★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-3649〜3658

2017年1月新譜 5点 発売中★DSD録音

33CDR-3654
ヨーゼフ・レヴィーンSP録音集
ポロネーズ第6番変イ長調作品53「英雄」(ショパン)
エチュードイ短調 作品25-11 「木枯らし」(ショパン)
エチュード変ホ長調 作品10-11(ショパン)
エチュード嬰ト短調 作品25-6(ショパン)
エチュードロ短調 作品25-22(ショパン
前奏曲変イ長調 作品28-17(ショパン)
前奏曲変ロ短調 作品28-16(ショパン)
トッカータハ長調 作品 7(シューマン)
春の夜 作品39-11(シューマン=リスト編)
祭り(ドビュッシー=ラヴェル編)*
美しき青きドナウ(シュトラウス2世、シュルツ=エヴラー編)
ヨーゼフ・レヴィーン (ピアノ)
ロジーナ・レヴィーン (ピアノ) と連弾 *
米 CAMDEN CAL 265 (Mono)
(原盤レコードに起因するノイズがあります)
ヨーゼフ・レヴィーン(1874-1944) はロシア生まれのユダヤ系ピアニスト。1892年モスクワ音楽院ピアノ科を大金メダルを得て卒業。同級生にはアレクサンダー・スクリャービン(1872-1915) やセルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)がいた。1898年に音楽院の後輩ピアニスト、ロジーナ(1880-1976) と結婚。夫妻は1919年にアメリカに亡命し、ジュリアード音楽院で教鞭をとりながら演奏活動をした。1944年、70歳の誕生日を目前に心臓発作で世を去った。ここに収録した録音はLP時代の初期にCAMDENで発売されたもの。オリジナルのSPレコードは極めて数が少ないためにLPからのトランスファーに依った。ブゾーニ、ホロヴィッツ、ルービンシュタインが一目置いた伝説のピアニストが残した貴重な演奏集である。復刻にはWESTREX 10A カートリッジをモノラル接続で使用した。

33CDR-3655
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216
(カデンツァ:シモン・ゴールドベルグ)
ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調 K.218
(カデンツァ: ヨアヒム)
シモン・ゴールドベルグ (ヴァイオリン)
ワルター・ジュスキント指揮
フィルハーモニア管弦楽団
米 DECCA DL9609 (Mono) (英PARLOPHONE PMA1003と同一録音)
(1951年8月13-15日、ロンドン、アビー・ロード EMI第1スタジオ録音)
シモン・ゴールドベルグ(1909-1993) はポーランド生まれ。ベルリンで名教授カール・フレッシュ(1873-1944)に師事し、1929年フルトヴェングラーに招かれてベルリン・フィルのコンサートマスターに就任したが1934年ナチスが政権をとると退団し、ロンドンに移住した。1936年ハンガリー出身の女流ピアニスト、リリー・クラウスと共に来日したこともある。1942年クラウスと共にアジアに演奏旅行中、インドネシアのジャワ島で日本軍に捕らえられ1945年まで抑留生活を強いられた。大戦後はオランダとアメリカで活躍、晩年日本人ピアニスト山根美代子さんと結婚、富山県の立山のホテルで暮らしていた。指揮者のワルター・ジュスキント(1913-1980 はチェコのプラハ生まれ、ベルリンで名指揮者ジョージ・セル(1897-1970)に薫陶を得てアシスタントを務め、後にイギリス国籍を得た。復刻にはWESTREX 10A カートリッジをモノラル接続で使用した。

78CDR-3656
ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
バラー:「4つの小品のための組曲」よりアンダンテ
アドルフ・バラー(ピアノ)
日本ビクター SD3029/32
(1951年10月東京・築地日本ビクター・スタジオ録音)
アドルフ・バラー(1909-1994) はポーランドのガリシア(現ウクライナ)生まれ。8歳のときウィーンに行きフランツ・リストの弟子の一人に師事し、13歳でウィーン・フィルと共演した。1938年ナチスの迫害を受けアメリカに逃れ、1941年名ヴァイオリニストのユーディ・メニューイン(1916-1999)に出会い伴奏者を務めた。この録音はメニューインが1951年、戦後初の親善使節として来日した際、東京・築地の日本ビクター・スタジオでの録音。おそらく最初期の磁気テープ録音によるSPレコードであろう。

78CDR-3657
ベートーヴェン:
弦楽四重奏曲第9番ハ長調作品59-3「ラズモフスキー第3番」
ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ゲスタ・アンドレアソン(第2ヴァイオリン)
カール・ドクトル(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)
英 HMV DB2109/12
(1933年11月10日&16日ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音)
ブッシュ弦楽四重奏団は1919年にアドルフ・ブッシュ(1891-1952)によって組織され、1930年代に英HMVに多くの録音をしていた。ブッシュはピアニストのルド
ルフ・ゼルキン(1903-1991)とのデュオでも活躍した。ブッシュは1939年に実弟でチェリストのヘルマン・ブッシュと共にアメリカに移住、その後四重奏団の二人のメンバーもアメリカに渡り、1941年からアメリカCOLUMBIAで録音を再開した。このシリーズでベートーヴェン:弦楽四重奏曲第1番(78CDR-3638) 、第7番「ラズモフスキー第1番」(78CDR-3287)、第12番(78CDR-3482) 、第14番(78CDR-3633) 、第15番(78CDR-3362) 、第16番(78CDR-3195) が出ている。

78CDR-3658
J.S.バッハ:
パルティータ第1番変ロ長調 BWV.825
半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV.903
6つの小前奏曲 BWV.933/938
イタリア協奏曲ヘ長調 BWV.971
3つの小前奏曲 BWV.924/6 &「フゲッタ」BWV.961
ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)
DISQUE GRAMOPHONE DB4995/6 (France)
HMV DB4993/4 (U.K.)
VICTOR 14233/4 (U.S.)
(1935年〜36年パリ録音)
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959) はポーランドのワルシャワ生まれ。20世紀最高のハープシコード奏者。またピアニスト、音楽学者、教授で1900年から13年間パリのスコラ・カントルムで教鞭をとった。二列の鍵盤と七個のペダルを有する自分のハープシコードをパリのプレイエル社に作らせて生涯この楽器を使用した。1940年フランス国籍を得たが、1941年ドイツ軍のフランス侵攻によりアメリカに逃れ、晩年はコネティカット州のレイクヴィルに居住し、75歳の時ニューヨークで演奏会を開いたという記録がある。ランドフスカの録音はこのシリーズで多数出ている。
2016年12月新譜 5点 発売中★DSD録音

33CDR-3649
ショパン:ピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11
ロジーナ・レヴィーン(ピアノ)
ジョン・バーネット指揮
ナショナル・オーケストラ・アソシエーション同窓会のメンバー達
英 WING WL1064(Mono)(米MERCURY 録音)
(1961年11月20&22日ニューヨーク、マンハッタン・センター録音)
(使用原盤に起因するノイズがあります)
ジュリアード音楽院のピアノ科の名教師ロジーナ・レヴィーン(1880-1976)の81歳の録音。キエフの宝石商の娘として生まれた彼女はモスクワ音楽院に学び1898年に大金メダルを得て卒業。その後まもなく5歳年長のピアニスト、ヨーゼフ・レヴィーン(1874-1944)と結婚した。夫妻は1919年にアメリカに亡命した。1944年に夫のヨーゼフが死去すると、ジュリアードの経営陣は満場一致で夫人のロジーナを夫の後任教授に推薦し、その後32年に渡って数々の俊英を育成した。中でも1958年に冷戦時代のソ連で開催されたチャイコフスキー・コンクールにアメリカ人として初めて優勝したヴァン・クライバーン(1934-2013)や日本人ピアニストの中村紘子(1944-2016)、作曲家のジョン・ウィリアムズ(1932-)、指揮者のジェイムズ・レヴァイン(1942-)等は門下生だった。指揮者のジョン・バーネットは1917年ニューヨーク生まれ。1937-41年にナショナル・オーケストラ・アソシエーションの指揮者を務めたことがある。81歳になったロジーナ・レヴィーンをソリストに指揮者も含めて元ナショナル・オーケストラ・アソシエーションのメンバーだった人達が集まっての記念録音。格調高く威厳のあるピアノが素晴らしい。

33CDR-3650
シベリウス:交響曲第2番ニ長調作品43
トール・マン指揮
ストックホルム・コンサート協会管弦楽団
米 CAPITOL P8107(Mono)(独TELEFUNKEN SK3322/6 の復刻)
(1942年10月17日録音)
(使用原盤に起因するノイズが多くあります)
スウェーデンの指揮者トール・マン(1894-1974)が残した数少ない名演奏の一つ。マンはエーテボリ交響楽団の首席指揮者を1925年から39年まで務め、その後スウェーデン放送交響楽団の首席指揮者を1959年まで務めた。この録音は第2次世界大戦中にドイツのテレフンケン社に録音されたもの。戦後LP時代になってテレフンケンと契約があった米CAPITOLから歴史的名演奏として復刻された。交響曲愛好家には必聴の演奏。

78CDR-3651
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調作品26
イダ・ヘンデル(ヴァイオリン)
ラファエル・クーベリック指揮
フィルハーモニア管弦楽団
英 HMV C3802/4
(1948年4月4&12日ロンドン、アビー・ロード EMI第1スタジオ録音)
今年92歳の現役ヴァイオリニスト、イダ・ヘンデル(1924年生まれ)は1935年ワルシャワで開催されたヴィエニアフスキ国際ヴァイオリン・コンクールでジネット・ヌヴー(18歳)、ダヴィド・オイストラフ(27歳)についで第3位に入賞、そのとき11歳だった。ヘンデル一家は1939年に祖国ポーランドからイギリスに移住1940年に市民権を得た。その年に英DECCA と契約し契約期間中に約50枚の録音を残した。これはDECCAとの契約を終了してEMIに移籍後の録音。ラファエル・クーベリック(1914-1996)は世界的ヴァイオリニスト、ヤン・クーベリック(1880-1940)の長男として生まれたチェコ出身の指揮者。1937年にチェコ・フィルを指揮してスメタナ「わが祖国」抜粋(HMV C1979/81)でEMIにデビューした。

78CDR-3652
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第34番変ロ長調K.378 より第2楽章
ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
ジョルジュ・エネスコ指揮
コロンヌ管弦楽団
ヤルタ・メニューイン(ピアノ)(モーツァルト)
英 HMV DB8586/10
(録音:1938年5月2日パリ=メンデルスゾーン&1938年ロンドン=モーツァルト)
ユーディ・メニューイン(1916-1999)はニューヨーク生まれ。サンフランシスコに移り3歳からヴァイオリンを始めた。ジグムンド・アンカー、ルイ・パーシンガー(1872-1966)に師事し、1926年10歳の時アルフレッド・ヘルツ(1872-1942)指揮のサンフランシスコ交響楽団とラロのスペイン交響曲でデビューした。その後パリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)、ベルリンでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)に手ほどきを受けた。1928年12歳の時初レコード録音を行った。指揮のジョルジュ・エネスコはルーマニア出身。ヴァイオリニスト、ピアニスト、作曲家、指揮者、教育者として活躍した全能音楽家。この録音では弟子のメニューインを全面的にサポートしている。ピアニストのヤルタ・メニューイン(1922-)はユーディの義妹。パリ音楽院でマルセル・シャンピ(1891-1980)に、ジュリアード音楽院ではカール・フリードバーグに師事した。

78CDR-3653
シューベルト:アルペジョーネ・ソナタイ短調 D.821
ルートヴィヒ・ヘルシャー(チェロ)
エリー・ナイ(ピアノ)
日VICTOR JH22/3 (独ELECTROLA EH920/1 と同一録音)
(1935年5月2日録音)
アルペジョーネは1823年にウィーンのシュタウファーが開発した6弦のフレットをもった弦楽器。この曲は今日ではチェロで弾かれる。ルートヴィヒ・ヘルシャー(1907-1996)はドイツのチェリスト。 6歳でチェロを始め、ライプツィヒでユリウス・クレンゲル(1859-1933)、ベルリンでフーゴ・ベッカーに師事し1930年にメンデルスゾーン賞を受賞し、1936年フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの演奏会でソリストとしてデビュー。その後ピアノのエリー・ナイ(1882-1968)とヴァイオリンのマックス・シュトループ(1900-1966)とピアノ三重奏団を組んだ。エリー・ナイはウィーンでレシェティツキやエミール・フォン・ザウアーの薫陶得て、第2次世界大戦中もドイツで活躍した。