2011年12月新譜 5点 発売中★DSD録音
LP復刻の33CDRシリーズが加わりました。従来の78CDR-部分が33CDR-に変わり、番号の部分は3000番台を通し番号で使用いたします。
33CDR-3349
ベートーヴェン:
交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
交響曲第1番ハ長調作品21
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団
米 COLUMBIA MS-6036 (第3番), MS-6071(第1番)
(録音: 1958年1月20, 23, 25日=第3番、1959年1月5, 6, 8, 9日
ハリウッド, アメリカン・リージョン・オーディトリアム)
1959 No.1 American Legion Auditorium, Hollywood)
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、その後指揮者に転向した。1894年ケルン市立歌劇場でデビュー、1896年ハンブルク歌劇場へ移った。そこで音楽監督だったグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。以後ワルターはウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカに逃れた。この録音はステレオ・レコードが開発されたのを期に、既に引退していた巨匠ワルターを起用して録音されたもの。復刻はLPレコードの持つ音を、ありのままに引き出すことを意図した。
33CDR-3350 
リスト:
クリスマス・ツリー
1. 古いクリスマスの歌
2. おお聖なる夜
3. 飼い葉桶のそばの羊飼いたち
4. 誠実な人びとよ来れ(東方の三人の博士聖者の行進)
5. スケルツォーソ(クリスマス・ツリーに点火する時)
6. グロッケンシュピール
7. 子守歌
8. 古いプロヴァンスのクリスマスの歌
9. 夕べの鐘
10.昔むかし
11.ハンガリー風
12.ポーランド風
アルフレッド・ブレンデル(ピアノ)
米 SOCIETY OF PARTICIPATING ARTISTS SPA-26(Mono)
(1952年春頃録音)
このピアノ組曲はリストが孫娘のダニエラのために作曲した。ダニエラはコジマとハンス・フォン・ビューローの娘で作曲年代は1874-6年頃とされている。この組曲の中に聴いたことのあるクリスマスキャロルが数曲あって心が和む。他の曲はリストのオリジナル作品。アルフレッド・ブレンデル(1931-)は北モラヴィアのヴィーゼンベルク生まれ、オーストリアのグラーツ音楽院で学んだ。1949年ブゾーニ国際コンクールで入賞後、ウィーン・デビュー。その後エトヴィン・フッシャーのマスタークラスを受講し多大な影響を受けた。この録音はブレンデルが20代の半ばにアメリカのSPAレコードに録音したもので、ほとんど知られていないもの。ここに既にブレンデルの音楽が聴ける貴重なアルバム。SPAにはもう一枚R.シュトラウスの5つの小品とピアノ・ソナタ(SPA-26)があり、33CDR-3337で出ている。
78CDR-3351 
ベルリオーズ:幻想交響曲作品14
シャルル・ミュンシュ指揮
フランス国立放送管弦楽団
仏 COLUMBIA LFX 880/85
(1949年9月9日パリ、シャンゼリゼ劇場録音)
1950年フランス・ディスク大賞受賞レコード。指揮者のシャルル・ミュンシュ(1891-1968)はストラスブール生まれ。パリ音楽院でリュシアン・カペー(1873-1928)にヴァイオリンを学んだ。1928-32年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のソロ第一ヴァイオリン奏者をつとめ、ブルーノ・ワルター(1876-1962)やヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)のもとで演奏し、指揮法も身につけた、1938年-45年にパリ音楽院管弦楽団の指揮者をつとめ、1939年には同音楽院の指揮科の教授に任命された。1949年にボストン交響楽団の正指揮者となり1962年までつとめた。これはボストンに出向く直前にパリで録音された貴重なSPレコード。数種類あるミュンシュの「幻想交響曲」の最初の録音。
78CDR-3352 
シューマン:ピアノ協奏曲イ短調作品54
イヴ・ナット(ピアノ)
ウジェーヌ・ビゴー指揮管弦楽団
仏 COLUMBIA LFX 320/23
(1933年4月25-26日パリ録音)
1933年フランス・ディスク大賞受賞レコード。イヴ・ナット(1890-1956)はフランスノピアニスト。1907年パリ音楽院のルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスで一等賞を得てデビュー、1910年代からアメリカ、ヨーロッパ、ロシアとコンサート・ピアニストとして活躍した。演奏家として絶頂期の1934年にパリ音楽院の教授に任命され、生涯その地位にあった。このシューマンはナットが音院教授に就任の前年のもの。ナットは1929年にリストのハンガリー狂詩曲第2番が初レコード録音だったが、これは2番目レコード録音。ナットの門下生にはユーリ・ブコフ、イエルク・デムス、ジャクリーヌ・エマール、レーヌ・ジャノリ、ジュヌヴィエヴ・ジョワ、ジャック・ルーシェ、ジャン・ヌヴー、ロベール・ヴェイロン=ラクロワなどがいる。ウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)は華麗な経歴を持つフランスの指揮者。SPレコード時代に数多くの録音がある。
78CDR-3353 
シューベルト:
ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第3番ト短調作品137-3 D408
ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第1番ト短調作品137-1 D384
ロンド
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
タッソ・ヤノプロ(ピアノ)
仏 DISQUE GRAMOPHONE DB11103/4
(1944年5月28日パリ、ペルーズ・スタジオ録音)
第2次世界大戦下のパリでの録音。ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀前半に活躍したフランスの大ヴァイオリニスト。ボルドー出身で1893年からパリ音楽院のマルタン・マルシック(1848-1924)に師事し、1896年16歳で一等賞を得た。生活のためにカフェのコンセール・ルージュで弾いていたところを指揮者のエドゥアール・コロンヌ(1836-1910)に見いだされ楽員に採用された。そのとき、ティボーの親友で後にパリ音楽院の教授になったジュール・ブーシュリ(1877-1962)もコロンヌの楽員になった。1905年にピアノのアルフレッド・コルトー(1877-1962)、チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とトリオを結成し1930年頃まで活動した。ティボーは1923年と1936年に来日、1953年の3度目の来日時、乗っていたエール・フランス機がアルプスの支峰スメ山に激突し死亡した。享年72歳。この録音と同日に録音されたラヴェルとフォーレの小品2曲は78CDR-3149で出ている。 |