★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-3469〜3478

2014年1月新譜 5点 発売中★DSD録音

LP復刻の33CDRシリーズが加わりました。従来の78CDR-部分が33CDR-に変わり、番号の部分は3000番台を通し番号で使用いたします。

78CDR-3474
ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
ウィレム・メンゲルベルグ指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
独 TELEFUNKEN SK 2424/8
(1937年12月22-23日アムステルダム、コンセルトヘボウ録音)
ウィレム・メンゲルベルグ(1871-1951)はオランダの大指揮者。1895年、24歳でアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者に就任した。さらに1921年〜30年にはニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団の首席指揮者を兼任、レコード録音は機械式録音時代と電気録音初期は米ヴィクター、電気初期のコンセルトヘボウとの録音は英コロンビアと独オデオンに、電気録音の完成期には独テレフンケンに行った。またコンセルトヘボウとのライヴ放送録音はLP時代になってフィリップスから発売された。この「田園」はテレフンケンへの録音で、生々しい演奏が録られているが残念なことにはハム音が入っていること。ハム音を除去すると演奏の迫力が半減してしまうため、ここでは電気処理をしていない。メンゲルベルグの「運命」(78CDR-3370)もこのシリーズで出ている。

78CDR-3475
J.S.バッハ:
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV 1004
ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
英 HIS MASTER'S VOICE DB2287/90
(1934年5月23日パリ、アルベール・スタジオ録音)
ユーディ・メニューイン(1916-1999)はニューヨーク生まれ。4歳からヴァイオリンの手ほどきを受け、7歳でサンフランシスコ交響楽団との共演でデビューした。その後パリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)、ベルリンでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)に師事した。これはメニューインが18歳のパリ録音で、師のエネスコの指導が反映している見事な演奏。後年の演奏には見られない輝きと、18歳とは思えない深い思慮が感じられる。このシリーズでは他に13歳の時の録音である「無伴奏ソナタ第3番ハ長調 BWV1005」(78CDR-3227)が出ている。

78CDR-3476
モーツアルト:弦楽五重奏曲第3番ハ長調 K.515
プロ・アルト弦楽四重奏団
アルフォンス・オンヌー(第1ヴァイオリン)
ローラン・アルー(第2ヴァイオリン)
ジェルマン・プレヴォ(ヴィオラ)
ロベール・マース(チェロ)
アルフレッド・ホブデイ(第2ヴィオラ)
英 HIS MASTER'S VOICE DB7808/11(DB2383/6 と同一録音)
(1934年11月3日ロンドン、アビー・ロードEMI 第3スタジオ録音)
プロ・アルト弦楽四重奏団は1912年アルフォンス・オンヌーをリーダーにベルギーのブリュッセルで結成された。1926年アメリカに初公演、ワシントンの国会図書館ホールの開館式で演奏した。1932年にベルギーの宮廷四重奏団の称号を得た。1941年にアメリカのウィスコンシン大学からの要請で各メンバーが教授に就任。1944年にコーリッシュ弦楽四重奏団が解散したとき、リーダーだったルドルフ・コーリッシュ(1896-1978)がプロ・アルトの第1ヴァイオリンに就任した。プロ・アルト弦楽四重奏団はこのシリーズでモーツァルト弦楽五重奏曲第4番ト短調 K.516(78CDR-3251)が出ている。

33CDR-3477
ショーソン:詩曲作品25
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
ウジェーヌ・ビゴー指揮
ラムルー管弦楽団
フォーレ:ピアノと管弦楽のためのバラード作品19
ギャビー・カザドシュ(ピアノ)
マニュエル・ロザンタール指揮
ラムルー管弦楽団
米 VOX PL6450(Mono)
(1947年12月、1947年10月29日パリ、サル・プレイエル録音)
ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀フランス最高のヴァイオリニスト。ボルドー出身で1893年からパリ音楽院でマルタン・マルシック(1848-1924)教授に師事し1896年16歳で一等賞を得た。生活のためにカフェのコンセール・ルージュで弾いていたところを指揮者のエドゥアール・コロンヌ(1838-1910)に見いだされて楽員に採用された。その時ティボーの親友で後にパリ音楽院の教授になったジュール・ブーシュリ(1877-1962)もコロンヌの楽員になった。1905年にピアノのコルトー、チェロのカザルスとトリオを結成、1930年頃まで活躍した。ティボーは1953年3 度目の来日のときエール・フランス機がアルプスの支峰スメ山に激突して死亡した。享年72歳。フォーレを弾くピアノのギャビー・カザドシュ(1901-1999)はマルセイユ生まれ、旧姓ガブリエル・ロート。パリ音楽院でルイ・ディエメール(1843-1919)とマルグリット・ロン(1874-1966)に師事し16歳で一等賞を得た。1921年にロベール・カザドシュと結婚しデュオでも活躍した。この録音はSPレコード末期のもので、SPは盤質が粗悪なため、初期のLPから復刻した。ティボーの「詩曲」はエネスコの「詩曲」(78CDR-3018)と比較して劣るように言われてきたが、今回の復刻で初めて真価が問われるであろう。

33CDR-3478
シューマン:女の愛と生涯
メンデルスゾーン:歌曲集
「歌の翼に」「誰も知るまじ」「月」「新しき恋」
「そのかみ、かの人の眼差しより」「眠られぬ眼は輝きて」
「魔女の歌」「好きな場所」「挨拶」
エルナ・ベルガー(ソプラノ)
エルンスト=ギュンター・シェルァー(ピアノ)
ANGEL RECORDS HA-5098(Japan)(Matrix: 2XRA417/8)(Mono)
(Recorded September 18-21, 1956, Berlin-Zehlendorf)
エルナ・ベルガー(1900-1990)はドイツのコロラトゥーラ・ソプラノ。ドレスデンに生まれ、5歳の頃には「魔弾の射手」(ウェーバー)のアリアを歌いこなしたという。17歳の時にエリーザベト・レートベルクのすすめで、ドレスデン王立歌劇場の合唱団に入った。第1次世界大戦(1914-18)後に家族は南米パラグアイに移住したが、父親が死亡し、ウルグアイのモンテビデオで働きながらピアノと声楽をつづけた。1923年にドレスデンに戻り、銀行員をしながら声楽の勉強をして、1925年にドレスデン国立歌劇場で「魔笛」(モーツァルト)の童子役でデビューした。1929年から1933年にはバイロイト音楽祭に出演している。その後ベルリン市立歌劇場、ベルリン国立歌劇場、ザルツブルク音楽祭、コヴェント・ガーデン歌劇場、メトロポリタン歌劇場に出演、1955年に引退表明、1960年から1971年ハンブルク音楽大学で教鞭をとった。録音の数も多く、特に1937年の「魔笛」の世界初の全曲録音(トーマス・ビーチャム指揮)の夜の女王役で世界的に知られるようになった。1952年に来日し日本ビクターに録音を行った。
2013年12月新譜 5点 発売中★DSD録音

LP復刻の33CDRシリーズが加わりました。従来の78CDR-部分が33CDR-に変わり、番号の部分は3000番台を通し番号で使用いたします。

33CDR-3469
G線上のアリア-巌本真理
(1)カヴァティーナ(ラフ)
(2)G線上のアリア(J.S.バッハ=ヴィルヘルミ編)
(3)トロイメライ(シューマン)
(4)愛の悲しみ(クライスラー)
(5)ロンドンデリー・エア(民謡=クライスラー編)
(6)タイスの瞑想曲(マスネ)
(7)夢の後に(フォーレ)
(8)ト調のメヌエット(ベートーヴェン)
(9)ヴォカリーズ(ラフマニノフ)
(10)アヴェ・マリア(シューベルト=ヴィルヘルミ編)
巌本真理(ヴァイオリン)
鷲見五郎(ピアノ)
日TOSHIBA RECORDS JCO 1007(Mono)
(1958年頃録音)
巌本真理(1926-1979)は東京生まれ、6歳からヴァイオリンを始め、優れた教師であった小野アンナ(1898-1979)に師事した。1937年12歳の時、第6回日本音楽コンクールで第1位。1939年にデビューリサイタルを開いた。1946年から5年間東京音楽学校の教授を務めた後1951年に渡米、ジュリアード音楽院でルイ・パーシンガー(1887-1967)、ジョルジュ・エネスコに師事し、ニューヨークのタウンホールでリサイタルを開いた。翌年帰国後ソロ奏者として精力的に活躍する一方、1964年から巌本真理弦楽四重奏団を結成した活躍した。この録音は創立間もない東芝電気のレコード部門で録音されたもので、忘れ去られていたヴァイオリン小品集、モノーラル録音ながら高音質でヴァイオリン音楽ファンの必聴盤である。

33CDR-3470
アヴェ・マリア-巌本真理
(1)アヴェ・マリア(J.S.バッハ=グノー)
(2)シューベルトの子守歌(シューベルト=エルマン編)
(3)天使のセレナード(ブラガ)
(4)印度の歌(リムスキー=コルサコフ)
(5)ワルツ作品39(ブラームス)
(6)インディアン・ラメント(ドヴォルザーク=クライスラー編)
(7)愛の喜び(マルティーニ)
(8)エレジー(マスネ)
(9)愛の夢(リスト)
巌本真理(ヴァイオリン)
坪田昭三(ピアノ)
日TOSHIBA RECORDS JCO 1046(Mono)
(1960年頃録音)
巌本真理(1926-1979)は東京生まれ、6歳からヴァイオリンを始め、優れた教師であった小野アンナ(1898-1979)に師事した。1937年12歳の時、第6回日本音楽コンクールで第1位。1939年にデビューリサイタルを開いた。1946年から5年間東京音楽学校の教授を務めた後1951年に渡米、ジュリアード音楽院でルイ・パーシンガー(1887-1967)、ジョルジュ・エネスコに師事し、ニューヨークのタウンホールでリサイタルを開いた。翌年帰国後ソロ奏者として精力的に活躍する一方、1964年から巌本真理弦楽四重奏団を結成した活躍した。この録音は創立間もない東芝電気のレコード部門で録音されたもので、忘れ去られていたヴァイオリン小品集、モノーラル録音ながら高音質でヴァイオリン音楽ファンの必聴盤である。

78CDR-3471
ヴェラチーニ:ヴァイオリン・ソナタ第8番ホ短調作品2-8
ドビュッシー:月の光(ローランス編)
メラルティン:エレジー
アレクサンドル・モギレフスキー(ヴァイオリン)
アレクシス・アバサ(ピアノ)
日COLUMBIA JW635/6(01-04), JW553(05-06)
(1939年頃東京録音)
アレクサンダー・モギレフスキー(1885-1953)はロシア(現ウクライナ)のオデッサ生まれ。7歳でヴァイオリンを始めロストフの音楽学校で学んだ後、モスクワでヤン・グルジマリに師事した。モスクワで弦楽四重奏団を組織したり、教員生活を送った後、1922年にパリに移住、リュシアン・カペー(1873-1928)とも親交をもち、ロシア系の豊麗な音色に加えてフランス風の洗練された独特の音色を身につけた。1926年11月に初来日、1930年に再来日してから1953年亡くなるまで、演奏家として、優れた教師として日本の音楽界に多大な貢献をした。

78CDR-3472
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調作品108
ピツェティ:カント第2番
リリア・ダルボーレ(ヴァイオリン)
ゲザ・フリッド(ピアノ)
独 GRAMMOPHON LVM72053/4(78回転長時間レコードVG盤)
(1951年11月1日録音)
リリア・ダルボーレ(1914-?)はイタリア生まれの女性ヴァイリン奏者で、第2次大戦中から大戦後にドイツで活躍したこと以外は詳細不明。このブラームスは戦後の1951年、LP出現前夜にドイツ・グラモフォンが開発した78回転長時間レコードVG盤で発売されたもの。マスターはテープ録音と思われる。これ以前にドイツのポリドールにはドヴォルザークのソナチネから第2楽章(クライスラー編曲のインディアン・ラメントとしても知られている)、ヴェラチーニのヴァイオリン・ソナタ第6番作品2-6 から第2楽章、フランクのヴァイオリン・ソナタ(1942年録音)、グルックの妖精の踊り(以上3曲は78CDR-3473に収録)、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタハ長調 K.404、シューベルトのソナチネ第1番作品137、シモネッティのマドリガルがあり、またライヴ録音のチェリビダッケ指揮でモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番 K.219もあった。

78CDR-3473
フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調
ヴェラチーニ:ヴァイオリン・ソナタ第6番イ長調作品2-6より第2楽章
ドヴォルザーク:ヴァイオリンのためのソナチネ ト長調作品100より第2楽章
リリア・ダルボーレ(ヴァイオリン)
ヒューベルト・ギーゼン(ピアノ)
独POLYDOR 68002/5 & 67681
(1942年(01-08)、1941年(09&10)録音)
リリア・ダルボーレ(1914-?)はイタリア生まれの女性ヴァイリン奏者で、第2次大戦中から大戦後にドイツで活躍したこと以外は詳細不明。ここに収録した以外にドイツのポリドールにはグルックの妖精の踊り、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタハ長調 K.404、シューベルトのソナチネ第1番作品137 、シモネッティのマドリガルがあり、また戦後の1951年、LP出現前夜にドイツ・グラモフォンが開発した78回転長時間レコードVG盤で発売されたブラームスのヴァイオリン・ソナタ第3番(78CDR-3472)があった。またライヴ録音のチェリビダッケ指揮でモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番 K.219も出ていた。