2015年7月新譜 5点 発売中★DSD録音
78CDR-3564
シューベルト:八重奏曲ヘ長調作品166 D.803
ウィーン八重奏団
ヴィリ・ボスコフスキー
フィリップ・マタイス
ギュンター・ブライテンバッハ
ニコラウス・ヒュブナー
ヨハン・クルンプ
アルフレッド・ボスコフスキー
ヨーゼフ・ヴェレバ
ルドルフ・ハンツル
英 DECCA AK2060/65(U.K.)ffrr Recording
(1948年7月ウィーン録音)
ウィーン八重奏団はウィーン・フィルのコンサート・マスターを1936年から1979までつとめたヴィリ・ボスコフスキー(1909-1991)がリーダーだったボスコフスキー弦楽四重奏団にコントラバス、管楽器奏者が加わって結成された。この録音はSPレコード時代のこのグループ第1回のもの。ウィーンの香りが漂う高貴な名演奏がffrr録音によって見事にとらえられている。ウィーン八重奏団は1958年にステレオで同じ曲を再録音している。両者の比較試聴は楽しい。
78CDR-3565
ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
ブルーノ・ワルター指揮
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
米 COLUMBIA 11536/41-D MM-499(Set)
(1941年1月20日ニューヨーク録音)
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。1938年、当時ウィーン・フィルの指揮者をつとめていたワルターはナチス・ドイツのオーストリアのオーストリア併合によるユダヤ人迫害を避けてアメリカに逃れた。この「英雄」はアメリカに渡ったワルターの初めての録音にあたる。1941年(昭和16年)日米開戦の年に日本コロムビアに供給された最後のアメリカ原盤によって日本国内でも発売された。ワルターは同じニューヨーク・フィルとLP初期の1949年に再録音している。さらに1958年にはステレオでコロンビア交響楽団と録音した。これは33CDR-3349で聴ける。
78CDR-3566
エレナ・ゲルハルト-
シューベルト:歌曲集「冬の旅」作品89 D.911(抜粋)
おやすみ
菩提樹
あふれる涙
春の夢
郵便馬車
からす
道しるべ
辻音楽師
エレナ・ゲルハルト(メゾ・ソプラノ)
ケンラート・ファン・ボス(ピアノ)
英 HMV D1262/4, E460
(1927年3月9、11 & 24日イギリス録音)
(HMV盤特有のノイズがあります)
ドイツが生んだ大リート歌手エレナ・ゲルハルト(1883-1961)が電気録音初期の1927年に録音した「冬の旅」からの録音である。ゲルハルトは1902年ライプツィヒ音楽院の学生で、学長に就任したアルトゥール・ニキシュ(1855-1922)が彼女がライプツィヒの公衆の前で歌うことを特別に認めた。1903年音楽院を卒業すると多くの演奏会契約が待っていた。レコード録音は、ニキシュのピアノで1907年からはじまった。以降機械式録音時代、電気録音時代と多数ある。その中の最高傑作がこの「冬の旅」からの8曲。録音時彼女は44歳だった。ゲルハルトは正規録音の他に1939年に6枚組のアルバム「ブラームス、シューベルト、ヴォルフを歌う」(78CDR-3496)を、さらに大戦後の1947-1948年にシューマン「女の愛と生涯」(12インチ盤3枚組)をプライヴェート盤として制作し、自身の知人やファンに配り一般販売はされなかった。
33CDR-3567
モーツァルト:
ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調 K.218
(カデンツァ:ヨアヒム)
ヴァイオリン協奏曲第6番変ホ長調 K.268
ラインホルト・バルヒェット(ヴァイオリン)
ヴィルヘルム・ゼーゲルケン指揮(K.218)
ロルフ・ラインハルト指揮(K.268)
シュトゥットガルト・プロムジカ管弦楽団
英 VOX PL7220(Mono)
(1951年夏シュトゥットガルト録音)
ラインホルト・バルヒェット(1920-1962)はシュトゥットガルト生まれのドイツのヴァイオリニスト。ヴュルツブルク音楽院で学び、1943年リンツ・ブルックナー管弦楽団に入団したが、大戦後は故郷に戻りカール・ミュンヒンガーが主宰するシュトゥットガルト室内管弦楽団コンサート・マスターに就任、1952年までその地位にあった。この録音はその時代のもの。またDECCAにヴィヴァルディの「四季」(モノ・ヴァージョン)を録音していた。1962年にドイツ・バッハ・ゾリステンのメンバーとして来日したが、帰国直後自動車事故によってシュトゥットガルトで急逝した。享年42歳。ロルフ・ラインハルト(1927-2006)はピアニストで指揮者。初期のVOXにヴィヴァルディの協奏曲集などを録音していた。
33CDR-3568
モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番ハ短調 K.491
(カデンツァ:マシューズ)
ジーナ・バッカウアー(ピアノ)
アレック・シャーマン指揮
ロンドン管弦楽団
蘭 HMV GHLP 1001(英 HMV DLP1124と同一録音)
(1955年8月19-20日ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音)
ジーナ・バッカウアー(1913-1976)はギリシャのアテネ生まれ。アテネ音楽院で学ぶかたわらパリのエコール・ノルマル音楽校でアルフレッド・コルトー(1877-1962)にも師事した。さらにラフマニノフ(1873-1943)の最後の弟子のひとりでもあった。1935年にアテネでミトロプーロスの指揮でデビュー、第2次大戦中はエジプトに赴き、外人部隊の兵士に通算600回以上の慰問コンサートを開いた。戦後の1947年ロンドンにデビュー、1950年にはカーネギー・ホールに登場した。同年指揮者のアレック・シャーマン(1907-2008)と結婚した。シャーマンはリトル・オーケストラ・オブ・ロンドンという名称の室内オーケストラを組織し、HMVやCOLUMBIAに録音していた。バッカウアーは米マーキュリーにステレオでベートーヴェンのピアノ協奏曲他を録音していた。強い男性的なタッチは師コルトーの面影を感じさせる。コルトーのモーツァルト録音は残っていないが、バッカウアーの演奏からそれが聴き取れる。 |