★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-3489〜3498

2014年5月新譜 5点 5月下旬以降発売予定★DSD録音

LP復刻の33CDRシリーズが加わりました。従来の78CDR-部分が33CDR-に変わり、番号の部分は3000番台を通し番号で使用いたします。

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パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調作品6
イヴリー・ギトリス(ヴァイオリン)
クルト・ヴェス指揮
オーストリア交響楽団
米 REMINGTON RLP-149-20
(1950年9月26-28日、ウィーン録音)
ギトリス28歳のデビュー録音! イヴリー・ギトリス(1922- )はイスラエルのハイファに生まれた。両親はユダヤ系ロシア人。5歳からヴァイオリンを始め、10歳で最初のコンサートを開いた。大ヴァイオリニスト、ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)がギトリスの演奏を聴いてパリ音楽院に入学をすすめた。音楽院では教授のジュール・ブーシュリ(1877-1962)とマルセル・シャイエ(1881-1936)に師事して13歳で一等賞を得た。卒業後ジョルジュ・エネスコやジャック・ティボーにも指導をうけた。1939年、第2次大戦の勃発でイギリスに渡り、軍需工場で勤務していたが、後に軍の慰問部隊でヴァイオリンを弾いた。1951年にパリでソロ・デビューした。これは米レミントン社最初期の10インチLPに録音されたギトリスの初ソロ・アルバム。指揮者のクルト・ヴェス(1914-1987)はオーストリアの指揮者。1946年-1951年までウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の首席指揮者を、1951年-1954年までNHK交響楽団の首席指揮者をつとめた。この録音のオーストリア交響楽団の実体はウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団だと思われる。ギトリスは90歳を越した現在でも精力的に活動を続け、定期的に来日公演をしている。その記念すべき初録音がこのシリーズに加わる意義は大きい。

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ドビュッシー:
ビリティスの三つの歌(P.ルイス詩)
(1)パンの笛
(2)髪
(3)ナイアードの墓
忘れられた小歌(ヴェルレーヌ詩)より
(4)やるせない夢ごこち
(5)巷に雨の降るごとく
(6)木陰にて
古澤淑子(ソプラノ)
アンドレ・コラール(ピアノ)
仏デュクレテ・トムソン LLP 8718(17cm LP)
(1952年パリ録音)
ソプラノの古澤淑子は1916年満州の大連に生まれた。ソプラノの荻野綾子に師事して本格的声楽を習い、1937年にパリに留学した。パリでは大歌手でパリ音楽院教授だったクレール・クロワザ(1882-1946)ついて研鑽を積んだ。彼女は大戦勃発で帰国勧告をうけたが、パリに留まった。1944年ついに敵国人としてフランスを強制退去を命じられドイツを経てスイスに移り終戦を迎えた。戦後はスイス、フランスで活躍し1952年に帰国した。帰国後はフランス歌曲を紹介する「フランス歌曲研究会」主宰した他、後進の指導にも力をそそいだ。1975年に再びパリに移住し晩年をその地で過ごした。この録音は1952年の帰国直前にパリで録音された。17cmLPという短時間収録だが、SP時代に活躍したクロワザやジャーヌ・バトリ(1877-1970)の名唱と比肩する優れたフランスの香り高い歌唱がきける。フランスのレコード会社がフランス歌曲の録音に日本人の古澤淑子を起用したことは、いかに彼女が高い芸術境地に達していたかの証である。一部使用原盤に起因する音のヒズミと雑音がある。

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エレナ・ゲルハルト、ブラームス、シューベルト、ヴォルフを歌う
ブラームス:ジプシーの歌
ブラームス(ハイネ詩):死は冷たい夜
ブラームス(ボヘミア民謡詞):恋人をたずねて
ブラームス(ケラー詩):テレーゼ
シューベルト(ハイネ詩):街 -「白鳥の歌」より
シューベルト(シラー詩):バッカス讃歌
シューベルト(ザイドル詩):子守歌
シューベルト(スコット詩):エレンの歌(その2)
ヴォルフ(ハイゼ詩):月は嘆きながら神様に
恋人の死を見たいなら - イタリア歌曲集第17番
エレナ・ゲルハルト(メゾソプラノ)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)
英 HMV GR16/21(プライヴェート録音盤)
(1939年10-11 月ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音)
ドイツが生んだ大リート歌手エレナ・ゲルハルト(1883-1961)が第2次世界大戦勃発期に、自費で録音したプライヴェート盤の復刻。録音当時ゲルハルトは祖国ドイツを捨ててイギリス国籍を得た直後だった。ゲルハルトは1902年ライプツィヒ音楽院の学生で、学長に就任したアルトゥール・ニキシュ(1855-1922)が彼女がライプツィヒの公衆の前で歌うことを認めた。1903年音楽院を卒業すると多くの演奏会契約が待っていた。レコード録音は1907年、ニキシュのピアノで10インチ盤x7枚、12インチ盤x1枚からはじまった。以降レコード録音は機械式録音時代、電気録音時代と多数ある。そのすべてがリートでオペラは歌っていない。ゲルハルトの正規録音は1932年のフーゴ・ヴォルフ協会第1巻の12インチ盤x9枚(19曲)が最後になった。それから7年後の1939年にこの10インチ盤x6枚組のアルバムを、さらに大戦後の1947-1948年にシューマン「女の愛と生涯」(12インチ盤3枚組)を同様のプライヴェート盤として制作し、自身の知人やファンに配り、販売はされなかった。HMVの白レーベルでアルバムの表紙裏には自筆署名のシールが貼られていた。ピアノのジェラルド・ムーアの起用もあって、56歳のゲルハルトは素晴らしい歌唱を披露している。HMV盤特有のノイズと共に原盤のキズがあるが、声もピアノもゲルハルトの録音中最高。

78CDR-3497 ※機械式録音盤(電気式以前)の復刻音源
ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-13
イゾルデ・メンゲス(ヴァイオリン)
ピアノ伴奏
英 HMV E279/30
(1921年11月21日&1922年1月11日イギリス録音)
この曲の世界初録音。イゾルデ・メンゲス(1892-1976)は20世紀の前半に活躍したイギリスのヴァイオリン奏者。1910年17歳で名ヴァイオリン教授レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事するためにロシアのザンクトペテルブルグに向かった。アウアーの元には3年間逗留し教授の最もお気に入りの弟子になった。1913年20歳でロンドンにデビューした。その時のプログラムはチャイコフスキーの協奏曲、ラロのスペイン交響曲に加えて、ベートーヴェンとブラームスのヴァイオリン協奏曲の縮小版だった。1916年から1919年には北米公演を行いアメリカのメジャー・オーケストラのほとんどと共演し名声を高めた。レコード録音は機械式録音時代に、世界最初の録音になるベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲、バッハの「シャコンヌ」、電気録音初期のベートーヴェン:「クロイツェル・ソナタ」、ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番及び第3番がHMVにあった。

78CDR-3498
ハイドン:チェロ協奏曲ニ長調作品101 Hob. VIIb-2
(カデンツァ: フルニエ)
ピエール・フルニエ(チェロ)
ラファエル・クーベリック指揮
フィルハーモニア管弦楽団
蘭 HMV DB9743/5
(1951年5月26日、ロンドン、アビー・ロード、EMI第1スタジオ録音)
ピエール・フルニエ(1906-1986)はパリ生まれのチェリスト。最初ピアノを習ったが9歳のとき小児麻痺による右足障害のためチェロに転向した。1923年パリ音楽院で一等賞を得て楽壇にデビュー、ヴァイオリンのガブリエル・ブイヨン、ピアノのヴラド・ペルルミュテールとのトリオで注目された。1937年エコール・ノルマル教授、1941から1949年までパリ音楽院教授をつとめた。1942年にヴァイオリンのシゲティ、ピアノのシュナーベルとのピアノ・トリオ、ヴィオラのプリムローズを加えてピアノ四重奏で活動、さらに1945年にはカザルスの抜けたカザルス・トリオに加わり、ヴァイオリンのティボー、ピアノのコルトーと演奏活動した。1954年に初来日。その後何度も日本を訪れた。指揮者のラファエル・クーベリック(1914-1996)はチェコの大ヴァイオリニスト、ヤン・クーベリック(1880-1940)の長男として生まれた。1942年チェコ・フィルの首席指揮者になったが、1948年イギリスに亡命した。1951年シカゴ交響楽団の音楽監督に就任した。HMV盤特有のノイズと原盤のキズがあるが、フルニエの典雅な芸術は他に代えがたい。
2014年4月新譜 5点 発売中★DSD録音

LP復刻の33CDRシリーズが加わりました。従来の78CDR-部分が33CDR-に変わり、番号の部分は3000番台を通し番号で使用いたします。

33CDR-3489
ベートーヴェン:
ヴァイオリン・ソナタ第1番ニ長調作品12-1
ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調作品12-2
ヴァイオリン・ソナタ第3番変ホ長調作品12-3
ヴァイオリン・ソナタ第4番イ短調作品23
ジョセフ・フックス(ヴァイオリン)
アルトゥール・バルサム(ピアノ)
米 DECCA DX150(Set)
(1952年4月-6月ニューヨーク、ピシアン・テンプル録音)

33CDR-3490
ベートーヴェン:
ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「スプリング」
ヴァイオリン・ソナタ第6番イ長調作品30-1
ヴァイオリン・ソナタ第7番ハ短調作品30-2
ジョセフ・フックス(ヴァイオリン)
アルトゥール・バルサム(ピアノ)
米 DECCA DX150(Set)
(1952年4月-6月ニューヨーク、ピシアン・テンプル録音)

33CDR-3491
ベートーヴェン:
ヴァイオリン・ソナタ第8番ト長調作品30-3
ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」
ヴァイオリン・ソナタ第10番ト長調作品96
ジョセフ・フックス(ヴァイオリン)
アルトゥール・バルサム(ピアノ)
米 DECCA DX150(Set)
(1952年4月-6月ニューヨーク、ピシアン・テンプル録音)
ジョセフ・フックス(1899-1997)はニューヨーク生まれ、ジュリアード音楽院の前進であるニューヨーク・インスティテュート・オブ・ミュージカル・アートでルーマニア出身のヴァイオリニストで弦楽四重奏団のリーダー、フランツ・クナイゼル(1865-1926)に師事した。フックスはクリーヴランド管弦楽団のコンサート・マスターを1926-1940年までつとめ、その後ソリストとして活躍、1953-54年にはプラドのカザルス音楽祭にも参加した。1946年にジュリアード音楽院のヴァイオリン科教授に就任、没年まで50年以上その地位にあった。ピアニストのアトテュール・バルサム(1906-1994)はポーランド生まれ。ベルリン高等音楽院でアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)に師事し、1930年にメンデルスゾーン賞を得た。1932年にヴァイオリンのユーディ・メニューインとアメリカ公演を行い、ナチの台頭でアメリカに移住した。バルサムは名伴奏者であると共にソリストとしても活躍。モーツァルトのピアノ曲全集、ハイドンのピアノ曲全集などを残した。後年はイーストマン音楽院、ボストン大学、マンハッタン音楽院で指導にあたり、エマヌエル・アックス、マレイ・ペライア等を輩出した。

33CDR-3492
J.S.バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 BWV.1043
アルマ・ローゼン=ヴィテク(ヴァイオリン)
アントン・ヴィテク(ヴァイオリン)
バイロイト祝祭劇場弦楽オーケストラ
日COLUMBIA J7435/6 (英COLUMBIA 9681/2 と同一録音)
(1928年7月バイロイト祝祭劇場録音)
アントン・ヴィテク(1872-1933)はオーストリアのザーツ生まれ。プラハ音楽院でアントニン・ベネヴィッツ(1833-1926)に師事した。ベネヴィッツの弟子にはフランツ・レハール(1870-1948)やヨセフ・スーク(1874-1935)等がいる。ヴィテクは1884年から1909年までベルリン・フィルのコンサート・マスターを務め、1903年には夫人でピアニストのアヴィータ・ヴィテク、後にボストン交響楽団の首席チェロ奏者になったジョセフ・マルキンとピアノ三重奏団を結成した。ウィテクはその後ボストンに移住し、1910年10月に当時の首席指揮者だったマックス・フィドラー(1859-1939)の下でコンサート・マスターに就任した。1918年にオーケストラを退団し、ソリスト、教師として活躍した。この録音は後妻のアルマ・ローゼンとの共演である。1928年バイロイト祝祭劇場にて楽劇「トリスタンとイゾルデ」(カール・エルメンドルフ指揮)の際に英コロンビアの録音スタッフによって録音されたもの。

78CDR-3493
ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタト短調
ラッベ:アリア-シャッス-ミニュエット
アルフレッド・デュボワ(ヴァイオリン)
マルセル・マース(ピアノ)
日COLUMBIA JW26/7(ベルギーCOLUMBIA DFX198/9 と同一録音)
(1934年9月25日ベルギー録音)
アルフレッド・デュボワ(1898-1948)はアルテュール・グリュミオー(1921-1975)の師として知られている。ブリュッセル音楽院出身のデュボワは卒業後ウジェーヌ・イザイ(1858-1931)にも師事し、1920年にヴュータン賞を得た。1927年に母校のブリュッセル音楽院教授に就任し、一方ソリストとしても活躍した。ピアニスト、マルセル・マースとのデュオは評判をとった。このシリーズでデュオではフランク:ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-3201)、バッハ:ヴァイオリン・ソナタ第4番、第5番、第6番(78CDR-3451)が、協奏曲ではヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第5番(78CDR-3013)とモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第6番 K.268(78CDR-3054)が出ている。この第4面に収録されたラッベ(1727-1803)はフランスの作曲家でヴァイオリニスト。正確にはJoseph-Barnabe Saint-Sevin dit L'Abbe le Fils と言い、忘れられた音楽家。