★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-3529〜3538

2015年1月新譜 5点 発売中★DSD録音

33CDR-3534
モーツァルト:協奏交響曲変ホ長調 K.364
ジョセフ・フックス(ヴァイオリン)
リリアン・フックス(ヴィオラ)
ジンブラー・シンフォニエッタ
英 BRUNSWICK AXTL1018(Mono)(DG LPE 17 124 と同一録音)
(1951年12月5日録音)
ヴァイオリンのジョセフ・フックス(1899-1997)はニューヨーク生まれ、ジュリアード音楽院の前進であるニューヨーク・インスティテュート・オブ・ミュージカル・アートでルーマニア出身のヴァイオリニストで弦楽四重奏団のリーダー、フランツ・クナイゼル(1865-1926)に師事した。フックスはクリーヴランド管弦楽団のコンサート・マスターを1926-1940年までつとめ、その後ソリストとして活躍、1953-54年にはプラドのカザルス音楽祭にも参加した。1946年にジュリアード音楽院のヴァイオリン科教授に就任、没年まで50年以上その地位にあった。ヴィオラのリリアン・フックス(1901-1995)は実妹。最初ピアノを、後にヴァイオリンを学び1926年にニューヨーク・デビューしたが、師のクナイゼルの勧めでヴィオラに転向し、生涯ソリスト、名教師として活躍した。ジョセフとリリアン兄妹によるモーツァルトの協奏交響曲 K.364の正規録音は3種類あり、これはその最初のもの。このシリーズでジョセフ・フックスによるベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ全曲(33CDR-3489/91)が出ている。

33CDR-3535
ベートーヴェン:ディアベリ変奏曲作品120
ミエツィスワフ・ホルショフスキ(ピアノ)
英 VOX PL7730
(1952年5月13日録音)
ミエツィスワフ・ホルショフスキ(1892-1993)はポーランド生まれのピアニスト。99歳までコンサート・ステージで活躍していた。母親はショパンの直弟子カール・ミクリ(1819-1897)に学んだピアニスト。4歳の頃から神童といわれ、1899年にウィーンに移り住み、名教師レシェティツキの指導を受けた。1930年代にカザルスがHMVに録音したベートーヴェン:チェロ・ソナタ集(第3番は除く)のピアニストをつとめた。第2次世界大戦中にアメリカに移住、フィラデルフィアのカーティス音楽院で後進の指導にあたる一方、室内楽奏者としての録音が多い。このシリーズでカザルスとのベートーヴェン:チェロ・ソナタ第1番(78CDR-3221)、第2番(78CDR-3084)とショパン:ピアノ協奏曲第1番作品11(33CDR-3372)が出ている。

78CDR-3536
モーツァルト:
セレナード第11番変ホ長調 K.375 (8本の管楽器のための)
モーリス・エヴィット指揮 管楽アンサンブル
仏 DISCOPHILE FRANCAIS 45/8A
(1946年2月20-22日パリ録音)

78CDR-3537
モーツァルト:
セレナード第12番ハ短調 K.388「夜曲」(8本の管楽器のための)
モーリス・エヴィット指揮 管楽アンサンブル
仏 DISCOPHILE FRANCAIS 48B/50
(1946年2月20-22日パリ録音)
指揮者のモーリス・エヴィット(1884-1971)はカペー弦楽四重奏団の第2ヴァイオリンをつとめた人。パリ音楽院の室内楽科を卒業後1904年にトゥーレ四重奏団に入り、さらにサイレ四重奏団、ドルソン四重奏団のメンバーを経て、1909にカペー弦楽四重奏団に第2ヴァイオリン奏者として入団、1914-1919年の5年間を除き1928年まで在籍した。1928年リーダーのリュシアン・カペー(1873-1928)の急死でエヴィット四重奏団(1828-30)の名前で引き継いだ。その後アメリカに渡りクリーヴランド四重奏団を結成した(1930-34)。フランスに戻り新エヴィット四重奏団(1935-39、1946-49)を作った。エヴィットは1934年にフォンテーヌブローのアメリカ音楽院の室内楽科教授に就任、1942-55年にはパリ音楽院の室内楽科の教授もつとめた。1939年にエヴィット室内管弦楽団をつくりコンサートやレコーディングで活躍した。このシリーズでJ.S.バッハ:管弦楽組曲全曲(33CDR-3509/10)が出ている。

78CDR-3538 ※試聴はありません
ベニー・グッドマン&ペギー・リー
(1)サニー・サイド
(2)いつかどこかで
(3)今宵の君は
(4)ウィンター・ウェザー
(5)サムバディ・ノーバディ・ラヴズ
(6)マイ・リトル・カズン
(7)ノット・マイン
(8)レッツ・ドゥ・イット
ペギー・リー PEGGY LEE(vo)(1)-(8)
アート・ロンドン Art London(vo)(4)
ベニー・グッドマン六重奏団 BENNY GOODMAN AND HIS SEXTET(1)-(3)
ベニー・グッドマン楽団 BENNY GOODMAN AND HIS ORCHESTRA(4)-(8)
米 COLUMBIA C170(Set) 1941-42年録音
ペギー・リー(1920-2002)の初録音はこのベニー・グッドマン(1909-1986)との共演だった。21-22歳の時である。ペギー・リーはノースダコタ州の出身。1941年にベニー・グッドマン楽団に歌手として入団し、2年間つとめた。1944年に新興のキャピトル・レコードに移り、1952-56年にはデッカで活躍したが、またキャピトルに戻った。ベニー・グッドマンはシカゴ生まれ、クラリネットを習得し11歳でデビュー。1923年にコルネット奏者のビックス・バイダーベックと共演、1925年にベン・ポラック楽団に入った。1928にニューヨークに移り、1932年に自身の楽団を結成し、NBC放送にレギュラー出演し一躍スターになった。1938年にカーネギー・ホールで初のジャズ・コンサートを開きキング・オブ・スイングと呼ばれた。ビッグバンドの他に、小編成のトリオ、カルテット、セクスッテットでも活動した。またクラシックのクラリネット奏者としても録音を残している。
2014年12月新譜 5点 発売中★DSD録音

33CDR-3529
モーツァルト:前奏曲アダージョとフーガ(K.404a)
(1)アダージョ第1番ニ短調
(2)フーガ第1番ニ短調
(J.S.バッハ:平均律クラヴィア BWV 853の弦楽三重奏のための編曲)
(3)アダージョ第2番ト短調
(4)フーガ第2番ト短調
(J.S.バッハ:平均律クラヴィア BWV 883の弦楽三重奏のための編曲)
(5)アダージョ第3番ヘ長調
(6)フーガ第3番ヘ長調
(J.S.バッハ:平均律クラヴィア BWV 882の弦楽三重奏のための編曲)
(7)アダージョ第6番ヘ短調
(8)フーガ第6番ヘ短調
(W.F.バッハ:フーガ第8番の弦楽三重奏のための編曲)
パスキエ弦楽三重奏団
ジャン・パスキエ(ヴァイオリン)
ピエール・パスキエ(ヴィオラ)
エティエンヌ・パスキエ(チェロ)
米 HAYDN SOCIETY HSL-108 (XTV21762-1A)(Mono)
(1951年パリ録音)
パスキエ弦楽三重奏団は1927年パスキエ三兄弟によって結成された。長兄ピエール・パスキエ(1902-1986)はパリ音楽院でヴィオラをモーリス・ヴュー(1884-1951)に師事し一等賞を得た。次兄ジャン・パスキエ(1903-)と末弟エティエンヌ・パスキエ(1905-1997)による三重奏団のために、数多くのフランスの作曲家が作品を書いた。このバッハの作品によるアダージョとフーガはJ.S.バッハ、W.F.バッハの作品の編曲。パスキエ三重奏団はこのシリーズでモーツァルト:ディヴェルティメント変ホ長調 K.563(78CDR-3487)とヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 K.423 & K.424(78CDR-3512)が出ている。

33CDR-3530
モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番ト長調 K.453
ギャビー・カザドシュ(ピアノ)
ウジェーヌ・ビゴー指揮
プロ・ムジカ管弦楽団
米 VOX PL6720
(1950年10月16日パリ録音)
ピアノのギャビー・カザドシュ(1901-1999)はマルセイユ生まれ、旧姓ガブリエル・ロート。パリ音楽院でルイ・ディエメール(1843-1919)とマルグリット・ロン(1874-1966)に師事、16歳で一等賞を得た。1921年にピアニスト、ロベール・カザドシュ(1977-1972)と結婚しデュオでの演奏会やレコード録音も多かった。指揮者のウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)はパリ音楽院出身。シャンゼリゼ劇場の指揮者を経て、パリ音楽院管弦楽団、ラムルー管弦楽団、フランス国立放送管弦楽団、オペラ・コミックの指揮者を歴任、母校パリ音楽院の指揮科の教授もつとめた。ギャビー・カザドシュとウジェーヌ・ビゴーはこのシリーズでモーツァルト:ピアノ協奏曲第25番ハ長調 K.503(33CDR-3445)が出ている。

78CDR-3531
未発表テイクによる
モーツァルト:ヴァイリン協奏曲第3番ト長調 K.216
(カデンツァ:エネスコ)
(1)第1楽章(Part 1)
(2)第1楽章(Part 2)
(3)第2楽章(Part 1)
(4)第2楽章(Part 2)-
第3楽章(Part 1)
(5)第3楽章(Part 2)
ボーナストラック(未発表テイク)(UNPUBLISHED TAKES)
(6)第2楽章(Part 2)-
第3楽章(Part 1)
(7)第3楽章(Part 2)
ドニーズ・ソリアノ(ヴァイオリン)
ジュール・ブーシュリ指揮管弦楽団
仏 PATHE PAT127/9
(1937年6 月3-4 日パリ録音)t
78CDR-3031で発売されたこの曲の未発売原盤発見! トラック(1)以外はすべて未発売原盤によった。さらにトラック(6)と(7)は別の未発売テイクを収録した。この原盤は片面の白レーベル、テストプレス盤で録音後演奏者に聴かせてどのテイクを発売するかを決めてもらう目的で製作されたレコード。録音後77年を経て発見されたのは奇跡と言える。是非78CDR-3031と聴き比べでいだきたい。

78CDR-3532
モーツァルト:ピアノ協奏曲第14番変ホ長調 K.449
(カデンツァ:モーツァルト)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
アドルフ・ブッシュ指揮
ブッシュ・チェンバー・プレイヤーズ
米 RCA VICTOR 15912/4 (英HMV DB3690/2と同一録音)
(1938年10月11日ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音)
ルドルフ・ゼルキン(1903-1991)はボヘミア出身のピアニスト。幼少の頃ウィーンに移りピアノと作曲を学んだ。1920年、17歳でヴァイオリニストのアドルフ・ブッシュ(1891-1952)のピアニストに なり、ヨーロッパ各地で演奏活動を行った。この縁でブッシュの娘イレーネと結婚した。1939年ゼルキンはナチスのユダヤ人迫害を避けてアメリカに移住した。この録音はヨーロッパ時代の最後のもの。このシリーズでブッシュ=ゼルキンのデュオは多数出ている。

78CDR-3533
モーツァルト:
セレナード第13番ト長調 K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
弦楽四重奏曲第23番ヘ長調 K.590「プロシャ王第3番」
レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)
英 COLUMBIA L1729/30(K.525)(1926年2月19日 & 1927年3月3日録音)
英 COLUMBIA LX808/10(K.590)(1939年2月8日録音)
レナー弦楽四重奏団は1918年ハンガリーのブダペストで結成された。メンバー全員がブダペスト音楽院出身で、レナー(1894-1948)、スミロヴィッツ、ロートがイェノ・フバ(1858-1937)の弟子、チェロのハルトマンがダヴィド・ポッパー(1843-1913)に師事した。4人はブダペスト・オペラの楽員だったが、1918年に起こったハンガリー革命を機に弦楽四重奏団を結成した。2年に渡って田舎の村にこもって練習を積んだ後、1920年にウィーンでデビューした。そこに居合わせた作曲家のラヴェル(1875-1937)が演奏に感動し、彼らをパリに招いた。公演はセンセーショナルな成功を収めた。その後1922年にロンドン、1929年にはアメリカにデビューした。レコードは機械式録音時代の1922年に、イギリス・コロンビアに録音したのが最初。1927年のベートーヴェン没後100年では、16曲の弦楽四重奏曲中11曲(SPレコード40枚)を録音した。なおTrack 3(K.525 第2楽章 Part 2-第3楽章)は1926年2月19日録音(80回転)の原盤が破損したため1927年3月3日録音(78回転)の原盤にさしかえられた。ピッチと音質の偏差が聴き取れるが、ご容赦願いたい。