★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-3369〜3378

2012年5月新譜 5点 発売中★DSD録音

LP復刻の33CDRシリーズが加わりました。従来の78CDR-部分が33CDR-に変わり、番号の部分は3000番台を通し番号で使用いたします。

78CDR-3374
ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調作品92
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
仏 ODEON 170.120/24 (独 ODEON O-6775/9 と同一録音)
(1929年11月19日ベルリン録音)
ハンス・クナッパーツブッシュ(1888-1965)は20世紀の半ばに活躍したドイツの指揮者。オランダ国境に近い現在のウッパータールに生まれた。ボン大学で哲学を修めた後ケルン音楽学校で指揮法を学んだ。この録音は電気録音初期のオデオンへの録音。同時期にポリドールにも録音していた。クナッパーツブッシュはSP時代にベートーヴェンはこの第7番と第3番「英雄」の2曲のスタジオ録音がある。放送録音の多いこの指揮者の交響曲のスタジオ録音はたいへん貴重。このシリーズではベルリン・フィルを指揮した「英雄」(78CDR-3102)が出ている。「英雄」は第2次世界大戦末期の1943年にエレクトローラが録音したドイツでの戦前最後の商業録音であった。

78CDR-3375
ショパン:ワルツ(全14曲)
ディヌ・リパッティ(ピアノ)
仏 COLUMBIA LFX959/964(英COLUMBIA LX1341/6 と同一録音)
(1950年7月3-12日スイス、ジュネーヴ放送第2スタジオ録音)
(上記の日付は磁気テープから78回転マスター製作日)
ディヌ・リパッティ(1917-1950)はルーマニアのブカレスト生まれ。母親はピアニスト、父親はサラサーテ(1844-1908)やカール・フレッシュ(1873-1944)に学んだヴァイオリニストで、洗礼立会人は大ヴァイオリニストのジョルジュ・エネスコ(1881-1955)だった。ブカレスト音楽学校で学費免除の特待生で入学が許された。1934年のウィーン国際コンクールで2等賞になったが、この時の審査席にいたアルフレッド・コルトー(1877-1962)は結果に異議を申し立て審査員を辞職した。リパッティはパリでコルトーとイヴォンヌ・ルフェビュール(1898-1986)に師事、シャルル・ミュンシュ(1891-1968)は指揮法を教えた。また作曲をナディア・ブーランジェ(1887-1979)とイーゴル・ストラヴィンスキー(1882-1971)に学んだ。リパッティは1950年12月2日スイスのジュネーヴで悪性リンパ腫のため33歳で没した。このワルツ集は死の年の夏、EMIの手配したテープ録音機を乗せたトラックがジュネーヴに赴き録音したもの。ヨーロッパではまだSPレコードが主流だったため、ロンドンのアビー・ロードのEMIスタジオでテープから78回転マスターがカットされた。LPで聴くリパッティよりはるかに輝かしいSPからのダイレクト・トランスファー。

78CDR-3376
ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番ヘ長調作品96「アメリカ」
ブダペスト弦楽四重奏団
エミル・ハウザー(第1ヴァイオリン)
イムレ・ポガニー(第2ヴァイオリン)
イシュトヴァン・イポリ(ヴィオラ)
ハリー・ソン(チェロ)
米 VICTOROLA 9069/71(英 HMV D1124/6と同一録音)
(1926年2月2日ロンドン録音)
※復刻はオリジナルの回転数のままで行なっています。
ブダペスト弦楽四重奏団は1917年、ブダペスト歌劇場管弦楽団のメンバーによって結成された。そのオリジナル・メンバー(第2ヴァイオリンだけは2代目)による電気録音最初期のもの。1930年代になってからリーダーはロシア人のヨーゼフ・ロイスマン(1900-1974)になり、他の奏者も全員ロシア出身の音楽家に代り、20世紀半ばに活躍した偉大なる弦楽四重奏団になった。その団体の原点にあたるオリジナル・ブダペスト弦楽四重奏団は同じハンガリー出身のレナー弦楽四重奏団を追ってHMVレーベルに登場。軽やかな足取りの爽やかな演奏スタイルが、後年のロイスマン時代とは異なる。希少な室内楽録音の登場である。

33CDR-3377
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
ジャニーヌ・アンドラード(ヴァイオリン)
ハンス・ユルゲン・ワルター指揮
ハンブルグ・プロムジカ交響楽団
仏 VEGA 30MT 10.121
(録音:1954年)
ヴァイオリンのジャニーヌ・アンドラード(1918-?)はフランスのブザンソン生
まれ。パリ音楽院で名教授ジュール・ブーシュリ(1877-1962)に師事し12歳で一等賞を得た。パリ音楽院ではは同年代のドニーズ・ソリアノ(1916-2006)、ローラ・ボベスコ(1919-2003)、ジネット・ヌヴー(1919-1949)らがブーシュリ教授の下で研鑽を積んでいた。アンドラードは作曲家でパリ音楽院の学長をつとめたクロード・デルヴァンクール(1888-1964)の「古い舞曲」を作曲者のピアノ伴奏で1943年にフランス・コロンビアにSP録音した(「ジュール・ブーシュリとその弟子たち」グリーンドア GD-2030に抜粋収録)。また1950年代にはスプラフォンに小品集を録音した(DENONからCD発売)。さらに1968年にはモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第2番K.211 と第6番K.268 をクルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とステレオ録音した(CDはBERLIN CLASSICS 0181422BC)。このブラームスと共にいずれもパリ音楽院楽派のヴァイオリンの香りの高い名演奏を繰り広げている。

33CDR-3378
ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ
ヒンデミット:ヴァイオリン・ソナタ第3番ホ調
プロコフィエフ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタニ長調作品115
ヴァイオリンとピアノのための5つの小品作品35a
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
カルロ・ブソッティ(ピアノ)
米 COLUMBIA ML5178(初期LP特有のノイズ)
(1953年11月12-13日、12月3日& 1954年1月12日、 4月1日、
ニューヨーク30丁目、コロンビア・スタジオ録音)
ヴァイオリンのヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリー生まれ、ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1905年ベルリンで大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)に認められた。1917年から24年にスイスのジュネーヴ音楽院で教え、1940年にアメリカに移住した。ピアノのカルロ・ブソッティ(1922-2002)はイアリアのフィレンツェ生まれ。13歳でケルビーニ音楽院を卒業、第2次大戦中はイタリア軍に従軍、戦後はコンサート・アーティスト、レコーディグ・アーティストとしてアメリカで活躍した。LP初期にあったハイドン協会レーベルにソロ録音がある。晩年はサンフランシスコ大学で教鞭をとっていた。
2012年4月新譜 5点 発売中★DSD録音
DR-3369
ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
英 HIS MASTER'S VOICE DB 9266/9302
(1947年11月10-12、17日、1949年2月15日 ウィーン、ムジークフェライン、大ホール録音)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)はドイツの大指揮者。1937年ベートーヴェンの「運命」をベルリン・フィルとHMVに録音したのに続き、この「英雄」はベートーヴェンの第二弾録音にあたる。オーケストラはウィーン・フィル。大戦後間もない1947年11月に4日間かけて録音が行なわれ、1年3カ月後の1949年に修正録音を行い全曲が完成した。フルトヴェングラーは1952年11月に再度ウィーン・フィルと「英雄」を録音しているので、このSP録音はあまり知られていない。ムジークフェライン大ホールの残響はLP録音よりずっと美しい。これまでの復刻盤にはなかった低音部の動きにも耳を傾けていだきたい。

78CDR-3370
ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
ウィレム・メンゲルベルグ指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
独 TELEFUNKEN SK 2210/13
(1937年5月4日アムステルダム、コンセルトヘボウ録音)
ウィレム・メンゲルベルグ(1871-1951)はオランダの大指揮者。1895年、24歳でアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者に就任し、1921年-1930年にはニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団の首席指揮者を兼任している。レコード録音は機械式録音時代と電気録音初期に米ヴィクター、電気初期のコンセルトヘボウとの録音は英コロンビアと独オデオンにあり、電気録音の完成期には独テレフンケンに多数ある。またコンセルトヘボウとの放送ライブ録音はLP時代になってフィリップスから発売された。この「運命」はテレフンケン期のはじめの録音で、実に生々しい演奏が録られているが、残念なのはハム音が入っていること。復刻に際してこのハムを除去すると壮烈な演奏の感動が半減してしまうため、ここでは何も電気処理をしていない。

78CDR-3371
ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
ブルーノ・ワルター指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
仏 LA VOIX DE SON MAITRE DB 3051/5
(英 HIS MASTER'S VOICE DB 3051/5 と同一録音)
(1936年12月5日ウィーン、ムジークフェライン大ホール録音)
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1894年ハンブルグ歌劇場の指揮者をしていた時、音楽監督だったグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任、またウィーン・フィルハーモニーやベルリン・フィルハーモニーも指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると、迫害を避けてアメリカに逃れた。この録音はウィーンのムジークフェライン大ホールで録音されたもので、美しい残響を伴ったオーケストラの音色が名演奏に花を添えている。ワルターとウィーン・フィルの録音はワルター自身がピアノを弾いたモーツァルト:ピアノ協奏曲第20番(78CDR-3219)がこのシリーズで出ている。

33CDR-3372
ショパン:
ピアノ協奏曲第1番ホ長調作品11
即興曲 第1番変イ長調作品29
即興曲 第2番嬰ヘ長調作品36
即興曲 第3番変ト長調作品51
幻想即興曲嬰ハ短調作品66 (4:12)
ミエツィスワフ・ホルショフスキ(ピアノ)
ハンス・スワロフスキー指揮
ウィーン市立フィルハーモニア
英 VOX PL 7870
(録音:1953年)(初期LP特有の雑音が出ます)
ミエツィスワフ・ホルショフスキ(1892-1993)はポーランド生まれのピアニスト。99歳までコンサート・ステージに登場していた。母親はショパンの直弟子カール・ミクリ(1819-1897)に学んだピアニスト。 4歳の頃から神童といわれ、1899年にウィーンに移り住み、名教師レシェティツキの指導を受けた。1930年代にカザルスがHMVに録音したベートーヴェン:チェロ・ソナタ集(第3番は除く)のピアニストをつとめた。このシリーズで第1番(78CDR-3221)、第2番(78CDR-3084)が出ている。第2次世界大戦中にアメリカに移住、フィラデルフィアのカーティス音楽院で後進の指導にあたる一方、室内楽奏者としての録音が多い。指揮者のハンス・スワロフスキー(1899-1975)はブダペスト生まれ。ウィーンで活躍した。

78CDR-3373
ベートーヴェン:
ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」
ヴァイオリン・ソナタ第6番イ長調作品30-1
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
ミエツィスワフ・ホルショフスキ(ピアノ)
米 COLUMBIA ML4870
(1953年11月27日=第5番、 1953年12月1日=第6番ニューヨーク30丁目コロンビア・スタジオ録音)
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリーのブダペスト生まれの名ヴァイオリニスト。ヨーロッパで名声を確立した後、1940にアメリカに移住した。この録音はLP時代になってからのもの。ピアノのミエツィスワフ・ホルショフスキ(1892-1993)はポーランド生まれのピアニスト。1930年代にカザルスがHMVに録音したベートーヴェン:チェロ・ソナタ集(第3番は除く)のピアニストを務めた。このシリーズで第1番(78CDR-3221)、第2番(78CDR-3084)が出ている。第2次世界大戦中にアメリカに移住。ブダペスト弦楽四重奏団との共演やシゲティとの録音も多い。1961年11月13日にケネディ大統領に招待されたホワイトハウスコンサートでもチェロのカザルス、ヴァイオリンのアレクサンダー・シュナイダーと共に出演した。1987年、95歳の時に初来日、東京のカザルス・ホールのオープニングで演奏。1993年101歳で死去した。