2014年7月新譜 5点 発売中★DSD録音
LP復刻の33CDRシリーズが加わりました。従来の78CDR-部分が33CDR-に変わり、番号の部分は3000番台を通し番号で使用いたします。
78CDR-3504
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
(カデンツァ:クライスラー)
ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ルツェルン祝祭管弦楽団
英 HMV DB9444S/8
(1949年8月29-31日ルツェルン、クンストハウス録音)
大指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)は1945年のドイツ敗戦後、戦時中のナチス協力を疑われ、1947年4月まで演奏活動が禁止されたが、1947年8月にルツェルン音楽祭に登場した。以降亡くなる1954年まで毎年来演した。ソリストのユーディ・メニューイン(1916-1999)はフルトヴェングラーのナチス協力疑惑を晴らす証言で、大指揮者の弁護にあたった。この演奏はLPでも発売されていたためSPレコードの存在がほとんど知られていなかったが、今回の復刻でSPレコードならではの感動的な音楽が蘇った。このシリーズで同じ顔合わせのベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(1947年録音)が出ている(78CDR-3136)。
78CDR-3505
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
(カデンツァ:クライスラー)
ジノ・フランチェスカッティ(ヴァイオリン)
ユージン・オーマンディ指揮
フィラデルフィア管弦楽団
米 COLUMBIA 13140/44-D(Set:MM985)
(1950年11月5日フィラデルフィア、アカデミー・オブ・ミュージック録音)
ジノ・フランチェスカッィ(1902-1991)はフランスの名ヴァイオリニスト。マルセイユに生まれ、ヴァイオリニストの父親とその門下生だった母親の手ほどきを受けて研鑽を積み、5歳でリサイタルを開き10歳でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を公開演奏した。一時法律家を志したが父親の早逝でヴァイオリニストになる決意をし、1924年にパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番でパリ・デビュー、その後ジャック・ティボー(1880-1953)の薫陶を得た。1939年アメリカにデビュー、そのままニューヨークに定住した。指揮者のユージン・オーマンディ(1899-1985)はブダペスト生まれ。ブダペスト音楽院で名ヴァイオリニスト、イェネ・フバイ(1858-1937)に師事した。ヴァイオリニストとして活動を始めたが、その後指揮者に転向し、1938年レオポルド・ストコフスキー(1882-1977)の後任としてフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督に就任した。この録音はLP時代に行われたため、SPレコードの存在がほとんど知られていなかった。クライスラー=ブレッヒのこの曲(78CDR-3090)に比肩する名演で、LPでは聴けなかった輝かしいヴァイオリンは見事。
78CDR-3506
クライスラー未発表録音集
(1)ラヴェル:ハバネラ形式の小曲
(1929年12月16日録音)
(2)クライスラー:ハバネラ
(1928年11月30日録音)
(3)チャイコフスキー:カンツォネッタ-ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35より
(1924年1月24日録音)
(4)ドヴォルザーク:ユモレスク
(1914年3月31日録音)
フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン) (1)-(3)、(ピアノ) (4)
カール・ラムソン(ピアノ) (1)-(3)
米 VICTOR テストプレス(白レーベル)
フリッツ・クライスラー(1875-1962)がRCA VICTORに録音した未発売演奏を集めたもの。録音年代はさまざまで(1)と(2)は電気録音、(3)と(4)はラッパ吹き込み。珍しいのは(4)の「ユモレスク」でクライスラーがピアノを弾いている。クライスラー・ファンは必聴盤。
33CDR-3507
J.S.バッハ:伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(1)
ソナタ第1番ト短調 BWV1001
パルティータ第1番ロ短調 BWV1002
ソナタ第2番イ短調 BWV1003
ナタン・ミルシテイン(ヴァイオリン)
米 CAPITOL PCR-8370
(1954年3月26 & 31日、ニューヨーク46丁目、キャピトル・スタジオA録音)
33CDR-3508
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(2)
パルティータ第2番ニ短調 BWV1004
ソナタ第3番ハ長調 BWV1005
パルティータ第3番ホ長調 BWV1006
ナタン・ミルシテイン(ヴァイオリン)
米 CAPITOL PCR-8370
(1954年3月26 & 31日、ニューヨーク46丁目、キャピトル・スタジオA録音)
ナタン・ミルシテイン(1904-1992)はロシアのオデッサに生まれ、11歳でサンクトペテルブルク音楽院に入学、名教師レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。1929年にアメリカにデビュー、1942にアメリカの市民権を得た。ミルシテインは1935年、アメリカ・コロンビアのSPレコードに「無伴奏パルティータ第2番」(78CDR-3080)を録音していた、LP時代になってからのソナタとパルティータ全6曲の第一回目の録音である。このシリーズでは全6曲のLP録音は1948年のジョルジュ・エネスコ(33CDR-3384/5)、1949年録音のアレクサンダー・シュナイダー(33CDR-3307/8)、1952年録音の彎曲弓を使ったロルフ・シュレーダー(33CDR-3412/3)、1955年録音のヘンリク・シェリングの第一回録音(33CDR-3464/5)、1955-6年録音のヨーゼフ・シゲティ(33CDR-3484/5)が出ていてる。聴き較べに興味をそそられる。 |