2013年3月新譜 5点 発売中 ★DSD録音
LP復刻の33CDRシリーズが加わりました。従来の78CDR-部分が33CDR-に変わり、番号の部分は3000番台を通し番号で使用いたします。
33CDR-3424
J.S.バッハ:
ブランデンブルグ協奏曲第5番ニ長調 BWV.1050
ピアノ、ヴァイオリンとフルートのための協奏曲イ短調 BWV.1044
セリニー・シャイエ=リシェ(ピアノ)
クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)
ジャン=ピエール・ランパル(フルート)
ジョルジュ・エネスコ指揮
パリ室内楽協会管弦楽団
仏 DECCA FAT133530(Mono)
(1952年録音)
エネスコ最晩年の超希少盤。ジョルジュ・エネスコ(1881ー1955)は20世紀前半に活躍したルーマニア出身の大音楽家。7歳でウィーン音楽大学に入学を許され、1893年12歳で音楽院の最高メダルを得た。引き続きパリ音楽院で学び1899年にヴァイオリンで一等賞を得た。ヴァイオリニスト、ピアニスト、指揮者、作曲家として活躍し、このシリーズではヴァイオリニストとしての主要録音はすべて聴ける。ピアノのセリニー・シャイエ=リシェ(1884-1973)はパリ音楽院でラウル・ピュニョ(1852-1914)に師事し、1896に14歳で一等賞を得た。彼女は1926年にエネスコに出会い以後何度も共演している。ヴァイオリンのクリスチャン・フェラス(1933-1982)はパリ音楽院出身、1946年に一等賞、1948年にオランダのスヘフェニンヘン国際コンクールに優勝、1949年にエネスコの指導を得て、ロン=ティボー国際コンクールで
2位に入賞した。その後ソリストとして目ざましい活躍をしたが、1982年50歳の誕生日を迎える直前に死去した。フルートのジャン=ピエール・ランパル(1922-2000)は医学をめざしたが大戦のためパリ音楽院でフルート科に入りわずか5ヶ月で一等賞を得た。音楽院ではガストン・クリュネルに師事した。1947年にジュネーブ国際コンクールに優勝しソロ活動を始めた。フェラスが19歳、ランパルが30歳の時の録音。
33CDR-3425
ベートーヴェン:
ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」
ジノ・フランチェスカッティ(ヴァイオリン)
ロベール・カザドシュ(ピアノ)
米 COLUMBIA ML4327(Mono)
(1949年12月28日録音)
ジノ・フランチェスカッティ(1902-1991)はフランスの名ヴァイオリニスト。マルセイユに生まれヴァイオリニストだった父親とその門下生だった母親の手ほどきを受けて研鑽を積み、5歳でリサイタルを開き10歳でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を公開演奏した。一時法律家を志したが父親の早逝でヴァイオリニストになる決意をし、1924年にパガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番でパリ・デビューし、その後ジャック・ティボー(1880-1953)の薫陶を得た。1939年にソリストとしてアメリカにデビュー、そのままニューヨークに定住した。ピアノのロベール・カザドシュ(1899-1972)はパリ音楽院でルイ・ディエメール(1843-1919)に師事し、1913年に一等賞を1920年にディエメール賞を得た。1921年にギャビー夫人と結婚しデュオ演奏もしている。第2次大戦中にアメリカに移住した。この「クロイツェル」ソナタはティボーとコルトーの名演奏(78CDR-3015)の丁度20年後に登場したフランスの名手による録音で後年のステレオ録音に比べて圧倒的に優れている。
78CDR-3426
モーツァルト:クラリネット五重奏曲イ長調 K.581
ルイ・カユザック(クラリネット)
コッペル弦楽四重奏団
エルゼ・マリー・ブルーン(第1ヴァイオリン)
アンドレアス・シレホッド(第2ヴァイオリン)
ユリウス・コッペル(ヴァイオラ)
トルベン・アントン・スヴェンセン(チェロ)
デンマーク COLUMBIA LDX7003/5
(1948年10月31&11月1日録音)
ルイ・カユザック(1880-1960)はフランスのクラリネット奏者、作曲家。トゥールーズ音楽院でフェリッス・パジェに、パリ音楽院でシリユ・ローズ(1830-1902)に師事した。1901年にパリ・オペラ座管弦楽団に入り、1920年までコロンヌ管弦楽団の首席奏者をつとめた。1920年以後はソリストとして活躍した。カユザックはこのシリーズでニールセンのクラリネット協奏曲作品57(78CDR-3411)が出ている。コッペル弦楽四重奏団は1945年にユリウス・コッペル(1910-2007)と夫人のエルゼ・マリー・ブルー(1911-2007)によって組織された。二人はデンマーク王立管弦楽団のメンバーだった。デンマーク室内楽の中核をなす団体だった。
78CDR-3427
ファリャ=コハンスキー編曲
スペイン民謡組曲
(1)ムーア人の衣装 El Pano Muruno -
子守歌 Nana J5632A (JTW178)
(2)歌 Cancion -
ポロ Polo J5632B (JTW179)
(3)アストゥリア地方の歌
Asturiana J5633A (JTW180)
(4)ホタ Jota J5633B (JTW181)
アレクサンダー・モギレフスキー(ヴァイオリン)
ナディーネ・ロイヒテンベルグ(ピアノ)
日COLUMBIA J5632/3
(1939年東京録音)
アレクサンダー・モギレフスキー(1885-1953)はロシア(現ウクライナ)のオデッサ生まれ。7歳でヴァイオリンを始めロストフの音楽学校で学んだ後、モスクワでヤン・グルジマリに師事した。モスクワで弦楽四重奏団を組織したり、教員生活を送った後、1922年にパリに移住、リュシアン・カペー(1873-1928)とも親交をもち、ロシア系の豊麗な音色に加えてフランス風の洗練された独特の音色を身につけた。1926年11月に初来日、1930年に再来日してから1953年亡くなるまで、演奏家として、優れた教師として日本の音楽界に多大な貢献をした。ピアノのロイヒテンベルグはモギレフスキー夫人。伴奏者として活躍した。
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ワーグナー:ヴェーゼンドンク歌曲集
シューベルト:アンセルモの墓にて 作品6-3, D.504
ティアナ・レムニッツ(ソプラノ)
ミヒャエル・ラウハイゼン(ピアノ)
英 DECCA LY6141/2 & CA8253 独 POLYDOR 57084/5 & 57028と同一録音
(1936年4月6日=03 & 05 、1937年4月10日=01、 4月12日=04、 4月24日=02 & 06 録音)
ティアナ・レムニッツ(1897-1994)ドイツのソプラノ。ハイルブロン歌劇場でデビューし、その後アーヘン(1922-28)、ハノヴァー(1928-34)、ドレスデン(1928-34)などの歌劇場に出演した。1934年にベルリン国立歌劇場のメンバーに抜擢され1957年まで在籍した。その間ミュンヘン州立歌劇場やウィーン国立歌劇場、ザルツブルク音楽祭にも出演した。また1936年にはロンドンのコヴェントガーデンのロイヤル・オペラ、ブエノス・アイレスのテアトロ・コロンにも出た。メトロポリタン歌劇場には1938年に出演している。ピアノのミヒャエル・ラウハイゼン(1899-1984)はドイツのピアニスト、伴奏者としてエルナ・ベルガー(1900-1990)、エリーザベト・シュヴァルツコプフ(1915-2006)ほか幾多の名歌手の伴奏者をつとめた。1933年からドイツ語歌曲のすべてをレコードに録音することを企画し、そのため1940年にベルリンのドイツ帝国放送局の声楽・室内楽部の部長に就任。戦後これがナチス協力に問われ、数年間の活動禁止を命じられた。レムニッツはオーケストラ伴奏(ロベルト・ヘーガー指揮)の同曲がLPで出ていた(米
URANIA 7019)。 |