★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-3299〜3308

2011年3月新譜 5点 発売中★DSD録音

今月からLP復刻の33CDRシリーズが加わります。従来の78CDR-部分が33CDR-に変わり、番号の部分は3000番台を通し番号で使用いたします。

78CDR-3304
フォーレ:レクイエム作品48
シュザンヌ・デュポン(ソプラノ)
モーリス・ディディエール(バリトン)
エルネスト・ブールモーク指揮
リヨン合唱団とリヨン器楽合奏団
エドアール・コメット(オルガン)
米 COLUMBIA 70295/9-D (英 COLUMBIA LX773/7と同一録音)
(1938年5月30-31、6月1日リヨン、サン=ジャン大聖堂録音)
リヨンのサン=ジャン大聖堂で録音されたこの名曲の記念碑的録音。英コロンビアのプロデューサー、ウォルター・レッグによる録音。SP時代の同曲はフランスHMVが1929年に録音したギュスタヴ・ブレ指揮バッハ協会合唱団と管弦楽団(仏 LA VOIX DE SON MAITRE W1154-58)があったが1936年に廃盤になっていて、この新録音が大歓迎されたとの記述がある。

78CDR-3305
シューマン:ピアノ五重奏曲変ホ長調作品44
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ゲスタ・アンドレアソン(第2ヴァイオリン)
カール・ドクトル(ヴァイオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)
米 COLUMBIA 71442/5-D
(1942年5月22日ニューヨーク、リーダークランツ・ホール録音)
ブッシュ弦楽四重奏団は1913年にリーダーのアドルフ・ブッシュ(1891-1952)によってドイツで組織され、1939年からアメリカで活動したが1952年にブッシュの死によって消滅した。ピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)は1922年からアドルフ・ブッシュとデュオを組んで活躍し、1935年ブッシュの娘イレーネと結婚した。ゼルキンはナチスのユダヤ人迫害を避けアメリカに移住した。アメリカ時代のブッシュはこのシリーズでベートーヴェン:弦楽四重奏曲第7番「ラズモフスキー第1番」(78CDR-3287)、ピアノ三重奏曲「幽霊」(ピアノ= ゼルキン)(78CDR-3253)、J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番(78CDR-3216)、二つのヴァイオリンのための協奏曲(78CDR-3235)が出ている。

78CDR-3306
ヴィターリ:シャコンヌ
J.S.バッハ:
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調 BWV.1001からアダージョ
ナタン・ミルスタイン(ヴァイオリン)
レオポルド・ミットマン(ピアノ)
米 COLUMBIA 70488/9-D
(1935年12月31日(ヴィターリ)、1936年2月21日(J.S. バッハ)
ニューヨーク、コロンビア・スタジオ録音)
ナタン・ミルスタイン(1904-1992)はロシアのオデッサに生まれ、11歳でサンクトペテルブルク音楽院に入学、名教師レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。後にピアニストのホロヴィッツ(1903-1989)と出会い一緒に演奏旅行をしたこともある。1929年にアメリカ・デビュー、1942年にアメリカ市民権を得た。このはアメリカ・コロンビアに録音を始めたごく初期のもの。同じころの録音であるJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番(78CDR-3078)が出ている。

33CDR-3307
J.S.バッハ:
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調 BWV.1001
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1番ロ短調 BWV.1002
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番イ短調 BWV.1003
アレクサンダー・シュナイダー(ヴァイオリン)
米 MERCURY MG-10017/8
(1949年ニューヨーク、リーヴス・スタジオ録音)
アレクサンダー・シュナイダー(1908-1993)はリトアニアのヴィルナ生まれ。ブダペスト弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者として活躍、ナチスの迫害を逃れ四重奏団の他のメンバーと共にアメリカの移住した。シュナイダーは1932年から1944年、1955年から1967年に四重奏団に在籍、ぞれ以外の期間はシュナイダー弦楽四重奏団やソリストとして活動した。シュナイダーはプラドで隠遁していたパブロ・カザルスの元をしばしば訪れバッハの演奏法の指導を受け、それが縁で1950年のプラド音楽祭が実現した。この録音はシュナイダーはカザルスのバッハ理念をヴァイオリンで表現しているアルバムである。

33CDR-3308
J.S.バッハ:
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV.1004
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調 BWV.1005
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調 BWV.1006
アレクサンダー・シュナイダー(ヴァイオリン)
米 MERCURY MG-10019/20
(1949年ニューヨーク、リーヴス・スタジオ録音)
1950年はJ.S.バッハ(1685-1750)の没後200年にあたり、その記念にLP登場で初の無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全6曲がシュナイダーの手で完成した。録音は1949年に行われ、録音ディレクターがミッチェル・ミラー(1911-2010)、録音エンジニアはロバート・ファイン(1922-1982)。ミッチェル・ミラーは優れたオーボエ奏者、イングリッシュホルン奏者でもあり、後年アメリカ・コロンビアのA&R部長をつとめ、数々の名アーティストを生み出した人物。また自らアーティストとしてミッチ・ミラー合唱団を組織し、初期のTV番組「ミッチと歌おう」に出演した「ヒゲのおじさん」である。ロバート・ファインはマーキュリー・オリンピアンシリーズでLP初期のハイファイ録音時代を築いた人物。
2011年2月新譜 5点 発売中★DSD録音

今月は個性あふれる名歌手による声楽曲を5枚集めました。

78CDR-3299
夢の後に/ニノン・ヴァラン
(1)エレジー(Massenet)
Fr.Odeon 238.030A(Rec. 11 May 1936)
(2)トゼリのセレナード(Toselli)
Fr.Odeon 238.030B(Rec. 11 May 1936)
(3)秋(Faure)
Fr.Pathe PG60A(Rec. 1934)
(4)夢の後に(Faure)
Fr.Pathe X93081A(Rec. 1929)
(5)グリーン(Debussy)
Fr.Odeon 188.595A(Rec. 3 July 1928)
(6)マンドリン-操り人形(Debussy)
Fr.Odeon 188.595B(Rec. 3 July 1928)
(7)至福の時(Reynaldo Hahn)
Fr.Odeon 188.579A(Rec. 31 March 1928)
(8)歌に翼ありせば(Reynaldo Hahn)
Odeon 188.579B(Rec. 31 March 1928)
ニノン・ヴァラン(ソプラノ)(1-8)
ピエール・ダルク(ピアノ)
J.フォール(チェロ)(1-2)
モーリス・フォール(ピアノ)(3)
J.アンドルフィ(ピアノ)(4)
ギュスタヴ・クローエ(ピアノ)(5-6)
ピアノ伴奏(7-8)
ニノン・ヴァラン(1886-1961)はフランスのソプラノ。最初リヨン音楽院、続いてパリ音楽院学んだ。最初はオペラ歌手になる意志はなく、声楽家として舞台に立つことを考えていた。1911年ドビュッシー(1862-1918)の神秘劇「聖セバスチャンの殉教」の初演にエリゴネ役に選ばれ、1914年にはドビュッシーの「ステファヌ・マラルメの三つの詩」の初演を行った。その後オペラ出演を説得され主要なオペラの主役を40年間に渡って演じた。SPレコードにはシャルパンティエ(1860-1956)の「ルイーズ」(1935 年ビゴー指揮抜粋)やマスネ(1842-1912)の「ウェルテル」(1931年エリー・コーエン指揮全曲、ジョルジュ・ティルとの共演)がある。ヴァランはオペラ出演の傍らパリのミュージックホール「アランブラ」にも出演したこともあり、これが人気を広めた。ここに集めた9曲は初めての人にもヴァランの魅力を伝えることを意図して選曲した。SPレコードならではの声の良さが聴ける。

78CDR-3300
すみれ・野ばら/エリーザベト・シューマン
(1)すみれ(Mozart)
Eng.HMV DA1854A(Rec. August 1945)
(2)野ばら-草原の歌(Schubert)
 Eng.HMV DB1844A(Rec. 7 November 1932)
(3)子守歌-蝶々(Schubert)
Eng.HMV DB3426A(Rec. 29 November 1937)
(4)眠りの精(Brahms)
Eng.HMV DA1526A(Rec. 7 September 1936)
(5)マリアの子守歌(Reger)
 Ger.Electrola DA1619A(Rec. 22 November 1937)
(6)子守歌(Brahms)
Eng.HMV DA1562A(Rec. 11 March 1937)
(7)子守歌(R.Strauss)
Ger.Electrola EJ197A(Rec. 24 May 1927)
(8)モーツァルトの子守歌(Flies)
Eng.HMV E555A(17 February 1930)
エリーザベト・シューマン(ソプラノ)(1-8)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)(1)(4)
カール・アルヴィン(ピアノ)(2)
ジョージ・リーヴス(ピアノ)(3)
ワルター・ゲール指揮管弦楽団(5)
オーケストラ伴奏(6)
アイヴァー・ニュートン(ピアノ)(7)
ローランス・コリングウッド指揮管弦楽団(8)
エリーザベト・シューマン(1885-1952)はドイツの名ソプラノ。1909年にハンブルグ歌劇場でデビューした。彼女はオペラ。オペレッタ、宗教曲、リートと幅広いレパートリーを誇った。ここには1927年電気録音初期から1945年までに録音された10曲を選んだ。大歌手が親しみを持って歌いかけてくるSPレコードの魅力が満喫できる。シューマンはこのシリーズでシューマン「女の愛と生涯」(78CDR-3273)が出ている。

78CDR-3301
天使の糧/ベニャミーノ・ジーリ
(1)清きアイーダ(Verdi)
Eng.HMV DB3225A(Rec. 28 May 1937)
(2)愛らしい乙女よ-「ボエーム」より(Puccini)
Eng.HMV DB3225B(Rec. 28 May 1937)
(3)カタリ(つれないお前)(Cardillo)
Eng.HMV DB6436A(Rec. 13 December 1946)
(4)君に告げてよ(Falvo)
Eng.HMV DB6436B(Rec. 13 December 1946)
(5)天使の糧(Franck)
Eng.HMV DB2914A(Rec. 2 June 1936)
(6)フェデリコのロマンス(Cilea)
Eng.HMV DB2914B(Rec. 2 June 1936)
(7)忘れな草(de Curtis)
Ger.Electrola DA1447A(25 October 1935)
8千人の天使の合唱(シューベルトの子守歌)(Schubert=Melichar)
Ger.Electrola DA1447B(25 October 1935)
ベニャミーノ・ジーリ(テノール)(1-8)
ワルター・ゲール指揮 管弦楽団(1-2)
マリア・カニグリア(ソプラノ)(2)
ライナルド・ツァンボーニ指揮
コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団(3-4)
ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団と合唱団(5-6)
アロイス・メリヒャル指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(7-8)
ベニャミーノ・ジーリ(1890-1957)はイタリアの偉大なオペラ歌手。1914年パルマで開かれた国際コンクールで優勝し、すぐにオペラ・デビューした。パルレモのマッシモ劇場、ナポリのサン・カルロ劇場、ローマのコスタンツィ劇場、ミラノのラ・スカラ、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場に出演した。1921年にイタリアの大テノール歌手エンリーコ・カルーゾの死去後、ジーリは第2のカルーゾとしての国際的名声が急遽上昇した。1932年に出演料についての不満からメトロポリタンを離れヨーロッパに戻った。イタリアの独裁者ムッソリーニのお気に入りの歌い手だった。これは戦後になっての人気に影響をあたえた。ジーリはオペラ以外にナポリ民謡、宗教曲、さらに映画音楽などの幅広い録音を残した。ここにはそれらの名唱を集めた。SPレコードならではの実在感のある音が聴ける。

78CDR-3302
シューベルト(モーリス・ショッサン詩):
歌曲集「美しき水車屋の娘」作品25 D.795(フランス語歌唱版)
ジェルメーヌ・マルティネッリ(ソプラノ)
ジャン・ドワイアン(ピアノ)(プレイエル・ピアノ)
仏 COLUMBIA RFX42/46
(1935年4月3日(1-7), 4月5日(9-12), 4月8日(13-20)録音)
ジェルメーヌ・マルティネッリ(1887-1964)はパリ生まれ。父親はいくつかの劇場を回っていた医師で、しばしば娘を演奏会に連れていった。1900年13歳のときサル・プレイエルで独唱会を開いた。音楽院に行かず、個人教授で研鑽をつんだ。1908年、パブロ・カザルス、ジャック・ティボー、ラウル・ピュニョが出演したあるマチネ・コンサートで歌い大反響を呼んだ。第1次大戦(1914-18)中は病院や軍の劇場を訪問して歌った。1919年になってコロンヌ管弦楽団の指揮者だったガブリエル・ピエルネ(1863-1937)の演奏会で歌い、以降パリでの名声が広まっていった。1928年にはフランス歌曲とドイツ歌曲の独唱会をひらき評判を呼んだ。いくつかの賞を受賞し、フランス放送のスターの一人になった。1941年に引退、パリ音楽院の試験審査官のメンバーと声楽科の教授を1963年までつとめた。このシューベルトの「美しい水車屋の娘」をフランス語で歌ったもの。彼女はシューマンの「女の愛と生涯」もフランス語で歌った録音がある。なめらかで美しい声はこの曲の魅力を倍加している。ピアノのジャン・ドワイヤン(1907-1982)はパリ音楽院でマルグリット・ロン(1874-1966)に師事した。この録音はおそらくドワイヤンの初録音であろう。

78CDR-3303
カントルーブ: オーヴェルニュの歌
(フロントの見出しはオーヴェルニュの歌/マドレーヌ・グレイ)
(1)バイレロ-高地オーヴェルニュの羊飼いの歌
(2)三つのブレー
1.泉の水
2.どこへ羊を放そうか
3.あちらのリムザンに
(3)二つのブレー
1.私には恋人がいない
2.うずら
(4)牧場を通っておいで
(5)子守歌 - 女房持ちはかわいそう
(6)紡ぎ歌 - アントゥエノ
マドレーヌ・グレイ(メゾソプラノ)
エリー・コーエン指揮管弦楽団
米 COLUMBIA 7607/9M
(1930年 2月 3日(1-2), 2月 5日(3-6),パリ録音)
マドレーヌ・グレイ(1896-1976)はフランスのメゾソプラノ。パリ音楽院でコルトーにピアノをエタッシュに声楽を学んだ。コンセール・ラムルーの演奏会でデビューしたとき彼女の声楽家としての才能がフォーレとラヴェルの目にとまった。フォーレの歌曲集「まぼろし」(1919)の初演者、ラヴェルの歌曲集「二つのヘブライの歌」(1920)と「マダガスカルの土人の歌」(1926)の初演者に選ばれた。この「オーヴェルニュの歌」は作曲者のジョゼフ・カントルーブ(1879-1957)が採集した民謡に器楽伴奏をつけたもので、1926年彼女によって創唱された。この初演盤は日本コロムビアからSPレコード時代に発売され人気のアルバムであった。