキー(ピアノ)
米COLUMBIA 71174/6D, 17367/9D
(1941年3月14日&19日ニューヨーク録音)
ロッテ・レーマン(1888-1976)はドイツの名ソプラノ。1945年にアメリカ国籍を取得しカリフォルニアのサンタバーバラで晩年を過ごした。1910年ハンブルクのオペラで「ラインの黄金」のフライアでデビュー(22歳) 、以後ドイツ・オペラの最高のソプラノとして君臨した。またリートの分野でも活躍した。電気録音の初期に録音したシューマンの「女の愛と生涯」は広く聴かれた名演である。この「冬の旅」はアメリカのコロンビアに録音したもの。13曲を10インチ盤3枚、12インチ盤3枚に録音した。レーマンはソプラノでありながら低声域が豊かで、女声の「冬の旅」でもまったく違和感がない。声をはりあげて歌うのではなく、聴き手に語りかける歌い方が好ましい。レーマン53歳の録音。ダイレクト・トランスファーに声楽が初登場。歌詞はついていない。

78CDR-1049
ロッテ・レーマンのアメリカ・ヴィクター録音による
シューベルト:歌曲集「冬の旅」作品89 D.911より
第5曲 「菩提樹」
第8曲 「かえりみ」
第13曲「郵便馬車」
第15曲「からす」
第17曲「村にて」
第18曲「嵐の朝」
第19曲「まぼろし」
第20曲「道しるべ」
第21曲「宿」
第22曲「勇気」
第23曲「幻の太陽」
ロッテ・レーマン(ソプラノ)
パウル・ウラノフスキー(ピアノ)
米VICTOR 2108/9, 17190/1
(1940年 2月25日&26日録音)
ロッテ・レーマン(1888-1976)の「冬の旅」はアメリカのコロンビアとヴィクターの2社に録音された。ヴィクター社への録音はコロンビアの1年前の1940年で11曲が10インチ2枚、12インチ2枚だった。レーマン52歳の録音。シューベルトの書いた曲順で収録すると、レコード会社による音の違いが気になるため、コロンビアとビクターを別々に収録した。ピアノのパウル・ウラノフスキー(1908-1968)はウィーン生まれでニューヨークに没した。アメリカ時代のレーマンの録音の伴奏の多くを手掛けた。シューベルトの「美しい水車屋の娘」ほかのレーマンとの録音がある。ダイレクト・トランスファーに声楽が初登場。歌詞はついていない。