2017年1月新譜 5点 発売中★DSD録音
33CDR-3654
ヨーゼフ・レヴィーンSP録音集
ポロネーズ第6番変イ長調作品53「英雄」(ショパン)
エチュードイ短調 作品25-11 「木枯らし」(ショパン)
エチュード変ホ長調 作品10-11(ショパン)
エチュード嬰ト短調 作品25-6(ショパン)
エチュードロ短調 作品25-22(ショパン
前奏曲変イ長調 作品28-17(ショパン)
前奏曲変ロ短調 作品28-16(ショパン)
トッカータハ長調 作品 7(シューマン)
春の夜 作品39-11(シューマン=リスト編)
祭り(ドビュッシー=ラヴェル編)*
美しき青きドナウ(シュトラウス2世、シュルツ=エヴラー編)
ヨーゼフ・レヴィーン (ピアノ)
ロジーナ・レヴィーン (ピアノ) と連弾 *
米 CAMDEN CAL 265 (Mono)
(原盤レコードに起因するノイズがあります)
ヨーゼフ・レヴィーン(1874-1944) はロシア生まれのユダヤ系ピアニスト。1892年モスクワ音楽院ピアノ科を大金メダルを得て卒業。同級生にはアレクサンダー・スクリャービン(1872-1915)
やセルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)がいた。1898年に音楽院の後輩ピアニスト、ロジーナ(1880-1976) と結婚。夫妻は1919年にアメリカに亡命し、ジュリアード音楽院で教鞭をとりながら演奏活動をした。1944年、70歳の誕生日を目前に心臓発作で世を去った。ここに収録した録音はLP時代の初期にCAMDENで発売されたもの。オリジナルのSPレコードは極めて数が少ないためにLPからのトランスファーに依った。ブゾーニ、ホロヴィッツ、ルービンシュタインが一目置いた伝説のピアニストが残した貴重な演奏集である。復刻にはWESTREX
10A カートリッジをモノラル接続で使用した。
33CDR-3655
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216
(カデンツァ:シモン・ゴールドベルグ)
ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調 K.218
(カデンツァ: ヨアヒム)
シモン・ゴールドベルグ (ヴァイオリン)
ワルター・ジュスキント指揮
フィルハーモニア管弦楽団
米 DECCA DL9609 (Mono) (英PARLOPHONE PMA1003と同一録音)
(1951年8月13-15日、ロンドン、アビー・ロード EMI第1スタジオ録音)
シモン・ゴールドベルグ(1909-1993) はポーランド生まれ。ベルリンで名教授カール・フレッシュ(1873-1944)に師事し、1929年フルトヴェングラーに招かれてベルリン・フィルのコンサートマスターに就任したが1934年ナチスが政権をとると退団し、ロンドンに移住した。1936年ハンガリー出身の女流ピアニスト、リリー・クラウスと共に来日したこともある。1942年クラウスと共にアジアに演奏旅行中、インドネシアのジャワ島で日本軍に捕らえられ1945年まで抑留生活を強いられた。大戦後はオランダとアメリカで活躍、晩年日本人ピアニスト山根美代子さんと結婚、富山県の立山のホテルで暮らしていた。指揮者のワルター・ジュスキント(1913-1980
はチェコのプラハ生まれ、ベルリンで名指揮者ジョージ・セル(1897-1970)に薫陶を得てアシスタントを務め、後にイギリス国籍を得た。復刻にはWESTREX
10A カートリッジをモノラル接続で使用した。
78CDR-3656
ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
バラー:「4つの小品のための組曲」よりアンダンテ
アドルフ・バラー(ピアノ)
日本ビクター SD3029/32
(1951年10月東京・築地日本ビクター・スタジオ録音)
アドルフ・バラー(1909-1994) はポーランドのガリシア(現ウクライナ)生まれ。8歳のときウィーンに行きフランツ・リストの弟子の一人に師事し、13歳でウィーン・フィルと共演した。1938年ナチスの迫害を受けアメリカに逃れ、1941年名ヴァイオリニストのユーディ・メニューイン(1916-1999)に出会い伴奏者を務めた。この録音はメニューインが1951年、戦後初の親善使節として来日した際、東京・築地の日本ビクター・スタジオでの録音。おそらく最初期の磁気テープ録音によるSPレコードであろう。
78CDR-3657
ベートーヴェン:
弦楽四重奏曲第9番ハ長調作品59-3「ラズモフスキー第3番」
ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ゲスタ・アンドレアソン(第2ヴァイオリン)
カール・ドクトル(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)
英 HMV DB2109/12
(1933年11月10日&16日ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音)
ブッシュ弦楽四重奏団は1919年にアドルフ・ブッシュ(1891-1952)によって組織され、1930年代に英HMVに多くの録音をしていた。ブッシュはピアニストのルド
ルフ・ゼルキン(1903-1991)とのデュオでも活躍した。ブッシュは1939年に実弟でチェリストのヘルマン・ブッシュと共にアメリカに移住、その後四重奏団の二人のメンバーもアメリカに渡り、1941年からアメリカCOLUMBIAで録音を再開した。このシリーズでベートーヴェン:弦楽四重奏曲第1番(78CDR-3638)
、第7番「ラズモフスキー第1番」(78CDR-3287)、第12番(78CDR-3482) 、第14番(78CDR-3633) 、第15番(78CDR-3362)
、第16番(78CDR-3195) が出ている。
78CDR-3658
J.S.バッハ:
パルティータ第1番変ロ長調 BWV.825
半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV.903
6つの小前奏曲 BWV.933/938
イタリア協奏曲ヘ長調 BWV.971
3つの小前奏曲 BWV.924/6 &「フゲッタ」BWV.961
ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)
DISQUE GRAMOPHONE DB4995/6 (France)
HMV DB4993/4 (U.K.)
VICTOR 14233/4 (U.S.)
(1935年〜36年パリ録音)
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959) はポーランドのワルシャワ生まれ。20世紀最高のハープシコード奏者。またピアニスト、音楽学者、教授で1900年から13年間パリのスコラ・カントルムで教鞭をとった。二列の鍵盤と七個のペダルを有する自分のハープシコードをパリのプレイエル社に作らせて生涯この楽器を使用した。1940年フランス国籍を得たが、1941年ドイツ軍のフランス侵攻によりアメリカに逃れ、晩年はコネティカット州のレイクヴィルに居住し、75歳の時ニューヨークで演奏会を開いたという記録がある。ランドフスカの録音はこのシリーズで多数出ている。 |