★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-3821〜3856

2021年1月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3821
機械式録音盤(電気式録音以前)を含む復刻音源
20世紀初頭に活躍した名歌手による
「ホーム・スイート・ホーム」(埴生の宿 はにゅうのやど)
1905年-1928年録音

「ホーム・スイート・ホーム」(埴生の宿)はイギリスの作曲家、サー・ヘンリー・ロウリー・ビショップ(1786-1855)が1823年に作曲した歌劇「ミラノの乙女クラリ」の中で歌われた。作詞はアメリカ人のジョン・ハワード・ペイン(1791-1852)。このメロディは作曲者がオペラに取り入れた以前に他の歌詞をつけてシチリア民謡として発表していたため民謡として知られていたが、ビショップの作曲、ペインの作詞であることが後に明らかになった。日本語版の「埴生の宿」は1889年(明治22年)に文部省「中等唱歌」に選定された。訳者は里見義(さとみただし 1824-1886)。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ のSPレコード専用MC型カートリッジ(3ミル針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

(1)ネリー・メルバ(ソプラノ)
HMV DB351(U.K.) 1905年9月5日ロンドン録音(機械式録音)
ネリー・メルバ(1861-1931)はオーストラリアのリッチモンド生まれ。メルボルンで声楽を学んだ後ヨーロッパに渡った。パリで声楽を学び直した後パリやブリュッセルで成功を収め、1888年からロンドンのロイヤル・オペラで主役をつとめるようになった。1904年からイギリスのグラモフォン&タイプライター社(G&T)への録音を開始し、この録音は2年目の1905年のもの。
(2)アルマ・グルック(ソプラノ)
VICTOR 74251(U.S.) 1911年10月21日キャムデン録音(機械式録音)アルマ・グルック(1884-1938)はルーマニアのブカレスト生まれ。若い頃アメリカに渡り、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で成功をつかんだ。レコーディング・アーティストとしてアメリカ国内で多くの演奏会を開いた。レオポルド・アウアー(1845-1930)門下の名ヴァイオリニスト、エフレム・ジンバリスト(1889-1985)と結婚し2子をもうけた。息子のエフレム・ジンバリスト・ジュニア(1918-2014)は有名なテレビ俳優で、孫のステファニー・ジンバリスト(ジュニアの娘1956-)は世界的に人気の女優。
(3)原信子(ソプラノ)&澤田柳吉(ピアノ)
NIPPONOPHONE 2309(JP) 1913年頃録音(機械式録音)
原信子(1893-1979)は大正から昭和にかけて活躍したオペラ歌手。青森県八戸市出身。1903年から三浦環(1884-1846)に師事。東京音楽学校(現東京藝術大学音楽学部)に入学したが中退。その後、滞日外国人声楽家アドルフォ・サルコリ(1867-1936)に師事して声楽を修め、外遊のために退団した三浦環の後任とした帝国劇場歌劇部に入った。1918年に原信子歌劇団を結成、浅草でオペレッタを上演、田谷力三、藤原義江らと共に浅草オペラの一時代を築いた。1919年突然引退宣言、渡米してマンハッタン・オペラに出演した。その後イタリアに留学し、プッチーニやマスカーニの知遇を得た。1928年から1933年まで日本人で初めてミラノ・スカラ座に所属した。1934年に帰国してから、歌劇研究所を主宰してオペラ運動に尽力をつくした。ピアノの澤田柳吉(1886-1936)は東京生まれ、東京音楽学校ピアノを学んだ。ラッパ吹き込み時代にベートーヴェンの「月光」ソナタの録音もあった。
(4)ハルダ・ラシャンスカ(ソプラノ)
COLUMBIA 49339(U.S.) 1918年3月13日録音(機械式録音)
ハルダ・ラシャンスカ(1893-1974)はニューヨーク生まれ。マルセラ・ゼンブリッヒ(1858-1935)に師事した。1910年にワルター・ダムロッシュ指揮のニュヨーク・フィルの演奏会でリストのローレライを歌い称賛された。この録音は1918年1月24日にエオリアンホールでの初リサイタルの直後に行われたもの。
(5)ローザ・ポンセル(ソプラノ)
COLUMBIA 49935(U.S.) 1921年頃録音(機械式録音)
ローザ・ポンセル(1897-1981)アメリカのソプラノ。1920年代から30年代にニューヨークのメトロポリタン歌劇場を中心に活躍し、アメリカの生んだ最も偉大なソプラノの一人とされている。
(6)アメリータ・ガリ=クルチ
VICTOR VE1001A(JP) 1928年5月16日ニューヨーク録音(電気録音)
アメリータ・ガリ=クルチ(1882-1963)はイタリアのミラノ生まれのコロラトゥーラ・ソプラノ。1906年トラーニで「リゴレット」のジルダ役でオペラ・デビュー。以降20世紀初頭の最も偉大な女性声楽家の一人に数えられている。


78CDR-3822
ベートーヴェン:交響曲第8番ヘ長調作品93
パウル・ファン・ケンペン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
独 POLYDOR 67662/4
1941年10月4日ベルリン録音
パウル・ファン・ケンペン(1893-1955)はオランダ生まれ。アムステルダム音楽院で指揮法とヴァイオリンを学びコンセルトヘボウ管弦楽団の第2ヴァイオリン奏者としてキャリアをスタートした。1932年にドイツ国籍を取得し、1933年に指揮者としてデビューした。1934年にはドレスデン・フィルハーモニーの音楽監督に就任し、1942年から1944年までカラヤンの後任としてアーヘン市立歌劇場の音楽監督をつとめた。大戦後は祖国オランダに活動の場を移したが、戦時中のナチス政権とのかかわりが尾を引き不幸な中アムステルダムで没した。ケンペンはこの録音の他SPレコードにベートーヴェンの交響曲第2番、第5番(ドレスデン・フィル)(Polydor)、LPレコードに第3番「英雄」、第7番(ベルリン・フィル)(PHILIPS)、チャイコフスキーの交響曲第5番、第6番「悲愴」(アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団)(PHILIPS)を残した。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ のSPレコード専用MC型カートリッジ(3ミル針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3823
モーツァルト:交響曲第28番ハ長調 K.200
フリッツ・シュタイン教授指揮
ベルリン大学器楽合奏団
独 ELECTROLA EH 1047/8
1937年5月ベルリン録音
フリッツ・シュタイン(1879-1961)はドイツの指揮者、神学者で教会のオルガン奏者。イエナの図書館でベートーヴェンの若い頃の作品と思われる「イエナ交響曲」の楽譜を見つけ出版したが、後に間違いと判明した。彼は1919年から1933年の長期に渡りキール大学で音楽教授として教鞭をとり、ナチス政権の下ではユダヤ人関連音楽の排斥に尽力した。そのため、戦後は失職し1961年世を去った。ナチス協力者の音楽家の一人。だがこの録音は英HMVや米VICTORでも発売されていた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ のSPレコード専用MC型カートリッジ(3ミル針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。
2021年2月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3824
機械式録音盤(電気式録音以前)を含む復刻音源
モーツァルトも気に入ったフランス生まれの流行り歌「きらきら星」
(ああ、お母さん聞いて)
1911年-1953年録音
「きらきら星」は18世紀の後半にフランスで流行したシャンソン(作曲者不明)"Ah, vous dirai-je, maman" 「ああ、お母さん聞いて」が原曲。元のメロディは1740年頃生まれ、作曲者不明(ジャン・フィリップ・ラモー 1683-1764 説あり)のまま流行りだし、歌詞のない楽譜が1761年に出版された。いくつかの歌詞がつけられて、その中のひとつが「ああ、お母さん聞いて」だった。モーツァルト(1756-91)がこの曲を聞いて気に入りピアノ曲「ああ、お母さん聞いて」による12の変奏曲ハ長調 K.265を1780年頃作曲した。一方イギリスでは女流詩人ジェーン・テイラー(1783-1824)が1806年に "Twinkle, twinkle little star" 「きらきら星」の英語詩をつけた。それが童謡として広まり、さまざまな言語に翻訳され世界中で愛唱されている。さらにフランスの作曲家アダン(1803-1856)は喜歌劇「闘牛士」の中に「ああ、お母さん聞いて」をアリアと変奏曲として取り入れた。日本では1914年(大正 3年)に共益社書店発行の「英語唱歌教科書巻一」に近藤逸五郎(朔)(1880-1915)訳詞で掲載された。その後多くの日本語訳詞が出ている。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ のSPレコード専用MC型カートリッジ(3ミル針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

(1)フリーダ・ヘンペル(ソプラノ)デ・フリース(フルート助奏)
Gramophone Monarch Record 033114(Fr)1911年2月4日ベルリン録音(機械式録音)
フリーダ・ヘンペル(1885-1955)はライプツィヒ生まれ。ベルリンのシュテルン音楽院で学び、1905年にシュヴェリンでデビューした。ベルリン宮廷歌劇場、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場、シカゴ歌劇場に所属した。
(2)アメリータ・ガリ=クルチ(ソプラノ)クレマン・バローン(フルート助奏)
VICTROLA 74734(U.S.)1921年9月8日キャムデン録音(機械式録音)フランス語歌唱
アメリータ・ガリ=クルチ(1882-1963)はイタリア、ミラノ生まれのコロラトゥーラ・ソプラノ。ローマのコンスタンツィ劇場でリゴレットのジルダ役で注目される。アメリカに渡り、シカゴ歌劇場、メトロポリタン歌劇場で絶賛された。1930年頃に喉を傷め手術を受けたが回復せず、1936年に引退した。
(3)アンナ=マリア・グリエルメッティ(ソプラノ) オーケストラ伴奏
COLUMBIA J5120(JP)1928年5月11日 電気録音 イタリア語歌唱
アンナ=マリア・グリエルメッティ(1895?-1982)は1915年頃デビュー、ヨーロッパ各地で歌ったあと1927年コヴェントガーデンにゲスト出演した。イタリアCOLUMBIAに7枚の録音を残した。これは日本コロムビアから戦前発売された一枚。
(4)アダ・サリ(ソプラノ)カール・アルヴィン指揮管弦楽団
GRAMOLA ES459(Czechoslovakia)1928年11月8日録音(電気録音)イタリア語歌唱
アダ・サリ(1886-1968)はポーランドのオペラ歌手、女優で教育者。20世紀前半に彼女はヨーロッパの歌劇場やコンサート・ホールのステージで絶賛された。ウィーンやミラノで声楽を学んだ後、ローマでデビュー。ヨーロッパ各地の舞台を踏んだ後、南米杜北米で名声を高めた。その後ワルシャワに戻り教育者に専念し1968年に没した。1985年以来「アダ・サリ声楽コンクール」が開かれている。
(5)ミリッツァ・コリュス(ソプラノ)J ・ミュラー指揮ベルリン放送 ORCH.
HMV C2688(U.K.)same as ELECTROLA EH-876(Germany)
1934年3月ベルリン録音(電気録音)ドイツ語歌唱
ミリッツァ・コリュス(1909-1980)はポーランド生まれのエストニアのコロラトゥーラ・ソプラノ。1930年代に「ベルリンのナイチンゲール」と呼ばれヨーロッパで屈指のコロラトゥーラ・ソプラノだったが、後にアメリカに移住し映画にも出演した。映画「グレート・ワルツ」で1938年度アカデミー助演女優賞を受賞した。
(6)ルネ・ドリア(ソプラノ)タッソー・ヤノプロ(ピアノ)フルート助奏付
PATHE PD114(France)1949 年パリ録音(電気録音)フランス語歌唱
ルネ・ドリア(1921-)はフランスのペルピニャン生まれのソプラノ。1947年にパリ・オペラ座で「魔笛」の夜の女王でパリ・デビュー。これはドリアの初録音の中の一枚。LP時代になって数多くのオペラ全曲盤に出ている。ピアノのタッソー・ヤノプロ(1897-1970)はエジプト生まれ。フランスに帰化しピアノ伴奏者としての地位を確立した。ティボー、ヴァラン、シェリング、フルニエ、トルトリエ等の伴奏者をつとめた。
(7)鈴木鎭一(ヴァイオリン)古畑歌子(ピアノ)(Bonus Track)
日本コロムビア AK260 1953年頃録音
レーベルに「才能教育研究会編」「鈴木鎭一ヴァイオリン指導曲集レコード」とある。鈴木鎭一(1898-1998)はヴァイオリン奏者で音楽教育者。ベルリン高等音楽院教授カール・クリングラー(1871-1971)の個人指導を受けた。スズキ・メソードの創始者。

78CDR-3825
ヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第5番イ短調作品37
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
サー・マルコム・サージェント指揮
ロンドン交響楽団
米RCA VICTOR 12-0381/2
1947年11月8日ロンドン録音
ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)はこの曲を2度録音している。これは第1回目の録音。ハイフェッツはロシア生まれ。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1939)に師事し10歳でデビューした。ロシア革命を機にアメリカに移住し、青年期、壮年期から引退するまで世界最高のヴァイオリン奏者として崇められた。このシリーズでヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第4番(78CDR-3791)も出ている。指揮者のサー・マルコム・サージェント(1895-1967)はイギリスの指揮者。SPレコード時代に多くの録音を残した。1954年に来日し、NHK交響楽団を指揮している。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ のSPレコード専用MC型カートリッジ(3ミル針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3826
J.S.バッハ:二つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 BWV1043
ハンス・ヘルマン・ディーナー(ヴァイオリン)
シャルロッテ・ハンペ(ヴァイオリン)
コレギウム・ムジクム(ノイペルト製チェンバロ)
独 ELECTROLA EH1217/8
1938年5月20日ベルリン録音
ハンス・ヘルマン・ディーナー(1897-1955)はドイツのヴァイオリニスト。ベルリン高等音楽院教授で、古楽器奏法の草分け的存在。シャルロッテ・ハンペ
(1910-1983)はディーナーの弟子の女流奏者。ディーナーはバッハ時代の演奏スタイルを探究するためにコレギウム・ムジクムを設立した。この曲の第1楽章(ヴィヴァーチェ)の快速調演奏は耳を奪われる。ディーナーはこの録音に先立ってJ.S.バッハ:フーガの技法 BWV1080を独 ELECTROLA EH1007/16のSPレコード10枚セットを出していた。こちらはシェルマンSH-1016 のCD復刻が出ている。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ のSPレコード専用MC型カートリッジ(3ミル針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。
2021年3月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3827
機械式録音盤(電気式録音以前)を含む復刻音源
1916-1936年録音

B.フリース:モーツァルトの子守歌

ベルンハルト・フリース(1770頃ベルリン生まれ-?)は医師でアマチュア作曲家だった。この人の曲がモーツァルトの作品と間違われケッヒェル番号 K.350がつけれていたのが、ケッヒェル第6版の番号改正のとき、フリートリッヒ・ヴェルヘルム・ゴッター(1746-1797)作詞、ベルンハルト・フリース作曲ということになった。最近ヨハン・フリートリッヒ・アントン・フライシュマン(1776-1798)の作曲という研究発表があった。日本語歌詞は堀内敬三(1897-1983)のものがよく知られている。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu1 DSD録音機を使用した。

(1)エミー・デスティン(ソプラノ)
IRCC 5012-A(U.S.) 1916年4月21日 キャムデン録音(機械式録音)ドイツ語歌唱エミー・デスティン(1878-1930)はプラハ生まれ。1898年ベルリン国立歌劇場でデビュー。その後ワーグナー未亡人の招きでバイロイト音楽祭、ロンドンのコヴェントガーデン歌劇場、ニューヨークのメロポリタン歌劇場に出演スーパースターになった。
デスティンの録音はSUPRAPHON から1999年にThe Complete Destinn(214曲収録)12CDsetが出ている。
(2)アルマ・グルック(ソプラノ)
VICTROLA 64590(U.S.) 1916年2月17日 キャムデン録音(機械式録音)英語歌唱
アルマ・グルック(1884-1938)ルーマニアのブカレスト生まれ。早期にアメリカに移住。メトロポリタン歌劇場で成功を収めた。ロシア出身の名ヴァイオリン奏者エフレム・ジンバリスト(1889-1985)夫人となり、息子にエレム・ジンバリスト・ジュニア、孫にステファニー・ジンバリストがいる。
(3)フリーダ・ヘンペル(ソプラノ)
HMV DA577-A(U.K.) 1923 年6月4日 イギリス録音(機械式録音)
ドイツ語歌唱フリーダ・ヘンペル(1885-1955)はライプヅィヒ生まれ。ベルリンのシュテルン音楽院で学び、1905年にデビューした。ベルリン宮廷歌劇場、ニューヨークのメロポリタン歌劇場に所属した。ヘンペルは1912年にの曲をベルリンで録音していた(独 GRAMMOPHON 76 042)。機械式録音時代に二度の録音は珍しい。
(4)ジークリッド・オネーギン(コントラルト)
BRUNSWICK 15070-B(U.S.) 1923年12月31日 アメリカ録音(機械式録音)
ドイツ語歌唱ジークリッド・オネーギン(1889-1943)はストックホルム生まれ。15歳の時ミュンヘンで声楽を学び、1911年にシュトゥットガルト歌劇場で「カルメン」でオペラデビュー。この時の相手役ホセはエンリコ・カルーソだった。その後ロシアの貴族で音楽家のエフゲニー・オネーギンと結婚しオネーギン姓に改めた。
(5)マリア・クレンコ(ソプラノ)
COLUMBIA 2046-M(U.S.) 1925年4月12日録音(電気録音)
ドイツ語歌唱マリア・クレンコはロシア帝国のトムスク生まれ。モスクワ音楽院で声楽を学び、1914年ハリコフ歌劇場でデビュー。その後ボリショイ歌劇場でソリストをつとめた。フランスに移住してからヨーロッパ各国のオペラ劇場、さらにミューヨークのメトロポリタン歌劇場にも出演した。米 COLUMBIA に多くの録音を残した。これはクレンコの初録音。
(6)エリーザベト・シューマン(ソプラノ)
ローランス・コリンウッド指揮 管弦楽団
Elisabeth Schumann(soprano) Lawrence Collingwood conducting Orchestra
HMV E555(U.K.) 1930年2月17-18日 ロンドン録音(電気録音)
ドイツ語歌唱エリーザベト・シューマン(1888-1952)はドイツ生まれのソプラノ。1909年にハンブルク歌劇場でデビュー。ヨーロッパ各地のオペラ劇場に出演した。1938年アメリカに移住し1944年市民権を得た。モーヅァルト、シューマン、シューベルトの歌曲の録音を残した。
(7)エルナ・ベルガー(ソプラノ) ハンス・アルトマン(ピアノ)
Erna Berger(soprano) Hans Altmann(piano)
POLYDOR 47068(Germany) 1936年6月16日 ベルリン録音 ドイツ語歌唱
エルナ・ベルガー(1900-1990)はドレスデン生まれ。第1次世界大戦後一家は南米に移住し、1923年に生地のドレスデンに戻った。1925年にドレスデン歌劇場でデビュー、その後ヨーロッパ、アメリカの歌劇場に出演した。戦後間もなく来日しビクターに録音した。


78CDR-3828
モーツァルト:
セレナード第13番ト長調 K.525「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」
セレナード第10番変ロ長調 K.361(370a)「グラン・パルティータ」(抜粋)
レオ・ブレッヒ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
英 HMV EJ326/7(K.525)
英 HMV DB4401/2(K.361)
1928年8月30日(K.525)& 1931年頃(K.361)ベルリン録音
レオ・ブレッヒ(1871-1958)はドイツのユダヤ系指揮者。ベルリン高等音楽院でピアノと作曲を修め、1893年にアーヘン市立歌劇場の指揮者になった。1899年プラハ・ドイツ歌劇場に転出、オイゲン・ダルベルトの歌劇「低地」を初演した。1906年にベルリン国立歌劇場の指揮者に任命され、1913年に総監督に昇進、以降シャルロッテンブルク歌劇場(現ベルリン・ドイツ・オペラ)、ベルリン・フォルクスオーパー、ウィーン・フォルクスオーパーの指揮者を歴任。その後ベルリン国立歌劇場に復帰し、1937年までに2846回の公演を指揮した。1937年にラトヴィアのリガ国立歌劇場の音楽監督に転出、1940年にラトヴィアがソビエト連邦に占拠されると、モスクワやレニングラードに客演して大成功を収め、モスクワ音楽院の院長を要請された。ブレッヒはこれを断りリガに戻ったが、1941年ドイツ軍がリガに侵攻したとき、親しかったナチスの文芸部員の仲介で秘密りにスエーデンに亡命、かねてから要請されていたストックホルム王立歌劇場の楽長に就任した。戦後の1949年にドイツに帰国、シャルロッテンブルク歌劇場の音楽監督に就任した。ブレッヒは1926-7年にフリッツ・クライスラー(1875-1962)と共演したベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームスのヴァイオリン協奏曲の録音で名前が知られているが、その波瀾の生涯はほとんど知られていなかった。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3829
J.S.バッハ
フーガの技法 BWV1080(弦楽四重奏版)
ロート弦楽四重奏団
(フェリ・ロート(vn)イェネ・アンタル(vn)フェレンツ・モルナール(va)
ジャーノシュ・ショルツ(vc))
米 COLUMBIA 68257/66SD
1934年10月21-23&25日、11月1-2&16日、12月4、6、14&21日ニューヨーク録音
「フーガの技法」は1740年代バッハが50歳代半ば頃作曲をはじめたが、途中で作曲者自身の視力低下のため未完のまま作曲が中断された。また演奏する楽器指定はなく、一般的な鍵盤楽器で演奏されることが多い。ここではアメリカの作曲家ロイ・ハリス(1989-1979)とメアリー・D・ハーター・ノートン(1894-1985)による弦楽四重奏版で演奏される。ロート弦楽四重奏団はオーストリア・ハンガリー帝国出身のヴァイオリニスト、フェリ・ロート(1899-1967)によって1922年に設立された。全員ハンガリー出身者で構成され、1928年アメリカにわたり活躍、レコード録音も多い。この「フーガの技法」は代表盤。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu1 DSD録音機を使用した。
2021年4月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3830 ※機械式録音盤(電気式録音以前)を含む復刻音源
シューベルト:子守歌 作品98の2, D.498
1915-1937年録音
シューベルトは「子守歌」を四曲書いている。1815年に作曲した「子守歌」Wiegenlied D.304(T.ケルナー詞)、1816年作曲の「子守歌」Wiegenlied作品98の2,D.498の2(M.クラウディウス詞)、1817年作曲の「子守歌」Schlaflied 作品24の2,D.527( マイルホーファー詞)、1826年?作曲の「子守歌」Wiegenlied 作品105の2,D.867(J.G.ザイトル詞)である。今回取り上げるのは二番目の作品98の2。なおこの曲の作詞者はM.クラウディウスとなっていたが、最近の研究で作者不明とされた。また日本語歌詞「ねむれねむれ、母の胸に」で始まる内藤濯訳がよく知られている。
復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

(1)エミー・デスティン(ソプラノ)
ワルター・B・ロジャース指揮 管弦楽団 (3:00)
Emmy Destinn(soprano) Walter B. Rodgers conducting orchestra
VICTOR 87214(U.S.)25cm片面盤
1915年1月13日録音(機械式録音) ドイツ語歌唱
エミー・デスティン(1878-1930)はプラハ生まれ。1898年20歳の時、ベルリン国立歌劇場でデビューし大成功を収めた。その後ロンドンのコヴェント・ガーデン、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場のスーパー・スターになった。オーケストラを指揮するワルター・B・ロジャース(1865-1939)は軍楽隊のコルネット奏者出身。1904年にヴィクター・トーキング・マシン会社に入り、指揮者、編曲者、作曲者として活躍した。

(2)三浦 環(ソプラノ) アルド・フランケッティ(ピアノ) (3:10)
Tamaki Miura(soprano) Aldo Franchetti(piano)
NIPPONOPHONE 5154(JP)(25cm盤)
1922年録音(機械式録音) (内藤 濯訳 日本語歌唱)
三浦 環(1884-1946)は日本人演奏家と初めて国際的名声をつかんだオペラ歌手。東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)出身。1912年の初レコード録音は日本での本格的なクラシック音楽の最初のレコードとされている。1914年医師の夫と共にドイツ留学。第一次世界大戦(1914-1918)の勃発でイギリスに移動。翌1915年イギリス・デビュー。同年渡米し各地で公演。1920年にヨーロッパのオペラ劇場に客演。1922年に帰国した。1925年から再び海外で活動し1936年に帰国して日本国内で活躍した。

(3)宮川美子(ソプラノ) 日本コロムビア交響楽団 (3:04)
Yoshiko Miyagawa(soprano) Nippon Columbia Symphony Orchestra
COLUMBIA 35216(JP)(25cm 両面盤)
1931年録音(電気録音) (内藤 濯訳 日本語歌唱)
宮川美子(1911-1995)はアメリカのサクラメント生まれ。1929年フランスに留学、1931年パリのオペラ・コミック座でデビューし、宮川美子の「マダム・バタフライ」が高く評価された。その年の8月に初めて日本を訪問し、全国で演奏会を開いた。この録音は大中寅二編曲のオーケストラ伴奏でレコード会社も力を入れた一枚だった。宮川は戦後の1946年に兄弟のいるアメリカに戻り、声楽の指導者として活躍した。その後時々来日していたが、1995年アメリカのフロリダで死去した。

(4)関屋敏子(ソプラノ)
ナサニエル・シルクレット指揮 ヴィクター・サロン・オーケストラ (3:34)
Toshiko Sekiya(soprano)
Nathaniel Silkret conducting The Victor Salon Orchestra
VICTOR 13233(JP)(25cm 両面盤)
1932年ニューヨーク録音(電気録音) (内藤 濯訳 日本語歌唱)
関屋敏子(1904-1941)は大正・昭和時代前期に活躍したソプラノ歌手、作曲家。8歳から三浦 環に師事。1937年イタリアに留学、スカラ座のオーディションに受かり各地をまわる。帰国後オペラ、歌曲などの作曲・公演を行った。1941年11月23日睡眠薬自殺を図った。伴奏指揮者のナサニル・シルクレット(1889-1982)は作曲家、指揮者、ピアニスト、クラリネット奏者。1926年VICTOR社の軽音楽部門の責任者となり多くの録音を残した。

(5)ロッテ・レーマン(ソプラノ) エルネ・バロー(ピアノ) (3:34)
Lotte Lehmann(soprano) Erno Balogh(piano)
VICTOR 1856(U.S.) 1937年3月13日録音(電気録音)(ドイツ語歌唱)
ロッテ・レーマン(1888-1976)はドイツのソプラノ。ベルリンで勉強した後、1910年にハンブルク歌劇場、1914年にウィーン宮廷歌劇場にデビューした。1935年にナチス・ドイツの迫害を逃れアメリカに移住した。この録音はアメリカ時代のもの。ピアノのエルネ・バロー(1897-1989)はハンガリー生まれのアメリカのピアニスト、作曲家、教師。

(6)エリーザベト・シューマン(ソプラノ) ジェラルド・ムーア(ピアノ)(2:41)
Elisabeth Schumann(soprano) Gerald Moore(piano)
VICTOR 15168(U.S.)same as HMV DB3426(U.K.)
1937年11月29日録音(電気録音)(ドイツ語歌唱)
エリーザベト・シューマン(1888-1952)はドイツ生まれの名ソプラノ。1909年にハンブルク歌劇場でデビュー。1938年にアメリカに移住し1944年に市民権を得た。彼女はオペラ、オペレッタ、宗教曲、リートと幅広いレパートリーを誇った。


78CDR-3831
ドメニコ・スカルラッティ:ハープシコード・ソナタ集 第2巻(20曲)
(1)ソナタニ長調 L.206(K.490)
(2)ソナタロ短調 L.449(K.27)
(3)ソナタニ長調 L.213(K.400)
(4)ソナタハ長調 L.102(K.423)
(5)ソナタイ短調 L.138(K.109)
(6)ソナタヘ短調 L.382(K.69)
(7)ソナタヘ長調 L.520(K.276)
(8)ソナタニ短調 L.422(K.141)
(9)ソナタト短調 L.49(K.234)
(10)ソナタニ短調 L.423(K.32)
(11)ソナタニ長調 L.418(K.443)
(12)ソナタニ長調 L.14(K.492)
(13)ソナタニ長調 L.461(K.29)
(14)ソナタ変ロ長調 L.497(K.544)
(15)ソナタヘ長調 L.228(K.256)
(16)ソナタヘ短調 L.187(K.481)
(17)ソナタト長調 L.103(K.259)
(18)ソナタハ長調 L.255(K.515)
(19)ソナタニ長調 L.56(K.281)
(20)ソナタ変ロ長調 L.97(K.440)
ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)
仏 LA VOIX DE SON MAITRE DB11205/11211
(1939年1月&1940年3月パリ録音)
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)によるドメニコ・スカルラッティ・ソナタ集第1巻(78CDR-3260)の続編。第1巻の5年後の録音。録音時パリは戦火に見舞われTrack1の演奏中に爆弾の破裂音が入っている。ランドフスカはワルソー生まれ。1900年から13年間パリのスコラ・カントルムで教鞭をとった。二段鍵盤と七個のペダルを有する自分用のハープシコードをパリのプレイエル社に特別注文し生涯この楽器を使用した。ドメニコ・スカルラッティ(1685-1757)は生涯500曲を越えるハープシコード曲を作曲した。L.はロンゴによる整理番号、K.はカークパトリックによる整理番号で便宜のために両方を記した。
復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3832
エネスコ:
ヴァイオリン・ソナタ第3番イ短調作品25「ルーマニアの民俗様式で」
ジョルジュ・エネスコ(ヴァイオリン)
セリニー・シャイエ=リシェ(ピアノ)
仏 COLUMBIA GFX 121/3
1948年パリ録音
ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)が作曲した最後のヴァイオリン・ソナタ。1926年11月に完成し、同年に他界したルーマニア出身のヴァイオリニスト、フランツ・クナイゼル(1865-1926)に献呈された。エネスコはルーマニア出身。1894年13歳でパリ音楽院に入りヴァイオリンをマルタン・マルシック(1848-1924)、和声と作曲をアンドレ・ゲダルジュ(1856-1928)、ジュール・マスネ(1842-1914)、ガブリエル・フォーレ(1845-1924)に師事し、1899年にヴァイオリンで一等賞を得た。1902年にベルリンでデビュー、1910年にピアニストのエドゥアール・リスレル(1873-1929)とベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会を開いた。録音の数は多くなかったが、それらはいずれもレコード史上に輝く傑作と言われている。ピアノのセリニー・シャイエ=リシェ(1884-1973)はパリ音楽院でラウル・ピュニョ(1852-1914)に師事し、1898年14歳で一等賞を得た。彼女は1932年から1952年の間にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲演奏会を何度も開いた。エネスコとシャイエ=リシェの演奏は本シリーズですべて出そろった。
復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。
2021年5月新譜 3点 5月下旬発売予定★DSD録音

今月はすべて機械式録音のSPレコードからの復刻。録音から100年を経た巨匠達の演奏に耳を傾けていただきたい。

78CDR-3833 ※機械式録音盤からの復刻音源
ブラームス:子守歌 作品49の4(その1)
1913-1915年録音
今回はブラースの「子守歌」の機械式録音(ラッパ吹き込み)4枚を取り上げた。録音年代は1913年から1915年の2年間である。ブラームスの子守歌は既発売の「モーツァルトの子守歌」(78CDR-3827)や「シューベルトの子守歌」(78CDR-3830)と同様にラッパ吹き込みのSPレコード時代から数多く発売された。作曲年代は1869年、作曲者ブラームスが35歳の時の作品。ブラームスが指導していた女声合唱団のメンバーだったベルタ・ファーバー(Bertha Faber)の次男出生を記念して作曲されたと伝えられる。初演は1869年12月22日にウィーンで行われた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com./ のSPレコード専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

(1)カール・イェルン(テノール)
ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(チェレスタ)
独GRAMOPHONE 4-42561 1913年10月20日ベルリン録音(機械式録音)ドイツ語歌唱
カール・イェルン(1873-1843)はラトビアのリガ生まれ。1896年22歳でドイツのフライブルクとリヨンでデビュー。1898年チューリッヒの州立歌劇場、1899年ハンブルク歌劇場、1902年-1908年ベルリン国立歌劇場に出演していた。皇帝ヴィルヘルム二世のお気に入りだった。1908年にアメリカに行きメトロポリタン劇場に出演した。1913年秋ベルリンに戻り、「パルシファル」が絶賛されヨーロッパ永住を説得されたがアメリカに戻った。ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(1880-1960)はドイツ生まれのピアニスト、指揮者、編曲者。1890年代にドイツ・エジソン会社の録音ディレクタを務めた。1903年から1923年にはドイツ・グラモフォン会社に奉職し数多くの録音に携わった。1908年のビゼー:歌劇「カルメン」の初の全曲録音(カルメン役はエミー・デスティン)、1923年にはベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」の初の全曲録音を行った。また1938年のジネット・ヌヴーの初録音(78CDR-3148)のピアニストをつとめていた。

(2)エレナ・ゲルハルト(ソプラノ)
ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(ピアノ)
独GRAMOPHONE(25cm片面盤) 1914年1月13日ベルリン録音(機械式録音)
ドイツ語歌唱
エレナ・ゲルハルト(1883-1961)はライプツィヒ郊外のコネヴィツの生まれ。ライプツィヒ音楽院で声楽を学び、当時音楽院の院長だったアルトゥール・ニキシュ(1855-1922)に認められ、20歳の誕生日にニキシュの伴奏でデビューした。1933年からロンドンを拠点に活動するようになり、1947年に引退した。ゲルハルトはこのシリーズで電気録音時代のものが多く出ている。

(3)ユリア・クルプ(コントラルト) ケンラート・ファン・ボス(ピアノ)
VICTROLA 566-B(25cm両面盤) 1914年2月6日キャムデン録音(機械式録音)
ドイツ語歌唱
ユリア・クルプ(1880-1970)はオランダのフロニンヘン生まれ。1896年アムステルダム音楽院に入りコルネリ・ファン・ツァンデンに師事した。クルプはリートを専門にした最初の歌手とされている。クルプはこのシリーズで1910年録音のシューマン:「女の愛と生涯」(78CDR-3792)が出ている。

(4)エルネスティーネ・シューマン=ハインク(コントラルト)
VICTROLA 838-A(25cm両面盤) 1915年9月14日キャムデン録音(機械式録音)
ドイツ語歌唱
エルネスティーネ・シューマン=ハインク(1861-1936)はチェコ生まれ。15歳でドイツ楽壇にデビュー。ワーグナー歌手としてヨーロッパ各地で活躍の後、1908年にアメリカに帰化。豊かな声量、声域の広さ、すぐれた解釈力などで、多くの役柄をこなし、オペラ歌手、リート歌手として一世を風靡した。1921年(大正10年)に来日し、帝国劇場でリサイタルを開いた。


78CDR-3834 ※機械式録音盤からの復刻音源
ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
アルトゥール・ニキシュ指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
英 HMV D89/92
1913年11月18日ベルリン録音
アルトゥール・ニキシュ(1855-1922)はハンガリー出身の大指揮者。ウィーン音楽院でヴァイオリンと作曲を学び、ウィーン宮廷歌劇場のヴァイオリン奏者として音楽活動をはじめた。1878年にライプツィヒ歌劇場の指揮者になり、1885年にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を指揮してブルックナーの交響曲第7番の初演をした。1895年、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者になり生涯この地位にあった。この録音は1913年に行われた。ベルリン・フィルの最初の録音とされている。マイクロフォンもアンプも使わない機械式録音で、大きなラッパの前で演奏してレコード原盤を作成した。電気録音が始まったのは1925年だった。途中にキズがあるが、古いレコードなのでご容赦いただきたい。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com./ のSPレコード専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3835 ※機械式録音盤からの復刻音源
フェルッチョ・ブゾーニ全録音集
ショパン:夜想曲第5番嬰ヘ長調作品15-2
ショパン:練習曲変ト長調作品10-5「黒鍵」
ショパン:練習曲ホ短調作品25-5
J.S.バッハ:
前奏曲とフーガ第1番ハ長調 BWV.846「平均律クラヴィア曲集-1」
リスト:ハンガリー狂詩曲第13番イ短調
ショパン:前奏曲第7番イ長調作品28-7
ショパン:練習曲第5番変ト長調作品10-5「黒鍵」
J.S.バッハ(ブゾーニ編曲):
コラール前奏曲「いまぞ喜べ、愛するキリスト者の仲間たち」
ベートーヴェン(ブゾーニ編):エコセーズ
フェルッチョ・ブゾーニ(ピアノ)
英COLUMBIA L-1432, L-1445, L-1456 & L-1470
1922年2月22日録音
フェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)はイタリア生まれのピアニスト、作曲家、指揮者。1886年ライプツィヒに行き、その後ロシア、アメリカでピアニストとして演奏旅行をした。1894年にベルリンに居を構えた。この機械式録音の英コロンビア盤はブゾーニが残したSPレコードのすべてで1922年55歳の録音。伝説の音楽家の演奏に耳を傾けて頂きたい。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com./ のSPレコード専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。
2021年6月新譜 3点発売中★DSD録音

78CDR-3836
ブラームス
子守歌 作品49の4 (その2)
1928-1953年録音
今回はブラースの「子守歌」の後編として日本人アーティストを含めてた7枚を取り上げた。録音年代は1928年から1953年である。すべて電気録音。ブラームスの子守歌の作曲年代は1869年、作曲者ブラームスが35歳の時の作品。ブラームスが指導していた女声合唱団のメンバーだったベルタ・ファーバー(Bertha Faber)の次男出生を記念して作曲されたと伝えられる。初演は1869年12月22日にウィーンで行われた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com./ のSPレコード専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

(1)藤原義江(テノール) マクシム・シャピロ(ピアノ)
NIPPONOPHONE 16747(JP)(25cm両面盤)
1928年発売 (堀内敬三・訳、日本語歌唱)
藤原義江(1898-1976)は大阪府生まれの男性歌手。父親がスコットランド人で母親が日本人。戦前から戦後にかけて活躍した。藤原歌劇団の創設者。ピアノのマクシム・シャピロ(1885-1958)はロシア出身。1927年から1939年まで日本で活躍した。1917年のロシア革命後にドイツに亡命。1927年日本に移住し、映画「藤原義江のふるさと」にピアノ伴奏者として出演した。1933年に大阪音楽学校のピアノ科教授。1939年にアメリカに渡った。

(2)関屋敏子(ソプラノ) 日本ビクター管弦楽団
VICTOR 13076(JP)(25cm両面盤)
1930年9月発売 (堀内敬三・訳、日本語歌唱)
関屋敏子(1904-1941)は東京生まれ。少女時代に三浦環(たまき)(1844-1946)に学び、東京音楽学校に進むが中退し1925年にデビュー、その後イタリアに留学、ボローニャ大学で学んだあとスカラ座のオーディションに合格しヨーロッパ各地で歌った。1929年に帰国、翌年、藤原義江と「ラ・トラヴィアータ」をを共演した。その後ふたたびアメリカ、ヨーロッパに渡り演奏活動を続けた。1934年に帰国するが、芸術上と生活上の行き詰まりから1941年に37歳で睡眠薬自殺を図った。

(3)リア・ギンスター(ソプラノ) ジェラルド・ムーア(ピアノ)
HMV DB1874(U.K.)(30cm両面盤)
1933年1月30日ロンドン、アビーロード録音(電気録音)ドイツ語歌唱
リア・ギンスター(1898-1985)はフランクフルト生まれ。ハイスクール卒業後フランクフルト高等音楽院で声楽を学び、さらにベルリン音楽アカデミーで指導を受けた後ヨーロッパ各地の音楽舞台に登場しスターになった。1938年チューリッヒ音楽アカデミーの声楽科の教授になり、30年以上その地位にあった。

(4)エルナ・ベルガー(ソプラノ) ハンス・アルトマン(ピアノ)
POLYDOR 47068(Germany) 1936年6月16日録音 ドイツ語歌唱
エルナ・ベルガー(1900-1990)はドレスデン生まれ。1926年フリッツ・ブッシュに認められドレスデン国立歌劇場と契約、のちにベルリン国立歌劇場、ハンブルク国立歌劇場を中心に活躍した。1955年引退後ハンブルク音楽大学で教鞭をとった。1958年に来日。

(5)エリーザベト・シューマン(ソプラノ) ワルター・ゲール指揮管弦楽団
HMV DA1562(U.K.) 1937年3月11日ロンドン、アビーロード録音 ドイツ語歌唱
エリーザベト・シューマン(1888-1952)はメルゼブルク生まれ。ドレスデンとハンブルクで学び1909年にハンブルク歌劇場でデビューした。1937年ナチスのオーストリア併合でアメリカに移り、ニューヨークで晩年を送った。

(6)ブランシュ・シーボム(メゾソプラノ)
マックリン・マーロウ指揮 ヴィクター弦楽オーケストラ
VICTOR 10-1173(U.S.) 1945年4月3日録音(訳詞: Arthur Westbrook) 英語歌唱
ブランシュ・シーボム(1915-2010)はアメリカのオペラ歌手(メゾソプラノ)。ニューヨークのメトロポリタン歌劇場の専属として20年以上活躍した。1961年に来日。

(7)三宅春恵(ソプラノ) 三宅洋一郎(ピアノ)
VICTOR NK-3136(JP) 1953年頃発売(訳詞: 大木淳夫、伊藤武雄 日本語歌唱)
三宅春江(1918-2005)は福岡市生まれ。1939年東京音楽学校卒業。ヘルマン・ヴーハー=プフェニッヒに師事した。ドイツ、オーストリアに留学。フェリス女学院短期大学名誉教授。ピアノの三宅洋一郎(1914-1994)は熊本県生まれ。長年にわたり日本女声合唱団の指導、フェリス女学院短期大学楽長などをつとめた。三宅春恵の夫君。


78CDR-3837
シューマン:交響曲第2番ハ長調作品61
ハンス・プフィツナー指揮
ベルリン国立歌劇場のメンバー
独 POLYDOR 95412/6
(1928年ベルリン録音)
ハンス・プフィツナー(1869-1949)はドイツの後期ロマン派を代表する作曲家の一人。ドイツ人の両親のもとにロシアで生まれた。幼少時にドイツに移住し指揮者として地位を固めた後、徐々に作曲活動を活発化させていった。この録音は電気録音初期のもので、ベルリン国立歌劇場管弦楽団は数々の指揮者のレコード登竜門になった。ブルーノ・ワルター、エーリッヒ・クライバー、オットー・クレンペラー等の後の大物指揮者も同時期に録音している。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com./ のSPレコード専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3838
J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 BWV1041
マックス・シュトループ(ヴァイオリン)
フリッツ・シュタイン指揮
ベルリン大学器楽合奏団
独 ELECTROLA DB5527/8
1939年ベルリン録音
マックス・シュトループ(1900-1966)はドイツのヴァイオリン奏者。1922年、当時ザクセン国立歌劇場の音楽監督だったフリッツ・ブッシュ(1890-1951)の招きでコンサート・マスターに就任。1924年から1928年にはワイマール音楽学校のヴァイオリン教授になり、一方オットー・クレンペラーの要請でベルリン国立歌劇場管弦楽団のコンサート・マスターも務めた。大戦後の1947年からはデトモルト音楽アカデミーでヴァイオリンと室内楽の指導にあたった。指揮者のフリッツ・シュタイン(1879-1961)は神学者で教会のオルガン奏者でもあった。1919年から1933年の長期にわたりキール大学で教鞭をとり、ナチス政権の下ではユダヤ人関連音楽の排斥に尽力した。そのため大戦後はは失職し1961年に世を去った。このレコードはドイツ国内だけで発売され、英HMVや米VICTORでは出なかった。原盤番号の末尾の「T」は、演奏会場から電話回線で音声信号を録音室に送り原盤を作成したという記号。フルトヴェングラー指揮ベートーヴェンの「運命」(78CDR-3521)のドイツ盤SPレコードにもこの記号がある。ドイツ以外で発売された盤ではこの記号は削り取られていた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com./ のSPレコード専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。
2021年7月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3839
レーガー:マリアの子守歌 作品76-52
1917-1937年録音
作曲者のマックス・レーガーはドイツ生まれ。同年生まれの作曲家にはロシアのセルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)がいた。レーガーは作曲家、オルガン奏者、ピアニスト、指揮者、音楽教師として活躍したが、43歳の時心筋梗塞で没した。この「マリアの子守歌」は1903年から1912年にかけて作曲された「素朴な歌」(6巻60曲)の52曲目に入っていた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com./ のSPレコード専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

(1)ユリア・クルプ(コントラルト) ケンラート・ファン・ボス(ピアノ)
VICTROLA 64683(U.S.)1917年3月28日キャムデン録音 ※機械式録音
(Ed. Techmacher)(英語歌唱)
ユリア・クルプ(1880-1970)はオランダ生まれ。リートを専門にした最初の歌手とされている。1906年から1926年の間に約90面のレコード吹き込みをした。
(2)竹岡鶴代(ソプラノ) 榊原 直(ピアノ)
NIPPONOPHONE 15619(JP) ※機械式録音 1925年4月発売(ドイツ語歌唱)
竹岡鶴代(1895-1966)は岡山県出身。1917年東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)を卒業後ドイツに留学。帰国後は声楽家として大きな足跡を残した。また国立(くにたち)音楽大学の創立にもかかわり教授として多年のわたって音楽教育に尽力した。ここではこの時代に珍しくドイツ語で歌っている。ピアノの榊原 直(1894-1959)は東京出身。
(3)クレール・デュックス(ソプラノ) フレデリック・パーソン(ピアノ)
BRUNSWICK 10251(U.K.) 1926年5月27日イギリス録音 ※電気録音(ドイツ語歌唱)
クレール・デュックス(1885-1967)はポーランド出身。ベルリンとミラノで声楽を修め1906年ケルン歌劇場でデビュー。1911年-18年にベルリン国立歌劇場のメンバーだった。その後ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウス、スウェーデン王立歌劇場、さらにシカゴ市民歌劇場のメンバーだった。これは電気録音最初期のもの。
(4)エレナ・ゲルハルト(ソプラノ) ケンラート・ファン・ボス(ピアノ)
HMV DB1030(U.K.)1927年3月11日イギリス録音 電気録音 (ドイツ語歌唱)
エレナ・ゲルハルト(1883-1961)はライプツィヒ郊外のコネヴィッツ生まれ。ライプツィヒ音楽院で声楽を学び、当時音楽院長だったアルトゥール・ニキシュ(1885-1922)に認められ、20歳の誕生日にニキシュのピアノ伴奏でデビューした。その後ヨーロッパ各地に演奏旅行し国際的名声を確立した。1933年からロンドンを拠点に活躍した。
(5)リア・ギンスター(ソプラノ) ジェラルド・ムーア(ピアノ)
HMV DB1874(U.K.)1933年1月30日アビーロード録音 電気録音 (ドイツ語歌唱)
リア・ギンスター(1898-1985)はフランクフルト生まれ。ベルリン音楽アカデミーで声楽を修めた後すぐにヨーロッパ各地の音楽舞台に登場してスターになった。1938年チューリッヒ音楽アカデミーの教授になり、30年以上その地位にあった。ジェラルド・ムーア(1899-1987)はイギリスのピアニスト。多数の著名歌手と共に多くのレコード録音をした。
(6)クラウディア・ムツィオ(ソプラノ) オーケストラ伴奏
COLUMBIA(JP)1935年イタリア録音 電気録音 (イアリア語歌唱)
クラウディア・ムツィオ(1889-1936)はイタリア生まれ。幼少の頃から両親にロンドン、ニューヨークのオペラ劇場に連れて行かれオペラを体感した。1910年21歳の時アレッツォで「マノン」を歌いデビュー。1913年にスカラ座、翌年ロンドンのコヴェントガーデン、1916年のクリスマスにはニューヨークのメトロポリタン歌劇場に招かれた。さらにブエノスアイレスのテアトロ・コロン歌劇場とサンフランシスコ歌劇場にも出演した。ムツィオは1911年にHMV に初録音、その後パテとエジソン・レコード(いずれも縦振動)に多数録音した。その後レコード会社から声がかかからなくなり、1935年にイタリア・コロンビアに自費録音した。これはその中の一枚。ムツィオは1936年ローマのホテルで心臓発作のため死去した。享年37歳。
(7)エリーザベト・シューマン(ソプラノ)
ローランス・コリンウッド指揮 管弦楽団
HMV DA 1619(U.K.) 1937年アビーロード録音 電気録音 ドイツ語歌唱
エリーザベト・シューマン(1888-1952)はドイツのメルゼブルク生まれ。ドレスデンとハンブルクで学び1909年にハンブルク歌劇場でデビューした。1937年ナチスのオーストリア併合でアメリカに移住、後年をニューヨークで過ごした。


78CDR-3840 ※機械式録音
ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調作品60
ハンス・プフィツナー指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
独 SCHALLPLATTE "GRMMOPHON" 68663/67
(1924年6月ベルリン録音)
ハンス・プフィツナー(1869-1949)はドイツの後期ロマン派を代表する作曲家の一人。ドイツ人の両親のもとにロシアで生まれた。幼少時にドイツに移住し指揮者として地位を固めた後、徐々に作曲活動を活発化させていった。この録音は機械式録音後期のもので、この曲の世界初録音。プフィツナーはこのシリーズで電気録音初期のシューマン:交響曲第2番(78CDR-3837)が出ている。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com./ のSPレコード専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3841
モーツァルト:クラリネット五重奏曲イ長調 K.581
ルイジ・アモディオ(クラリネット)
シュトループ四重奏団;
マックス・シュトループ(第1ヴァイオリン)
ヘルマン・フ-ブル(第2ヴァイオリン)
ヘルマン・ヒルシュフェルダー(ヴィオラ)
ハンス・ミュンヒ=ホーラント(チェロ)
独 ELECTROLA DB5683/86
1941年ベルリン録音
ルイジ・アモーディオ(1902-1941)はイタリア生まれのクラリネット奏者。ボローニャ音楽院出身。指揮者のアルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)の目にとまり、ミラノ・スカラ座管弦楽団のクラリネット奏者に起用され、その後ベルリン・フィルに招かれウェーバーのクラリネット協奏曲を演奏した。アモーディオはヘビー・スモーカーで肺ガンと診断された後、クラリネットの主要室内楽作品をベルリンで録音し40歳で世を去った。弦楽四重奏団のリーダー、マックス・シュトループ(1900-1966)は1920年代に頭角を表しベルリン高等音楽院で最年少のヴァイオリン科教授になった。1936年弦楽四重奏団を組織した。この録音時のメンバーは第2世代のもの。このシリーズでベートーヴェン:弦楽四重奏曲第9番「ラズモフスキー第3番」(78CDR-3750)とカール・ベーム指揮のベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3215)が出ている。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com./ のSPレコード専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。
2021年8月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3842
ヨハン・シュトラウス 2世
春の声 作品410
オーストリア生まれの作曲家J.シュトラウス 2世(1825-1899)はJ.シュトラウス1世(1804-1849)の長男。1844年自らの楽団を組織してヨーロッパ各地で演奏しウィンナ・ワルツの全盛時代を築いた。彼は「ワルツ王」とたたえられ、1863年から70年にかけて宮廷舞踏会の指揮者として活躍し、1871からはオペレッタの作曲を手がけた。「春の声」は1882年に親友のピアニストで作曲家でもあったアルフレート・グリュンフェルト(1852-1924)に捧げられ、コロラトゥーラ・ソプラノ歌手ビアンカ・ビアンキ(本名ベルタ・シュヴァルツ)がアン・デア・ヴィーン劇場でフランツ・ヨーゼフ皇帝とエリーザベト皇后の臨席のもとにオーケストラ伴奏付の歌曲(歌詞はリヒャルト・ジュネによる)として発表した。
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(1)エルナ・ベルガー(ソプラノ)
ワルター・ジュスキント指揮 フィルハーモニア管弦楽団
ELECTROLA DB 6951(Germany) ドイツ語歌唱 1949年5月25日アビー・ロード録音
エルナ・ベルガー(1900-1990)はドイツの名ソプラノ。指揮者のワルター・ジュスキント(1913-1980)はプラハの生まれ。プラハ音楽院で作曲とにピアノを学び、さらにプラハのドイツ・アデミーではジョージ・セルに指揮の指導を得た。ナチスの迫害を逃れてイギリスに移住した。LP初期に HMVのハウスコンダクター的活躍をした。

(2)マリア・チェボタリ(ソプラノ)
ロベルト・ヘーガー指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団
COLUMBIA JD6029(JP) ドイツ語歌唱 1935年12月19日ベルリン録音
マリア・チェボタリ(1910-1949)はルーマニア国籍のソプラノ。ドレスデン国立歌劇場の音楽監督フリッツ・ブッシュに見いだされ、その後ベルリン国立歌劇場に移り、看板歌手となった。戦後はウィーン国立歌劇場に出演、「モーツァルト・アンサンブル」の一員として活躍した。1949年肝臓癌のため39歳で死去した。指揮者のロベルト・ヘーガー(1886-1978)はドイツ生まれ。1933年から50年までベルリン国立歌劇場の指揮者だった。

(3)エルナ・ザック(ソプラノ)
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団
TELEFUNKEN E 1774(Germany) ドイツ語歌唱 1935年4月2日ベルリン録音
エルナ・ザック(1898-1972)はベルリン生まれ。 "ドイツのナイチンゲール" と言われ人気を得た。戦前の批評家あらえびすはその著書「名曲決定盤」で彼女の魅力を述べていた。指揮者のハンス・シュミット=イッセルシュテット(1900-1973)はドイツ生まれ。ハンブルク国立歌劇場、ベルリン・ドイツ・オペラ総監督、戦後は北ドイツ放送交響楽団の指揮者として活躍した。

(4)ミリッツァ・コリュス(ソプラノ)
ルートヴィヒ・リュート指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団
ELECTROLA EH-860(Germany) ドイツ語歌唱 1934年1月録音
ミリッツァ・コリュス(1909-1980)はポーランド生まれのコロラトゥーラ・ソプラノ。ヨーロッパ屈指のコロラトゥーラ・ソプラノだったが、アメリカに移住しハリウッド映画のスターとして、またコンサートでのキャリアを積んだ。女優としてハリウッド映画「グレート・ワルツ」で1938年度アカデミー助演女優賞を受賞した。

(5)クララ・クライルベール(ソプラノ)
アルベール・ウォルフ指揮 管弦楽団
POLYDOR 35016(JP) イタリア語歌唱 1933年録音
クララ・クライルベール(1899-1970)はベルギーのソプラノ。第1次世界大戦中、コーラス隊で歌っていた時コーラス・マスターの目にとまりパリでソリストとして訓練された。大戦後、退役兵士や負傷した兵士の慰問コンサートに度々出演し、その結果ブリュッセルのモネ歌劇場のディレクターの目にとまった。その後1920年代から1950年代の引退までモネ劇場のプリマドンナとして活躍した。1970年ブリュッセルで死去した。

(6)フェリシー・ヒュニ=ミハチェック(ソプラノ)
オーケストラ伴奏
POLYDOR 60150(JP) ドイツ語歌唱 1928年録音
フェリシー・ヒュニ=ミハチェック(1891-1976)はハンガリー生まれ。主にドイツで活躍した。ウィーンで声楽を学び、1916年にハンブルク国立歌劇場でデビュー。1919年にウィーン国立歌劇場でR.シュトラウスの「影のない女」の初演に参加し、1925年までウィーンに居た。1931年にミュンヘン国立歌劇場でプフィツナーの歌劇「心」の初演に参加した。1953年ミュンヘン公演を最後に引退した。


78CDR-3843
ベートーヴェン:
交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
ピアノ三重奏曲第4番変ロ長調作品11「街の歌」よりAdagio   (4:40)95383B(523 BI 4)
ハンス・プフィツナー指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
M.ラウハイゼン(ピアノ)
J.スザント(クラリネット)
J.ディスクレツ(チェロ)
独GRAMMOPHON 95378/83
1930年(1-11)、1929年(12)ベルリン録音
(強音で少しビリツキがあります)
ハンス・プフィツナー(1869-1949)はドイツの後期ロマン派を代表する作曲家の一人。ドイツ人の両親のもとにロシアで生まれた。幼少時にドイツに移住し指揮者として地位を固めた後、徐々に作曲活動を活発化させていった。レコード録音は機械式録音の後期から電気式録音の初期の時代にベルリン国立歌劇場管弦楽団を指揮したものが独GRAMMOPHONに残されているが、その後は作曲活動に専念したためか、録音はほとんど無い。このシリーズではシューマン:交響曲第2番(78CDR3837)とベートヴェン:交響曲第4番(78CDR-3840)が出ている。ピアノ三重奏曲は1930年頃ドイツで活躍した器楽奏者によるもので、ピアニストのラウハイゼン(1889-1984)は歌曲伴奏者として活躍、生涯に1000人以上のアーティストと共演したと伝えられる。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com./ のSPレコード専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3844
シューベルト
楽興の時 作品94 D.780
アドリアン・エッシュバッハー(ピアノ)
独 SIEMENS SPEZIAL(POLYDOR)67752/4
1941年-43年 ベルリン録音
(盤のキズのよるノイズと音飛び(トラック-2)があります)
アドリアン・エッシュバッハー(1912-2002)はスイス生まれ。作曲家だった父親に音楽の手ほどきを受けた後、チューリッヒ音楽院に入った。その後ベルリンでアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)にも指導を受け、1934年にヨーロッパ及び南米への演奏旅行でピアノ奏者としての名声を確立した。これはエッシュバッハーの最初期の録音。第2次世界大戦中のもの。1967年にLPに再録音していた。
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2021年9月新譜 3点 発売中★DSD録音
78CDR-3845
ヨハン・シュトラウス 2世(1825-1899)
美しく青きドナウ作品314
オーストリア生まれの作曲者J.シュトラウス2世(1825-1899)は「ワルツ王」とたたえられ、1863年から70年にかけて宮廷舞踏会の指揮者として活躍し、1871年からはオペレッタの作曲を手がけた。「美しく青きドナウ」は1867年にウィーン男声合唱協会に献呈された。普墺戦争(1866年6月14日-8月23日)(プロイセン=オーストリア戦争)敗北後の沈滞した空気からウィーンを立ち直らせるための曲として作曲された。初演はそこそこの成功だったが、1867年4月にパリ万博が開催され、パリのオーストリア大使館のイベントで、臨席したフランス皇帝ナポレオン3世からも絶賛をうけ、フランス語の新しい歌詞がつけられ、パリの人々によって口ずさまれた。さらにシュトラウス2世はロンドンに渡り、ここでもパリと同様に絶賛された。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

近衛秀麿指揮新交響楽団
PARLOPHONE E 10022/3(JP)30cm盤 4面収録 1930年頃録音
SPレコード時代のパーロフォン・レコードは昭和4年-8年(1929-33)に日本で販売された。その後日本コロムビアに統合された。近衛秀麿(1898-1973)は指揮者、作曲家。東京帝国大学文学部を中退して1923年ヨーロッパに渡り、ベルリンで指揮をエーリヒ・クライバー(1890-1956)に師事した。ヨーロッパ滞在中にベルリン・フィルを私費で雇い、指揮者デビューをした。1925年、山田耕筰(1886-1965)と共に「日本交響楽協会」を設立、このオーケストラは後に「新交響楽団」(新響)となり、近衛は1935年までこの楽団の指揮者をつとめた。新響は1951年にNHK交響楽団(N響)になった。近衛と新響の録音は、30cm盤4面(通常は2面)収録だが、これは機械式録音の最末期にあった近衛の師クライバー盤(独 VOX 01896/7)(1925年9月機械式録音)の4面録音に倣ったものと想像する。

マリア・イヴォーギュン(ソプラノ)
レオ・ブレッヒ指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団
HMV DB4412(U.K.) 30cm盤片面収録 ドイツ語歌唱 1933年ベルリン録音
マリア・イヴォギュン(1891-1987)はハンガリー生まれのソプラノ。ウィーン音楽アカデミーで学んだ後、1913年指揮者のブルーノ・ワルター(1876-1962)の紹介でミュンヘンのバイエルン国立歌劇場でプッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」のミミ役でデビューした。1917年バイエルンの宮廷歌手の称号を授与された。1921年にテノール歌手のカール・エルプ(1877-1958)と結婚し、カップルは熱狂的な嵐を引き起こした。その後ベルリン国立歌劇場の専属となり活躍した。1932年にカール・エルプと離婚し、1933年ピアニストのミヒャエル・ラウハイゼン(1889-1984)と再婚した。しかし、目の病のためオペラのキャリアを終えた。その後はベルリン高等音楽院の教員として後進の指導にあたった。さらにウィーン音楽大学(1948-1950)でも教鞭をとり、再びベルリン高等音楽院の教授となり、人生の最後をスイスで過ごしたが、事実上盲目だった。門下生にはエリーザベト・シュヴァルツコプフ(1915-2006)、リタ・シュトライヒ(1920-1987)、イヴリン・リアー(1926-2012)などがいる。1987年10月3日スイスのベアテンブルクで死去。享年95歳。指揮者のレオ・ブレッヒ(1871-1958)はドイツのユダヤ系指揮者。1908年にベルリン国立歌劇場の指揮者に任命され1937年までに2846回の公演を指揮した。1937年ラトヴィアのリガ国立歌劇場の音楽監督に転出し、1940年ラトヴィアがソビエト連邦に占拠されると、モスクワやレニングラードに客演して大成功を収め、モスクワ音楽院の院長を要請された。ブレッヒはこれを断りリガに戻ったが、1941年ドイツ軍がリガに侵攻したとき、親しかったナチスの文芸部員の仲介で秘密裏にスエーデンに亡命、かねてから要請されていたストックホルム王立歌劇場の音楽監督に就任した。

アダ・サリ(ソプラノ)
カール・アルヴィン指揮 管弦楽団
GLAMOLA ES459(Czechoslovakia) 30cm 盤片面収録 ドイツ語歌唱
1934年1月録音
アダ・サリ(1886-1968)はポーランドのコロラトゥーラ・ソプラノ歌手、女優で教育者。20世紀前半にヨーロッパの歌劇場やコンサート・ホールのステージで絶賛された。ウィーンやミラノで声楽を学んだ後、ローマでデビュー。ヨーロッパ各地の舞台を踏んだ後、南米、北米で名声を高めた。その後ワルシャワに戻り教育者に専念し1968に没した。1985年以来「アダ・サリ声楽コンクールが開かれている。指揮者のカール・アルヴィン(1891-1945)はドイツのケーニッヒスベルグ生まれ。ベルリンで勉強した後1910年にベルリン宮廷歌劇場、1912年からバイロイトで補助指揮者、1913年にはハレ、1914年にはポズナニ、1915-1917年にデュセルドルフ、1920年までハンブルク、1920-38年はウィーン国立歌劇場の指揮者をつとめた。ナチスのウィーン侵攻でユダヤ人だったアルヴィンはアメリカに移住し、シカゴ市民歌劇場(1939/40シーズン)、その後メキシコに行き1941年から1945年までメキシコ・シティ歌劇場を指揮し、また音楽院で教えていた。アルヴィンは1920年-33年まで、名ソプラノのエリーザベト・シューマン(1888-1952)と結婚していた。


78CDR-3846
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調作品26
ゲオルク・クーレンカンプ(ヴァイオリン)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
独 TELEFUNKEN SK3712/4
(1941年ベルリン録音)
クーレンカンプのこの曲の第1回目の録音。第2回目は1947年のシューリヒト指揮で本シリーズ78CDR-3123で出ている。ゲオルク・クーレンカンプ(1898-1948)はドイツのブレーメン生まれ。第2次世界大戦中ソリストとして活躍する傍ら、ベルリン高等音楽院ヴァイオリン科の教授を1943年まで務めた。1944年にスイスのルツェルン音楽院教授となり、ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)、チェロのエンリコ・マイナルディ(1897-1976)とのトリオでも活躍した。1948年50歳を迎えて間もなく急逝した。指揮者のヨーゼフ・カイルベルト(1908-1968)はカールスルーエ生まれ。1935年カールスルーエ国立歌劇場の音楽監督、1940年にプラハのドイツ・フィルハーモニーの指揮者に転任。さらに終戦までドレスデン・シュターツカペレの首席指揮者を務めた。その後バンベルク交響楽団、ベルリン国立歌劇場、ハンブルク・フィル、バイロイト音楽祭(1952-56)の指揮をした。1965年、1955年、1968年に来日しNHK交響楽団を指揮した。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3847
ベートーヴェン:交響曲第8番ヘ長調作品93
ハンス・プフィツナー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
米 BRUNSWICK 90252/4(独 POLYDOR 15020/2と同一録音)
1933年ベルリン録音
ハンス・プフィツナー(1869-1949)はドイツの後期ロマン派を代表する作曲家の一人。ドイツ人の両親のもとにロシアで生まれた。幼少時ドイツに移住し、指揮者としての地位を固めた後、徐々に作曲活動を活発化させて行き、ドイツの後期ロマン派を代表する作曲家になった。プフィツナーが指揮者として活躍した時代は、機械式録音から電気録音への移行期だった。このシリーズでは機械式録音(1924年)のベートーヴェン:交響曲第4番(78CDR-3840)、電気録音(1928年)のシューマン:交響曲第2番(78CDR-3837)、1930年録音のベートーヴェン:交響曲第6番「田園」(78CDR-3843)が出ている。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。
2021年10月新譜 3点 発売中★DSD録音
78CDR-3848
ヨハン・シュトラウス 2世(1825-1899)
ウィーンの森の物語 作品325
1929-1934年録音
オーストリア生まれの作曲者J.シュトラウス2世(1825-1899)は1844年自らの楽団を組織してヨーロッパ各地で演奏しウィンナ・ワルツの全盛時代を築いた。「ウィーンの森の物語」は1868年6月19日ウィーンの舞踏場で初演され大好評をだった。このワルツはウィーンの人々の憩いの場であった「ウィーンの森」を主題にしている。「ウィーンの森の物語」のレコードは機械式録音黎明期の1899年にライプツィヒ音楽協会のグラモフォン盤から始まり、1926年の機械式録音終了時までに約50種類が登場した。著名指揮者によろものではレオ・ブレッヒ指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(グラモフォン6581)(1917年録音)、ウィレム・メンゲルベルグ指揮ニューヨーク・フィル(Victor 6427 & HMVDB805)(1924年2月録音)、ニコライ・ソコロフ指揮クリーヴランド管弦楽団(Brunswick 50052)(1924年10月録音)、エーリヒ・クライバー指揮ベルリン国立歌劇場管弦楽団(独 VOX 08234/5=4面収録)(1926年9月録音)などがあった。電気録音のSPにはオーケストラによるもので約30種類の録音があった。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com./ のSPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

(1)ブルーノ・ワルター指揮 交響楽団
COLUMBIA W54(JP)COLUMBIA L2334(U.K.)と同一録音 30cm 盤両面収録
1929年5月18/19日ロンドン録音
この交響楽団とあるのは、ロンドンの録音のための臨時編成オーケストラ。ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ生まれの指揮者。幼少期からピアノに親しみ、ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビューしたが、しばらくして指揮者に転向。グスタフ・マーラー(1860-1911)に認められ交流を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長、音楽監督を歴任、またウィーン・フィルやベルリン・フィルも指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、イギリスを経てアメリカに逃れた。

(2)ロッテ・シェーン(ソプラノ)
レオ・ブレッヒ指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団
HMV D1733(U.K.)30cm 盤片面収録 ドイツ語歌唱 1929年9月25日ベルリン録音
ロッテ・シェーン(1891-1977)はウィーン生まれ。1912年にウィーン・フォルクス・オーパーでデビュー。1917-1925年にはウィーン国立歌劇場のメンバーだった。またザルツブルク音楽祭の常連で、ベルリン国立歌劇場やロンドンのロイヤル・オペラにも出演した。ナチスの台頭によってユダヤ系の彼女はパリに逃れオペラ・コミックのメンバーになった。1937年ブルーノ・ワルターの指揮でモーツァルトのオペラに出演した後舞台から退いた。フランスがナチス・ドイツに占拠されると、彼女は身を潜めていた。1945年戦争が終結すると、シェーンは復帰し、コンサート歌手として活躍した。1953年に引退し、パリで声楽教師になった。1977年パリ郊外のボビニーで世を去った。

(3)ミリッツァ・コリウス(ソプラノ)
トッシャ・ザイデル(ヴァイオリン)
ナサニエル・フィンストン指揮 MGMスタジオ管弦楽団
VICTOR 4410(U.S.) 25cm盤両面収録 英語歌唱 1938年12月11日ハリウッド録音
ヨハン・シュトラウス 2世の生活を描いた伝記映画「グレート・ワルツ」の主題曲として録音され、ソプラノのコリウスが出演している。ミリッツァ・コリウス(1909-1980)はポーランド生まれのコロラトゥーラ・ソプラノ。ヨーロッパ屈指のコロラトゥーラ・ソプラノだったが、アメリカに移住しハリウッド映画のスターとして、またコンサートで歌手としてのキャリアを積んだ。映画「グレート・ワルツ」で1938年度アカデミー助演女優賞を受賞した。これは映画用にシュトラウス 2世の原曲をオスカー・ハマーステイン 2世(1895-1960)とディミトリ・ティオムキン(1895-1979)が編曲したもの。ソロ・ヴァイオリンのトッシャ・ザイデル(1899-1962)はオデッサ生まれのロシアのヴァイオリン奏者。3歳の時に祖父にヴァイオリンの手ほどきを受け、1912年にペテルブルク音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。1918年にアウアーと共に渡米し、カーネギー・ホールでデビューした。1930年代後半からロサンジェルスに移住し、移住後はハリウッドのミュージシャンとして活躍した。


78CDR-3849
バルトーク:弦楽四重奏曲第2番 作品17 Sz.67
アマール弦楽四重奏団
リッコ・アマール(第1ヴァイオリン)
ワルター・カスパール(第2ヴァイオリン)
パウル・ヒンデミット(ヴィオラ)
ルドルフ・ヒンデミット(チェロ)
独 POLYDOR 4/7
1926年録音
ハンガリーの大作曲家バルトークが1915-17年に作曲した作品で世界初録音。リーダーのリッコ・アマール(1891-1959)はハンガリー生まれでベルリン・フィルのコンサート・マスターも務めたヴァイオリニスト。この四重奏団は1921年にドナウエッシンゲン音楽祭でヒンデミットの弦楽四重奏曲第2番ハ長調作品16の初演を機に結成された。1929年にヴィオラのパウル・ヒンデミットが脱退するまでアマール=ヒンデミット四重奏団とも呼ばれた。パウル・ヒデミット(1895-1963)はドイツ生まれの作曲家、指揮者、ヴィオラ奏者。第1次世界大戦(1914-1918)後にロマン派からの脱却を目指し20世紀ドイツを代表する作曲家として活躍、生涯に600曲以上の作品を残し、また後年は指揮者としても活躍した。チェロのルドルフ・ヒデミット(1900-1974)はパウルの弟。この録音は電気録音(1925-)最初期のもの。音を聴くとアメリカのBRUNSWICK社が開発したライト・レイ(Light Ray)式電気録音のように思う。この方式の録音は一時ドイツのポリドール社で採用されたが、音が機械式録音とあまり変わらないという理由ですぐに使用されなくなった。フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの「運命」(1926年)はこの方式で録音され欧米では早期に廃盤になった。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com./ のSPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3850
シューベルト:
ヴァイオリン・ソナチネ第1番ニ長調作品137-1, D.384
ピアノ・ソナタ第17番ニ長調作品53, D.850よりRondo(Fridberg編曲)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
アンドール・フォルデス(ピアノ)
米 COLUMBIA 71489/90
1941年11月25日ニューヨーク、リーダークランツ・ホール録音
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリー生まれのヴァイオリニスト。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1905年ベルリンで大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)に認められた。1917-24年スイスのジュネーヴ音楽院で教え、1940年にアメリカに移住した。この録音はアメリカ定住直後のニューヨーク録音。このシリーズでシゲティの重要録音が多数出ている。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com./ のSPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。
2021年11月新譜 3点 発売中★DSD録音
78CDR-3851 ※機械式録音編
きよしこの夜(上)
ヨーゼフ・モール(1792-1848) 作詞
フランツ・クサヴァー・グルーバー(1787-1863) 作曲
「きよしこの夜」は1818年12月25日オーストリアのオーベルンドルフの聖ニコラウス教会で初演された。クリスマス・イヴの前日、教会のオルガンが故障してクリスマスに歌う讃美歌の伴奏ができなくなり、グルーバーにギター伴奏の讃美歌を依頼した。用意されていた詩にグルーバーが作曲しこの曲が出来上がった。以降この曲はクリスマスになると世界中で歌われるようになった。日本語の訳詞は由木康(ゆうきこう)(1896-1985)によって書かれた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

(1)エミール・ムエンチ(テノール)
VICTOR 16111B(U.S.) ドイツ語歌唱 1906年2月8日フィラデルフィア録音
エミール・ムエンチ(1866-没年不詳)はドイツ生まれのアメリカのテノール。1889年からニュージャージー州ニューアークに住み、その後ホーボーケンに移った。1901年から1916年まで、177面のレコード録音を残した。

(2)オリーヴ・フレムスタッド(ソプラノ)
COLUMBIA 30708(U.S.) ドイツ語歌唱 1911年3月30日ニューヨーク録音
オリーヴ・フレムスタッド(1871-1951)はストックホルム生まれのソプラノ。1911年から1915年に米COLUMBIAに20面のSPレコードを残した。

(3)エルネスティーネ・シューマン=ハインク(アルト)
VICTOR 6281(U.S.) ドイツ語歌唱 1911年12月7日キャムデン録音
エルネスティーネ・シューマン=ハインク(1861-1936)はチェコ生まれのドイツ系アルト。アメリカに移住し大成功した。1903年米COLUMBIAに初録音。1906年から米VICTORに移り140面の録音を残した。

(4)ユリア・クルプ(メゾソプラノ)
VICTOR 566(U.S.) ドイツ語歌唱 1914年1月26日キャムデン録音
ユリア・クルプ(1880-1970)オランダの「ナイチンゲール」と呼ばれた卓越したメゾソプラノ。1914年から1924年までに米VICTORに58面の録音を残した。

(5)エレナ・ゲルハルト(ソプラノ)
COLUMBIA 58246(U.S.) ドイツ語歌唱 1917年1月29日ニューヨーク録音
エレナ・ゲルハト(1883-1961)はドイツのソプラノ。大指揮者アルトゥール・ニキシュ(1855-1922)に認められニキシュのピアノ伴奏でデビューした。これはアメリカ公演の際にニューヨークのCOLUMBIAのスタジオでの録音。

(6)フリーダ・ヘンペル(ソプラノ)
Edison Record 6714(U.S.) 英語歌唱 1919年4月3日ニューヨーク録音
フリーダ・ヘンペル(1885-1955)はドイツのソプラノ。ヨーロッパとアメリカでオペラとコンサートの両分野で活躍した。これはアメリカ公演の際にエジソン・レコード(縦振動盤)に録音したもの。復刻にはステレオMM型カートリッジを横振動キャンセル接続して、3.5mil針で再生した。

(7)マリア・オルツェウスカ(アルト)
ザイトラー・ヴィンクラー三重奏団
Seidler-Winkler Trio
SCHALLPLATTE GRAMMOPHON 72823(Germany) ドイツ語歌唱 1922年頃録音
マリア・オルツェウスカ(1892-1969)はドイツのアルト。1919年-22年にハンブルク国立歌劇場で活躍した。1932年録音の「バラの騎士」(ロベルト・ヘーガー指揮)の抜粋盤で、ロッテ・レーマン、エリーザベト・シューマンと共に出演していた。

(8)ルドルフ・デマン(ヴァイオリン)/カール・デヒェルト(チェロ)
/オットー・ウラック(オルガン)
VOX 6056(Germany) 1925年頃ベルリン録音
曲は教会の鐘の音で始まり終わる。ヴァイオリンのルドルフ・デマン(1880-1960)はウィーン生まれのヴァイオリン奏者。1918年-1930年にベルリン国立歌劇場管弦楽団のコンサート・マスターを務め、一方デマン弦楽四重奏団のリーダーとして幾つもの録音を残した。独VOXはSPレコード時代のレコード会社で、マイクロフォンを使った電気録音が導入(1925-)された後も機械式録音に固執し1926年に倒産消滅した。


78CDR-3852
ブラームス:交響曲第4番ホ短調作品98
ヘルマン・アーベントロート指揮
ロンドン交響楽団
英 HMV D1265/70
(1927年3月27日録音) 初期HMV盤特有の針音大
この曲の初の全曲録音。ヘルマン・アーベントロート(1883-1956)はドイツの名指揮者。1923年ベルリン・フィルを指揮したR.シュトラウス:死と変容(独POLYDOR 65871/3)他数枚が機械式録音時代にあったが、これは電気録音初期にブラームス:交響曲第1番(英HMV D1454/8)(1928年3月28日)と共にロンドン交響楽団を指揮した貴重な演奏。アーベントロートはロンドン響を1937年まで指揮した。その後はドイツを中心に活躍し、正規録音の他ライヴ録音が多数CD化されている。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3853
モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲ハ長調 K.299(297c)
リリー・ラスキーヌ(ハープ)
ルネ・ル・ロワ(フルート)
サー・トーマス・ビーチャム指揮
ロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団
英 HMV DB6485/7
(1947年3月11-12日録音)
ハープのリリー・ラスキーヌ(1893-1988) は12歳の時パリ音楽院で一等賞を得て、コンセール・ラムルーのハーピスト、ソリストとして活躍し、1948年から1958年まで母校の教授をつとめた。フルートのルネ・ル・ロワ(1898-1985)は1916年パリ音楽院に入り1920年に卒業した。その後も名フルーティスト、フィリップ・ゴーベール(1879-1941)の指導を受けた。彼は主に室内楽奏者として活躍、フォンテーヌブローのアメリカ音楽院(1932-1950)、カナダのモントリオール音楽院(1943-1950) 、パリ音楽院(1952-1968)の教授をつとめた。サー・トーマス・ビーチャム(1879-1961)はイギリスの指揮者。裕福な家庭に生まれ音楽はほとんど独学。1932年のロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を作り、戦後の1947年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を組織した。ビーチャムの指揮するモーツァルトはSPレコード時代最も権威のあるものとして欧米では受け入れられた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。
2021年12月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3854 ※電気録音編
きよしこの夜(下)
ヨーゼフ・モール(1792-1848)作詞
フランツ・クサヴァー・グルーバー(1787-1963)作曲
今回は1925年以降のマイクロフォンを使用した通称電気録音編。
「きよしこの夜」は1818年12月25日オーストリアのオーベルンドルフの聖ニコラウス教会で初演された。クリスマス・イヴの前日、教会のオルガンが故障してクリスマスに歌う讃美歌の伴奏ができなくなり、グルーバーにギター伴奏の讃美歌を依頼した。用意されていた詩にグルーバーが作曲しこの曲が出来上がった。以降この曲はクリスマスになると世界中で歌われるようになった。
日本語の訳詞は由木康(ゆうきこう)(1896-1985)によって書かれた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用のMC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

(1)ロッテ・レーマン(ソプラノ) オルガン伴奏
COLUMBIA S30062(JP) 原盤:独ODEON O-4810 ドイツ語歌唱 1928年9月4日録音
ロッテ・レーマン(1888-1976)はドイツ生まれのソプラノ。ヨーロッパで大成功した後、1935年ナチス・ドイツの迫害を逃れアメリカに渡り永住権を得た。

(2)エリーザベト・シューマン(ソプラノ)
ハーバート・ドーソン(オルガン)
HMV DA1667(U.K.) 英語歌唱 1938年10月22日ロンドン、アビーロード録音
エリーザベト・シューマン(1888-1952)はドイツ生まれの名ソプラノ。この録音直後にアメリカに移住した。オペラ、宗教曲、リートと幅広いレパートリーを誇った。

(3)ウェストミンスター合唱団(ジョン・フィンリー・ウィリアムソン指揮)
COLUMBIA 55009(U.S.) 英語歌唱 1941年ニューヨーク録音
ウェストミンスター合唱団は1920年に指揮者のジョン・フィンリー・ウィリアムソンによってニューヨークに創設された。現在も活動している。

(4)エリーザベト・シュヴァルツコップ(ソプラノ)
ジョン・プリッチャード指揮
フィルハーモニア管弦楽団&コヴェント・ガーデン合唱団
COLUMBIA LO-86(Australia) 英語歌唱 1949年3月3日アビー・ロード録音
エリーザベト・シュヴァルツコップ(1915-2006)はドイツ生まれのイギリスのソプラノ。リートとオペラの両分野で活躍した。

(5)ベルリン・モテット合唱団(ギュンター・アルント指揮)
POLYDOR P35(JP) 英語歌唱 1952年録音
戦後のLP時代に録音された合唱。


78CDR-3855
ベートーヴェン:
交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
ハンス・プフィツナー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
仏 POLYDOR 66939/44
1929年ベルリン録音
ハンス・プフィツナー(1869-1949)はドイツの後期ロマン派を代表する作曲家の一人。ドイツ人の両親のもとにロシアで生まれた。幼少時ドイツに移住し、指揮者としての地位を固めた後、徐々に作曲活動を活発化させて行った。プフィツナーが指揮者として活躍した時代は、機械式録音から電気録音への移行期だった。プフィッツナーのベートーヴェン交響曲はこのシリーズで第4番(78CDR-3840)(1924年機械式録音)、第6番「田園」(78CDR-3843)(1930年電気録音)、第8番(78CDR-3847)(1933年電気録音)が出ている。
復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

78CDR-3856 ※機械式録音盤(電気録音以前)の復刻音源
ベートーヴェン:
交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
交響曲第8番ヘ長調作品93 - 第2楽章
ハンス・プフィツナー指揮
ベルリン新交響楽団(6番)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(8番)
独GRAMOPHONE 69642/7
1923年12月ベルリン録音
ハンス・プフィツナーのこの曲の第1回目の録音。機械式録音(通称ラッパ吹き込み)。ハンス・プフィツナー(1869-1949)はドイツの後期ロマン派を代表する作曲家の一人。ドイツ人の両親のもとにロシアで生まれた。幼少時ドイツに移住し、指揮者としての地位を固めた後、徐々に作曲活動を活発化させていった。プフィツナーが指揮者として活躍した時代は、機械式録音から電気録音への移行期だった。プフィッツナーのベートーヴェン交響曲はこのシリーズで第3番「英雄」(78CDR-3855)(1929年電気録音)、第4番(78CDR-3840)(1924年機械式録音)、第6番「田園」(78CDR-3843)(1930年電気録音)、第8番(78CDR-3847)(1933年電気録音)が出ている。
復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/SPレコード専用MC型カーリッジ(3mil針)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。