★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-3785〜3802

2020年1月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3785
ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14
ゼルマー・マイロヴィッツ指揮
パリ交響楽団
英 COLUMBIA LX-372/7(仏PATHE PDT-10/15 と同一録音)
1934年3月14、16&21日 パリ録音
ゼルマー・マイロヴィッツ(1875-1941)はライプツィヒ音楽院でカール・ライネッケ(1824-1910)とザーロモン・ヤダスゾーン(1831-1902)に学び、その後ベルリンでマックス・ブルッフ(1838-1920)に3年間師事した。その間に指揮者のフェリックス・モットル(1856-1911)に認められ1897年カールスルーエ歌劇場でアシスタントとして抜擢され、1900年にニューヨークのメトロポリタン歌劇場に同行した。アメリカ滞在中にソプラノのヨハンナ・ガドスキ(1872-1932)の伴奏指揮者をつとめた。1905年にヨーロッパに戻りプラハ国立歌劇場から始まりいくもの著名なオペラ劇場で指揮棒をとった。やがてベルリンに定住しベルリン・フィルやブリュットナー歌劇場で指揮者をつとめた(1918-1923)。1933年にナチスの台頭でパリに逃れ、余生をその地で送った。1937年クルト・ヴァイルの「三文オペラ」のフランス初演の指揮をした。またラッパ吹き込み時代からレコード録音を多数手掛けた。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3786
モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番ト長調 K.453
エトヴィン・フィッシャー(ピアノと指揮)
フィッシャー室内管弦楽団
英 HMV DB 3362/64
1937年5月7日、ベルリン録音
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイス生まれ。主にドイツで活躍したピアニスト、指揮者で教育者でもあった。ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。1933年にEMIのアーティストとなり、J.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」全曲(78CDR-1142/6)の世界初録音を行った。フィッシャーは協奏曲の録音で独奏と同時に指揮をする「弾き振り」の演奏法を現代に復活させた。このシリーズでモーツァルト:ピアノ協奏曲第20番K.466やハイドン:ピアノ協奏曲ニ長調作品21(78CDR-3129)が「弾き振り」で聴ける。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3787
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第8番イ短調 K.310
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
豪 HMV ED 274/6 (英 HMV DB 3778/80と同一録音)
1939年1月27日、ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音
アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はポーランドのリプニク(旧オーストリア領)に生まれた。1889年7歳でウィーン音楽院に入り、1891年から1897年に名教授テオドール・レシェティツキ(1830-1915)に師事した。1901年にベルリンにデビュー、1933年までこの地を本拠にした。その間演奏活動の傍らベルリン高等音楽院で教えた。その後1932年から34年にはロンドンに居を構え、世界初のベートーヴェンピアノ・ソナタ全集やピアノ協奏曲全集をHMVに録音した。その後ナチスの台頭でスイスに移り、1939年にアメリカに渡った。戦後はスイスに戻って演奏会や録音に活躍した。復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。
2020年2月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3788
シューマン:交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」
ピエロ・コッポラ指揮
パリ音楽院管弦楽団
仏 DISQUES GRAMOPHONE DB4936/6
1933年11月7-8日パリ録音
ピエロ・コッポラ(1888-1971)はミラノ生まれ。生地の音楽院でピアノと作曲を学んだ後、スカラ座で指揮者としてデビューした。1921年から翌年までブリュッセルのモネ劇場の指揮者を務め、1914年にはロンドン、1915年から19年までスカンジナヴィアを転々とした後パリのDISQUES GRAMOPHONE社専属指揮者になり活躍した。1930年にはサン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」の世界初録音を行った(78CDR-3110)。さらにこの「ライン」もこの曲の世界初録音であった。
復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3789
シューベルト:幻想曲ハ長調 作品15 D.760「さすらい人幻想曲」
エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)
英 HMV DB2276/8
1934年5月22日ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイス生まれ。主にドイツで活躍したピアニスト、指揮者で教育者でもあった。ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。1933年にEMI のアーティストとなり、J.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」全曲(78CDR-1142/6)の世界初録音を行った。1942年にスイスに戻った。フィッシャーはこのシリーズで多数出ている。
復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3790
ブラームス:ピアノ四重奏曲第2番イ長調 作品26
ルドルフ・ゼルキン( ピアノ)
ブッシュ弦楽四重奏団のメンバー:
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
カール・ドクトル(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)
英 HMV DB1849/52
1932年9月21日、ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音
ブッシュ弦楽四重奏団は1913年リーダーのアドルフ・ブッシュ(1891-1952)によってドイツで結成され1939年からアメリカで活動したが1952年にブッシュの死によって消滅した。ピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)は1922年からアドルフ・ブッシュとデュオを組んで活躍し、1935年にブッシュの娘イレーネと結婚した。ゼルキンはナチスのユダヤ人迫害を避けアメリカに移住した。このシリーズで1942年のアメリカ録音、シューマンピアノ五重奏曲(78CDR-3305)が出ている。
復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。
2020年3月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3791
ヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第4番ニ短調作品31
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
ジョン・バルビローリ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
米 VICTOR 9813/5(英 HMV DB2444/6 と同一録音)
1935年3月ロンドン録音
ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1939)に師事し10歳でデビューした。1917年16歳の時にロシア革命を逃れ一家はシベリア経由でアメリカに移住した。その途中日本に立ち寄ったと伝えられる。移住後少年ハイフェッツは一流演奏家として待遇された。その後青年期、壮年期から引退するまで世界最高のヴァイオリン奏者として崇められた。指揮者のジョン・バルビローリ(1899-1970)はイギリス生まれ、1936年から43年にニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者をつとめた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3792 ※機械式録音(電気式録音以前)の復刻音源
シューマン:女の愛と生涯
ユリア・クルプ(メゾソプラノ)
オットー・バーケ(ピアノ)
ニッチク S-9007/10(独 ODEON xB4983/90と同一録音)
1910年7月1日録音
この曲集の世界初録音。ユリア・クルプ(1880-1970)はオランダのフローニンヘン生まれ。1896年アムステルダム音楽院に入りコルネリ・ファン・ツァンデンに師事した。クルプはリートを専門にした最初の歌手とされている。この原盤SPは第2次世界大戦中に日本蓄音機商会(日本コロムビア)から発売された。この大歌手の初録音でもある。原盤は海軍の伊号潜水艦でドイツから運ばれて来たと伝えられる。SP盤には75ページの豪華解説書(野村あらえびす、中村善吉、青木謙幸他)がついていた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3793
ショーソン:交響曲変ロ長調作品20
ピエロ・コッポラ指揮
パリ音楽院管弦楽団
仏 DISQUE GRAMOPHONE DB4953/6
1934年12月3&5日パリ録音
この曲の世界初録音。ピエロ・コッポラ(1888-1971)はミラノ生まれ。生地の音楽院でピアノと作曲を学んだ後スカラ座で指揮者としてデビューした。1912年から翌年までブリュッセルのモネ劇場の指揮者をつとめ、1914年にはロンドン、1915年から19年までスカンジナヴィアを転々とした後、パリのDISQUEGRAMOPHONE専属指揮者として活躍した。1930年にはサン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」の世界初録音を行った(78CDR-3109)。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。
2020年4月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3794
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番ハ長調 作品26
セルゲイ・プロコフィエフ (ピアノ)
ピエロ・コッポラ指揮
ロンドン交響楽団
英 HMV DB1725/7
1932年6月28日ロンドン、アビー・ロード EMI第1スタジオ録音
プロコフィエフは1891年、帝政ロシア時代のウクライナに生まれ、13歳でサンクトペテルブク音楽院に入り作曲・ピアノを学んだ。1918年ロシア革命を機にシベリア鉄道に乗り日本経由でアメリカに行き、その後西ヨーロッパで活躍し1933年に祖国に復帰した。この録音は西欧滞在時代の最後の頃にロンドンで行われた。作曲者自身のピアノが聴ける貴重な録音。この曲の第3楽章に作曲者が日本で聴いた「越後獅子」の旋律が出てくるのは興味深い。指揮者のピエロ・コッポラ(1888-1971)はミラノ生まれ。HMV系列の仏GRAMOPHONE社の専属指揮者をつとめ、多くの世界初録音の指揮をした。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。
なお原盤番号の末尾の卍印は新たにEMI 社の技術者ブルムレインが開発したMC型カッターを使用した記号。後に□になる。

78CDR-3795
シューベルト:
ピアノ・ソナタ第14番イ短調作品143 D.784
レントラー作品18 D.145
リリー・クラウス (ピアノ)
PARLOPHONE 20388/90 (U.K.)
1937年11月23日録音
リリー・クラウス(1905-1986)はハンガリー生まれの女流ピアニスト。17歳でブダペスト音楽院に入り、ベラ・バルトーク(1881-1945)、ゾルタン・コダーイ(1882-1967)らに師事した。1922年ウィーンに赴きウィーン音楽アカデミーでアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)やエドゥアルト・シュトイアーマン(1892-1964)についてさらに研鑽を積んだ。1930年代からモーツァルトやベートーヴェンの演奏家として名声をあげ、ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルク(1909-1993)と共演して各国で評判をとった。戦後はイギリス国籍を取得し、その後アメリカで活躍した。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3796
ハイドン:交響曲第94番ト長調「驚愕」
ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
日 POLYDOR 40435/7 (独POLYDOR 66914/6 と同一録音)
1929年ベルリン、シューマン・ザール録音
(原録音に電気系ノイズが全体に入っています)
ヤッシャ・ホーレンシュタイン(1898-1973) はキエフ生まれ。13歳の時家族と共にウィーンに移り、同地で指揮者・作曲家のフランツ・シュレーカー(1878-1934)に師事した。その後ベルリンに移りヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)の助手になった。これはこの指揮者の最初期の録音。1940年にナチスの迫害を避けてアメリカに移住し国籍を得た。LPの初期に多くの録音を米VOXに残している。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。
2020年5月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3797
ハイドン:交響曲第96番ニ長調「奇跡」
ブルーノ・ワルター指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
米 RCA VICTOR 13856/8(英HMV DB3282/4と同一録音)
(1937年5月5日ウィーン、ムジークフェライン録音)
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1894年ハンブルク歌劇場の指揮者だった時、音楽監督のグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い親交を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任、またウィーン・フィルやベルリン・フィルも指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると、迫害を避けてアメリカに逃れた。この録音はウィーン・ムジークフェラインの美しい残響をを伴ったオーケストラの音色が楽しめる。ワルターとウィーン・フィルの演奏はこのシリーズでハイドン:「軍隊」(78CDR-3554)、モーツァルト:「ジュピター」(78CDR-3611)、ベートーヴェン:「田園」(78CDR-3371)、ブラームス:交響曲第3番(78CDR-3733)が出ている。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3798
ドップラー:ハンガリー田園幻想曲 作品26
マルセル・モイーズ(フルート)
ルイ・モイーズ(ピアノ)
日 COLUMBIA J2575/6 (英COLUMBIA DB1630/31と同一録音)
1934年 5月24日ロンドン録音
マルセル・モイーズ(1889-1984)はフランスのフルート奏者。14歳でパリ音楽院に入りポール・タファネルのクラスで学び3年後に一等賞を得てデビュー・リイタルを開いた。その後も師のタファネルとフィリップ・ゴーベール(1879-1941)に師事して研鑽を積んだ。1932年から1940年までパリ音楽院教授、1946年から48年までジュネーヴ音楽院での教授をつとめた。戦後、日本でも教育を行った。ピアノのルイ・モイーズ(1912-2007)はマルセルの息子でパリ音楽院で父にフルートを師事した。ピアニスト、作曲家でもある。ドップラー(1821-1883)はフルート曲で有名なハンガリーの作曲家。18歳でブダペスト歌劇場の首席フルート奏者になり、後にウィーン音楽院の教授もつとめた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3799 ※機械式録音盤 (電気式録音以前) の復刻音源
エレナ・ゲルハルトAEORIAN VOCALION全録音集
死とおとめ(シューベルト
待ちながら(グリーグ)
くるみの木−ミルテの花(シューマン)
セレナード(R.シュトラウス)
魔王(シューベルト)
野の寂しさ(ブラームス)
音楽に寄す(シューベルト)
サフォー頌歌(ブラームス)
あすの朝(R.シュトラウス)
ミューズの子(シューベルト)
甲斐なきセレナード(ブラームス)
チェチーリエ(R.シュトラウス)
エレナ・ゲルハルト(メゾソプラノ)
アイヴァー・ニュートン(ピアノ)
ハロルド・クラックストン(ピアノ)
1923年 3月23日ロンドン録音 Recorded 23 March 1923, London
1924年 5月29日ロンドン録音 Recorded 29 May 1924, London
大リート歌手エレナ・ゲルハルト(1883-1961) が英国エオリアン・ヴォカリオンに録音した全曲を集めた。録音時は電気録音が始まる直前の時期。ゲルハルトは1902年ライプツィヒ音楽院の学生の時、学長に就任したアルトゥール・ニキシュ(1855-1922)が彼女がライプツィヒの公衆の前で歌うことを特別に認めた。1903年音楽院を卒業すると多くの演奏会契約が待っていた。レコード録音はニキシュのピアノで1907年から始まった。ゲルハルトはこのシリーズで、ブラームス、シューベルト、ヴォルフを歌う(78CDR-3496)、シューベルト「冬の旅」(抜粋)(78CDR-3566) 、シューマン「女の愛と生涯」(78CDR-3631)、シューベルト:リサイタル(78CDR-3642)が出ている。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。
尚、「音楽に寄す」〜「チェチーリエ」に入っている雑音は録音に使用された電気モーターの回転音と思われる。
2020年6月新譜 3点 6月下旬発売予定★DSD録音

78CDR-3800
マーラー:交響曲第4番ト長調
ブルーノ・ワルター指揮
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
デジ・ハルバン(ソプラノ)(第4楽章)
英 COLUMBIA LX949/54(米COLUMBIA 11213/8D と同一録音)
1945年5月10日ニューヨーク録音
ソプラノのデジレ・ハルバン(1912-1996)はウィーン生まれ。母親はラッパ吹き込みのSPレコードに150枚を越える録音を残した名ソプラノ、ゼルマ・クルツ(1874-1933)。父親はウィーン大学医学部教授のヨゼフ・ハルバン。ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1894年ハンブルク歌劇場の指揮者だった時、音楽監督だったグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い親交を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任、またウィーン・フィルやベルリン・フィルも指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると、迫害を避けてアメリカに逃れた。この録音は日米戦争終戦の直前の5月に行われた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3801
シューベルト:交響曲第7番ロ短調(旧第8番)D.759 「未完成」
ヨハネス・シューラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
独 IMPERIAL 014042/4
1941年6月12日ベルリン録音
ヨハネス・シューラー(1894-1966)はドイツの指揮者。ノイマルク地方のヴェッズ(現在ポーランドのウィトニカ)の生まれ。ベルリン高等音楽院卒業後、グライヴェッツ、ケーニヒスベルク、ハノーファー市立歌劇場で修行を重ね、1932年オルテンブルク歌劇場の音楽監督になった。さらに1933年からエッセン歌劇場の指揮者となり、1936年から1949年までベルリン国立歌劇場の指揮者をつとめた。その後ハノーファー市立歌劇場の音楽監督になった。レコード録音が少ないので今日殆ど知られていないが、第2次世界大戦中の放送録音の復刻CDに名前を見ることができる。
IMPERIALレコードはドイツとデンマークで販売されていたマイナー・レーベル。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3802
メンデルスゾーン:
交響曲第4番イ長調 作品90「イタリア」
真夏の夜の夢から結婚行進曲
エットーレ・パニッツァ指揮
ミラノ・スカラ座管弦楽団
カナダ VICTOR 36279/82(伊 LA VOCE DEL PADRONE AW265/68 と同一録音)
(1930年12月&1931年1月録音)
エットーレ・パニッツァ(1875-1967)はアリゼンチン生まれのイタリアの指揮者、作曲家。イタリア系移民の両親のもとブエノス・アイレスに生まれた。父親がテアトロ・コロンのチェリストで、幼少から音楽教育を受けて育った。その後、両親の祖国イタリアに渡り、ミラノのジュゼッペ・ヴェルディ音楽院でピアノ、作曲、指揮法を学んだ。卒業後1897年にローマ歌劇場で指揮者デビュー。イタリア各地の歌劇場で活動後、1907年にはロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスにデビューし、1914年までイタリア・オペラの指揮をした。さらにニューヨークのメトロポリタン歌劇場でも名声を確立した。1908年にはミラノ・スカラ座でデビュー。トゥリオ・セラフィン(1878-1968)やアルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)と並ぶ名声をはくした。1930年代にメトロポリタン歌劇場でのライヴ録音が数多く残されている。パニッツァの交響曲録音は大変少ないのが不思議だ。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。