2010年12月新譜 5点 発売中★DSD録音
78CDR-3289
ヴィヴァルディ(モリナーリ編):協奏曲「四季」作品8-1-4
ベルナルディーノ・モリナーリ指揮
ローマ・サンタ・チェチーリア音楽院管弦楽団
米 Cetra-Soria BB2043/8(Set No.107)
(伊 Parlophone BB 25067/72と同一録音)
(1941年11月-12月録音)
ヴィヴァルディの「四季」の世界初レコード。ベルナルディーノ・モリナーリはローマ生まれのイタリアの指揮者。サンタ・チェチーリア音楽院で指揮を学び1912年にローマ・アウグステオ管弦楽団(後にサンタ・チェチーリア音楽院管弦楽団と改名)の音楽監督に就任し、第2次世界大戦終了時までその地位にあった。モリナーリはヨーロッパやアメリカの主要オーケストラに多く客演した。彼は他のイタリアの指揮者とは異なり管弦楽曲の指揮を好み、オペラの指揮はめったにしなかったという。レスピーギの交響詩「ローマの松」の初演(1924)の指揮をした。この「四季」の編曲は1927年に出版された。1928年1月にモリナーリの指揮でアメリカ初演がセントルイス交響楽団で行われた。同年2月にはアルトゥーロ・トスカニーニがニューヨーク・フルハーモニーで「春」を指揮した。これは第2次世界大戦中の録音でイタリア以外では知られていなっかたため、「四季」の初録音はルイス・カウフマン(1905-94)のヴァイオリンによるコンサートホール盤(1948年録音)とされていたが、こちらが7年も早く録音されていた。
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モーツァルト:フルート協奏曲第1番ト長調 K.313
(カデンツァ:タファネル)
モーツァルト:フルート協奏曲第2番ニ長調 K.314
(カデンツァ: ド・ドンジョン)
マルセル・モイーズ(フルート)
ウジェーヌ・ビゴー指揮(第1番)
ピエロ・コッポラ指揮(第2番)
管弦楽団
米 Victor 12853/5 (第1番)& 12477/8 (第2番)
(仏Gramophone L1021/3 & L.835/6と同一録音)
(1936年2月17日=第1番 & 1930年3月28日=第2番パリ録音)
フルートのマルセル・モイーズ(1889-1984)はパリ音楽院でポール・タファネル(1844-1908)、フィリップ・ゴーベール(1879-1941)に師事し1905年に一等賞を得た。1932年から49年まで母校パリ音楽院の教授をつとめた。指揮者のウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)はパリ音楽院出身。シャンゼリゼ劇場の指揮者を経てパリ音楽院管弦楽団、フランス放送管弦楽団、ラムルー管弦楽団、オペラ・コミックの指揮者を歴任。母校の指揮科の教授もつとめた。ピエロ・コッポラ(188-1977)はミラノ生まれ、フランスで活躍した。SPレコードの録音も多い。
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モーツァルト:ホルン協奏曲第4番変ホ長調 K.495
モーツァルト:ホルン協奏曲第2番変ホ長調 K.417
デニス・ブレイン(ホルン)
サー・マルコム・サージェント指揮(第4番第1楽章)
ローレンス・ターナー指揮(第4番第2 & 3楽章)
ワルター・ジュスキンド指揮(第2番)
ハレ管弦楽団(第4番)
フィルハーモニア管弦楽団(第2番)
英 Columbia DX1123/4(第4番)& DX1365/6( 第2番)
(1943年6月21日録音=第4番、1947年5月21日=第2番)
デニス・ブレイン(1921-1957)は夭折した伝説的なイギリスのホルン奏者。父親のオーブリー・ブレイン(1893-1955)の指導を受けた。デニス・ブレインは1957年9月1日、エディンバラからロンドンに戻る途中、自身の運転するスポーツカー(トライアンフTR2)の事故で命を落とした。享年36歳。この録音は1953年にカラヤン指揮で録音したモーツァルト:ホルン協奏曲集(4曲)以前の、若いブレインが聴ける貴重な遺産。第2番が26歳、第4番が22歳の時の録音である。ワルター・ジュスキンド(1913-80)はプラハ生まれのイギリスの指揮者。マルコム・サージェント(1895-1967)はイギリスの名指揮者。二人ともレコード録音が多い。
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ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第5番ニ長調作品102-2
ピエール・フルニエ(チェロ)
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
英HIS MASTER'S VOICE DB9438/40
(1948年6月21日ロンドン、アビー・ロードEMI 第3スタジオ録音))
ピエール・フルニエ(1906-1986)はパリ生まれのチェリスト。最初ピアノを学んだが9歳のとき小児麻痺による右足障害のためチェロに転向した。1923年パリ音楽院で一等賞を得て楽壇にデビュー、ヴァイオリンのガブリエル・ブイヨン、ピアノのヴラド・ペルルミュテールとのトリオで注目された。1937年エコール・ノルマル教授、1941年から1949年までパリ音楽院教授をつとめた。1942年にヴァイオリンのシゲティ、ピアノのシュナーベルとのピアノ・トリオ、ヴィオラのプリムローズを加えて四重奏で活動、さらに1945年にはカザルスの抜けたカザルス・トリオに加わりヴァイオリンのティボー、ピアノのコルトーと演奏活動をした。1954年に初来日。その後何度も日本を訪れた。ピアノのシュナーベル(1882-1951)はオーストリアの大ピアニスト。ウィーンで高名なレシェティツキーに師事した。この顔合わせによるベートーヴェン:
チェロ・ソナタ第3番(78CDR-3171)第4番(78CDR-3232)がこのシリーズで出ている。
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ラヴェル:弦楽四重奏曲ヘ長調
カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エヴィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミーユ・ドローベル(チェロ)
英COLUMBIA D15057/60
(1928年6月15&19日パリ録音)
「人類の遺産」の一つに数えられるカペー弦楽四重奏団が1928年にフランス・コロンビアに録音した一曲である。リーダーのリュシアン・カペー(1873-1928)は医師の誤診による腹膜炎で1928年12月18日に急逝した。享年55歳。カペーは1893年パリ音楽院で一等賞を得て,
その年に弦楽四重奏団を組織した。1920年頃から毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏会をパリで開催していた。カペーは1928年6月10日から10月15日にかけてフランス・コロンビアに51枚の録音をした。まるで自らの死を予期したようなハイペースの録音だった。このシリーズでカペーはフランク:ピアノ五重奏曲(ピアノ=シャンピ)(78CDR-3034)、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第5番(78CDR-3042)、シューマン:弦楽四重奏曲第1番(78CDR-3056)、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第7番「ラズモフスキー第1番」(78CDR-3277)、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番(78CDR-3082)、ドビュッシー:弦楽四重奏曲(78CDR-3168)、ハイドン:弦楽四重奏曲「ひばり」(78CDR-3194、シューベルト:弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」(78CDR-3270)が出ている。 |