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★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第7回発売 10タイトル

今回は機械式録音(1925年頃に始まる電気録音より以前の録音方式)による盤からの復刻が5点含まれます。この5点はこれまでに以上にノイズがあり、また収録時間も非常に短いものですが、よろしくご理解下さい。

78CDR-1060
ドヴォルザーク(1841-1904):チェロ協奏曲ロ短調作品104
パブロ・カザルス(チェロ)
ジョージ・セル指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
英 HIS MASTER'S VOICE DB3288/92
(1937年4月28日プラハ,ドイチェ・ハウス録音)
チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)の協奏曲録音第2弾にあたる。録音場所には作曲者ドヴォルザークの故郷プラハが選ばれ、録音時カザルスは61歳だった。指揮者のジョージ・セル(1897-1970)はハンガリー生まれ。ウィーンとライプツィヒで学び、10歳の時ピアニストとしてウィーン交響楽団演奏会でデビュー、17歳でベルリン・フィルを指揮した。リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)のベルリン・オペラ時代(1915-1917)アシスタントを務めたこともある。1930年から1936年にはチェコ・フィルの音楽監督、1942年から1946年にはニューヨークのメトロポリタン歌劇を指揮し、1946年にアメリカ市民となった。1946から1970年までクリーヴランド管弦楽団の音楽監督を務めた。これはセルが40歳の録音。SP時代のチェコ・フィルのHIS MASTER'S VOICE録音はほとんどがロンドンで行われた中で、プラハでの録音は珍しい。ちなみにセル指揮チェコ・フィルのドヴォルザーク:「新世界」は1937年10月30日のロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音だった。

78CDR-1061
ショパン(1810-1849):エチュード作品25(全12曲)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
英 HIS MASTER'S VOICE DB12308/10
(1934年6月18-19日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
20世紀最高のピアニスト、アルフレッド・コルトー(1877-1962)のショパン:エチュード集作品10(78CDR-1001)と対になるもので、録音は作品10の1年後のもの。コルトーは録音時57歳だった。曲順はSPレコードの順のままで収録した。コルトーは第2次世界大戦中の1942年にパリでエチュードを再録音している。このシリーズのコルトーはショパン:ピアノ協奏曲第2番(78CDR-1000)、サン=サーンス:ピアノ協奏曲第4番(78CDR-1009)、ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(78CDR-1032)、ショパン:ピアノ・ソナタ第3番(78CDR-1051)が発売されている。

78CDR-1062
モーツァルト(1756-1791):弦楽四重奏曲第15番ニ短調 K.421
レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)
英 COLUMBIA L1965/7
(1926年3月26日ロンドン録音)
レナー弦楽四重奏団は20世紀前半に活躍したハンガリー出身の名団体。メンバーはブダペスト音楽院出身で、デビュー前の2年間は田舎の村にこもって一日12時間の練習を重ねたと伝えられる。1922年ロンドンにデビューして絶賛され、同時にイギリス・コロンビアの専属アーティストとなった。この録音は電気録音最初期の1926年3月のもの。SP時時代の決定盤だった。このシリーズのレナー弦楽四重奏団はモーツァルト:クラリネット五重奏曲(78CDR-1045) 、モーツァルト:弦楽四重奏曲第14番(78CDR-1055) が出ている。

78CDR-1063
スーク(1874-1935):4つの小品 作品17
ジネット・ヌヴー(ヴァイオリン)
ジャン・ヌヴー(ピアノ)
英 HIS MASTER'S VOICE DB6359/60
(1946年8月12-14日ロンドン, アビー・ロード第3スタジオ録音)
ジネット・ヌヴー(1919-1949)はアメリカへの演奏旅行に向かう航空機事故で30歳の生涯を終えた。ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)に手ほどきを受けた後、11歳でパリ音楽院のジュール・ブーシュリ(1878-1962)のクラスにはいり、8ヶ月後に一等賞を得た。 8ヶ月は50年前にヴィエニャフスキ(1835-1880)が打ち立てた記録と同じだった。その後ベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)のもとで研鑽を積んだ。1935年ワルシャワで開かれたヴィエニャフスキ・ヴァイオリン・コンクールに16歳で参加し、180人の競争者に勝ち抜き優勝した。その時の第2位はソ連から参加した27歳のダヴィド・オイストラフ(1908-1974)だった。ヌヴーはこのシリーズでブラームス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-1003)、シベリウス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-1017)が出ている。

78CDR-1064
ドビュッシー(1862-1918):
フルート, ヴィオラとハープのためのソナタ
マルセル・モイーズ(フルート)
ウジェーヌ・ジノ(ヴィオラ)
リリー・ラスキーヌ(ハープ)
仏 ODEON 165.243/5
(1928年2月3日録音)
フルートのマルセル・モイーズ(1889-1984)はパリ音楽院でポール・タファネル(1844-1908)、アドルフ・エンヌバン、フィリップ・ゴーベール(1879-1941)らに師事し1906年に一等賞を得、1908年にソロ・デビューした。1913年から1938年にオペラ・コミック、1922年から33年にはストララム管弦楽団に席を置いた。1932年から1949年にパリ音楽院の教授もつとめた。1952年にルドルフ・ゼルキン(1903-1991)、アドルフ・ブッシュ(1891-1952)と共に若い音楽家を育成するマールボロ音楽祭の創立に加わった。SPレコードの録音も多い。ハープのリリー・ラスキーヌ(1893-1988)は12歳の時パリ音楽院で一等賞を得た。コンセール・ラムルーのハープ奏者であったが、ソロ奏者としても活躍した。1948年から1958年にはパリ音楽院の教授も務めた。ラスキーヌもSPレコード時代から、LP時代、ステレオ時代と録音が多い。

78CDR-1065
機械式録音盤(電気録音以前)
@モーツァルト(1756-1791):
ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219−第3楽章(3:26)
Aマスネ(1842-1912)=マルシック(1848-1924)編:
タイスの瞑想曲(3:33)
ジュール・ブーシュリ(ヴァイオリン)
ルイ・ディエメ(ピアノ)
仏 ZONOPHONE X77906/77913
(1906年パリ録音)
ジュール・ブーシュリ(1878-1962)はフランスのヴァイオリニスト。ジャック・ティボー(1880-1953)の2歳年上で、1892年に15歳でパリ音楽院の一等賞を得た。ちなみにティボーは1897年に17歳で一等賞を得た。モーツァルトの演奏を得意としたブーシュリだったが、病弱のため早い時期にコンサート活動を停止しパリ音楽院のヴァイオリン科の教授として後進を育成にあたった。録音は1906年、28歳の時に13面を残したのみで、これはその中の2面である。ブーシュリの弟子には、後にブーシュリ夫人となったドゥニーズ・ソリアーノ(1916-2006)、ジャニーヌ・アンドラード(1918-)、ジネット・ヌヴー(1919-1949)、ローラ・ボベスコ(1919-2003)、イヴリー・ギトリス(1922-)、ミシェール・オークレール(1924-2005)、ドゥヴィ・エルリー(1928-)ほかがいる。
ピアニストの名前はレーベルに記載されていないが、ルイ・ディエメ(1843-1919)という説がある。ディエメはパリ音楽院のピアノ科の教授として弟子にコルトー(1877-1962)、リスレル(1873-1929)、カザドゥシュ(1899-1972)らがいた。ヴァイオリニストとしてのブーシュリは電気時代になってからは録音をしなかったが、愛弟子ソリアーノのために指揮棒を取ったモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番がこのシリーズ(78CDR-1031)で発売されている。

78CDR-1066 (ダンブロジオ)
機械式録音盤(電気録音以前)
@クライスラー(1875-1962):
プロヴァンスの朝の歌−L.クープランの様式による(3:00)
Aダンブロジオ(1871-1914):
セレナード作品4(2:50)
ジョルジュ・エネスコ(ヴァイオリン)
エドワード・C・ハリス(ピアノ)
米COLUMBIA 20023-D (1924年ニューヨーク録音)
ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)はルーマニアに生まれた。ヴァイオリンは4歳で作曲を5歳で始めた。1888年、7歳でウィーン音楽院に入学を許され、1893年、12歳で音楽院の最高栄誉賞メダルを得た。1894年パリ音楽院に入学、1899年までにヴァイオリンをマルシック(1848-1924)、和声法と作曲をアンドレ・ゲダルジュ(1856-1926)、ガブリエル・フォーレ(1845-1924)、ジュール・マスネ(1842-1914) に師事し、1899年にヴァイオリンで一等賞を得た。1902年にベルリン・デビュー、1903年にはロンドンを訪問した。1910年にはピアニストのエドゥアール・リスレル(1873-1929)とベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲演奏会を開いた。1917年には祖国のルーマニアの首都ブカレトにエネスコの名を冠したオーケストラを作った。1923年には初のアメリカ楽旅をし、その後生涯に14回この地を訪れた。第2次世界大戦中は祖国に留り、ヴァイオリン演奏、指揮、作曲と後進の指導にあたった。この録音は1923年にアメリカ訪問をした時にニューヨークのコロンビアで行ったものの2曲で録音時エネスコは42歳だった。彼は1929年にもニューヨークで12面6枚の電気録音を行った。このシリーズでショーソン:詩曲 (78CDR-1018)とヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番(78CDR-1035)が出ている。

78CDR-1067
機械式録音盤(電気録音以前)
@マルシック(1848-1924):
スケルツァンド作品 6-2 (3:11)
AJ.S.バッハ (1685-1750):
ガヴォット−無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調BWV1006 より(1:59)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
ピアノ伴奏(マルシック)
伊 FONOTIPIA 39087/39222
(1905年=マルシック, 1904年=バッハ,パリ録音、EMIのデータによる)
20世紀フランス最高のヴァイオリニスト、ジャック・ティボー(1880-1953)は1893年14歳でパリ音楽院にはいりマルシックに師事した。1897年一等賞を得た。卒業後生計を立てるためパリのカフェ・ルージュで演奏しているところを指揮者エドゥアール・コロンヌ(1838-1910)に見出され、コロンヌの主宰するオーケストラに入った。ある日急病のコンサート・マスターの代役を務めていたとき、サン=サーンスのオラトリオ「大洪水」の前奏曲のソロ・パートを弾き、聴衆から絶賛され、以降コロンヌのソリストとしてパリの楽壇の寵児となった。1903年にアメリカにデビュー世界的なヴァイオリニストとして名声を確立した。この録音は1904年のティボーの初レコードで、録音時ティボーは24歳だった。             

78CDR-1068
機械式録音盤(電気録音以前)
ヴィターリ(1663-1745):
シャコンヌ ト短調
ヴァーシャ・プシホダ(ヴァイオリン)
ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(オルガン)
独 GRAMMOPHON 68074/6
(1923年録音)
ヴァーシャ・プシホダ(1900-1960)チェコのヴォズナニーに生まれたヴァイオリニスト。11歳でプラハ音楽院に入った。ミラノの演奏会に居合わせた大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)を驚嘆させ、「新しいパガニーニ」と称賛したのがきっかけで、ヨーロッパ諸国で認められた。1921年にアメリカ・デビュー、1927年にはロンドン公演をした。この録音はプシホダの最初期のもので、伴奏がシートマイヤー・フリューゲル(オルガン)である。片面盤3面に収録されたノーカット版であることもこの時代には珍しい。ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(1880-1960)はベルリン生まれ。ピアノの神童と言われた。録音プロデューサの草分けで、作曲・編曲・オーケストラ指揮・ピアノ伴奏のすべてをこなした多才な音楽家。19世紀末からドイツ・グラモフォンで活躍し、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」や第9番「合唱」の電気以前の録音もある。1935年から1944年はドイツ・エレクトローラの専属だった。

78CDR-1069
機械式録音盤(電気録音以前)
@ドヴォルザーク(1841-1904)=ウィルヘルミ編:
ユモレスク(4:41)
Aヴェチェイ(1893-1935):
綺想曲第2番「滝」(3:34)
フランツ・フォン・ヴェチェイ(ヴァイオリン)
カロル・シュレター(ピアノ)
独 VOX 06294
(1925年録音)
フランツ・フォン・ヴェチェイ(1893-1935)はハンガリー生まれ。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。神童で10歳の時に大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)の指揮でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を弾いた。42歳で惜しまれつつ早逝した。シベリウス(1865-1957)のヴァイオリン協奏曲はヴェチェイに献呈された。ドイツのVOX 社は機械式録音時代の末期に存在したレコード会社。機械式録音に自信があったため電気録音に乗り遅れ倒産した。他社が電気に切り換えた後の1927年まで旧式録音を継続していた。