2011年11月新譜 5点 発売中★DSD録音
LP復刻の33CDRシリーズが加わりました。従来の78CDR-部分が33CDR-に変わり、番号の部分は3000番台を通し番号で使用いたします。
33CDR-3344
ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調作品125 「合唱」
ブルーノ・ワルター指揮
コロンビア交響楽団
エミリア・クンダリ(ソプラノ), ネル・ランキン(メゾ・ソプラノ),
アルバート・ダ・コスタ(テノール), ウィリアム・ウィルダーマン(バス)
ウェストミンスター合唱団(ウォーレン・マーティン= 合唱指揮)
米 COLUMBIA M2S-608
(録音: 1959年1月19, 21, 26, 29 & 31 日ハリウッド,
アメリカン・リージョン・オーディトリアム,
第1-3 楽章& 4月6 & 15 日ニューヨーク, セント・ジョージ・ホテル、
ボールルーム, 第4楽章)
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、その後指揮者に転向した。1894年ケルン市立歌劇場でデビュー、1896年ハンブルク歌劇場へ移った。そこで音楽監督だったグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。以後ワルターはウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカに逃れた。この録音はステレオ・レコードが開発されたのを期に、既に引退していた巨匠ワルターを起用して録音されたもの。第1楽章から第3楽章が当時ワルターが住んでいたロサンジェルスで行われ、第4楽章はニューヨークで録音された。録音当時ワルターは82歳だった。復刻はLPレコードの持つ音を、ありのままに引き出すことを意図した。
33CDR-3345
セゴビア&レイ・デ・ラ・トルレ/ギター・リサイタル
セゴビア/J.S.バッハ作品集(編曲: セゴビア)
無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調 BWV 1012より
ガヴォット I & II
リュート組曲ホ短調 BWV 996より
サラバンド
ブーレ
前奏曲ハ短調 BWV 999
無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調 BWV 1009より
クーラント
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調 BWV 1006より
ガヴォット
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV 1004より
シャコンヌ
レイ・デ・ラ・トルレ/ソル作品集
モーツァルト「魔笛」の主題による変奏曲作品 9
メヌエットニ長調作品11-5
メヌエットイ長調作品11-6
エチュードロ短調作品35-22(セゴビア20のエチュード第5番)
「月光」
エチュード変ロ長調作品29-1(セゴビア20のエチュード第19番)
エチュードイ長調作品 6-6(セゴビア20のエチュード第12番)
アンドレス・セゴビア(ギター)
(1947年12月米MUSICRAFT 発売)
レイ・デ・ラ・トルレ(ギター)
(1950年米ALLEGRO 発売)
米 ROYALE 1422(1952年発売)
アンドレス・セゴビア(1893-1987)はスペインのギタリスト。現代クラシック・ギター奏法の父と言われている。ここに収録された録音は第2次世界大戦後の1947年、アメリカのMUSICRAFTのSPレコードに録音されされたもの。米デッカ録音に先立つこと数年で貴重な演奏。レイ・デ・ラ・トルレ(1917-1994)はキューバ生まれ。ハバナで神童として名声を上げた後、スペインのバルセロナで既に引退していた名ギタリスト、ミゲル・リョベート(1878-1938)に師事した。レイ・デ・ラ・トルレは1940年にニューヨークのタウン・ホールでアメリカ・デビュー、以降ギター界の寵児になった。この録音は1950年米ALLEGROレーベルで発売され、2年後ROYALEレーベルでセゴビアと組み合わせて再発売されたもの。セゴビアの編纂したソルのエチュードの貴重な演奏が聴ける。
78CDR-3346 
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」
マルグリット・ロン(ピアノ)
シャルル・ミュンシュ指揮
パリ音楽院管弦楽団
仏 COLUMBIA LFX 679/83
(録音:1944年6月11日パリ、アルベール・スタジオ)
マルグリット・ロン(1874-1966)は19歳でパリ音楽院の一等賞を得た後コンサートデビュー、ガブリエル・フォーレ(1845-1924)やフィガロ紙の評論家から絶賛された。1906年母校のパリ音楽院教授に就任、1940年まで務めた。1943年ヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1954)と共に、若い優秀な音楽家を発掘するコンクールをパリで創設した。指揮者のシャルル・ミュンシュ(1891-1968)はストラスブール生まれ。パリ音楽院でリュシアン・カペー(1873-1928)にヴァイオリンを学んだ。1928年-32年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のソロ第一ヴァイオリン奏者をつとめ、ブルーノ・ワルター(1876-1962)やヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)のもとで演奏し、指揮法も身につけた、1938年-45年にパリ音楽院管弦楽団の指揮者をつとめ、1939年には同音楽院の指揮科の教授に任命された。これは第2次大戦末期のドイツ占領下のパリで録音されたもの。ロンは当時70歳だった。ロンのSPレコードの中でも最も希少な盤の登場である。
78CDR-3347
ラヴェル:ツィガーヌ
ショパン(ロディオノフ編):ノクターン第20番嬰ハ短調遺作/
Eng. HIS MASTER'S VOICE DB 6907/8
ラヴェル:ハバネラ形式の小曲
スカルラテスク:バガテル
Eng. HIS MASTER'S VOICE DA 1871
ファリャ(クライスラー編):スペイン舞曲(はかなき人生)
ディニク(ハイフェッツ編):ホラ・スタッカート
Eng. HIS MASTER'S VOICE DA 1865
ジネット・ヌヴー(ヴァイオリン)
ジャン・ヌヴー(ピアノ)
(録音: 1946年3月26日01-04, 8月12-14 日05-08,
ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ)
ジネット・ヌヴー(1919-1949)はアメリカへの演奏旅行に向かう航空機事故で30歳の生涯を終えた。ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)に手ほどきを受けた後、11歳でパリ音楽院のジュール・ブーシュリ(1878-1962)のクラスに入り、8カ月後に一等賞を得た。8カ月は50年前にヴィエニャフスキ(1835-1880)が打ち立てた記録と同じだった。ヌヴーはその後ベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)のもとで研鑽を積んだ。1935年ワルシャワで開かれたヴィエニュフスキ・ヴァイオリン・コンクールに16歳で参加し、180人の競争者に勝ち抜き優勝した。その時の第2位はソ連から参加した27歳のダヴィド・オイストラフ(1908-1974)だった。この録音は第2次再開大戦後のSPレコード録音期末期にロンドンで録音されたもの。このシリーズでヌヴーのSP録音は最初期のものを除きほとんど出ている。
78CDR-3348
R.シュトラウス: 歌曲集
セレナード作品17-2
あすの朝作品27-4
万霊節作品10-8
献身作品10-1
ロッテ・レーマン(ソプラノ)
パウル・ウラノフスキー(ピアノ)
米 COLUMBIA 17384/5-D(Set X-270)
(録音:1941年7月2日ハリウッド、CBS スタジオ)
ロッテ・レーマン(1888-1976)はドイツのソプラノ。ペルレベルク生まれ。ベルリンで勉強した後、1910年にハンブルク歌劇場でワーグナーの「ローエングリン」でデビュー。1914年にウィーン宮廷歌劇場にデビューした。リヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」、「影のない女」、「インテルメツッオ」、「アラベラ」のウィーン初演に出演した。また「ばらの騎士」のマルシャリン役での録音もある。レーマンはオペラ歌手としてだけではなく歌曲を得意とた。1938年、ナチス・ドイツのオーストリア併合で迫害を逃れてアメリカに移住した。この録音はアメリカ時代の初期のもの。作曲家リヒャルト・シュトラウスと親交があったレーマンの残した貴重な録音である。レーマンはこのシリーズでシューベルトの「冬の旅」(全曲)(78CDR-3049
& 3049)、シューベルトの「美しき水車屋の娘」(全曲)(78CDR-3079)が出ている。 |