★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-3389〜3394

2012年9月新譜 5点 発売中★DSD録音

LP復刻の33CDRシリーズが加わりました。従来の78CDR-部分が33CDR-に変わり、番号の部分は3000番台を通し番号で使用いたします。

33CDR-3394
ミラベルの庭園にて-モーツァルト管弦楽曲集
モーツァルト:
セレナード第13番ト長調 K.525
「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
メヌエットヘ長調 K.599
メヌエットハ長調 K.568
三つのドイツ舞曲 K.605
フリーメーソンのための葬送音楽 K.477(479a)
歌劇「魔笛」序曲 K.620
歌劇「フィガロの結婚」序曲 K.492
歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」序曲 K.588
歌劇「劇場支配人」序曲 K.486
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団
蘭 PHILIPS A 01237 L(MONO)
(1954年12月28日、30日ニューヨーク30丁目コロンビア・スタジオ録音)
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1896年ハンブルク歌劇場で指揮をした時、音楽監督を務めていたグースタフ・マーラー(1860-1911)に出会い交友を深めた。その後ワルターはウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任ーした。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカに逃れた。この録音はアメリカ時代の初期に、得意のモーツァルト作品を集めてLP用に録音したもの。コロンビア交響楽団の実体はニューヨーク・フィルとされている。これから登場するモノラル時代のワルターの最初の1枚に選んだ。

33CDR-3395
モーツァルト:
クラリネット協奏曲イ長調 K.622(第1楽章終結部に原盤ノイズ)
フリーメーソンのための葬送音楽 K.477(479a)(原盤ノイズ)
フランソワ・エティエンヌ(クラリネット)
モーリス・エヴィット指揮エヴィット室内管弦楽団
仏 LES DISCOPHILES FRANCAIS 2
(1941年6月パリ録音)
フランソワ・エティエンヌ(1901-1970)はフランスのトゥーロンに生まれたクラリネット奏者。生地の音楽学校で学んだ後、パリ音楽院でプロスペル・ミマール(1859-1918)に師事し1919年に一等賞を得た。1926年にオペラ座のクラリネット奏者となり1964年まで約40年間ーその地位にあった。その間パリ音楽院管弦楽団にも席を置き1933年にソロ・クラリネット奏者に任命された。この録音は1941年6月に78回転SPレコード4枚に録音されたもので最初期のLPに転写された。再録音は1952年に同じエヴィット管弦楽団と行なわれたので混同されている。指揮者のモーリス・エヴィット(1884-1971)は元カペー弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者。1928年リーダーのリュシアン・カペー(1873-1928)の急逝でエヴィット四重奏団(1928-30)として引き継いだ。その後アメリカでクリーヴランド四重奏団を組織(1930-34)、フランスに戻りエヴィット四重奏団(1935-39,1946-49)を作った。一方でエヴィット室内管弦楽団を組織し活躍した。

78CDR-3396
モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466
(カデンツァ: E.フィッシャー)
エトヴィン・フィッシャー(ピアノと指揮)
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
独 ELECTROLA DB 2118/21
(1933年11月24日ロンドン、アビー・ロードEMI第1スタジオ録音)
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイス生まれで主にドイツで活躍したピアニスト、指揮者、教育者。ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。1933年にEMIのアーティストとなり、J.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」全曲(78CDR-1142/6)の世界初録音を行なった。フィッシャーは協奏曲の演奏で独奏と同時に指揮をする「弾き振り」の演奏法を現代に復活させた。このシリーズでハイドン:ピアノ協奏曲ニ長調作品21(78CDR-3129)が「弾き振り」で聴ける。またこのピアノ協奏曲第20番はブルーノ・ワルターの「弾き振り」でも発売されている(78CDR-3219)。

78CDR-3397
モーツァルト:
セレナード第10番変ロ長調 K.361(370a)
「グラン・パルティータ」(抜粋)
エトヴィン・フィッシャー指揮管楽合奏団
米 VICTOR 17679/81(英 HIS MASTER'S VOICE DB 4693/5 と同一録音)
(1939年9 月ベルリン録音)
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイス生まれで主にドイツで活躍したピアニスト、指揮者、教育者でもあった。ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。1933年にEMIのアーティストとなり、J.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」全曲の世界初録音を行なった。このシリーズの78CDR-1142/6で出ている。フィッシャーは協奏曲の演奏で独奏と同時に指揮をする「弾き振り」の演奏法を現代に復活させたが、ここではピアノは弾かずに指揮者に専念した録音である。第2楽章のメヌエットと第5楽章ロマンスが省略された録音である。

33CDR-3398
モーツァルト:弦楽四重奏曲第14番ト長調 K.378
カルヴェ弦楽四重奏団
ジョゼフ・カルヴェ(第1ヴァイオリン)
ダニエル・ギレヴィッチ(第2ヴァイオリン)
レオン・パスカル(ヴィオラ)
ポール・マ(チェロ)
独 TELEFUNKEN E 2867/8
(1938年10月26日録音)
カルヴェ弦楽四重奏団はリーダーのジョゼフ・カルヴェ(1897-1984)によって1919年に結成された。1928年にナディア・ブーランジェの発意でベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏会をフランスで開いた。この録音は創立メンバーによるもの。リーダーのカルヴェ以外のメンバーは3人は1940年に離籍した。カルヴェは1935年にパリ音楽院教授になり、四重奏団の活動と同時に後進の指導にあたった。第2ヴァイオリンのダニエル・ギレヴィッチは1941年に米国に移住したダニエル・ギレ(1899-1990)で、トスカニーニー指揮のNBC交響楽団に入り1951年にコンーサート・マスターになった。またギレ弦楽四重奏団を結成、1954年にはボザール・トリオを結成した。ヴィオラのレオン・パスカルは1941年にパスカル弦楽四重奏団を結成しフランスを代表する弦楽四重奏団として名声を博した。
2012年8月新譜 5点 発売中★DSD録音

LP復刻の33CDRシリーズが加わりました。従来の78CDR-部分が33CDR-に変わり、番号の部分は3000番台を通し番号で使用いたします。

33CDR-3389
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲ロ短調作品104
パブロ・カザルス(チェロ)
アレクサンダー・シュナイダー指揮
1960年プエルト・リコ・カザルス・フェスティバル管弦楽団
米 EVEREST LPBR 6083(Mono)
(1960年6月14日プエルト・リコ大学録音)
パブロ・カザルス(1876-1973)はスペインのカタルーニャ地方の町エル・ペドレルに生まれた。バルセロナ音楽院でチェロ、ピアノ、楽理、作曲を学び、1890年バルセロナでバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜に出会い1904年に公開演奏した。1905年ピアノのコルトー、ヴァイオリンのティボーとトリオを結成した。この録音は1960年、83歳のカザルスが居を構えていたカリブ海の島国プエルト・リコ(面積は四国の約半分)で行なわれたカザルス音楽祭でのライブ録音。指揮者のアレクサンダー・シュナイダー(1908-1993)はリトアニア生まれ。ブダペスト弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者、シュナイダー弦楽四重奏団のリーダー、独奏者、指揮者として活躍した。1950年、隠遁生活中のカザルスを説得してプラド音楽祭を実現させた。このLPは発売直後に廃盤となったもので、多くのファンから再発売が望まれていた。

33CDR-3390
ベートーヴェン:
ピアノ・ソナタ第32番ハ短調作品111
ピアノ・ソナタ第30番ホ長調作品109
ピアノ・ソナタ第31番変イ長調作品110
イヴ・ナット(ピアノ)
仏 LES DISCOPHILES FRANCAIS DF 109 (アクセント)
(1954年2月17日パリ、サル・エダール録音)
イヴ・ナット(1890-1956)はフランスのピアニスト。1907年パリ音楽院のルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスで一等賞を得てデビューした。1910年代からコンサート・ピアニストとして活躍したが、演奏家としての絶頂期の1934年にパリ音楽院教授に任命され、生涯その地位にあった。録音は音楽院教授就任以前に録音したシューマン:ピアノ協奏曲(78CDR-3352)など僅かにあるが、晩年の1952年から56年のLP時代に多い。ベートーヴェン:ピアノ・ソナタの全曲録音もある。ここに収録されたピアノ・ソナタ第32番作品111と第30番作品110は中でも最高傑作と目されているもので、初期LPのモノラルながら、録音も優れている。ナットの門下生にはユーリ・ブーコフ、イエルク・デムス、レーヌ・ジャノーリ、ジュヌヴィエーヴ・ジョワ、ジャック・ルーシェ、ジャン・ヌヴー、ロベール=ヴェイロン・ラクロワなどがいる。

78CDR-3391
ブラームス:交響曲第1番ハ短調作品68
オットー・クレンペラー指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
英 PARLOPHONE E10807/12
(1927年12月15日、20日、1928年2月3日、 6月26-27日ベルリン録音)
オットー・クレンペラー(1885-1973)ドイツ生まれ、1910年からドイツ各地のオペラハウスでキャリアを積んだ。1927年-31年にはベルリンのクロール・オペラの指揮者をつとめた。ユダヤ人の彼は1937年ナチスの迫害を逃れてアメリカに移住、市民権を得てロスアンジェルス・フィルハーモニーの音楽監督のポジション得た。だがカリフォルニアの土地になじめず、神経症を病み、奇行を重ねたあげくその地位を離れた。第2次世界大戦が終わるとヨーロッパ楽壇に復帰し、1954年にEMIのプロデューサー、ウォルター・レッグが組織したフィルハーモニア管弦楽団の初代首席指揮者に就任した。アメリカ時代に受けた脳腫瘍の手術の後遺症で半身不随になった彼は晩年、車椅子で指揮を続けた。この録音はクロール・オペラ時代のもので、オーケストラと指揮者のスケジュールを調整しながらの録音セッションによって録音完成までに時間をかけている。大指揮者の若い時代の演奏を、晩年の演奏と比較しながら聴かれることをおすすめする。

78CDR-3392
ドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲イ短調作品53
ヴァーシャ・プシホダ(ヴァイオリン)
パウル・ファン・ケンペン指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
独 POLYDOR 68201/5S
(1943年6月ベルリン録音)
ヴァーシャ・プシホダ(1900-1960)はチェコのヴォズナニーに生まれたヴァイオリニスト。11歳でプラハ音楽院に入った。ミラノの演奏会に居合わせた大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)を驚嘆させ、「新しいパガニーニ」と称賛したのがきっかけで、ヨーロッパ諸国で認められた。1921年にアメリカ・デビュー、1927年にはロンドン公演をした。プシホダは1930年にヴァイオリニストのアルマ・ロゼー(1906-1944)と結婚したが1935年に別れた。アルマ・ロゼーはウィーン・フィルのコンサートマスターを長年つとめたアルノルト・ロゼー(1863-1946)の娘。プシホダは第2次大戦中はザルツブルクのモーツァルテウムで教鞭をとった。戦後はウィーンを拠点に教鞭と演奏活動した。この録音は大戦中の1943年のものである。パウル・ファン・ケンペンは(1893-1955)はオランダの指揮者。戦中戦後を通じてドイツで活躍しレコード録音も多かった。だが戦時中祖国を離れて敵国ドイツで活動したことをオランダ人は許さず、戦後ボイコット運動が起こり不遇のうちに世を去った。

33CDR-3393
ブラームス:歌曲集
(1)ご機嫌いかが、私の女王様作品32-9
(2)われらはさまよった作品96-2
(3)夜鳴きうぐいすに寄す作品46-4
(4)墓地にて作品105-4
(5)美しいおとめよ、私を許して- 谷間に(ドイツ民謡集より)
(6)かわいい恋人よ、素足で来ないで(ドイツ民謡集より)
(7)5月の夜作品43-2
(8)日曜日作品47-3 - おお、いとしい頬作品47-4
ロッテ・レーマン(ソプラノ
パウル・ウラノフスキー(ピアノ)
米 COLUMBIA 17273/4 & 71059/60D (set M453)
(1941年3月19日ニューヨーク、コロンビア・レコードBスタジオ録音)
ロッテ・レーマン(1888-1976)はドイツのペルレベルク生まれ。ベルリンで勉強した後、1910年にハンブルク歌劇場でワーグナーの「ローエングリン」でデビューした。1914年にはウィーン宮廷歌劇場にデビューし、リヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」、「影のない女」、「インテルメッツォ」、「アラベラ」のウィーン初演に出演した。また「ばらの騎士」のマルシャリン役での録音もある。レーマンはオペラ歌手としてだけではなく歌曲も得意とした。1938年ナチスのオーストリア併合で被害を逃れ、アメリカに移住した。この録音はアメリカ時代の初期のもの。レーマンはこのシリーズでシューベルト「冬の旅」(全曲)(78CDR-3048 & 3049、シューベルト「美しき水車屋の娘」(78CDR-3079)、R.シュトラウス: 歌曲集(78CDR-3348)、シューマン「女の愛と生涯」(78CDR-3363)が出ている。