2012年7月新譜 5点 発売中★DSD録音
LP復刻の33CDRシリーズが加わりました。従来の78CDR-部分が33CDR-に変わり、番号の部分は3000番台を通し番号で使用いたします。
33CDR-3384
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(1)
ソナタ第1番ト短調 BWV 1001
パルティータ第1番ロ短調 BWV 1002
ソナタ第2番イ短調 BWV 1003
ジョルジュ・エネスコ(ヴァイオリン)
米 CONTINENTAL CLP-104/5A
(1949年ニューヨーク録音)
ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)はルーマニアに生まれ、4歳でヴァイオリンを、5歳で作曲を始めた。7歳でウィーン音楽大学に入学を許され、1893年12歳で音楽院の最高メダルを得た。1894年にパリ音楽院に入学、ヴァイオリンをマルシック(1848-1924)、和声学と作曲をアンドレ・ゲダルジュ(1856-1928)、ガブリエル・フォーレ(1845-1924)、ジュール・マスネ(1842-1914)に師事し、1899年にヴァイオリンで一等賞を得た。1902年にベルリンでデビュー、1903年にはロンドンを訪問した。1910年にはピアニストのエドゥアール・リスレル(1873-1929)とベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲演奏会を開いた。1917年には祖国ルーマニアの首都ブカレストにエネスコの名を冠したオーケストラを作った。(以下33CDR-3385)
33CDR-3385 
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(2)
パルティータ第2番ニ短調 BWV 1004
ソナタ第3番ハ長調 BWV 1005
パルティータ第3番ホ長調 BWV 1006
ジョルジュ・エネスコ(ヴァイオリン)
米 CONTINENTAL CLP-105B/6
(1949年ニューヨーク録音)
エネスコは1923年に初のアメリカ楽旅をしその後生涯14回この地を訪れた。エネスコのレコード録音は1924年アメリカ・コロンビアの機械式録音(78CDR-3066)に始まる。1929年のアメリカ・コロンビアへの6枚の電気録音はレコード史上に輝く最高傑作とされている(78CDR-3018、78CDR-3035、78CDR-3088)。このJ.S
バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全6曲はJ.S.バッハの没後200年にあたる1950年にアメリカのマイナーレーベルCONTINETALから発売された。豪華な3枚組アルバム入りのセットは、エネスコ最晩年の心血を注いだ演奏で、演奏家や心あるレコード愛好家が絶賛したが数年でカタログから消えてしまい、クラシックLP最高のコレクター・アイテムになった。これまでの復刻とは一線を画し、オリジナル盤に秘められたエネスコの芸術の全貌が真の姿で蘇ったと確信する。
78CDR-3386 
モーツァルト:
ホルン、ヴァイオリン、 2つのヴィオラとチェロのための
五重奏曲変ホ長調 K.407(386c)
デニス・ブレイン(ホルン)
シドニー・グリラー(ヴァイオリン)
フリップ・バートン(ヴィオラ)
マックス・ギルバート(ヴィオラ)
コリン・ハンプトン(チェロ)
英 DECCA K.1138/9
(1945年3月9日ロンドン NW6、デッカ・スタジオ録音)
夭折の天才ホルン奏者デニス・ブレイン(1921-1957)とグリラー弦楽四重奏団のメンバーにヴィオラのマックス・ギルバートが加わった五重奏。デニス・ブレインは父親のオーブリー・ブレイン(1893-1955)の指導を受けた。初レコード録音は1943年、モーツァルト:
ホルン協奏曲第4番 K.495(78CDR-3291)で22歳だった。デニスは1957年9月1日、エディンバラからロンドンに戻る途中、自身の運転するスポーツカー(トライアンフTR2)の事故で命を落とした。グリラー弦楽四重奏段は1931年の結成されたイギリスの有数の四重奏団。SPレコード時代から主にデッカに多くの録音を残した。デッカのデニス・ブレインは1944年録音のチャイコフスキー:交響曲第5番第2楽章のホルンソロがシドニー・ビーア指揮ナショナル交響楽団(78CDR-3158)で聴ける。
78CDR-3387 
モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番ハ長調 K.467
(カデンツンァ: シュナーベル)
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
サー・マルコム・サージェント指揮
ロンドン交響楽団
(1937年1月12日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はポーランドのリプニク(旧オーストリア領)に生まれた。1889年7歳でウィーン音楽院に入り、1891年から1897年に名教授テオドール・レシェティツキ(1830-1915)に師事した。1901年にベルリンにデビュー、1933年までこの地を本拠にした。その間演奏活動の傍らベルリン高等音楽院で教え、弟子にクリフォード・カーゾン(1907-1982)、ペーテル・フランクル(1935-)などがいる。またカール・フレッシュ(1873-1944)、パブロ・カザルス(1876-1973)、エマヌエル・フォイアマン(1902-1942)、パウル・ヒンデミット(1895-1963)、ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)との室内楽演奏はベルリンの呼び物だった。その後1932年から34年にロンドンに居を構え、1939年にアメリカに移住した。シュナーベルはSP時代HMVにベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全曲、ピアノ協奏曲全曲(2回)を録音した。他に室内楽の録音も多い。シュナーベルのモーツァルトはピアノ四重奏曲
K.478、協奏曲第19番 K.459、第27番 K.595、ピアノ・ソナタ第8番 K.310、第12番 K.332、第16番 K.570がある。
78CDR-3388
シューベルト:幻想曲ハ長調「さすらい人幻想曲」作品15、D.760
パウル・バウムガルトナー(ピアノ)
英 HIS MASTER'S VOICE C4879/81
(1949年2月3日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
パウル・バウムガルトナー(1903-1976)はスイスのアルステッテン生まれ、ミュンヘンの高等音楽・演劇学校でヴァルター・ブラウンフェルス(1882-1954)に師事しピアノと作曲を学んだ。さらにケルン音楽アカデミーでエドゥアルト・エルドマン(1896-1958)に師事した後、そこでピアノを教えるようになった。ナチスの台頭でスイスに戻りバーゼルに居を構え、バーゼル音楽院の教授に任命された。バウムガルトナーは第1回カザルス音楽祭のピアニストとして活躍。弟子にアルフレッド・ブレンデル(1931-)、カール・エンゲル(1923-2006)や指揮者のギュンター・ヴァント(1912-2002)などがいる。1962年にセント・ガレン市の芸術栄誉賞を授与された。この録音はHMV録音だがスイスだけで発売された。 |