第11回以降 発売分 2009年2月新譜 5点 発売中 ★DSD録音★
78CDR-3179
シベリウス:
ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
サー・トーマス・ビーチャム指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
米VICTOR 14016/9(英 HIS MASTER'S VOICE DB2791/4と同一録音)
(1935年11月ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-87)はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に学び、10歳の春にデビューした。1917年16歳の時に革命を逃れ一家はアメリカに移住し、少年ハイフェッツは一流演奏家として待遇された。その後青年期、壮年期から引退するまで世界最高のヴァイオリン奏者として崇められた。この録音は英 HIS MASTER'S VOICE が企画したシベリウス・コレクション全6巻, SPレコード42枚の中に組み込まれ、米VICTORではヴァイオリン協奏曲のみ4枚組のアルバムで発売された。ハイフェッツは1959年にステレオで2回目のシベリウスを録音している(RCA VICTOR)。指揮者のサー・トーマス・ビーチャム(1879-1961)は英国で最も尊敬された指揮者。1932年ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を組織し、1947年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を作った。ハイフェッツのSP時代の録音はこのシリーズでチャイコフキー:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-1086)とメンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-1114)が発売されている。復刻には最高のコンディションの米VICTOR盤を使用した。
78CDR-3180
サン=サーンス:
ピアノ協奏曲第2番ト短調作品22
モウラ・リンパニー(ピアノ)
ウォーウィック・ブレイスウェイト指揮
ナショナル交響楽団
英 DECCA AK1161/3
(1945年7月24日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
ピアニストのモウラ・リンパニー(1916-2005)は英国コーンウォール州サルタッシュ生まれ。父親は軍人、母親は彼女の最初のピアノ教師になった音楽家だった。彼女はベルギーの修道院に送られ、そこで音楽才能が開花し、さらにリエージュで勉強をつづけた。その後ロンドンの王立音楽アカデミーへの奨学金を得た。さらにウィーンでパウル・ヴァインガルテンに師事し、1938年ブリュッセルで開催されたイザイ・ピアノ・コンクールでソ連のエミール・ギレリス(1916-1985)に続いて第2位に入賞した。第2次世界大戦迄に英国で最も名前の通ったピアニストになった。この録音は1945年大戦直後のもので、リンパニーにとっては初期のもの。LP時代になって、彼女はデッカ,EMI,エラートに数多くの録音を残している。ヨーロッパ、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、インドでは非常に名の通ったピアニストだったが、日本ではそれほどでもなかった。1979年にCBEを叙勲され、1992年にはDAMEの称号を得た。指揮者のブレイスウェイト(1896-1971)ニュージーランド生まれでイギリスで指揮し、後に祖国のニュージーランドやオーストラリアでも活躍した。これは初期のFFRR録音。聴きどころは第3楽章。透明で華麗なピアノが光り輝いている。
78CDR-3181
ショパン:
24の前奏曲作品28
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
英 HIS MASTER'S VOICE DB2015/8
(1933年7月5日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
アルフレッド・コルトー(1877-1962)は20世紀最高のフランスのピアニスト。スイスのニヨンに生まれ、両親はフランス人。1892年パリ音楽院のルイ・ディエメ(1843-1919)のクラスに入り研鑽を積む。1896年一等賞を得て卒業。1905年にヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)とチェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とピアノ・トリオを組んだ。1917年にパリ音楽院教授、1919年にパリに音楽学校エコール・ノルマルを設立した。コルトーはショパンの「前奏曲」を生涯に3回録音していて、これはその第2回目の録音。第1回の録音は電気録音最初期の1926年で本シリーズの78CDR-1043で発売されている。コルトーは戦後の1952年(昭和27年)に初来日した。その時75歳だったコルトーは山口県下関市の響灘にある厚島が気に入り購入を申し出た。無人島の厚島はコルトーに贈られ「孤留島」と名づけられたが、コルトーは帰国後体調を崩し、再来日は果たせなかった。
78CDR-3182
モーツァルト:
レクイエム ニ短調 K.626
ピア・タッシナーリ(S), エベ・スティニャーニ(M-S)
フェルッチョ・タリアヴィーニ(T), イタロ・ターヨ(Bs)
ヴィクトル・デ・サバタ指揮トリノ放送管弦楽団(E.I.A.R.)、合唱団
英 HIS MASTER'S VOICE DB9541/8(原録音: 伊CETRA-SORIA set101)
(1941年12月 4-5日ローマ録音)
第2次世界大戦下のローマ録音。日米開戦の3日前の1941年(昭和16年)12月4-5日である。イタリアのレコード会社CETRAのための録音だったが、プロデューサーのダリオ・ソリアが後にEMIに発売させたもの。大戦中にはドイツPOLYDOR でも発売されていた。この名曲の世界初の全曲録音である。指揮者のヴィクトル・デ・サバタ(1892-1967)は1929年大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)の後任としてスカラ座の音楽監督に就任し1953年に引退した名指揮者。ソプラノのタッシナーリ(1903-1995)はスカラ座のソプラノで戦後はアメリカで活躍した。メゾソプラノのスティニャーニ(1903-1974)はローマ歌劇場で活躍後、戦後の1948年アメリカにデビューした。テノールのタリアヴィーニ(1913-1995)は1939年にデビュー忽ち人気歌手となった。大戦後はアメリカに移住し、世界的に人気を博した。バスのターヨ(1915-1993)はイタリアとヨーロッパ各地で活躍した後、1948年メトロポリタン歌劇場にデビューした。映画にも多く出演していた。教会の大聖堂での録音と思わせる響きはSPレコード時代にしては珍しい。
78CDR-3183
ラモン・モントーヤ/フラメンコ・ギターの神様
ソレア
ラ・ローザ
グラナイーナ
タランタ
シギリーヤス
ファンダンゴス
ブレリアス
ロンデーニャ
グァヒーラ
タンゴ(マヨールとメノール)
マラゲーニャ
ファルーカ
アレグリアス
ミネーラ
ラモン・モントーヤ(ギター)
仏BAM 101/6
(1936年パリ録音)
LP時代日本コロムビアから発売されていた「フラメンコ・ギターの神様/ラモン・モントーヤ」(XM-30-AM)と同一演奏。これは12インチ盤6枚組のオリジナルSP盤からのダイレクト・トランスファーである。ここの第2曲(ラ・ローザ)と第11曲(マラゲーニャ)はLPには入っていなかった。ラモン・モントーヤはマドリードのジプシーの家系に生まれた。父親もギターを弾いたが、息子のラモンに教えることはなく、ラモンは町をさまよう盲目の楽士について歩いた。成長するとフラメンコ酒場のギタリストにテクニックの手ほどきをうけ、そのギタリストが亡くなるとその後釜にすわり、様々な歌い手の伴奏を務めて腕を磨いた。ラモンはクラシックギターにも深い憧憬を抱き、近代ギターの父と呼ばれたターレガの弟子のミゲル・リョベートに私淑し、多くのものを自己のフラメンコ奏法に取り入れた。この録音は1936年にパリのボワト・ア・ミュジーク社が録音したもの。それまで歌の伴奏だったギターを単独で扱った最初の録音と目されるもの。上記の理由から是非ともクラシックギターの人達にも是非聴いていただきたいアルバム。ミゲル・リョベートは本シリーズの「スペイン・ギター音楽-世界九大ギタリスト演奏」(78CDR-1163)に入っている。聴きどころは@の "ソレア" でギター・ソロでありながらその裏にカンテ(歌)が息づいているように聞こえる。 |