★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-3785〜3820

2020年1月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3785
ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14
ゼルマー・マイロヴィッツ指揮
パリ交響楽団
英 COLUMBIA LX-372/7(仏PATHE PDT-10/15 と同一録音)
1934年3月14、16&21日 パリ録音
ゼルマー・マイロヴィッツ(1875-1941)はライプツィヒ音楽院でカール・ライネッケ(1824-1910)とザーロモン・ヤダスゾーン(1831-1902)に学び、その後ベルリンでマックス・ブルッフ(1838-1920)に3年間師事した。その間に指揮者のフェリックス・モットル(1856-1911)に認められ1897年カールスルーエ歌劇場でアシスタントとして抜擢され、1900年にニューヨークのメトロポリタン歌劇場に同行した。アメリカ滞在中にソプラノのヨハンナ・ガドスキ(1872-1932)の伴奏指揮者をつとめた。1905年にヨーロッパに戻りプラハ国立歌劇場から始まりいくもの著名なオペラ劇場で指揮棒をとった。やがてベルリンに定住しベルリン・フィルやブリュットナー歌劇場で指揮者をつとめた(1918-1923)。1933年にナチスの台頭でパリに逃れ、余生をその地で送った。1937年クルト・ヴァイルの「三文オペラ」のフランス初演の指揮をした。またラッパ吹き込み時代からレコード録音を多数手掛けた。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3786
モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番ト長調 K.453
エトヴィン・フィッシャー(ピアノと指揮)
フィッシャー室内管弦楽団
英 HMV DB 3362/64
1937年5月7日、ベルリン録音
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイス生まれ。主にドイツで活躍したピアニスト、指揮者で教育者でもあった。ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。1933年にEMIのアーティストとなり、J.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」全曲(78CDR-1142/6)の世界初録音を行った。フィッシャーは協奏曲の録音で独奏と同時に指揮をする「弾き振り」の演奏法を現代に復活させた。このシリーズでモーツァルト:ピアノ協奏曲第20番K.466やハイドン:ピアノ協奏曲ニ長調作品21(78CDR-3129)が「弾き振り」で聴ける。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3787
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第8番イ短調 K.310
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
豪 HMV ED 274/6 (英 HMV DB 3778/80と同一録音)
1939年1月27日、ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音
アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はポーランドのリプニク(旧オーストリア領)に生まれた。1889年7歳でウィーン音楽院に入り、1891年から1897年に名教授テオドール・レシェティツキ(1830-1915)に師事した。1901年にベルリンにデビュー、1933年までこの地を本拠にした。その間演奏活動の傍らベルリン高等音楽院で教えた。その後1932年から34年にはロンドンに居を構え、世界初のベートーヴェンピアノ・ソナタ全集やピアノ協奏曲全集をHMVに録音した。その後ナチスの台頭でスイスに移り、1939年にアメリカに渡った。戦後はスイスに戻って演奏会や録音に活躍した。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。
2020年2月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3788
シューマン:交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」
ピエロ・コッポラ指揮
パリ音楽院管弦楽団
仏 DISQUES GRAMOPHONE DB4936/6
1933年11月7-8日パリ録音
ピエロ・コッポラ(1888-1971)はミラノ生まれ。生地の音楽院でピアノと作曲を学んだ後、スカラ座で指揮者としてデビューした。1921年から翌年までブリュッセルのモネ劇場の指揮者を務め、1914年にはロンドン、1915年から19年までスカンジナヴィアを転々とした後パリのDISQUES GRAMOPHONE社専属指揮者になり活躍した。1930年にはサン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」の世界初録音を行った(78CDR-3110)。さらにこの「ライン」もこの曲の世界初録音であった。
復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3789
シューベルト:幻想曲ハ長調 作品15 D.760「さすらい人幻想曲」
エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)
英 HMV DB2276/8
1934年5月22日ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイス生まれ。主にドイツで活躍したピアニスト、指揮者で教育者でもあった。ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。1933年にEMI のアーティストとなり、J.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」全曲(78CDR-1142/6)の世界初録音を行った。1942年にスイスに戻った。フィッシャーはこのシリーズで多数出ている。
復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3790
ブラームス:ピアノ四重奏曲第2番イ長調 作品26
ルドルフ・ゼルキン( ピアノ)
ブッシュ弦楽四重奏団のメンバー:
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
カール・ドクトル(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)
英 HMV DB1849/52
1932年9月21日、ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音
ブッシュ弦楽四重奏団は1913年リーダーのアドルフ・ブッシュ(1891-1952)によってドイツで結成され1939年からアメリカで活動したが1952年にブッシュの死によって消滅した。ピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)は1922年からアドルフ・ブッシュとデュオを組んで活躍し、1935年にブッシュの娘イレーネと結婚した。ゼルキンはナチスのユダヤ人迫害を避けアメリカに移住した。このシリーズで1942年のアメリカ録音、シューマンピアノ五重奏曲(78CDR-3305)が出ている。
復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。
2020年3月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3791
ヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第4番ニ短調作品31
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
ジョン・バルビローリ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
米 VICTOR 9813/5(英 HMV DB2444/6 と同一録音)
1935年3月ロンドン録音
ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1939)に師事し10歳でデビューした。1917年16歳の時にロシア革命を逃れ一家はシベリア経由でアメリカに移住した。その途中日本に立ち寄ったと伝えられる。移住後少年ハイフェッツは一流演奏家として待遇された。その後青年期、壮年期から引退するまで世界最高のヴァイオリン奏者として崇められた。指揮者のジョン・バルビローリ(1899-1970)はイギリス生まれ、1936年から43年にニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者をつとめた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3792 ※機械式録音(電気式録音以前)の復刻音源
シューマン:女の愛と生涯
ユリア・クルプ(メゾソプラノ)
オットー・バーケ(ピアノ)
ニッチク S-9007/10(独 ODEON xB4983/90と同一録音)
1910年7月1日録音
この曲集の世界初録音。ユリア・クルプ(1880-1970)はオランダのフローニンヘン生まれ。1896年アムステルダム音楽院に入りコルネリ・ファン・ツァンデンに師事した。クルプはリートを専門にした最初の歌手とされている。この原盤SPは第2次世界大戦中に日本蓄音機商会(日本コロムビア)から発売された。この大歌手の初録音でもある。原盤は海軍の伊号潜水艦でドイツから運ばれて来たと伝えられる。SP盤には75ページの豪華解説書(野村あらえびす、中村善吉、青木謙幸他)がついていた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3793
ショーソン:交響曲変ロ長調作品20
ピエロ・コッポラ指揮
パリ音楽院管弦楽団
仏 DISQUE GRAMOPHONE DB4953/6
1934年12月3&5日パリ録音
この曲の世界初録音。ピエロ・コッポラ(1888-1971)はミラノ生まれ。生地の音楽院でピアノと作曲を学んだ後スカラ座で指揮者としてデビューした。1912年から翌年までブリュッセルのモネ劇場の指揮者をつとめ、1914年にはロンドン、1915年から19年までスカンジナヴィアを転々とした後、パリのDISQUEGRAMOPHONE専属指揮者として活躍した。1930年にはサン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」の世界初録音を行った(78CDR-3109)。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。
2020年4月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3794
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番ハ長調 作品26
セルゲイ・プロコフィエフ (ピアノ)
ピエロ・コッポラ指揮
ロンドン交響楽団
英 HMV DB1725/7
1932年6月28日ロンドン、アビー・ロード EMI第1スタジオ録音
プロコフィエフは1891年、帝政ロシア時代のウクライナに生まれ、13歳でサンクトペテルブク音楽院に入り作曲・ピアノを学んだ。1918年ロシア革命を機にシベリア鉄道に乗り日本経由でアメリカに行き、その後西ヨーロッパで活躍し1933年に祖国に復帰した。この録音は西欧滞在時代の最後の頃にロンドンで行われた。作曲者自身のピアノが聴ける貴重な録音。この曲の第3楽章に作曲者が日本で聴いた「越後獅子」の旋律が出てくるのは興味深い。指揮者のピエロ・コッポラ(1888-1971)はミラノ生まれ。HMV系列の仏GRAMOPHONE社の専属指揮者をつとめ、多くの世界初録音の指揮をした。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。
なお原盤番号の末尾の卍印は新たにEMI 社の技術者ブルムレインが開発したMC型カッターを使用した記号。後に□になる。

78CDR-3795
シューベルト:
ピアノ・ソナタ第14番イ短調作品143 D.784
レントラー作品18 D.145
リリー・クラウス (ピアノ)
PARLOPHONE 20388/90 (U.K.)
1937年11月23日録音
リリー・クラウス(1905-1986)はハンガリー生まれの女流ピアニスト。17歳でブダペスト音楽院に入り、ベラ・バルトーク(1881-1945)、ゾルタン・コダーイ(1882-1967)らに師事した。1922年ウィーンに赴きウィーン音楽アカデミーでアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)やエドゥアルト・シュトイアーマン(1892-1964)についてさらに研鑽を積んだ。1930年代からモーツァルトやベートーヴェンの演奏家として名声をあげ、ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルク(1909-1993)と共演して各国で評判をとった。戦後はイギリス国籍を取得し、その後アメリカで活躍した。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3796
ハイドン:交響曲第94番ト長調「驚愕」
ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
日 POLYDOR 40435/7 (独POLYDOR 66914/6 と同一録音)
1929年ベルリン、シューマン・ザール録音
(原録音に電気系ノイズが全体に入っています)
ヤッシャ・ホーレンシュタイン(1898-1973) はキエフ生まれ。13歳の時家族と共にウィーンに移り、同地で指揮者・作曲家のフランツ・シュレーカー(1878-1934)に師事した。その後ベルリンに移りヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)の助手になった。これはこの指揮者の最初期の録音。1940年にナチスの迫害を避けてアメリカに移住し国籍を得た。LPの初期に多くの録音を米VOXに残している。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。
2020年5月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3797
ハイドン:交響曲第96番ニ長調「奇跡」
ブルーノ・ワルター指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
米 RCA VICTOR 13856/8(英HMV DB3282/4と同一録音)
(1937年5月5日ウィーン、ムジークフェライン録音)
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1894年ハンブルク歌劇場の指揮者だった時、音楽監督のグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い親交を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任、またウィーン・フィルやベルリン・フィルも指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると、迫害を避けてアメリカに逃れた。この録音はウィーン・ムジークフェラインの美しい残響をを伴ったオーケストラの音色が楽しめる。ワルターとウィーン・フィルの演奏はこのシリーズでハイドン:「軍隊」(78CDR-3554)、モーツァルト:「ジュピター」(78CDR-3611)、ベートーヴェン:「田園」(78CDR-3371)、ブラームス:交響曲第3番(78CDR-3733)が出ている。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3798
ドップラー:ハンガリー田園幻想曲 作品26
マルセル・モイーズ(フルート)
ルイ・モイーズ(ピアノ)
日 COLUMBIA J2575/6 (英COLUMBIA DB1630/31と同一録音)
1934年 5月24日ロンドン録音
マルセル・モイーズ(1889-1984)はフランスのフルート奏者。14歳でパリ音楽院に入りポール・タファネルのクラスで学び3年後に一等賞を得てデビュー・リイタルを開いた。その後も師のタファネルとフィリップ・ゴーベール(1879-1941)に師事して研鑽を積んだ。1932年から1940年までパリ音楽院教授、1946年から48年までジュネーヴ音楽院での教授をつとめた。戦後、日本でも教育を行った。ピアノのルイ・モイーズ(1912-2007)はマルセルの息子でパリ音楽院で父にフルートを師事した。ピアニスト、作曲家でもある。ドップラー(1821-1883)はフルート曲で有名なハンガリーの作曲家。18歳でブダペスト歌劇場の首席フルート奏者になり、後にウィーン音楽院の教授もつとめた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3799 ※機械式録音盤 (電気式録音以前) の復刻音源
エレナ・ゲルハルトAEORIAN VOCALION全録音集
死とおとめ(シューベルト
待ちながら(グリーグ)
くるみの木−ミルテの花(シューマン)
セレナード(R.シュトラウス)
魔王(シューベルト)
野の寂しさ(ブラームス)
音楽に寄す(シューベルト)
サフォー頌歌(ブラームス)
あすの朝(R.シュトラウス)
ミューズの子(シューベルト)
甲斐なきセレナード(ブラームス)
チェチーリエ(R.シュトラウス)
エレナ・ゲルハルト(メゾソプラノ)
アイヴァー・ニュートン(ピアノ)
ハロルド・クラックストン(ピアノ)
1923年 3月23日ロンドン録音 Recorded 23 March 1923, London
1924年 5月29日ロンドン録音 Recorded 29 May 1924, London
大リート歌手エレナ・ゲルハルト(1883-1961) が英国エオリアン・ヴォカリオンに録音した全曲を集めた。録音時は電気録音が始まる直前の時期。ゲルハルトは1902年ライプツィヒ音楽院の学生の時、学長に就任したアルトゥール・ニキシュ(1855-1922)が彼女がライプツィヒの公衆の前で歌うことを特別に認めた。1903年音楽院を卒業すると多くの演奏会契約が待っていた。レコード録音はニキシュのピアノで1907年から始まった。ゲルハルトはこのシリーズで、ブラームス、シューベルト、ヴォルフを歌う(78CDR-3496)、シューベルト「冬の旅」(抜粋)(78CDR-3566) 、シューマン「女の愛と生涯」(78CDR-3631)、シューベルト:リサイタル(78CDR-3642)が出ている。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。
尚、「音楽に寄す」〜「チェチーリエ」に入っている雑音は録音に使用された電気モーターの回転音と思われる。
2020年6月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3800
マーラー:交響曲第4番ト長調
ブルーノ・ワルター指揮
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
デジ・ハルバン(ソプラノ)(第4楽章)
英 COLUMBIA LX949/54(米COLUMBIA 11213/8D と同一録音)
1945年5月10日ニューヨーク録音
ソプラノのデジレ・ハルバン(1912-1996)はウィーン生まれ。母親はラッパ吹き込みのSPレコードに150枚を越える録音を残した名ソプラノ、ゼルマ・クルツ(1874-1933)。父親はウィーン大学医学部教授のヨゼフ・ハルバン。ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1894年ハンブルク歌劇場の指揮者だった時、音楽監督だったグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い親交を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任、またウィーン・フィルやベルリン・フィルも指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると、迫害を避けてアメリカに逃れた。この録音は日米戦争終戦の直前の5月に行われた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3801
シューベルト:交響曲第7番ロ短調(旧第8番)D.759 「未完成」
ヨハネス・シューラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
独 IMPERIAL 014042/4
1941年6月12日ベルリン録音
ヨハネス・シューラー(1894-1966)はドイツの指揮者。ノイマルク地方のヴェッズ(現在ポーランドのウィトニカ)の生まれ。ベルリン高等音楽院卒業後、グライヴェッツ、ケーニヒスベルク、ハノーファー市立歌劇場で修行を重ね、1932年オルテンブルク歌劇場の音楽監督になった。さらに1933年からエッセン歌劇場の指揮者となり、1936年から1949年までベルリン国立歌劇場の指揮者をつとめた。その後ハノーファー市立歌劇場の音楽監督になった。レコード録音が少ないので今日殆ど知られていないが、第2次世界大戦中の放送録音の復刻CDに名前を見ることができる。
IMPERIALレコードはドイツとデンマークで販売されていたマイナー・レーベル。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3802
メンデルスゾーン:
交響曲第4番イ長調 作品90「イタリア」
真夏の夜の夢から結婚行進曲
エットーレ・パニッツァ指揮
ミラノ・スカラ座管弦楽団
カナダ VICTOR 36279/82(伊 LA VOCE DEL PADRONE AW265/68 と同一録音)
(1930年12月&1931年1月録音)
エットーレ・パニッツァ(1875-1967)はアリゼンチン生まれのイタリアの指揮者、作曲家。イタリア系移民の両親のもとブエノス・アイレスに生まれた。父親がテアトロ・コロンのチェリストで、幼少から音楽教育を受けて育った。その後、両親の祖国イタリアに渡り、ミラノのジュゼッペ・ヴェルディ音楽院でピアノ、作曲、指揮法を学んだ。卒業後1897年にローマ歌劇場で指揮者デビュー。イタリア各地の歌劇場で活動後、1907年にはロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスにデビューし、1914年までイタリア・オペラの指揮をした。さらにニューヨークのメトロポリタン歌劇場でも名声を確立した。1908年にはミラノ・スカラ座でデビュー。トゥリオ・セラフィン(1878-1968)やアルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)と並ぶ名声をはくした。1930年代にメトロポリタン歌劇場でのライヴ録音が数多く残されている。パニッツァの交響曲録音は大変少ないのが不思議だ。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。
2020年7月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3803
モーツァルト:
セレナード第10番変ロ長調 K.361(370a)「グラン・パルティータ」
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の管楽器ソリスト達
英 HMV DB6707/11
1947年11月10、19、26日&12月3日
ウィーン、ムジークフェライン、ブラームスザール録音
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)はドイツの大指揮者。これはフルトヴェングラー指揮のベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」(HMV DB6741/7、復刻78CDR-3369)と同時期に録音された。それは原盤番号が「英雄」と入り組んでいるからだ。録音場所のブラームスザールはムジークフェラインの中にある室内楽用の小ホール。「英雄」の録音中に13人の管楽器奏者をここに移動させて録音したものと推測する。78CDR-3369「英雄」のカードに記載の原盤番号と比較参照されたい。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3804
ベートーヴェン:
ピアノ三重奏曲第5番ニ長調作品70-1「幽霊」
ピアノ三重奏曲第3番ハ短調作品1-3よりメヌエット
エリー・ナイ三重奏団
エリー・ナイ(ピアノ)
マックス・シュトループ(ヴァイオリン)
ルートヴィヒ・ヘルシャー(チェロ)
英 HMV DB4587/90
(1938年ベルリン録音)
エリー・ナイ(1882-1968)、マックス・シュトループ(1900-1966)、ルートヴィヒ・ヘルシャー(1907-1996)はナチス・ドイツの時代に活躍した非ユダヤ系の奏者による三重奏団。三重奏団は1936年頃結成された。このシリーズでエリー・ナイとルートヴィヒ・ヘルシャーによるシューベルト:アルペジョーネ・ソナタ(78CDR-3653)とマックス・シュトループのベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(カール・ベーム指揮)(78CDR-3125)が出ている。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3805
ルイ・ド・ケ=デルヴロワ(ド・ベロン編曲):
チェロとピアノための組曲
C.P.E.バッハ:
チェロ協奏曲第3番イ長調 Wq.172 より Largo mesto
モーリス・マレシャル(チェロ)
ジャン・ドワイアン(ピアノ)
仏 COLUMBIA D15221/2
1929年頃録音
ルイ・ド・ケ=デルヴロワは18世紀フランスのヴィオラ・ダ・ガンバ奏者。オルレアン公の宮廷音楽家として活躍した。チェロのモーリス・マレシャル(1892-1964)はフランスの名チェリスト。1911年にパリ音楽院を一等賞で卒業し、第1次世界大戦(1914-1918)に従軍。戦後の1919年にコンセール・ラムルーでソリストとしてデビューした。以来世界中を楽旅し日本にも来訪した。日本コロムビアでの録音もある。ピアノのジャン・ドワイアン(1907-1982)はパリ音楽院でマルグリット・ロン(1874-1966)に師事し、1922年に一等賞を得て卒業した。1941年に師のロンの後任としてパリ音楽院教授をつとめ1977年に退任した。レコード録音も多い。妹のジネット・ドワイヤン(1921-2002)もピアニストで夫君のジャン・フルニエ(1911-2003)はヴァイオリン奏者で名チェリストのピエール・フルニエ(1906-1986)の実弟。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。
2020年8月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3806 ※機械式録音盤(電気式録音以前)の復刻音源
20世紀初頭に活躍した名歌手による
「フォスター:故郷の人々(スワニー川)」

この曲は1851年に楽譜が出版された。旅芸人一座のクリスティ・ミンストレルズが演奏するために書かれたもので、作曲者のフォスターは15ドルの著作権料を受け取って売り渡したと伝えられる。だが楽譜は大ヒットし、多くの著名歌手が歌い録音を残した。その一部をここに集めた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグノNu 1 DSD録音機を使用した。

(1)ネリー・メルバ、ランドン・ロナルド(ピアノ)
英 HMV DA337(1905年9月4日録音)
ネリー・メルバ(1861-1931)はオーストラリア生まれ。ヨーロッパに渡り成功を収め、その後ニューヨークのメトロポリタン歌劇場でも大成功を収めた。録音された1905年は明治38年で日露戦争の年だった。
(2)エマ・カルヴェ
米 VICTOR 88089(1907年4月22日録音)
エマ・カルヴェ(1858-1942)はフランス生まれのソプラノ歌手。1893年からニューヨークのメトロポリタン歌劇場に出ていた。
(3)アリス・ニールセン
米 COLUMBIA D17705(1910年11月22日録音)
アリス・ニールセン(1872-1943)はブロードウェイ・ミュージカルの大スター。自らのオペラ団を持っていた。
(4)アルマ・グルック、エフレム・ジンバリスト(ヴァイオリン)
米 VICTOR 87514(1914年11月15日録音)
アルマ・グルック(1884-1938)はルーマニア出身のソプラノ。ドイツで活躍した後アメリカに移住、成功をとげた。名ヴァイオリニストのエフレム・ジンバリストと結婚した。息子に俳優のエフレム・ジンバリスト・ジュニア、孫に女優のステファニー・ジンバリストがいる。これは夫君ジンバリストのヴァイオリン助奏付き(ドヴォルザークのユモレスク)。
(5)エルネスティーネ・シューマン=ハインク
米 VICTOR 6277(1918年7月29日キャムデン録音)
エルネスティーネ・シューマン=ハインク(1861-1936)はプラハ近郊の小都市リーベンの生まれ。1877年グラーツでデビュー。その後ドイツ、英国、ニューヨークの歌劇場で大活躍。1921年(大正10年)に来日し、帝国劇場でリサイタルを開いた。
(6)クララ・バット
英 COLUMBIA 7170(1917年録音)
クララ・バット(1872-1936)は英国のコントラルト歌手。1931年(昭和6年)2月に来日し、コロムビアに北原白秋作詞、山田耕筰作曲の「チンコロ子犬」(J4008)を録音した。デイムの称号を持つ。
(7)ローザ・ポンセル
日本コロムビア J7002(米 COLUMBIA 499934と同一録音)(1921年頃録音)ローザ・ポンセル(1897-1981)はアメリカのソプラノ。1920年代から30年代にかけてニューヨークのメトロポリタン歌劇場を中心に活躍した。アメリカの生んだ最も偉大なソプラノの一人。

78CDR-3807
ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
フェリックス・ワインガルトナー指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
英 COLUMBIA L1880/3
1927年1月28-29日、ロンドン録音
フェリックス・ワインガルトナー(1863-1942)はオーストリアの大指揮者。ライプツィヒ大学で哲学を専攻するが、音楽への魅力に惹かれグラーツ、ライプツィヒ、ヴァイマルの各音楽院で学んだ。1855年からドイツ各地の歌劇場を転々としたが、1908年にマーラーの後任としてウィーン宮廷歌劇場とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任した。ワインガルトナーは1924年のラッパ吹き込みを含めて生涯4回「運命」交響曲を録音したが、これは1927年の第2回目の録音。1927年はベートーヴェン没後100年記念だった。
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78CDR-3808
ヴィエニャフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番ニ短調作品22
フンメル(ハイフェッツ編):ロンド変ホ長調作品11
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
ジョン・バルビローリ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
アルパド・サンドール(ピアノ)(フンメル)
英 HMV DB2447/9
1938年3月18日ロンドン録音
ヴィエニャフスキはポーランド出身のヴァイオリニスト。8歳でパリ音楽院に入り13歳で演奏家としたデビューした。ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1939)に師事し10歳でデビューした。1917年16歳の時にロシア革命を逃れ一家はシベリア経由でアメリカに移住した。その途中で日本に立ち寄ったと伝えられる。移住後少年ハイフェッツは一流演奏家として待遇された。その後青年期、壮年期から引退するまで世界最高のヴァイオリン奏者として崇められた。指揮者のジョン・バルビローリ(1899-1970)はイギリス生まれ、1936年からニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の指揮者をつとめた。
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2020年9月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3809
ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調作品36
エーリヒ・クライバー指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
独 POLYDOR 66905/8
(1929年5月録音)
トラック(1)途中キズ
トラック(6)途中ボコ・ノイズと音崩れがあります。
エーリヒ・クライバー(1890-1956)はウィーン出身の20世紀前半を代表する指揮者の一人。指揮者のカルロス・クライバー(1930-2004)は息子。プラハ・カレル大学で歴史と哲学を学んだが、一方で指揮者への道を目指すようになった。プラハ音楽院で指揮法を学び1911年に指揮者デビュー。1923年にレオ・ブレッヒ(1871-1958)の後任としてベルリン国立歌劇場の音楽監督に就任した。ナチスの台頭でベルリンの職を辞し、1935年に妻と当時5歳のカルロスらとアルゼンチンに移住した。1939年に市民権を得て、ブエノスアイレスのテアトロ・コロンの首席指揮者に就任した。大戦後ヨーロッパに戻り、イギリス・デッカ社の専属になり各地の客演指揮者として活躍した。クライバーはこのシリーズでベートーヴェン:「田園」(1948年ロンドン響)(78CDR-3686)とチャイコフスキー:第4番(1949年パリ音楽院管)(78CDR-3518)が出ている。
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78CDR-3810
ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第4番ハ長調作品102-1
パブロ・カザルス(チェロ)
ミエチスワフ・ホルショフスキ(ピアノ)
豪 HMV DB3065/6
1936年11月28日ロンドン、EMI スタジオ録音
パブロ・カザルス(1876-1973)はスペインのカタルーニャ地方の町エル・ペドレル生まれたチェロ奏者。バルセロナ音楽院でチェロ、ピアノ、楽理、作曲を学んだ。1890年バルセロナでバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜に出会った。1899年23歳でパリにデビュー、1902年ピアノのコルトー、ヴァイオリンのティボーとトリオを結成、1904年にバッハの無伴奏チェロ組曲を初めて公開演奏した。1908年ラムルー管弦楽団で指揮者デビューした。レコード録音は機械式録音時代の1915年から始め、バッハの無伴奏チェロ組曲第3番から 4曲、「G線上のアリア」ほか小品を18面録音した。ピアノのミエチスワフ・ホルショフスキ(1892-1993)はポーランド出身。99歳までステージに立った伝説のピアニスト。カザルスの第1回目のベートーヴェン: チェロ・ソナタ全集では第3番以外のピアニストを務めた。
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78CDR-3811
ショパン:ピアノ・ソナタ第3番ロ短調作品58
パーシー・グレインジャー(ピアノ)
英 COLUMBIA L1695/7
1925年6月10-11日ロンドン録音
(英 COLUMBIA の "L"シリーズで発売された最初の電気録音)
パーシー・グレインジャー(1882-1961)はオーストラリア生まれのピアニストで作曲家。1892年7月、10歳の時首都メルボルンで演奏会を開いた。1895年5月(13歳)の時に母親と共にドイツのフランクフルトに行き、ピアノと作曲を学んだ。1901年19歳のときロンドンに行き才能が開花した。1907年にはノルウェーの作曲家グリーク(1943-1909)と交友を持った。グリークの指揮グレインジャーのピアノでグリーグのピアノ協奏曲のツアーを計画したがグリーグの死で実現しなかった。1918年アメリカの市民権を得て、1932年からニューヨーク大学の音楽学部長つとめ、1938年にグレインジャー博物館が開館した。晩年エレクトリック・シンセサイザーの開発にも手をそめた。これはおそらくこの曲の世界初録音。
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2020年10月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3812 ※試聴はありません
「セントルイス・ルース」第3集 (1944-1958)
セントルイス・ブルース(W.C. ハンディ)
(1)ロイ・エルドリッジと彼のトランペット・アンサンブル
KEYNOTE 607(U.S.) 78rpm 1944年1月24日 N.Y.録音
(2)ジョニー・マーサー&パイド・パイパーズ(vo)/ポール・ウェストン楽団
CAPITOL 10062(U.S.) 78rpm 1946年録音
(3)ジャック・ティーガーデンのビッグ・エイト
RCA VICTOR 20-2458(U.S.) 78rpm 1947年3月14日録音
バークレイ・アレンとリズム・フォー
CAPITOL 15107(U.S.) 78rpm 1947年録音
(5)ダニー・ケイ(vo) & ヴィック・シェーン楽団
DECCA 24401(U.S.) 78rpm 1947年12月10日録音
(6)テックス・ベネキー楽団
RCA VICTOR 20-2722(U.S.) 78rpm 1947年12月23日録音
(7)ジーン・クルーパ・トリオ
MERCURY 8983(U.S.) 78rpm 1952年3月19日録音
(8)ジェームズ・ムーディ楽団
MERCURY 16015(U.S.) 78rpm 1952年6月6日 N.Y.録音
(9)ペレス・プラド楽団
RCA VICTOR 20-5820(U.S.) 78rpm 1954年4月1日録音
(10)ナット・キング・コール (vo) ネルソン・リドル楽団
CAPITOL EAP-1-993 45rpm 1958年録音 LA録音
2017年10月に第1集、2019年10月に第2集が出たこのシリーズの第3集で1944年から1958年録音の「セントルイス・ブルース」を10曲選んで収録した。

78CDR-3813
シューベルト:交響曲第8番ロ短調 D.759「未完成」
ブルーノ・ワルター指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
日本コロムビアJ8642/4 (英 HMV DB2937/9 と同一録音)
1935年 5月19&21日ウィーン、ムジークフェライン大ホール録音
ブルーノ・ワルター(1876-1962) はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1894年ハンブルク歌劇場の指揮者だった時、音楽監督だったグスタフ・マーラー(1860-1911) と出会い親交を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長、音楽監督を歴任、またウィーン・フィルやベルリン・フィルも指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、イギリスを経てアメリカに逃れた。この録音はワルターがウィーンを去る3年前のもの。HMV 録音だが、日本では日本コロムビアが発売権を得ていた。
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78CDR-3814
ブルッフ:スコットランド幻想曲 作品46
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
ウィリアム・スタインバーグ指揮
RCA ヴィクター管弦楽団
スタンリー・チャルプカ(ハープ)
米 RCA VICTOR 12-0011/3
1947年9月12日ニューヨーク録音
※第4面(トラック4)は盤面キズのノイズが入ります
ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987) はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1939) に師事し10歳でデビューした。1917年16歳の時にロシア革命を逃れ一家はシベリア経由でアメリカに移住した。その途中で日本に立ち寄ったと伝えられる。アメリカ移住後少年ハイフェッツは一流演奏家として待遇された。その後青年期、壮年期から引退するまで世界最高のヴァイオリニストとして崇められた。ハイフェッツは生涯に2度「スコットランド幻想曲」を録音しているが、これは第1回目のもの。指揮者のウィリアム・スタインバーグ(1899-1978) はドイツ生まれのユダヤ系指揮者。1933年ナチスによりフランクフルト歌劇場から追われ、1936年にパレスチナに移住、パレスチナ交響楽団 (現イスラエル・フィル) の指揮者になった。大戦後はアメリカで活躍し、ピッツバーグ交響楽団、ボストン交響楽団の音楽監督をうとめた。
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2020年11月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3815
機械式録音(電気式録音以前)の復刻音源
カミン・スルー・ザ・ライ(ライ麦畑を通って/故郷の空)
20世紀初頭に活躍した名歌手たちによる
(1)ジェラルディン・ファーラー
VICTOR 87005(U.S.)(1907年2月19日キャムデン録音)
(2)メアリー・ガーデン
COLUMBIA A1190(U.S.)(1912年5月17日録音)
(3)ネリー・メルバ
VICTOR 88449(U.S.)(1913年10月4日録音)
(4)アルマ・グルック
VICTOR 64422(U.S.)(1914年3月9日キャムデン録音)
(5)マリオン・タリー(ボーナス)
VICTOR 1146B(U.S.)(1926 年2月2日録音)(電気録音)
「カミン・スルー・ザ・ライ」(ライ麦畑を通って)はスコットランドの詩人ロバート・バーンズ(1759-1796)が詞を書き、スコットランド民謡の曲にあてられた。日本では1888年(明治21年)文部省唱歌に選定され、日本語タイトルは「故郷の空」(作詞:大和田健樹 1857-1910)になった。
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78CDR-3816
ハイドン:交響曲第86番ニ長調
ブルーノ・ワルター指揮
ロンドン交響楽団
米 RCA VICTOR 12461/3 (英 HMV DB3647/9と同一録音)
1938年9月13日ロンドン、アビー・ロード EMI第1スタジオ録音
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1894年ハンブルク歌劇場の指揮者だった時、音楽監督のグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い親交を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長、音楽監督を歴任、またウィーン・フィルやベルリン・フィルも指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツの併合されると迫害を避けてフランス、イギリスを経てアメリカに逃れた。この録音はイギリス滞在中に行われたもの。評論家の宇野功芳氏はこの演奏を「ロンドン交響楽団の弦にウィーンのそれのような憧れを湛えた音色とレガートを求め、ダイナミズムの角をとって和やかで情緒的な雰囲気を醸成している」(音楽之友社刊「ブルーノ・ワルター-レコードによる演奏の歩み」から引用)と評している。
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78CDR-3817
ショパン:ピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11
モーリツ・ローゼンタール(ピアノ)
フリーデル・ヴァイスマン指揮
交響楽団
英 Parlophone E 5307/9 & E 15184/5
1930年5月1日&11月26日ベルリン録音
ピアノのモーリツ・ロゼンタール(1862-1946)はポーランドのリヴィウ生まれ。1872年にカール・ミクリ(1821-1897)に師事した。ミクリはショパンの弟子で助手をつとめたピアニスト。1878年フランツ・リスト(1811-1886)の門下に入り欧州各地で演奏した。一時ウィーン大学の哲学科で学んだこともある。1888年にボストンでアメリカ・デビュー。1895年にライプツィヒ、ロンドンでも大成功を収めた。1926年から28年にはフィラデルフィアのカーティス音楽院で教鞭をとり、1939年からはニューヨークで自らのピアノ学校を開いて多くの弟子が居た。指揮者のフリーデル・ヴァイスマン(1893-1984)はパーロフォン/オデオン等のレコード会社やヨーロッパの名門オーケストラのハウスコンダクターを務めた人物。上記2回の録音日には音質の違いが聞き取れる。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。
2020年12月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3818
機械式録音盤(電気式録音以前)の復刻音源
20世紀初期に活躍した名歌手による「夏のなごりのばら」(庭の千草)
1907-1928年録音
「夏のなごりのばら」(庭の千草)はアイルランドの詩人トーマス・ムーア(1779-1852)がアイルランドの民謡に詩をつけて1805年に発表した。この美しいメロディはドイツの作曲家フリートリヒ・フォン・フロトー(1812-1883)の歌劇「マルタ」のアリアにとり入れれた他、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、パガニーニ等も編曲や変奏曲に使った。日本では1884年(明治17年)に文部省唱歌に選定された。翻案は里見義(さとみただし 1824-1886)。当初のタイトルは「菊」だったが、歌詞の冒頭の「庭の千草」がいつしか曲名になり、唱歌のひとつとして広く親しまれた。
復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu1 DSD録音機を使用した。
(1)マルセラ・ゼンブリッヒ(ソプラノ)
VICTOR 88102(U.S.) 1907年10月9日キャムデン録音(機械式録音)
マルセラ・ゼンブリッヒ(1858-1935)はポーランド生まれ。幼少の頃父親からヴァイオリンとピアノを学び、10歳でレンベルグ音楽院に入った。1877年オペラ・デビューをして、ヨーロッパ各地を回り、1883にアメリカに渡りメトロポリタン歌劇場にデビューした。1907年にVICTOR社で録音を始めた。この録音は彼女の最初期ものだが、録音時彼女は49歳だった。
(2)ルイーザ・テトラツィーニ(ソプラノ)
VICTOR 6343A(U.S.) 1911年3月15日キャムデン録音(機械式録音)
ルイーザ・テトラツィーニ(1871-1940)は国際的に名声を得たイタリアのソプラノ。フィレンツェに生まれ3歳から歌いはじめたと伝えられる。1890年フィレンツェでマイアベーアの歌劇「アフリカの女」のイネス役でオペラ・デビュー。その後ヨーロッパと南北アメリカで大成功し、レコードも1904年から1920年にかけて数多く吹き込まれた。すべて機械式録音。引退後は後進の指導にあたった。
(3)グレーテ・シュテュックゴルト(ソプラノ)
VOX 02117B(Germany) Matrix:1218A
グレーテ・シュテュックゴルト(1895-1977)はロンドン生まれ。1927年にニュー
ヨークのメトロポリタン歌劇場でワーグナーの歌劇「ニュルッンベルクのマイ
スタージンガー」のエヴァ役でデビューし、1929年にはベルリンでパウル・ヒ
デミット(1895-1963)のオペラ「今日のニュース」の初演で主役をつとめた。
ドイツのVOXレコードは1921年にベルリンで設立された。1924-25年頃ウェスタ
ン・エレクトリックとは別の方式の電気録音(おそらく米ブランズウィックの
開発した "ライト・レイ" 式電気録音と思われる)を始めたと伝えられるが1926
年に倒産した。これはそのライト・レイ式電気録音と思われる。
(4)アメリータ・ガリ=クルチ(ソプラノ)
VICTOR VE1001B(JP) 1928年9月5日N.Y. 録音(電気録音)
アメリータ・ガリ=クルチ (1882-1963)はイタリアのミラノ生まれのコロラトゥーラ・ソプラノ。1906年トラーニで「リゴレット」のジルダ役でオペラ・デビュー。以降20世紀初頭の最も偉大な女声声楽家の一人に数えられている。ガリ=クルチは1917年の機械式録音でこの曲を録音していたが、これは電気録音初期の吹き込み直し盤。

78CDR-3819
モーツァルト:交響曲第40番ト短調 K.550
ブルーノ・ワルター指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
独COLUMBIA DWX1326/1328
1929年録音
ブルーノ・ワルター(1876-1962)は生涯に交響曲第40番K.550を3回正規録音したが、これは最初のもの。このドイツ盤オリジナルSPレコードからの復刻は、ワルター・ファンに贈る最上のプレゼント。
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78CDR-3820
コレッリ(モギレフスキによる新版):
ヴァイオリン・ソナタ第12番ニ短調「ラ・フォリア」
チャイコフスキー:
カンツォネッタ(ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35より第2楽章)
アレクサンドル・モギレフスキー(ヴァイオリン)
ピアノ伴奏
日本コロムビア JW264/5
1937年頃東京録音
アレクサンドル・モギレフスキー(1885-1953)はロシア(現ウクライナ)のオデッサ生まれ。7歳でヴァイオリンを始めロストフの音楽学校で学んだ後、モスクワに出てヤン・グルジマリに師事した。モスクワでは弦楽四重奏団を組織したり、教員生活を送った後、1922年パリに移住し、ヴァイオリン奏者で名弦楽四重奏団のリーダーのリュシアン・カペー(1873-1928)とも親交をもった。ロシア系の豊麗な音色に加えてフランス風の洗練された独特の音色を身につけていた。1926年11月初来日、1930年に再度来日してから1953年に亡くなるまで演奏家として、また優れた教師として日本の音楽界に多大な貢献をした。このシリーズでモギレフスキーはヴェラチーニのヴァオリン・ソナタ第8番ホ短調作品2-8、他 (78CDR-3471)が出ている。
復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu1 DSD録音機を使用した。