★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

ご注文は当店HPよりどうぞ

第11回以降発売分 78CDR-3549〜3558

2015年5月新譜 5点 発売中★DSD録音

78CDR-3554
ハイドン:交響曲第100番ト長調「軍隊」
ブルーノ・ワルター指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
英 HMV DB8445/7
(1938年1月10日ウィーン、ムジークフェライン大ホール録音)
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1894年ハンブルク歌劇場の指揮者をしていた時、音楽監督だったグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任、またウィーン・フィルハーモニーやベルリン・フィルハーモニーも指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると、迫害を避けてアメリカに逃れた。この録音はウィーンのムジークフェライン大ホールで録音されたもので、美しい残響を伴ったオーケストラの音色が名演奏に花を添えている。

78CDR-3555
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
(カデンツァ:ヨアヒム)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
ユージン・オーマンディ指揮
フィラデルフィア管弦楽団
英 COLUMBIA LX983/987(U.K.)(米 COLUMBIA 12281/5Dと同一録音)
(1945年2月23日フィラデルフィア録音)
シゲティによるこの曲の2回目の録音。第1回録音は1928年のハミルトン・ハーティ指揮だった(78CDR-3220)。ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリーのブダペスト生まれ。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1850-1937)に師事した。1905年、13歳でベルリン・デビュー、大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)に認められた。1917年から24年にスイスのジュネーヴ音楽院で教え、1940年にアメリカに移住した。この録音は第2次大戦末期のもの。指揮者は同郷のユージン・オーマンディ(1899-1985)。オーマンディもまたフバイの弟子でヴァイオリニスト出身だった。

78CDR-3556
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219
(カデンツァ:ヨアヒム)
ヤン・ダーメン(ヴァイオリン)
カール・ベーム指揮
ザクセン国立管弦楽団
独 ELECTROLA DB4578/81
(1938年6月25&28日録音)
ヴァイオリンのヤン・ダーメン(1898-1957)はオランダのヴァイオリニスト。オランダのブレダに生まれ、ハーグ王立音楽院を卒業後、ベルリンで名教師カール・フレッシュ(1873-1944)について研鑽を積んだ。1920年から22年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスター、1924年からはザクセン国立管弦楽団(シュターツカペレ・ドレスデン)のコンサートマスターだった。1949年からは指揮者エドゥアルト・ファン・バイヌムのもとでアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートマスターを務めた。カール・ベーム(1894-1981)はオーストリアの大指揮者。1934年からドレスデン国立歌劇場総監督をつとめた。この録音はその時代のもの。

33CDR-3557
ベートーヴェン:
ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」
ポール・マカノヴィツキー(ヴァイオリン)
ノエル・リー(ピアノ)
アンドレ・シャルラン(録音技師)
仏 LUMEN LD 3.416(Mono)
(1957年パリ録音)
ヴァイオリンのマカノヴィツキー(1920-1998)はストックホルムでロシア人の両親のもとに生まれた。4歳でパリのロシア音楽院で名教授イヴァン・ガラミアン(1902-1981)に師事し1929年にガヴォー音楽堂でデビューした。ガラミアンはリュシアン・カペー(1873-1928)の弟子で、1927年から37年にロシア音楽院で教鞭をとっていた。マカノヴィツキーはジャック・ティボー(1880-1953)にもついた。1966年にジュリアード音楽院で教えはじめ、フィラデルフィアのカーティス音楽院やミシガン大学でも教鞭をとった。1954年にピアニストのノエル・リー(1924-)に出会いデュオを組んだ。リーは中国の南京生まれ、アメリカ、インディアナ州のラファイエットで育った。第2次世界大戦後フランスに渡り、パリでナディア・ブーランジェの教えを受けた。1955年からレコード録音を開始、現在まで185点のアルバムがある。マカノヴィツキーとのベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタは全曲録音があり、これはその中の一枚。

33CDR-3558
ジョー・スタッフォード/スコットランドの歌
(ロバート・バーンズ詩/アルトン・リンカー曲)
わたしの心はハイランドにある
ジョン・アンダーソン私の好きな人
アフトン川 FLOW GENTLY, SWEET AFTON
ドゥーンの川岸
モーリズ・ミーク、モーリズ・スウィート
故郷の空(ライ麦畑を通ってきて)
真っ赤な真っ赤なバラ
緑にのびゆく灯心草
アニー・ローリー ANNIE LAURIE
私のジーン
遠くのいとしい若者
蛍の光(遙かな遠い昔)
ジョー・スタッフォード(ヴォーカル)
ポール・ウェストン楽団
米 COLUMBIA CL 1043(Mono)
(1953年3月17日(a)&7月10日(b), 1956年5月3日(c)録音)
スコットランドの国民詩人ロバート・バーンズ(1759-1796)の詩を歌った心あたたまるアルバム。バーンズはモーツァルト(1756-1791)とほぼ同年代に生き37歳で世を去った。一方モーツァルトは35歳で死去し、二人とも没後200年以上経った現在でも多くのファンをもっている。古くから歌いつがれている「故郷の空」「アニー・ローリー」「蛍の光」の3曲以外は アルトン・リンカー(1907-1982)が作曲した。リンカーはハイスクール時代にビング・クロスビー(1903-1977)とバンドを結成した。ヴォーカリストのジョー・スタッフォード(1917-2008)は格調の高い歌唱で知られている。夫君はバンドリーダーで作曲家、アレンジャーのポール・ウェストン(1912-1996)。このアルバムの3曲でミッチ・ミラー(1911-2010)のオーボエが聴ける。ジョー・スタッフォードとポール・ウェストンはこのシリーズで「テネシー・ワルツ」(78CDR-3280)、「リパブリック讃歌」(78CDR-3399)、「JO+JAZZ」(33CDR-3459)、「クリスマス・ソング集」(78CDR-3468)、「ハッピー・ホリデイ」(33CDR-3524)が出ている。
2015年4月新譜 5点 発売中★DSD録音

33CDR-3549
ショパン:24の前奏曲作品28
ロベール・ロルタ(ピアノ)
英 COLUMBIA 9568/71
(1928年5月5日パリ録音)
ロベール・ロルタ(1885-1938)はフランスのピアニスト。パリ音楽院でルイ・ディエメール(1843-1919)に師事し1901年に一等賞を得た。同門のピアニストにエドゥアール・リスレル(1873-1929)、アルフレッド・コルトー(1877-1952)、ロベール・カザドシュ(1899-1972)などがいる。ロルタはショパンとフォーレの作品を得意とし、特にショパンは1912年にエコセーズ、ロンド、遺作のマズルカとポロネーズ数曲を除く全作品を6回のリサイタルで演奏した記録がある。ロルタの録音は1928年にこの「24の前奏曲」、「ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調」と1931年の「前奏曲作品10&25」を残したのみで忘れられた存在。そのSPレコードは稀少盤になっている。コルトーのショパンと聴きくらべると違ったフランスの香りが楽しめる。

78CDR-3550
シューベルト:ピアノ・ソナタ第20番イ長調 D.959
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
英 HMV DB8322/6
(1937年1月14-15日ロンドン、アビー・ロードEMI 第3スタジオ録音)
アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はポーランドのリプニク(旧オーストリア領)に生まれた。1889年7歳でウィーン音楽院に入り、1891年から1897年に名教授テオドール・レシェティツキ(1830-1915)に師事した。1901年にベルリンにデビュー、1933年までこの地を本拠にした。その間演奏活動の傍らベルリン高等音楽院で教え、弟子にクリフォード・カーゾン(1907-1982)、ペーテル・フランクル(1935-)などがいる。またカール・フレッシュ(1873-1944)、パブロ・カザルス(1876-1973)、エマヌエル・フォイアマン(1902-1942)、パウル・ヒンデミット(1895-1963)、ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)との室内楽演奏はベルリンの呼び物だった。その後1932年から34年にはロンドンに居を構え、1939年にアメリカに移住した。大戦後はスイスに住んで演奏会や録音に活躍した。シュナーベルはこのシリーズでモーツァルト:ピアノ協奏曲第21番ハ長調 K.467(78CDR-3387)が出ている。

78CDR-3551
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第8番イ短調 K.310(300d)
ディヌ・リパッティ(ピアノ)
英 COLUMBIA LX8788/9
(1950年7月9日スイス、ジュネーヴ放送局第2スタジオ録音)
ディヌ・リパッティ(1917-1950)はルーマニアのブカレスト生まれ。母親はピアニスト、父親はサラサーテ(1844-1908)やカール・フレッシュ(1873-1944)に学んだヴァイオリニストで、洗礼立会人は大ヴァイオリニストのジョルジュ・エネスコ(1881-1955)だった。ブカレスト音楽学校で学費免除の特待生で入学が許された。1934年のウィーン国際コンクールで2等賞になったが、この時、審査席にいたアルフレッド・コルトー(1877-1962)は結果に異議を申し立て審査員を辞職した。その後リパッティはパリでコルトーとイヴォンヌ・ルフェビュール(1898-1986)に師事、シャルル・ミュンシュ(1891-1968)は指揮法を教えた。また作曲をナディア・ブーランジェ(1887-1979)とイーゴル・ストラヴィンスキー(1882-1971)に学んだ。リパッティは1950年12月2日ジュネーヴで悪性リンパ腫のため33歳で没した。このシリーズでショパン:ワルツ集(全14曲)(78CDR-3375)が出ている。

78CDR-3552
クリスチャン・バッハ(アンリ・カザドシュ編曲):チェロ協奏曲ハ短調
ヴィヴァルディ(マレシャル編):チェロ協奏曲ニ長調作品 3-9
ショパン(ポッパー編):ノクターン変ホ長調作品 9-2
リスト(マレシャル編):愛の夢
モーリス・マレシャル(チェロ)
ウジェーヌ・ビゴー指揮ラムルー管弦楽団(協奏曲)
モーリス・フォール(ピアノ)
仏 COLUMBIA LFX774/5、LFX62、LFX319
(録音:1948年1月27日=クリスチャン・バッハ、1929年6月28日=ヴィヴァルディ、1933年5月=ショパン&リスト)
ヨハン・クリスチャン・バッハ(1735-1782)はヨハン・セバスチャン・バッハ(1685-1750)の末弟。若い時代のモーツァルト(1756-1791)に多くの影響を与えた。このチェロ協奏曲は後に編曲者のアンリ・カザドシュ(1879-1947)による贋作であることが判明した。ピアニスト、ロベール・カザドシュ(1899-1972)はアンリ・カザドシュの甥にあたる。モーリス・マレシャル(1892-1964)はフランスの名チェリスト。パリ音楽院に学び1911年に一等賞を得た。1919年にコンセール・ラムルーにソリストとしてデビュー、以来世界中を楽旅し、日本にも来訪した。指揮者のウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)はパリ音楽院出身。パリの名オーケストラの指揮者をつとめて活躍した。

33CDR-3553
ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ集作品1
ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-13
ヴァイオリン・ソナタ第5番イ長調作品1-14
ヴァイオリン・ソナタ第3番ヘ長調作品1-12
ヴァイオリン・ソナタ第6番ホ長調作品1-15
ヴァイオリン・ソナタ第1番イ長調作品1-3
ヴァイオリン・ソナタ第2番ト短調作品1-10
ジュリアン・オレフスキー(ヴァイオリン)
ファルナンド・バレンティ(ハープシコード)
マーティン・オーマンディ(チェロ)
米 WESTMINSTER XWN18872/4
(1958年10月&1959年2月録音)
ヴァイオリンのジュリアン・オレフスキー(1926-1985)はドイツ生まれ。1935年に家族と共にアルゼンチンのブエノスアイレスに移住、ヴァイオリニストとしての研鑽を積んだ。1947年にアメリカに移り、1949年にニューヨークのタウンホールでデビュー、1950年にカーネギーホールで4回のリサイタルを行った。1959年に来日したこともある。演奏家として活躍すると同時にマサチューセッツ大学で後進の指導にあたった。59歳の時に心臓麻痺で他界した。フェルナンド・バレンティは1950年にプラドのカザルスフェスティヴァルに出演したハープシコード奏者。マーティン・オーマンディはブダペスト王立アカデミー出身のチェロ奏者。録音当時ニューヨーク・フィルのメンバーだった。このアルバムはヘンデルの作品1の15曲のソナタ集からヴァイオリンのために書かれた6曲を収録したもの。オレフスキーはこのシリーズでブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調(33CDR-3312)が出ている。