2010年9月新譜 5点 発売中★DSD録音
78CDR-3274
モーツァルト:ピアノ協奏曲第18番変ロ長調 K.456
(カデンツァ:モーツァルト)
リリー・クラウス(ピアノ)
ワルター・ゲール指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
仏 ODEON 123.835/8(英 PARLOPHONE R20404/7と同一録音)
(1938年3月25日ロンドン録音)
リリー・クラウス(1905-1986)ハンガリー生まれの女流ピアニスト。17歳でブダペスト音楽院に入り、ベラ・バルトーク(1881-1945)、ゾルタン・コダーイ(1882-1967)らに師事した。1922年にはウィーンに赴きウィーン音楽アカデミーでアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)とエドゥアルト・シュトイアーマン(1892-1964)についてさらに研鑽を積んだ。1930年代からモーツァルトやベートーヴェンの演奏家として名声をあげ、ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルク(1909-1993)と共演して各国で評判をとった。1942年インドネシアのジャワで公演中、ゴールドベルクと共に日本軍によって軟禁され大戦終結まで軟禁された。戦後イギリス国籍を取得して演奏活動を再開、1967年から1983年アメリカで活躍。最終的にアメリカに定住した。このモーツァルトはこの曲の初レコードでおそらくクラウスの初協奏曲録音。指揮者のワルター・ゲール(1903-1960)はドイツ出身。シェーンベルクについて作曲を勉強した後イギリスに亡命、指揮者として活躍した。ゲールはこのシリーズでワンダ・ランドフスカによるモーツァルト:ピアノ協奏曲第26番
K.537「戴冠式」(78CDR-3117)の指揮をしている。
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J.S.バッハ:ブランデンブルグ協奏曲第5番ニ長調 BWV.1050
ジョコンダ・デ・ヴィトー(ヴァイオリン)
カルロ・ゼッキ(ピアノ)
アリーゴ・タッシナーリ(フルート)
フェルナンド・プレヴィターリ指揮
トリノ・イタリア放送室内管弦楽団
スイス ODEON O-7884/6 (伊 PARLOPHONE CB20519/61と同一録音)
(1938年5月9日イタリア録音)
ジョコンダ・デ・ヴィトー(1907-1994)の初録音レコード。デ・ヴィトーは11歳でペサロ音楽院に入りレミ・プリンチーペ(1899-1977)に師事した。1932年にウィーン国際ヴァイオリン・コンクールで一等賞をとった。フルートのアリーゴ・タッシナーリ(1889-1988)はボローニャ音楽院出身。ミラノ・スカラ座の首席フルート奏者をつとめた後ソリストとして活躍した。ピアノのカルロ・ゼッキ(1903-1984)はローマ生まれ。ピアニストとして活躍した後指揮者に転向した。指揮者のフェルナンド・プレヴィターリ(1907-1985)はイタリアのアドリア生まれ。トリノ音楽院で学び、1928年から35年にフィレンツェでヴィットリオ・グイ(1885-1975)のアシスタントを務めた。プレヴィターリは1936年から1953年の間イタリア放送局の芸術監督をつとめ、特に1951年のヴェルディ没後50年にヴェルディのオペラ全曲を指揮した。ヴァイ
オリンのデ・ヴィトーは1948年ロンドン・デビュー後のEMI録音はよく知られているが、この27歳の時のイタリア録音はほとんど知られていない。初々しいヴァイオリンが魅力。イタリアを代表する演奏家の若き日の演奏が聴ける貴重な録音。
78CDR-3276
J.S.バッハ:パルティータ第2番ハ短調 BWV.826
ハロルド・サミュエル(ピアノ)
米 COLUMBIA 68056/7-D (英 COLUMBIA DX427/8と同一録音)
(1931年11月6日ロンドン録音)
ハロルド・サミュエル(1879-1937)はロンドン生まれのイギリスのピアニスト。バッハ演奏の権威で、バッハの全クラヴィア作品を暗譜した。1898年当時ロンドンの聴衆には未知の作品だったバッハのゴルトベルク変奏曲
BWV.988を弾いてデビューした。バッハの演奏の傍らサミュエルは伴奏ピアニストとして人気があった。特に女流ヴァイオリン奏者イゾルデ・メンゲスとのデュオは有名だった。バッハ演奏の評判が上がる中で1921年にはロンドンで6日にわたるバッハ連続演奏会を開いた。同様のコンサートをニューヨークでも行った。この録音はイギリス・コロンビアの技術者アラン・ダウアー・ブルムレインが開発した新型録音機の最初期のもの。電気録音の導入当初から使用されたウェスタン・エレクトリック社の録音機使用料が高かったために、自社製のしかも従来のものを凌ぐ高性能な録音機を開発したのだった。本シリーズではフランスの女流ピアニスト、ブランシュ・セルヴァによるJ.S.バッハのパルティータ第1番
BWV.825(78CDR-3191)が出ている。これらで1920-30年代のバッハ演奏を知ることができる。
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ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第7番ヘ長調作品59-1「ラズモフスキー第1番」
カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エヴィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミーユ・ドローベル(チェロ)
日 COLUMBIA J8055/60(仏COLUMBIA D15063/70と同一録音)
(1928年6月15日パリ録音)
「人類の遺産」の一つに数えられるカペー弦楽四重奏団が1928年にフランス・コロンビアに録音した一曲である。リーダーのリュシアン・カペー(1873-1928)は医師の誤診による腹膜炎で1928年12月18日に急逝した。享年55歳。カペーは1893年パリ音楽院で一等賞を得て、その年に弦楽四重奏団を組織した。1920年頃から毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏会をパリで開催していた。カペーは1928年6月10日から10月15日にかけてフランス・コロンビアに51枚の録音をした。まるで自らの死を予期したようなハイペースの録音だった。このシリーズでカペーはフランク:ピアノ五重奏曲(ピアノ=シャンピ)(78CDR-3034)、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第5番(78CDR-3042)、シューマン:弦楽四重奏曲第1番(78CDR-3056)、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番(78CDR-3082)、ドビュッシー弦楽四重奏曲(78CDR-3168)、ハイドン:弦楽四重奏曲「ひばり」(78CDR-3194)、シューベルト:弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」(78CDR-3270)が出ている。
78CDR-3278 ※試聴はありません
ストラヴィンキー:兵士の物語(1918)(七重奏曲版)
マルセル・ダリュー(ヴァイオリン)、ベルナール・ブサゴル(コントラバス)
エミル・ゴドー(クラリネット)、ギュスタヴ・デラン(バスーン)
ウジェーヌ・フォヴォー(コルネット)、ラファエル・デルボ(トロンボーン)
ジャン=ポール・モレル(パーカッション)
指揮:イーゴリ・ストラヴィンスキー
日 COLUMBIA J8108/10(仏 COLUMBIA LFX263/5と同一録音)
(1932年5月6-7日パリ録音)
1930年代前半にフランスで活躍していた器楽奏者達による七重奏曲版「兵士の物語」である。朗読者、悪魔、兵士、王女のセリフは入っていない。作曲者で指揮をしているイーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)1918年の作品。作曲時36歳だったストラヴィンスキーは第1次世界大戦(1914-1918)とロシア革命(1917)のため、祖国ロシアを捨てスイスに居を定めていた。以下物語のあらすじである。「あらゆる疑問に解答する魔法の書とひきかえにヴァイオリンを悪魔に売ってしまった兵士は、悪魔に誘われて3日間の楽しい時を共に過ごした。ところがそれは3年間に相当していた。故郷に帰った兵士を母親も許婚も見分けることができない。魔法の書が教える金もうけも幸福をもたらさないので、兵士は本を捨てて冒険の旅に出た。ある日一人の王女が病気になっていて、それを治した男が王女と結婚できると兵士は教えられる。王宮へやってきた兵士はばったり悪魔に出くわし、二人はカードゲームをはじめる。兵士は持ち金を全部すってしまうが、悪魔が酔いつぶれているすきにヴァイオリンを取り戻し、これで王女の病を治しめでたく結婚し幸福に暮らす。しかしホームシックになった兵士は、王女を連れて故郷の入口まで来たとたんに、兵士は悪魔に連れ去られ、王女は置き去りにされた」。このシリーズでサン=サーンス:七重奏曲作品65(78CDR-3162)(1927年録音)があり編成は異なるがフランスの器楽奏者の名演が楽しめる。 |