2012年3月新譜 5点 発売中★DSD録音
LP復刻の33CDRシリーズが加わりました。従来の78CDR-部分が33CDR-に変わり、番号の部分は3000番台を通し番号で使用いたします。
78CDR-3364
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第10番変ホ長調作品74「ハープ」
カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エヴィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミーユ・ドローベル(チェロ)
英 COLUMBIA L2248/51(仏 COLUMBIA D15061/4と同一録音)
(1928年6月21-22 日パリ録音)
78CDR-3365
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第15番イ短調作品132
カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エヴィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミーユ・ドローベル(チェロ)
英 COLUMBIA L2272/76(仏 COLUMBIA D15114/8と同一録音)
(1928年10月8-10日パリ録音)
78CDR-3366
モーツァルト:弦楽四重奏曲第19番ハ長調 K.465
カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エヴィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミーユ・ドローベル(チェロ)
日本 COLUMBIA J7786/9(仏COLUMBIA D15110/13と同一録音)
(1928年10月11日パリ録音)
「人類の遺産」の一つに数えられるカペー弦楽四重奏団が1928年にフランス・
コロンビアに録音した一曲である。リーダーのリュシアン・カペー(1873-1928)は医師の誤診による腹膜炎で1928年12月18日に急逝した。享年55歳。カペーは1893年パリ音楽院で一等賞を得て、その年に弦楽四重奏団を組織した。1920年頃から毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏会をパリで開催していた。カペーは1928年6
月10日から10月15日にかけてフランス・コロンビアに12曲51枚の録音をした。まるで自らの死を予期したようなハイペースの録音だった。このシリーズでは12曲の全録音が揃った。最上のSP盤復刻として評判が高い。
33CDR-3367
シューベルト:
ヴァイオリンとピアノのための幻想曲ハ長調作品159 D.934
コレッリ(レオナール編):ラ・フォリア
ドビュシー(ローラン編):月の光(「ベルガマスク組曲」より)
ラロ(シゲティ編):オバド(「イスの王」より)
チャイコフスキー(グリューンズ編):感傷的なワルツ作品51-6
ヨゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
ジョゼフ・レヴィン, アンドル・フォルデス, ハリー・カウフマン(ピアノ)
米 COLUMBIA ML4338
(録音: 1949年11月21日(シューベルト)、1940年6月5日(コレッリ)、
1941年11月26日(ドビュッシー)、1941年3月21日(ラロ)、
1944年12月4日(チャイコフスキー)ニューヨーク)
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はブダペスト生まれ。ブダペスト音楽アカデミーでイェノ・フバイ(1858-1937)に師事し、13歳でデビューした。1917年から1924年スイスのジュネーヴ音楽院で教えた。シゲティは1940年にアメリカに移住した。ピアニストのジョゼフ・レヴィン(1874-1944)はウクライナ出身のユダヤ系ロシア人。1892年モスクワ音楽院のピアノ科を同級のスクリャービンやラフマニノフを抑えて大金メダルを得て卒業した。演奏家として教師として第1次世界大戦前に名声が高かったが反ユダヤ運動にあい1919年にアメリカに移住した。ジュリアード音楽院でのピアノ教育と演奏家活動をした。夫人のロジーナ・レヴィン(1880-1976)もピアニストで教師としても高名だった。シューベルトはヨーロッパを捨てた二人の巨匠二人の記念碑的録音の初復刻。LPのB面はシゲティ「アンコール集」。この中の「ラ・フォリア」はSP盤からの復刻が78CDR-3236で出ている。この時代のアメリカ・コロンビアは16インチのアセテート盤をマスターに使用していた。LPはアセテート盤から作られたもので、SP盤からの復刻ではない。
78CDR-3368
ベートーヴェン:
ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
米 COLUMBIA ML4007
(1941年12月12日ニューヨーク録音)
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツのヴァイオリニスト。ラッパ吹き込み時代のドイツ・ポリドールにもレコードがあった。ブッシュは1922年からピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んで活躍、1936年にゼルキンはブッシュの娘イレーネと結婚した。二人はナチスのユダヤ人迫害を避けてアメリカに移住し、1939年にはブッシュ自身も弟のチェリスト、ヘルマンと共にドイツを去りアメリカに定住した。この「クロイツェル」はアメリカ・コロンビアの録音で、録音日は日米開戦(1941年12月8日)の
4日後だった。当時アメリカ・コロンビアではマスターとして16インチのアセテート盤に録音していた。このマスターから78回転盤に転写してSPレコードが作られた。LP時代になってからは同じアセテート盤マスターからLPが作られた。ということはこれはSP盤の復刻LPではなく、SPと同一のマスターから作られたLPである。この「クロイツェル」は1948年アメリカ・コロンビアのLP第1回発売のラインナップに加えられた。ブッシュとゼルキンのベートーヴェンはヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調「スプリング」(1933年HMV録音)が78CDR-3222で出ている。 |