★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-3499〜3508

2014年7月新譜 5点 発売中★DSD録音

LP復刻の33CDRシリーズが加わりました。従来の78CDR-部分が33CDR-に変わり、番号の部分は3000番台を通し番号で使用いたします。

78CDR-3504
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
(カデンツァ:クライスラー)
ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ルツェルン祝祭管弦楽団
英 HMV DB9444S/8
(1949年8月29-31日ルツェルン、クンストハウス録音)
大指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)は1945年のドイツ敗戦後、戦時中のナチス協力を疑われ、1947年4月まで演奏活動が禁止されたが、1947年8月にルツェルン音楽祭に登場した。以降亡くなる1954年まで毎年来演した。ソリストのユーディ・メニューイン(1916-1999)はフルトヴェングラーのナチス協力疑惑を晴らす証言で、大指揮者の弁護にあたった。この演奏はLPでも発売されていたためSPレコードの存在がほとんど知られていなかったが、今回の復刻でSPレコードならではの感動的な音楽が蘇った。このシリーズで同じ顔合わせのベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(1947年録音)が出ている(78CDR-3136)。

78CDR-3505
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
(カデンツァ:クライスラー)
ジノ・フランチェスカッティ(ヴァイオリン)
ユージン・オーマンディ指揮
フィラデルフィア管弦楽団
米 COLUMBIA 13140/44-D(Set:MM985)
(1950年11月5日フィラデルフィア、アカデミー・オブ・ミュージック録音)
ジノ・フランチェスカッィ(1902-1991)はフランスの名ヴァイオリニスト。マルセイユに生まれ、ヴァイオリニストの父親とその門下生だった母親の手ほどきを受けて研鑽を積み、5歳でリサイタルを開き10歳でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を公開演奏した。一時法律家を志したが父親の早逝でヴァイオリニストになる決意をし、1924年にパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番でパリ・デビュー、その後ジャック・ティボー(1880-1953)の薫陶を得た。1939年アメリカにデビュー、そのままニューヨークに定住した。指揮者のユージン・オーマンディ(1899-1985)はブダペスト生まれ。ブダペスト音楽院で名ヴァイオリニスト、イェネ・フバイ(1858-1937)に師事した。ヴァイオリニストとして活動を始めたが、その後指揮者に転向し、1938年レオポルド・ストコフスキー(1882-1977)の後任としてフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督に就任した。この録音はLP時代に行われたため、SPレコードの存在がほとんど知られていなかった。クライスラー=ブレッヒのこの曲(78CDR-3090)に比肩する名演で、LPでは聴けなかった輝かしいヴァイオリンは見事。

78CDR-3506
クライスラー未発表録音集
(1)ラヴェル:ハバネラ形式の小曲
(1929年12月16日録音)
(2)クライスラー:ハバネラ
(1928年11月30日録音)
(3)チャイコフスキー:カンツォネッタ-ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35より
(1924年1月24日録音)
(4)ドヴォルザーク:ユモレスク
(1914年3月31日録音)
フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン) (1)-(3)、(ピアノ) (4)
カール・ラムソン(ピアノ) (1)-(3)
米 VICTOR テストプレス(白レーベル)
フリッツ・クライスラー(1875-1962)がRCA VICTORに録音した未発売演奏を集めたもの。録音年代はさまざまで(1)と(2)は電気録音、(3)と(4)はラッパ吹き込み。珍しいのは(4)の「ユモレスク」でクライスラーがピアノを弾いている。クライスラー・ファンは必聴盤。

33CDR-3507
J.S.バッハ:伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(1)
ソナタ第1番ト短調 BWV1001
パルティータ第1番ロ短調 BWV1002
ソナタ第2番イ短調 BWV1003
ナタン・ミルシテイン(ヴァイオリン)
米 CAPITOL PCR-8370
(1954年3月26 & 31日、ニューヨーク46丁目、キャピトル・スタジオA録音)

33CDR-3508
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(2)
パルティータ第2番ニ短調 BWV1004
ソナタ第3番ハ長調 BWV1005
パルティータ第3番ホ長調 BWV1006
ナタン・ミルシテイン(ヴァイオリン)
米 CAPITOL PCR-8370
(1954年3月26 & 31日、ニューヨーク46丁目、キャピトル・スタジオA録音)
ナタン・ミルシテイン(1904-1992)はロシアのオデッサに生まれ、11歳でサンクトペテルブルク音楽院に入学、名教師レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。1929年にアメリカにデビュー、1942にアメリカの市民権を得た。ミルシテインは1935年、アメリカ・コロンビアのSPレコードに「無伴奏パルティータ第2番」(78CDR-3080)を録音していた、LP時代になってからのソナタとパルティータ全6曲の第一回目の録音である。このシリーズでは全6曲のLP録音は1948年のジョルジュ・エネスコ(33CDR-3384/5)、1949年録音のアレクサンダー・シュナイダー(33CDR-3307/8)、1952年録音の彎曲弓を使ったロルフ・シュレーダー(33CDR-3412/3)、1955年録音のヘンリク・シェリングの第一回録音(33CDR-3464/5)、1955-6年録音のヨーゼフ・シゲティ(33CDR-3484/5)が出ていてる。聴き較べに興味をそそられる。
2014年6月新譜 5点 発売中 ★DSD録音

LP復刻の33CDRシリーズが加わりました。従来の78CDR-部分が33CDR-に変わり、番号の部分は3000番台を通し番号で使用いたします。

78CDR-3499
モーツァルト:交響曲第34番ハ長調 K.338
レオ・ブレッヒ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
日VICTOR JD157/8 (独 ELECTROLA EJ607/8と同一録音)
(1930年9月23日ベルリン録音)
レオ・ブレッヒ(1971-1958)はドイツのユダヤ系指揮者。ベルリン高等音楽院でピアノと作曲を修めた後、1893年にアーヘン市立歌劇場の指揮者の地位についた。1899年にプラハ・ドイツ歌劇場に転出、オイゲン・ダルベールの歌劇「低地」を初演した。1906年にベルリン宮廷歌劇場(現ベルリン国立歌劇場)の指揮者に任命され、1913年に総監督に昇進、以降シャルロッテンブルク歌劇場(現ベルリン・ドイツ・オペラ)、ベルリン・フォルクスオーパー、ウィーン・フォルクスオーパーの指揮者を歴任。その後ベルリン国立歌劇場に復帰し、1937年までに2846回の公演を指揮した。1937にラトヴィアのリガ国立歌劇場の音楽監督に転出、1940年にラトヴィアがソビエト連邦に占拠されると、モスクワやレニングラードに客演して大成功を収め、モスクワ音楽院の院長の地位を要請された。ブレッヒはこれを断りリガに戻ったが、1941年にドイツ軍がリガに侵攻したとき、親しかったナチスの文芸部員の仲介で秘密裡にスウェーデンに亡命、かねてから要請されていたストックホルム王立歌劇場の楽長に就任した。戦後の1949年ドイツに帰国、シャルロッテンブルク歌劇場の音楽総監督に就任した。ブレッヒは1926-7年にフリッツ・クライスラー(1875-1962)と競演したベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームスのヴァイオリン協奏曲の録音で名前が知られているが、その波瀾の生涯はほとんど知られていなかった。

78CDR-3500
モーツァルト:交響曲第38番ニ長調 K.504「プラハ」
エルネスト・アンセルメ指揮
スイス・ロマンド管弦楽団
英 DECCA AK1812/4(ffrr 録音)
(1947年7月4日ジュネーヴ放送局スタジオ録音)
エルネスト・アンセルメ(1883-1969)はスイスのヴヴェイ生まれ。数学者を志したが、1910年指揮者としてデビュー、1915年にジュネーヴ交響楽団の指揮者になり、1923年までディアギレフが率いるロシア・バレエ団の指揮者を務めた。1918年にジュネーヴにスイス・ロマンド管弦楽団を設立、1967年まで首席指揮者の地位にあった。アンセルメは近代フランス音楽、ロシア音楽の解釈者として名声をあげ、特にドビュッシーやストラヴィンスキーの作品を得意とした。アンセルメはイギリス・デッカのアーティストとして有名だが、デッカ創立以前にオデオン社のSPレコードにモーツァルトの交響曲第40番と第41番「ジュピター」(オーケストラはいずれもスイス・ロマンド管弦楽団)を録音していた。デッカ時代にアンセルメが録音したモーツァルトは、この交響曲第38番「プラハ」のSP録音だけだった。明晰で透き通るようなモーツァルトは他の指揮者では聴けない貴重な演奏である。

78CDR-3501
モーツァルト:交響曲第39番変ホ長調 K.543
ブルーノ・ワルター指揮
BBC交響楽団
英 HMV DB2258/60
(1934年5月21-22日 ロンドン録音)
ブルーノ・ワルター(1876-1962)は生涯に交響曲第39番 K.543を3回正規録音したが、これは最初のもの。ドイツ出身の大指揮者ワルターはベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1896年ハンブルク歌劇場で、当時音楽監督だったグースタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長、音楽監督を歴任した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカに逃れた。この録音はワルターがウィーン・フィルとレコード・デビューする(1934年10月)する直前イギリスのBBC交響楽団を指揮したもの。同時にブラームス交響曲第4番も録音された。SPレコードだが演奏は連続して途切れなく、2台の録音機を交互に回して収録されたことがわかる。上記のブラームスも同様である。おそらくBBC交響楽団の公開演奏会を収録したものと思われる。SPレコード一面ごとに演奏をストップする事がないため指揮者は何のプレッシャーもなく演奏に没頭している様が窺える名演奏。ここではSPレコードの各面は収録通りで編集していない。

78CDR-3502
モーツァルト:交響曲第40番ト短調 K.550
サー・トーマス・ビーチャム指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
米COLUMBIA 69103/5-D(英 COLUMBIA LX656/8 と同一録音)
(1937年2月4日、9月2日&7日ロンドン録音)
サー・トーマス・ビーチャム(1879-1961)はイギリスの指揮者。裕福な家庭に生まれ音楽はほとんど独学だった。1910年家族の財産を背景にコヴェント・ガーデンのマネージメント権を得て、ワーグナーの「ニュルンベルクの名歌手」、R.シュトラウスの「エレクトラ」と「サロメ」の英国初演を自らの指揮で行った。1932年にロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を組織、また戦後の1947年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を組織した。ビーチャムの指揮するモーツァルトはSPレコード時代最も権威のあるものとして欧米では受け入れられた。このシリーズでも多くの協奏曲を指揮しているが、交響曲は初登場。録音はビーチャムがモーツァルトの「魔笛」をベルリンで指揮した時期にあたる。

78CDR-3503
モーツァルト:
交響曲第41番ハ長調 K.551「ジュピター」
歌劇「劇場支配人」序曲 K.486
カール・ベーム指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
英 HMV C3884/7
(1947年3月15日ウィーン録音)
カール・ベーム(1894-1981)はオーストリアの指揮者。生地のグラーツ大学で法律博士の学位を得る一方、フランツ・シャルクの紹介でブラームスの親友だったオイゼビウス・メンディチェフスキに個人教授で音楽を学んだ。1917年グラーツ市立歌劇場でデビュー、1920年に主任指揮者になった。1921年ブルーノ・ワルターの招きでバイエルン国立歌劇場に迎えられた。1927年ダルムシュタット市立歌劇場音楽監督、1931年にハンブルク国立歌劇場音楽監督、1934にドレスデン国立歌劇場総監督に就任。さらに大戦中の1943年ウィーン国立歌劇場の総監督に就任した。1945年ドイツ・オーストリアの敗戦により連合軍から演奏活動禁止命令を受けたが、1947年に解除された。その解除直後にHMVがウィーン・フィルを起用して録音したのが、この「ジュピター」交響曲。