2013年4月新譜 5点 発売中 ★DSD録音
LP復刻の33CDRシリーズが加わりました。従来の78CDR-部分が33CDR-に変わり、番号の部分は3000番台を通し番号で使用いたします。
33CDR-3429 
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第1番ニ長調作品12-1
シューベルト:
ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第1番 ニ長調 D.384, 作品137-1
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
ミエツィスワフ・ホルショフスキ(ピアノ)(ベートーヴェン)
アンドール・フォルデス(ピアノ)(シューベルト)
米 COLUMBIA ML4133(Mono)
(録音:1946年5月20日ニューヨーク、コロンビア・スタジオ=ベートーヴェン、
1941年11月25日&1942年4月17日ニューヨーク、リーダークランツ・ホール=
シューベルト)
(初期LP特有のノイズあり)
ヴァイオリンのヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリー生まれ、ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1905年ベルリンで大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)に認められ、1917年から24年にはスイスのジュネーヴ音楽院で教えた。1940年にアメリカに移住した。ピアノのミエツィスワフ・ホルショフスキ(1892-1993)はポーランド生まれ、99歳までコンサート・ステージに登場していた。4歳の頃から神童といわれ、1899年にウィーンに移り住み、名教師レシェティツキの指導を受けた。第2次大戦中にアメリカに移住、カーティス音楽院で後進の指導にあたる一方、室内楽奏者として活躍、録音も多い。アンドール・フォルデス(1913-1992)はブダペスト生まれ、後にアメリカ国籍を得た。この録音はマスターがテープではなくディスク録音で最初はSPで発売された。これはSPレコードの復刻ではなくマスターディスクから直接トランスファーされたLP。
33CDR-3430 
サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調作品61
ラヴェル:ツィガーヌ
ルッジェーロ・リッチ(ヴァイオリン)
ウジェーヌ・ビゴー指揮
ラムルー管弦楽団
米 VOX VLP6240(Mono)(原録音: 仏POLYDOR 566245/8, 78rpm)
(1947年12月16-17日パリ録音)
ルッジェーロ・リッチ(1918-2012)はアメリカのヴァイオリニスト。メニューインの師でもあったルイ・パーシンガー(1887-1966)に師事し、16歳でサンフランシスコでデビューした。1930年代にベルリンでゲオルク・クーレンカンプ(1898-1948)の門下に入った。1942年から1945年まで米軍籍で慰問演奏に携わった。この録音は大戦後間もなくの1947年パリで行われた。リッチの初協奏曲録音として記念すべきもの。フランスではSPレコードでの発売だったが、アメリカではこのLPのみの発売だった。ウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)はフランスの指揮者。1935年から1950年まで名門ラムルー管弦楽団の首席をつとめ、SPレコードの録音も数多かった。録音当時29歳だったリッチをフルサポートして名演奏を実現したのもビゴーの力によるものと思う。音は良くないが、知られざる名演奏の発掘としてヴァイオリンの愛好家に聴いて頂きたくこのシリーズに組み込んだ。
78CDR-3431 
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」
シモン・ゴールドベルグ(ヴァイオリン)
リリー・クラウス(ピアノ)
仏 ODEON 123839/41(日本コロムビア J8531/3と同一録音)
(1936年東京録音)(M55128/33は日本コロムビアのMatrix番号)
ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルク(1909-1993)とピアノのリリー・クラウス(1903-1986)による1936年日本公演の際の日本コロムビアでのスタジオ録音。これはフランスで発売されたODEON盤のSPレコードからのダイレクト・トランスファー。ポーランド生まれのゴールドベルクは8歳の時ベルリンで名教師カール・フレッシュ(1873-1944)に師事し、12歳でワルシャワでデビューした。1916年16歳でドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターに任命され、1929年20歳の時フルトヴェングラー(1886-1954)の招きでベルリン・フィルハーモニーのコンサートマスターに就任した。1934年ドイツで政権を得たナチスによってベルリン・フィルのコンサート・マスターの地位を追われ、ニューヨークでデビュー。戦後アメリカ国籍を得て、演奏活動と後進の指導に活躍した。1990年から没年まで新日本フィルハーモニーの指揮者をつとめ、富山県の立山のホテルにて死去した。ピアノのリリー・クラウスはハンガリー生まれ、ブダペスト音楽院でゾルタン・コダーイ(1882-1967)やベラ・バルトーク(1881-1945)に師事した。さらにウィーンでアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)の薫陶をえた。1942年シモン・ゴールドベルクとアジア楽旅の時、ジャワ島で日本軍に捕らえられ、家族共々1945年まで抑留生活を送った。戦後はイギリス国籍を取得し活発な演奏活動を行った。第1面でテイク7の原盤が使われている。
78CDR-3432 
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調作品131
カルヴェ弦楽四重奏団
ジョゼフ・カルヴェ(第1ヴァイオリン)
ダニエル・ギレヴィッチ(第2ヴァイオリン)
レオン・パスカル(ヴィオラ)
ポール・マ(チェロ)
独 TELEFUNKEN E 2590/4
(1938年1月17 & 19日録音)
カルヴェ弦楽四重奏団はリーダーのジョゼフ・カルヴェ(1897-1984)によって1919年に結成された。1928年にナディア・ブーランジェの発意でベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏会をフランスで開いた。この録音は創立メンバーによるもの。リーダーのカルヴェ以外のメンバーは3人は1940年に離籍した。カルヴェは1935年にパリ音楽院教授になり、四重奏団の活動と同時に後進の指導にあたった。第2ヴァイオリンのダニエル・ギレヴィッチは1941年に米国に移住したダニエル・ギレ(1899-1990)で、トスカニーニー指揮のNBC
交響楽団に入り1951年にコンーサート・マスターになった。またギレ弦楽四重奏団を結成、1954年にはボザール・トリオを結成した。ヴィオラのレオン・パスカルは1941年にパスカル弦楽四重奏団を結成しフランスを代表する弦楽四重奏団として名声を博した。
78CDR-3433 
モーツァルト:交響曲第36番ハ長調 K.425「リンツ」
オットー・クレンペラー指揮
パリ・プロムジカ室内管弦楽団
仏 POLYDOR A6329/31
(1950年1月30日パリ、サル・ショパン録音)
オットー・クレンペラー(1885-1973)はドイツ生まれ、1910年からドイツ各地のオペラハウスでキャリアを積んだ。1927年-31年にはベルリンのクロール・オペラの指揮者をつとめた。ユダヤ人の彼は1937年ナチスの迫害を逃れてアメリカに移住、市民権を得てロスアンジェルス・フィルハーモニーの音楽監督のポジション得た。だがカリフォルニアの土地になじめずその地位を離れた。第2次世界大戦が終わるとヨーロッパ楽壇に復帰した。この録音はヨーロッパ復帰直後のパリで行われた。プロムジカ室内管弦楽団は実体はラムルー管弦楽団。この録音はSPレコード末期のもので日本ではほとんど知られていなかったもの。大指揮者の颯爽とし名演奏を、晩年の演奏と比較しながら聴かれることをおすすめする。 |