★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-3459〜3468

2013年11月新譜 5点 発売中★DSD録音

LP復刻の33CDRシリーズが加わりました。従来の78CDR-部分が33CDR-に変わり、番号の部分は3000番台を通し番号で使用いたします。

33CDR-3464
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(1)
ソナタ第1番ト短調 BWV 1001
パルティータ第1番ロ短調 BWV 1002
ソナタ第2番イ短調 BWV 1003
ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)
仏 ODEON ODX-122/123A
(1955年パリ録音)

33CDR-3465
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(2)
パルティータ第2番ニ短調 BWV 1004
ソナタ第3番ハ長調 BWV 1005
パルティータ第3番ホ長調 BWV 1006
ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)
仏 ODEON ODX-123B/124
(1955年パリ録音)
ヘンリク・シェリング(1918-1988)はポーランド生まれ、同国生まれの巨匠ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)の目にとまり、ベルリンで名教師カール・フレッシュ(1873-1944)の下に研鑽を積んだ(1929-32)。その後パリ音楽院に入り作曲をナディア・ブーランジェ(1887-1979)、ヴァイオリンをガブリエル・ブイヨン(1896-1984)に師事し1937年に一等賞を得た。第2次世界大戦が勃発すると、ポーランド政府はシェリングが8カ国語を流暢に話すことに目を付け、亡命先を探していたポーランドのヴラディスワフ・シコルスキ将軍の通訳としてメキシコを訪れたのが縁で、自身も1945年にメキシコ国籍を取得し首都の音楽院で教鞭をとる。1952年12月にパリで師のガブリエル・ブイヨン指揮パドルー管弦楽団でJ.S.バッハのヴァイオリン協奏曲第1番、第2番(33CDR-3450)、続いて1953年1月にはジャック・ティボー(1880-1953)指揮パリ音楽院管弦楽団でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を録音し演奏家活動を開始した。このバッハはそれにつづく第3作目のパリ録音でこの曲の第1回録音。2回目のステレオ録音(1967)に較べて圧倒的に優れている。

78CDR-3466
ハイドン:ヴァイオリン協奏曲第1番 Hob.Vlla-1
(カデンツァ: カール・フレッシュ)
シモン・ゴールドベルグ(ヴァイオリン)
ワルター・ジュスキント指揮
フィルハーモニア管弦楽団
英 PARLOPHONE PXO 1045/7
(1947年4月19日ロンドン録音)
シモン・ゴールドベルグ(1909-1993)はポーランド生まれのヴァイオリニスト。ベルリンで名教授カール・フレッシュ(1873-1944)に師事し、1929年にフルトヴェングラーに招かれてベルリン・フィルのコンサート・マスターに就任した。1934ドイツがナチス政権になった時に退団ロンドンに移住した。1936年ハンガリー出身の女流ピアニスト、リリー・クラウスと共に来日したこともある。1942年クラウスと共にアジア演奏旅行中、インドネシアのジャワ島で日本軍に捕らえられ1945年まで抑留生活を強いられた。大戦後はオランダとアメリカで活躍、晩年日本のピアニスト山根美代子さんと結婚、立山で暮らしていた。この録音は戦後の1947年のもの、録音時ゴールトベルグは38歳だった。指揮者のワルター・ジュスキント(1913-1980)はチェコのプラハ生まれ、ベルリンで名指揮者のジョージ・セル(1897-1970)に薫陶を得てアシスタントを務め、後に英国国籍を得た。

78CDR-3467
フォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番イ長調作品13
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
米ヴィクトローラ 8086/8 (英 HMV DB1080/2 と同一録音)
(1927年6月23日ロンドン録音)
ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀前半に活躍したフランスの大ヴァイオリニスト。ボルドー出身で1893年からパリ音楽院のマルタン・マルシック(1848-1924)に師事し、1896年16歳で一等賞を得た。生活のためにカフェのコンセール・ルージュで弾いていたところを指揮者のエドゥアール・コロンヌ(1838-1910)に見いだされ楽員に採用された。そのときティボーの親友で後にパリ音楽院の教授になったジュール・ブーシュリ(1877-1962)もコロンヌの楽員になった。1905年にピアノのアルフレッド・コルトー(1877-1962)、チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とトリオを結成し1930年頃まで活動した。ティボーは1923年と1936年に来日、1953年の3度目の来日の途中、乗っていたエール・フランス機がアルプスの支峰スメ山に激突して死亡した。享年72歳。

78CDR-3468
JO STAFFORD & GORDON Mac RAE SING CHRISTMAS SONGS
ジョー・スタッフォード&ゴードン・マックレエ、クリスマス・ソング
(1) a. あめには栄え/HARK THE HERALD ANGELS SING(Cho)-
b. 牧人羊を/THE FIRST NOEL(JS)-
c. 神の御子は今宵しも/O COME ALL YE FAITHFUL(GM)-
d. ひいらぎかざろう/DECK THE HALLS(Cho)-
  e. 久しく待ちにし主よとく来りて/O COME, O COME EMMANUEL(JS & GM)
(4:39) 79-90032A (4726-2D-6)
(2) f. もろびとこぞりて/JOY TO THE WORLD(Cho)-
g. 天なる神にはみ栄えあり/IT CAME UPON A MIDNIGHT CLEAR(GM)-
h. ああベツレヘムよ/O LITTLE TOWN OF BETHLEHEM(JS)-
i. ゴッド・レスト・イー・メリー・ジェントルメン
/GOD REST YE MERRRY GENTLEMEN(Cho)-
j. 聖しこの夜/SILENT NIGHT(JS & GM)
(4:48) 79-90032A (4727-2D-7)
(3) ホワイト・クリスマス(3:06)
WHITE CHRISTMAS(I. Berlin)(JS) 319A (1225-3R)
(4) 聖しこの夜(3:05)
  SILENT NIGHT(Gruber-Mohr)(JS) 319B (999-5L)
ジョー・スタッフォード/JO STAFFORD(vo)(1)-(4)
ゴードン・マックレエ/GORDON MacRAE(vo)(1)-(2)
リン・マーレイ・シンガーズ/LYN MURRAY SINGERS (3)-(4)
ポール・ウェストン楽団・合唱団/
ORCHESTRA & CHOIR under the direction of PAUL WESTON 01-04
米 CAPITOL 79-90032(Mono)(1)-(2) (1950年録音)
米 CAPITOL 319(Mono)(3)-(4) (1946年9月19日録音)
誰もが耳にしたことがあるクリスマス・ソング集。ジョー・スタッフォードの第1期キャピトル時代(1943-1951)にSPレコードに録音されたクリスマス・ソングでCD初登場。ジョー・スタッフォード(1917-2008)はカリフォルニア州コーリンガの生まれ。1938年男女4人のヴォーカル・グループ "パイド・パイパーズ" の一員としてトミー・ドーシー楽団に加わり、その後ソロシンガーに抜擢された。1942年バンドを辞してソロヴォーカリストとして歩み初め、新興のキャピトル・レコードの専属になった。ゴードン・マックレエ(1921-1986)はミュージカル映画「オクラホマ」(1955)や「回転木馬」(1956)に登場した映画俳優・シンガー。歌手としてキャピトル・レコードの専属となり、ジョー・スタッフォードとの二重唱「希望のささやき」Whispering Hopeが1949年にミリオンセラーを記録した。
2013年10月新譜 5点 発売中★DSD録音

LP復刻の33CDRシリーズが加わりました。従来の78CDR-部分が33CDR-に変わり、番号の部分は3000番台を通し番号で使用いたします。

33CDR-3459 ※試聴はありません
JO+JAZZ/ ジョー・スタッフォード
(1)ジャスト・スクイーズ・ミー
(2)フォー・ユー
(3)ミッドナイト・サン
(4)ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ
(5)ザ・フォークス・フー・リヴ・オン・ザ・ヒル
(6)アイ・ディドント・ノウ・アバウト・ユー
(7)ホワット・キャナイ・セイ
(8)ドリーム・オブ・ユー
(9)イマジネーション
(10)スポージン
(11)デイ・ドリーム
(12)アイヴ・ガット・ザ・ワールド・オンナ・ストリング
ジョー・スタッフォード(vo)
米COLUMBIA CS8361(U.S)(Stereo)
(1960年7月15日、8月1日&10日ロスアンジェルス録音)
ジョー・スタッフォード(1917-2008)はカリフォルニア州のコーリンガの生まれ。1938年男女4人編成のヴォーカル・グループ "パイド・パイパーズ" の一員としてトミー・ドーシー楽団に加わり、その後ソロシンガーに抜擢された。1942年バンドを辞してソロヴォーカリストとして歩みはじめた。1950年にコロンビアの専属となり、夫君のピアニスト=アレンジャーのポール・ウェストンと二人三脚でスター歌手の地位を築いた。このアルバムはデューク・エリントン楽団のメンバーとウェスト・コーストで活躍するジャズメンの混成隊によるものでコロンビアでのジョーの最後のアルバムである。エリントン楽団とドーシー楽団の曲を中心に歌うジョー会心の作品。

33CDR-3460 ※試聴はありません
ローズマリー・クルーニー讃美歌集
(1)千歳の岩
(2)さびしきみそのに
(3)日暮れて四方はくらく
(4)イット・イズ・ノー・シークレット
(5)静けき祈りの時はいと楽し
(6)丘の上に十字架たつ
(7)九十九匹の羊
(8)村の小さな教会
(9)主われを愛す
(10)主よみもとに近づかん
(11)いつくしみ深き
(12)イエスのために生き
(13)ソフトリー・アンド・テンダリー
(14)見よや十字架の旗高し
ローズマリー・クルーニー/ROSEMARY CLOONEY(vo)
米MGM RECORDS SE3782(Stereo)(1959年録音)
ローズマリー・クルーニー(1928-2002)はケンタッキー州メイズヴィルの生まれ。2歳下の妹ベティとクルーニー・シスターズを組み歌手デビューした。1949年ニューヨークに出てコロンビアと契約。「カモナ・マイ・ハウス」の大ヒット(1951)で人気歌手になった。その後コロンビアで数々のヒット・シングルを出し、アルバムでは「ブルー・ローズ」(デューク・エリントン楽団)他がある。1958年コロンビアを離れMGM、RCA、CORAL 等レーベルに録音、その後10年程の空白期の後CONCORDレーベルに復帰し多くの名作アルバムを残した。このアルバムはコロンビアを離れた直後のもので、クルーニーのアルバムでは最もレア。シンプルな編成をバックにしみじみと歌うクルーニーの最高傑作の歌曲アルバムである。

78CDR-3461
ブラームス:
交響曲第1番ハ短調作品68
交響曲第2番ニ長調作品73
ブルーノ・ワルター指揮
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
米 COLUMBIA SL200(U.S.)(Set)
(1953年12月30日(第1番)&12月28日(第3番)ニューヨーク30丁目コロンビア・スタジオ録音)
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルンを卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1896年ハンブルク歌劇場で指揮をしたとき、音楽監督をつとめていたグスタフ・マーラー(1860-1911)に出会い交友を深めた。その後ワルターはバイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ウィーン国立歌劇場などの楽長、音楽監督を歴任した。1938オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカの逃れた。この録音はLP時代の初期にニューヨークで録音された。ワルターはステレオでもブラームス交響曲全集を録音しているが、このモノ録音が圧倒的に優れている。このシリーズで交響曲第40番&第35番「ハフナー」(33CDR-3402)、交響曲第41番「ジュピーター」と第39番(33CDR-3449)交響曲第36番「リンツ」&第29番(33CDR-3454)が出ている。

78CDR-3462
ブラームス:
交響曲第3番ヘ長調作品90
交響曲第4番ホ短調作品98
ブルーノ・ワルター指揮
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
米 COLUMBIA SL200(U.S.)(Set)
(1953年12月21日(第3番)&1951年2月12日(第4番)ニューヨーク30丁目コロンビア・スタジオ録音)
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルンを卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1896年ハンブルク歌劇場で指揮をしたとき、音楽監督をつとめていたグスタフ・マーラー(1860-1911)に出会い交友を深めた。その後ワルターはバイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ウィーン国立歌劇場などの楽長、音楽監督を歴任した。1938オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカの逃れた。この録音はLP時代の初期にニューヨークで録音された。ワルターはステレオでもブラームス交響曲全集を録音しているが、このモノ録音が圧倒的に優れている。このシリーズで交響曲第40番&第35番「ハフナー」(33CDR-3402)、交響曲第41番「ジュピーター」と第39番(33CDR-3449)交響曲第36番「リンツ」&第29番(33CDR-3454)が出ている。

78CDR-3463
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
(カデンツァ:ヨアヒム)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
ブルーノ・ワルター指揮
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
米 COLUMBIA ML4012
(1947年4月5日ニューヨーク録音)
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリーのブダペスト生まれ。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1905年にベルリンでデビュー、大ヴァイオリニスト、ヨアヒム(1831-1907)に認められた。1917年から24年にスイスのジュネーヴ音楽院で教鞭をとり、1940年アメリカに移住した。シゲティは1931年の初来日以来何度も日本を訪れた。ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ヨーロッパで活躍していたが、1838年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてアメリカ逃れた。この録音は同じ顔合わせの2回目のもので、第1回の1932年録音もこのシリーズ(78CDR-3138)で出ている。この録音は最初78回転SPで発売されたが、1948年に登場したLPの第1回発売に組み込まれた。これはLPからの復刻。