★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

ご注文は当店HPよりどうぞ

第11回以降発売分 78CDR-3893〜3928

2023年1月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3893
J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲ニ短調 BWV1052
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
フリッツ・シュティードリー指揮
ニュー・フレンズ・オブ・ミュージック管弦楽団
米 COLUMBIA 11379/81-D
1940年4月24日ニューヨーク、リーダークランツ・ホール録音
J.S.バッハのチェンバロ協奏曲第1番ニ短調 BWV1052の原曲。ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリーのブダペスト生まれ。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1850-1937)に師事した。1905年、13歳でベルリン・デビュー、大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)に認められた。1917年から24年にスイスのジュネーヴ音楽院で教え、1940年にアメリカに移住した。指揮者のフリッツ・シュティードリー(1883-1968)はウィーン生まれ。ウィーン大学で法学を学んでいた時、グスタフ・マーラー(1860-1911)に楽才を見いだされマーラーの助手としてウィーン宮廷歌劇場より任命された。1933年ヒトラーへの反撥からドイツを去り、1934年から37年までレニングラード・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者をつとめた。1937年にアメリカに移住し、ニューヨークのニュー・フレンズ・オブ・ミュージック管弦楽団の指揮者になった。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3894
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番ヘ長調作品135
レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)
英 COLUMBIA L 1918/20
1926年11月29日ロンドン、ウィグモア・ホール録音
レナー弦楽四重奏団は1918年にハンガリーのブダペストで結成された。メンバー全員がブダペスト音楽院出身。リーダーのイェネ・レナー(1894-1948)、第2ヴァイオリンのヨーゼフ・スミロヴィッツとヴィオラのシャーンドル・ロートがイェネ・フバイ(1858-1937)の弟子、チェロのイムレ・ハルトマンがダヴィド・ポッパー(1843-1913)に師事した。4人はブダペスト・オペラの楽員だったが、1918年のハンガリー革命を機に弦楽四重奏団を結成した。2年に渡って田舎の村にこもって練習を積んだ後、1920年にウィーンでデビューした。そこに居合わせた作曲家のラヴェル(1875-1937)が演奏に感動し、彼らをパリに招いた。公演はセンセーショナルな成功を収めた。その後1922年にロンドン、1929年にアメリカにデビューした。1927年のベートーヴェン没後100年を記念して16曲の弦楽四重奏曲中11曲(SPレコード40枚)をイギリス・コロンビアに録音した。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3895
リカルド・ビネスの芸術
(1)グラナダ(アルベニス)
Fr. COLUMBIA LFX 73b (WLX 1416-1) (Recorded 17 June 1930, Paris)
(2)a.メリーゴーランドのオルガン
b. 軽業師のポルカ(マヌエル・ブランカフォルト)
Fr. COLUMBIA LFX 73a (WLX 1146-1) (Recorded 4 November 1929, Paris)
(3)グラナダの夕べ(ドビュッシー)
Fr. COLUMBIA D 15245b (WLX 1150) (Recorded 7 November 1929, Paris)
(4)朱色の塔 (アルベニス)
Fr. COLUMBIA D 15245a (WLX 1147) (Recorded 4 November 1929, Paris)
(5)ムルシアの庭園で(トゥリーナ)
Fr. COLUMBIA LF 12a (WL 1888) (Recorded 13 November 1929, Paris)
(6)ミラマール(トゥリーナ)
Fr. COLUMBIA LF 12b (WL 1889) (Recorded 13 November 1929, Paris)
(7)オリエンタル(アルベニス)
Fr. COLUMBIA LF 42a (WL 2330-1) (Recorded 6 June 1930, Paris)
(8)セギディーリャ(アルベニス)
Fr. COLUMBIA LF 42b (WL 2331-1) (Recorded 6 June 1930, Paris)
(9)アルベニスのタンゴ
U.K. HMV DA 4885a (OLA 1208-1□) (Recorded 22 July 1936, Paris)
(10)スペインのセレナーデ(アルベニス)
U.K. HMV DA 4885b (OLA 1209-1□) (Recorded 22 July 1936, Paris)
リカルド・ビネス(ピアノ)
リカルド・ビネス(1875-1943)はスペインのピアニスト。その昔フランス語読みでヴィーニェスと呼ばれていた。1885年にバルセロナ音楽院に入学し、1887年にピアノ賞を受賞、その後パリに移住し、パリ音楽院でシャルル・ウィルフリッド・ド・ベリオにピアノを、作曲と和声をバンジャマン・ゴダールとアルベール・ラヴィニャックに師事した。1895年サル・プレイエルでデビュー。その後、ロシア、ヨーロッパと南米諸国にツアー、1931年から1935年までアルゼンチンに住み、1936年にパリに戻った。レパートリーは古典作品に加えて、フランス、スペイン、ロシアの作曲家のピアノ曲をレコード録音し、SPレコード時代から人気があった。あらえびす著「名曲決定盤」にも登場していた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
2023年2月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3896
アンリ・マルトーの芸術
カルメン幻想曲(ビゼー=サラサーテ編)
独 HMV EH 104A(Recoreded 12 December 1927, Berlin)
メヌット(ボッケリーニ=マルトー編)
独 ELECTROLA EH 244A(Recorded 6 November 1928, Berlin)
悲しいアダージョ(ゴダール=マルトー編)
独 ELECTROLA EH 244B(Recorded 5 November 1928, Berlin)
ハンガリー舞曲第6番(ブラームス=ヨアヒム編)
独 ELECTROLA EH 248A(Recorded 6 November 1928, Berlin)
ハバネラ(サラサーテ)
独 ELECTROLA EH 248B(Recorded 6 November 1928, Berlin)
G線上のアリア(J.S.バッハ=ヴィルヘルミ編)
独 HMV EH 397A(Recorded June 1930, Berlin)
セレナード(シューベルト=マルトー編)
独 HMV EH 397B(Recorded June 1930, Berlin)
カルメン幻想曲(ビゼー=サラサーテ編)
独 HMV EH 413A(Recorded 5 November 1928, Berlin)
独 HMV EH 413B(Recorded June 1930, Berlin)
アンリ・マルトー(ヴァイオリン)
パンチョ・ウラディゲロフ(ピアノ)
クレメンス・シュマルシュティヒ(ピアノ)
アンリ・マルトー(1874-1934)はフランスのランス生まれのヴァイオリニスト、作曲家。パリ音楽院でジュール・ガルサン(1830-1896)に師事、1892年に一等賞を得た。その後スイスのジュネーヴ音楽院、ベルリンの高等音楽院で教鞭をとったが、第一次世界大戦中に母国フランスと滞在地のドイツの両国からスパイ容疑がかけられたためスウェーデンに逃れ、1915年に市民権を得た。1999年にアンリ・マルトー国際ヴァイオリン・コンクールが開催された。マルトーのSP盤は製造国がイギリスであっても、発売国がドイツだったため流通量が少なくSPレコード時代から入手が困難だった。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3897
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲変ロ長調作品133「大フーガ」
レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)
英 COLUMBIA LX 103/4
1930年2月19日録音
レナー弦楽四重奏団は1918年にハンガリーのブダペストで結成された。メンバー全員がブダペスト音楽院出身。リーダーのイェノ・レナー(1894-1948)、第2ヴァイオリンのヨーゼフ・スミロヴィッツとヴィオラのシャーンドル・ロートがイェノ・フバイ(1858-1937)の弟子、チェロのイムレ・ハルトマンがダヴィド・ポッパー(1843-1913)に師事した。4人はブダペスト・オペラの楽員だったが、1918年のハンガリー革命を機に弦楽四重奏団を結成した。2年間、田舎の村にこもって練習を積んだ後、1920年にウィーンでデビューした。そこに居合わせた作曲家のラヴェル(1875-1937)が演奏に感動し、彼らをパリに招いた。公演はセンセーショナルの成功を収めた。1927年のベートーヴェン没後100年を記念して16曲の弦楽四重奏曲中11曲(SPレコード40枚)をイギリス・コロンビアに録音した。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3898
プーランク:オーバード(ピアノと18の楽器のための舞踊協奏曲)
フランシス・プーランク(ピアノ)
ワルテル・ストララム指揮
コンセール・ストララム
仏 COLUMBIA LF 33/35
1930年1月20&22日パリ、シャンゼリゼ劇場録音
フランシス・プーランク(1899-1963)はスペイン出身のリカルド・ビネス(1875-1943)にピアノを、作曲はシャルル・ケクラン(1867-1950)に学んだ。フランス「6人組」の一人としてエリック・サティ(1866-1925)やモーリス・ラヴェル(1872-1937)から影響をうけ、フランス風エスプリに富んだ作品を残した。プーランクのピアノの師ビネスの演奏は「リカルド・ビネスの芸術」(78CDR-3895)で聞ける。この曲はプーランクが1929年に作曲した舞踏を伴う鍵盤楽器のために作曲した5曲の協奏曲の第2作目にあたる。作曲者自身のピアノで初演された。バレエのあらすじは、森に住む、純潔と貞節の女神ディアーヌ(ギリシャ神話のアルテミス、ローマ神話のディアナ)は自らの定めた神の掟によって恋をすることができず、夜明けのたびに悲しい思いをするという幻想的な筋書き。指揮者のワルテル・ストララム(1876-1933)は1926年にパリのオーケストラの中から名手を募り、コンセール・ストララムを結成した。1928年にラヴェルの「ボレロ」の初演の指揮をした。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
2023年3月新譜 3点 発売中★DSD録音

33CDR-3899
「アンダンテ・カンタービレ〜巌本真理弦楽四重奏団」
チャイコフスキー:
(1)アンダンテ・カンタービレ
(2)秋の歌〜「四季」より
(3)瞑想曲ニ短調〜「なつかしい土地の思い出」より
(4)メロディ変ホ長調〜「なつかしい土地の思い出」より
巌本真理弦楽四重奏団(1)
巌本真理(第1ヴァイオリン)、友田啓明(第2ヴァイオリン)
北爪規世(ヴィオラ)、黒沼俊夫(チェロ)
巌本真理(ヴァイオリン)、黒沼俊夫(チェロ)、坪田昭三(ピアノ)(2)
巌本真理(ヴァイオリン)、坪田昭三(ピアノ)(3)(4)
日Toshiba Records JCO-1040(Mono) (LP特有のパチ・ノイズがあります)
(1959年頃録音)
正式には1964年にデビューした巌本真理弦楽四重奏団の演奏(1)が聴ける。巌本真理(1926-1979)は東京生まれ。6歳から高名なヴァイオリン教師の小野アンナ(1898-1979)に師事した。1937年12歳の時、第6回日本音楽コンクールで第1位。1939年にデビュー・リサイタルを開いた。1948年から音楽学校(現東京藝術大学音楽学部)の教授を務めた後、1951年に渡米し、ジュリアード音楽院でルイ・パーシンガー(1887-1967)、ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)に師事し、ニューヨークのタウン・ホールでリサイタルを開いた。帰国後ソロ奏者として積極的に活躍する一方、1964年に巌本真理弦楽四重奏団を結成した。この録音は創立間もない東芝電気のレコード部門で録音されたもの。
巌本真理はこのシリーズでJ.S.バッハ:シャコンヌ(78CDR-3200)、G線上のアリア(33CDR-3469)、アヴェ・マリア(33CDR-3470)、ベートーヴェンのロマンス(33CDR-3479)、ルクー:ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-3486)が出ている。
復刻には今秋発売予定のダイレクト・カップルMC型カートリッジとKORGのDS-DAC-10R録音機を使用した。

33CDR-3900
「ミシェル・ブシノ・ヴァイオリン・リサイタル」
コレッリの主題による変奏曲(タルティーニ=クライスラー編)
マルティーニの様式によるアンダンティーノ(クライスラー)
奇想曲第13番(パガニーニ)
奇想曲第9番「狩り」(パガニーニ)
アヴェ・マリア (シューベルト=ヴィルヘルミ編)
マズルカ ロ短調《遠い過去》(イザイ)
ポロネーズ ニ長調(ヴィニャフスキ)
踊る人形(ポルディーニ=クライスラー編)
子守歌(フォーレ)
ツィィガーヌ(ラヴェル)
ミシェル・ブシノ(ヴァイオリン)
ジュヌヴィエーヴ・デフレヌ(ピアノ)
仏Disques Festival JON 100.027(Mono)
1957年パリ録音

33CDR-3901
ヴィヴァルディ:協奏曲集「四季」(和声と創意への試み作品8)
ジュリアン・オレフスキー(ヴァイオリン)
ヘルマン・シェルヘン指揮
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
ヴァイオリンのジュリアン・オレフスキー(1926-1985)はドイツ生まれ。1935年に家族とともにアルゼンチンのブエノスアイレスに移住、ヴァイオリニストとして研鑽を積んだ。1947年にアメリカに移り、1949年にニューヨークのタウン・ホールでデビュー、1950年にカーネギー・ホールで4回のリサイタルを行った。1959年には来日したこともある。演奏家として活躍すると同時にマサチューセッツ大学で後進の指導にあたった。59歳の時に心臓麻痺で他界した。指揮者のヘルマン・シェルヘン(1891-1966)はドイツ出身。1951年以降ウィーンに設立された新興レコード会社WESTMINSTERで多くのレコーディングを行った。バロック、古典派から当時の現代音楽まで広いレパートリを誇った。
復刻には今秋発売予定のダイレクト・カップルMC型カートリッジとKORGのDS-DAC-10R録音機を使用した。
2023年4月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3902
「ジャック・ティボー機械式(電気以前)の録音集」
ヴァイオリン・ソナタ ホ短調 作品 2-8(ヴェラチーニ=サルモン編)
HMV DB801(Cc5352-1 & Cc5353-2)(Recorded 13 November 1924, Hayes, England)
「大洪水」前奏曲 作品45(サン=サーンス)(キズあり)
HMV DA620(A 29546-2)(Recorded 26 February 1924, Camden, U.S.A.)
小舟にて-「小組曲」より(ドビュッシー)(キズあり)
HMV DA620(A 29545-2)(Recorded 26 February 1924, Camden, U.S.A.)
セレニテ 作品45-5(ヴュータン)
Victrola 66064(Bb979-2)(Recoreded 6 February 1922, Hayes, England)
スラヴ舞曲第2番ト短調作品46-2(ドヴォルザーク=クライスラー編)
HMV 5-7956(Bb978-3)(Recorded 6 February 1922, Hayes, England)
楽興の時第3番ヘ長調 作品94-3(シューベルト)
カプリス第18番ヘ長調「小さなカプリス」(ローデ=ティボー編)
HMV 5-7955(Bb 982-2)(Recoreded 7 February 1922, Hayes, England)
タンブーラン(ラモー=クライスラー編)
サルタレッロ(ヴィニャフスキ=ティボー編)
HMV 5-7953(Bb 983-1)(Recoreded 7 February 1922, Hayes, England)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
ハロルド・クラックストン(ピアノ)(トラック1&2)他はピアニスト名不詳
ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀前半に活躍したフランスのヴァイオリン奏者。ボルドー出身。1893年からパリ音楽院でマルタン・マルシック(1848-1924)に師事し、1896年に一等賞を得た。生活のためにカフェのコンセール・ルージュで弾いていたところ、指揮者のエドゥアール・コロンヌ(1838-1910)に見いだされ楽員に採用された。その時ティボーの親友で後にパリ音楽院の教授になったジュール・ブーシュリ(1877-1962)もコロンヌ・オーケストラの楽員になった。ここには1922年のHMVでの録音と1924年のアメリカVICTORへの録音と1924年ティボー機械式録音最後のヴェラチーニが入っている。すべて超稀少SPレコード。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3903
モーツァルト:交響曲第40番ト短調 K.550
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮
NBC交響楽団
1938年3月7日&1939年2月27日ニューヨーク、NBC放送8Hスタジオ録音
英HMV DB 3790/2(米VICTOR 15733/5と同一録音)
アルトゥーロ・トスカニーニ(1887-1967)はイタリアのパルマ生まれ。最初チェロを学んだ。1888年南米への演奏旅行中に指揮者の代役をつとめ、それを機に指揮者に転向した。1898-1908年ミラノ・スカラ座音楽監督、1908-1915年ニューヨーク・メロポリタン歌劇場音楽監督、1926-1936年ニューヨーク・フィル音楽監督を歴任した。1930-1931年バイロイト音楽祭に出演、1934-1937年ザルツブルク音楽祭に出演した。1937年ムッソリーニの独裁政権に反対してアメリカに亡命、一旦引退を表明したが、NBC交響楽団が創立されて復帰し、途中一年間の空白(1943年)があったが、1954年まで常任指揮者をつとめた。この交響曲40番はモーツァルトの原譜にないクラリネットが加えらている。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3904
シューベルト:ピアノ三重奏曲第1番作品99
アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ)
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
エマヌエル・フォイアマン(チェロ)
米 VICTOR 11-8394/7
1939年9月13日ニューヨーク録音
この名人3人のトリオは「百万ドル・トリオ」と呼ばれた。ピアノのアルトゥール・ルービンシュタイン(1887-1982)はポーランド出身。20世紀を代表するピアニストの一人。前半生をヨーロッパで、後半生はアメリカで活躍した。演奏家キャリアは80年以上。ヴァイオリンのヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)はウクライナ生まれ。3歳でヴァイオリン教師レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事し、第1次世界大戦(1914-1918)中に一家でアメリカに渡り、1925年にアメリカの市民権を得た。その後大ヴァイオリニストとして君臨した。チェロのエマヌエル・フォイアマン(1902-1942)はウクライナのコロミア生まれ。ライプツィヒの音楽院で名教授ユリウス・クリンゲル(1859-1933)に師事した。ナチスを逃れて一時スイスに居を構えたが1938年アメリカに移住した。フィラデルフィアのカーチス音楽院で教える一方、上記の二人とのトリオで活躍したが、1942年に40歳の若さでニューヨークで死去した。
このトリオの「大公トリオ」(78CDR-3865)も出ている。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
2023年5月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3905
牧神の午後への前奏曲-マルセル・モイーズの芸術
ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
フェルー: 無伴奏フルートのための3つの小品
(1)恋する羊飼い
(2)硬玉
(3)端陽
イベール:フルート協奏曲(1932-1933)
マルセル・モイーズ(フルート)
ワルテル・ストララム指揮(ドビュッシー)
ストララム管弦楽団
ウジェーヌ・ビゴー指揮(イベール)
交響楽団
1930年2月24日録音(ドビュッシー)
1933年パリ録音(フェルー)
1934年パリ録音(イベール)
フルートのマルセル・モイーズ(1889-1984)はパリ音楽院でポール・タファネル(1844-1908)、フィリップ・ゴーベール(1879-1941)に師事し、1906年に一等賞を得て1908年にソロ・デビューした。1913年から32年にオペラ・コミック、1922年から32年にはストララム管弦楽団に席を置き、1932年から49年にパリ音楽院の教授をつとめた。指揮者のウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)はパリ音楽院出身。シャンゼリゼ劇場の指揮者を経てパリ音楽院管弦楽団、フランス国立放送管弦楽団、ラムルー管弦楽団、オペラ・コミックの指揮者を歴任、母校の指揮科の教授もつとめた。2曲目の作曲者フェルーは現代音楽推進団体(トリトン)の創立者の一人。モイーズはこのシリーズで殆どの録音が復刻されている。
復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3906
ダンディ:交響曲第1番ト長調「フランス山人の歌による交響曲」作品25
マルグリット・ロン(ピアノ)
ポール・パレー指揮
コロンヌ管弦楽団
仏COLUMBIA LFX 332/4
1934年5月24-25日パリ録音
作曲者ダンディが毎年夏を過ごしたセヴェンヌ地方山地の民謡を主題にして作曲。マルグリット・ロン(1874-1966)はフランスのニーム生まれ。17歳でパリ音楽院の一等賞を得た後、マルモンテル(1816-1898)教授のもとでさらに研鑽をつみ、1893年にサル・プレイエルでデビューし、1906年32歳でパリ音楽院教授に就任した。指揮者のポール・パレー(1886-1979)はノルマンディのル・トレポール出身。パリ音楽院在学中の1911年、カンタータ「ヤニッツァ」でローマ大賞を受賞。第1次世界大戦(1914-1918)にフランス陸軍に従軍したがドイツ軍の捕虜となり、ダルムシュタット収容所生活の間に音楽家たちと交友を築いた。大戦後は指揮者として活躍した。このシリーズで、この曲と同じセッションで録音されたベートーヴェンの田園交響曲(78CDR-3259)が出ている。
復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3907
ブラームス:交響曲第1番ハ短調 作品68
レオポルド・ストコフスキー指揮
ハリウッド・ボウル交響楽団
米 VICTOR 18-0020/24
1945年8月1日ロサンジェルス録音
このオーケストラは1922年にロサンジェルス地域で活動するミュージシャンが集まって野外劇場(ハリウッド・ボウル)演奏会を開いたのが始まり。1945年に指揮者のレオポルド・ストコフスキーのもとでハリウッド・ボウル交響楽団が設立された。これはその最初の録音。だがこのオーケストラは7シーズンで解散した。その後ハリウッド・ボウルでの夏のコンサートはロサンゼルス・フィルによって続けられている。レオポルド・ストコフスキー(1882-1971)はロンドン生まれ。1912年にフィラデルフィア管弦楽団の指揮者に就任し1940年までその地位にあった。ストコフスキーはレコードの発展に大きく貢献した。1925年に電気録音による初のオーケストラ録音、1932年にはベル研究所の世界初のステレオ録音の実験に参加し成功させた。この録音は日・米戦争終結の2週間前に行われた。レコードはSP盤ながら従来の落とせば割れるシェラック盤ではなく、LPと同じビニール製。
復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
2023年6月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3908
ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調作品36
パウル・ファン・ケンペン指揮
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
独 GRAMMOPHON 67608/12S
1941年ドレスデン録音
指揮者のパウル・ファン・ケンペン(1893-1955)はオランダ生まれ。アムステルダム音楽院で、ユリウス・レントヘン(1855-1932)、ベルナルト・ズヴェールスに作曲と指揮法を、ルイ・ツィマーマン(1873-1954)にヴァイオリンを学び、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の第2ヴァイオリン奏者としてキャリアをスタートした。1932年にドイツ国籍を取得し、1933年に指揮者デビュー。1934年にドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任。1942年から1944年までアーヘン市立歌劇場の音楽監督をつとめた。第二次大戦後、活動の場をオランダに移したが、戦時中のナチス政権とのかかわりを問題視され物議を醸した。1955年アムステルダムで死去。ファン・ケンペンはSPレコードにベートーヴェンの交響曲第5番(ドレスデン・フィル)と交響曲第8番(ベルリン・フィル)を独 POLYDORに録音していた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3909
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調作品26
ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
ピエール・モントゥー指揮
サンフランシスコ交響楽団
米 VICTOR 11-8951/53
1945年1月27日サンフランシスコ録音
ユーディ・メニューイン(1916-1999)はニューヨーク生まれのユダヤ系ヴァイオリニスト。 4歳からヴァイオリン教育を受け、7歳でサンフランシスコ交響楽団と共演して初舞台を踏んだ。ルッジェロ・リッチ(1918-2012)の師でもあったルイス・パーシンガー(1887-1966)が最初のヴァイオリン教師。その後パリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)に、ベルリンでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)に師事した。このブルッフはメニューインの2回目の録音。ピエール・モントゥー(1875-1964)はパリ生まれのフランスの大指揮者。1935年から1953年アメリカのサンフランシスコ交響楽団の指揮者をつとめ、同楽団の黄金時代を築いた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3910
ショパン:
ピアノ協奏曲第2番ヘ短調作品21
ワルツ第7番嬰ハ短調作品64-2
アルトゥール・ルービンシュタイン(ピアノ)
ジョン・バルビローリ指揮
ロンドン交響楽団
英 HMV DB 1494/7
1931年1月8-9日ロンドン、キングズウェイ・ホール(協奏曲)
1930年12月17日ロンドン、小クイーンズ・ホール内スタジオC録音
アルトゥール・ルービンシュタイン(1887-1982)はポーランド生まれの大ピアニスト。そのレパートリーは古典派から現代音楽と幅広く、電気録音の初期からレコード録音を始めた。生涯の前半をヨーロッパで過ごし、1937年にアメリカに移住した。このショパンはルービンシュタインの初期の録音で、ここに収められた「ワルツ嬰ハ短調」はなんとテイク8(八回やり直してOKを出した)だった。これは限られたアーティストにのみ許されたことで、ヴァイオリンの巨匠フリッツ・クライスラーにテイク 7(ベートーヴェン「スプリング・ソナタ」の第3楽章-78CDR-3014)というのがあった。ルービンシュタインは後年ショパンのほぼ全作品のレコード録音を完成している。指揮者のジョン・バルビローリ(1899-1970)は1916年にヘンリー・ウッドの率いるクイーンズ・ホール管弦楽団にチェリストとして入団(J.S.バッハ:チェロとピアノのためのソナタが78CDR-3443で出ている)。1925年には自らの室内管弦楽団を組織して指揮をはじめた。1936-43年にニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者をつとめた。SPレコード時代シュナーベルやクライスラーらの巨匠との録音があった。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
2023年7月新譜 3点 発売中★DSD録音

33CDR-3911
モーツァルト:
ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466
ピアノ協奏曲第24番ハ短調 K.491
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
ウォルター・ジュスキント指揮
フィルハーモニア管弦楽団
米 VCTOR LHMV-1012
1948年6月17-18(K.466)&6月18-19日
ロンドン、アビー・ロードEMI第1スタジオ録音
アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はポーランドのリプニク(旧オーストリア領)に生まれた。1889年7歳でウィーン音楽院に入り、1891年から1897年に名教授テオドール・レシェティツキ(1830-1915)に師事した。1901年ベルリン・デビュー、1933年までこの地を本拠にした。その後1932年から34年にロンドンに居を構え、1939にアメリカに移住した。このモーツァルトは大戦後の1948年に録音されたが、SPレコードでは発売されずに、初レコードはこのRCA盤だった。指揮者のワルター・ジュスキント(1913-1890)はプラハ生まれ。1938年ナチスの迫害を嫌ってイギリスに逃れた。EMIのハウス・コンダクターとして、巨匠達の録音伴奏指揮者を務めた。
復刻には今秋発売予定のダイレクト・カップルMC型ートリッジとKORGのDS-DAC-10R録音機を使用した。

78CDR-3912
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第4番ハ短調作品18-4
パガニーニ弦楽四重奏団
アンリ・テミアンカ(第1ヴァイオリン)
ギュスタヴ・ロッセール(第2ヴァイオリン)
ロベール・クルト(ヴィオラ)
ロベール・マース(チェロ)
英 HIS MASTWER'S VOICE 8488/90
1947年5月22日、ロンドン、アビー・ロードEMIスタジオ録音
パガニーニ弦楽四重奏団は1944年アンリ・テミアンカ(1906-1992)によって結成された。結成の前年テミアンカは元プロアルト弦楽四重奏団のチェリスト、ロベール・マースに会った。マースは新しい弦楽四重奏団のスポンサーになる人物が居ることを話し、またニューヨークの楽器店で売り出されていたパガニーニ(1872-1840)が所有していた 4本のアントニオ・ストラディヴァリ(1644-1737)製の楽器を同じスポンサーが購入して貸与されることで四重奏団をスタートした。1946-47年のシーズンにオール・ベートーヴェンのプログラムをワシントンの国会図書館で演奏し大成功を収め、すぐにRCA VICTOR社が契約した。各奏者の略暦は78CDR-3379ドビュッシー弦楽四重奏曲にある。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3913
シューマン:チェロ協奏曲イ短調作品129
(一部に使用ディスクの傷によるノイズが入ります)
ルートヴィヒ・ヘルシャー(チェロ)
ヨーゼフ・カイルベルト指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
日VICTOR JD-1599/601(英HMV DB4550/52と同一録音)
1938年6月8日ベルリン録音
ルートヴィヒ・ヘルシャー(1907-1996)はドイツのチェリスト。6歳でチェロを始め、ライプツィヒでユリウス・クレンゲル(1859-1933)に、ベルリンでフーゴ・ベッカー(1864-1941)に師事し、1930年にメンデルスゾーン賞を受賞し、1936年フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの演奏会でソリストとしてデビューした。その後ピアノのエリー・ナイ(1882-1968)、ヴァイオリンのマックス・シュトループ(1900-1968)とピアノ三重奏団を組んだ。ヨーゼフ・カイルベルト(1908-1968)はドイツの指揮者。これは大戦中に録音されたこの指揮者の最初期の録音。LP時代になって多くの名録音を残している。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
2023年8月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3914
ブラームス:交響曲第2番ニ長調作品73
ピエール・モントゥー指揮
サン・フランシスコ交響楽団
米 VICTOR 11-9237/40
1945年3月19日サン・フランシスコ録音
ピエール・モントゥー(1875-1964)はフランス生まれの大指揮者。パリ音楽院でヴァイオリンと指揮法を学び、1906年コロンヌ管弦楽団を指揮して指揮者デビュー。1911年からディアギレフのロシア・バレエ団の指揮者をつとめ、ストラヴィンスキーの「春の祭典」、「ペトルーシュカ」などの初演を指揮した。第一次世界大戦(1914-1918)でモントゥーは兵役に服したが1916年に除隊、アメリカに渡り、翌年からメトロポリタン歌劇場の指揮者に就任、1935年から1953年までサンフランシスコ交響楽団の常任となり、同楽団の黄金時代を築いた。モントゥーはその後フリーになり1963年にロンドン交響楽団と共に来日した。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3915
モーツァルト:ピアノ協奏曲第27番変ロ長調 K.595(カデンツァ:モーツァルト)
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
サー・ジョン・バルビローリ指揮
ロンドン交響楽団
米 VICTOR 17053/56(英 HMV DB2249/52と同一録音)
1934年5月2日ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音
今でこそ幾多の録音が存在するこの曲だが、1934年にウィーンでシュナーベルによって演奏されたのは、なんとモーツァルトがこの地で初演して以来の二度目の演奏会だったことはあまり知られていない。この曲の世界初録音。アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はポーランドのリプニク(旧オーストリア領)生まれ。1889年7歳でウィーン音楽院に入り、1891年から1897年に名教授テオドール・レシェティツキ(1830-1915)に師事した。1901年ベルリン・デビュー、1933年までこの地を本拠にした。その後1932年から1934年にロンドンに居を構え、1939年にアメリカに移住した。指揮者のサー・ジョン・バルビローリはロンドン生まれ。1916年ヘンリー・ウッドの率いるクイーンズ・ホール管弦楽団に入りチェリストとして活躍を始めた。1925年室内管弦楽団を組織して指揮者に転向。1936年ニューヨーク・フィルの首席指揮者になった。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3916
グリーグ:ピアノ協奏曲イ短調作品16
モウラ・リンパニー(ピアノ)
シドニー・ビーア指揮
ナショナル交響楽団
英 DECCA AK1134/37
1945年5月14日ロンドン、キングスウェイ・ホール録音
モウラ・リンパニー(1916-2005)はイギリスのコーンウォール生まれの女流ピアニスト。幼少時にベルギーの修道院に送られ、そこで音楽才能が開花し、リエージュで勉強を続けた。その後ロンドンの王立アカデミーでも学んだ。さらにウィーンでパウル・ヴァインガルテンに師事し、1938年ブリュッセルで開催されたイザイ・ピアノ・コンクールでソ連のエミール・ギレリス(1916-1985)に次いで 2位に入賞した。第2次世界大戦後はイギリスで最も名前の通ったピアニストになった。指揮者のシドニー・ビーアはナショナル交響楽団の創立者。このシリーズでチャイコフスキー交響曲第5番(78CDR-3158)が出ている。第2楽章のホルン・ソロはデニス・ブレインが吹いている。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
2023年9月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3917
ジャン・マルティノン/ラヴェル&シャブリエ管弦楽曲集
ラヴェル:組曲「クープランの墓」
シャブリエ:田園組曲
英DECCA AK 1838/39(ラヴェル)
ffrr Recording
1947年5月13日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音
米LONDON T.5126/7(シャブリエ)(英DECCA AK 2239/40と同一録音)
ffrr Recording
1948年12月15日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音
ジャン・マルティノン(1910-1976)はフランスのリヨン生まれ。パリ音楽院でヴァイオリンを学び、ヴァンサン・ダンディとアルベール・ルーセルに作曲、シャルル・ミュンシュとロジェ・デゾルミエールに指揮法を師事した。ヴァイオリニストとして出発したが、途中で指揮者に転向、パリ音楽院管弦楽団、ボルドー交響楽団、コンセール・ラムルー、イスラエル・フィルハーモニー、デュッセルドルフ交響楽団などの指揮者を歴任。1958年からはフリーランス。その後シカゴ交響楽団の音楽監督をつとめた。1968年からフランス国立放送管弦楽団の音楽監督に就任し、フランス指揮界における重鎮として活躍したが、1976年3月1日、66歳で他界した。この録音はSPレコード時代の末期のもので、若き日のマルティノンの音楽を聴くことができる貴重な録音。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル[ゼロSP 78rpm](3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3918
ベートーヴェン:七重奏曲変ホ長調作品20
ウィーン八重奏団のメンバー
ウィリー・ボスコフスキー(ヴァイオリン)
ヨハン・クルンプ(コントラバス)
アルフレート・ボスコフスキー(クラリネット)
ルドルフ・ハンツル(バスーン)
ヨゼフ・ウェレバ(ホルン)
ギュンター・ブレイテンバッハ(ヴィオラ)
ニコラウス・ヒュブナー(ヴィオラ)
英 DECCA AX 306/310 ffrr録音
1948年7月スイス、ジュネーヴ放送スタジオ録音
(プロデューサー:ヴィクター・オロフ、エンジニア:ケネス・ウィルキンソン)
ウィーン八重奏団は、長い伝統に育まれた独特の優美な響きと、自発性に富んだ豊かな表現で、世界最高のオーケストラとして、世界中の音楽ファンから愛されてきたウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の首席奏者たちを中心に結成された。第二次世界大戦後直後の1947年、当時ウィーン・フィルのコンサート・マスターだったウィリー・ボスコフスキー(1909-1991)と彼の実弟で首席クラリネット奏者アルフレート・ボスコフスキー(1913-1990)を中心に弦楽器奏者5人、管楽器奏者3人で結成された。これはその初録音。SPレコードの末期で英国デッカ社はウィーンにスタジオが無く、スイスのジュネーヴの放送局のスタジオに出向き録音した。デッカ社がウィーンで録音を始めたのは1950年だった。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル[ゼロSP 78rpm](3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3919 ※機械式録音盤(電気式録音以前)の復刻音源
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
イゾルデ・メンゲス(ヴァイオリン)
サー・ランドン・ロナルド指揮
ロイヤル・アルバート・ホール管弦楽団
英HMV D 767/71
1923年9月4、7&21日ロンドン録音
※復刻に使用したSP盤のキズによるノイズがあります
イゾルデ・メンゲス(1892-1976)は20世紀前半に活躍した英国の女流ヴァイオリン奏者。1909年17歳で名ヴァイオリン教授レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事するためにロシアのザンクトペテルブルグに向かった。アウアーの元には3年間逗留し教授の最もお気に入りの弟子だった。1913年、20歳でロンドンにデビューした。その時のプログラムはチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、ラロのスペイン交響曲に加えて、ベートーヴェンとブラームスのヴァイオリン協奏曲の縮小版だった。1916年から1919年には北米公演を行いアメリカのメジャー・オーケストラのほとんどと共演し名声を高めた。メンゲスはこのシリーズでJ.S.バッハ:「シャコンヌ」(78CDR-3020)、ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番(78CDR-3497)、ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番(78CDR-3497)、シューベルト:ソナチネ第3番(78CDR-3206)が出ている。指揮者のランドン・ロナルド(1873-1938)はロンドン生まれ。ロンドン交響楽団、ロンドン新交響楽団(ロイヤル・アルバート・ホール管弦楽団)、スコティッシュ・ナショナル管弦楽団の首席指揮者を歴任。機械式録音時代からレコード録音が多数あった。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル[ゼロSP 78rpm](3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
2023年10月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3920
シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第1番 イ短調作品105
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
英 HMV DB3371/2
1937年10月9日ロンドン、アビー・ロード、EMI第3スタジオ録音
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの名ヴァイオリニスト。2歳からヴァイオリンを始め1902年ケルン音楽院でウィリー・ヘスやブラム・エルデリンクに師事した。16歳の時、大作曲家マックス・レーガーに注目された。1912年、20歳の時、ウィーンのコンツェルトフェライン(ウィーン交響楽団)のソロ・ヴァイオリンに抜擢された。1918年ベルリン高等音楽院のヴァイオリン教授に任命され、弦楽四重奏団も組織した。1927年以降スイスのバーゼルに住居をかまえ、若きユーディ・メニューインを指導したこともある。ナチスの台頭で、ユダヤ系ピアニスト、ルドルフ・ゼルキン(1903-1991)と共にヨーロッパを去り、アメリカに移住した。ゼルキンは1920年にアドルフ・ブッシュのデュオ・ピニストに抜擢され、後にブッシュの娘イレーネと結婚した。1951年マールボロ音楽学校と音楽祭を創設、主宰した。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3921
リヒャルト・シュトラウス:ホルン協奏曲第1番変ホ長調作品11
デニス・ブレイン(ホルン)
アルチェオ・ガリエラ指揮
フィルハーモニア管弦楽団
英 COLUMBIA D.X.1397/8
1947年5月21日録音
デニス・ブレイン(1921-1957)はイギリスのホルン奏者。父親で名ホルン奏者のオーブリー・ブレイン(1893-1955)の指導を受けた。デニス・ブレインは1957年9月1日、エディンバラからロンドンに戻る途中、自身が運転するスポーツカー(トライアンフ)の事故で命を落とした。享年36。デニス・ブレインはこのシリーズでモーツァルト:ホルン協奏曲第2番&第4番(78CDR-3291)、モーツァルト ホルン、ヴァイオリン、2つのヴォラとチェロのための五重奏曲(78CDR-3386)、チャイコフスキー交響曲第5番(第2楽章のホルン・ソロ)(78CDR-3158)が出ている。指揮者のアルチェオ・ガリエラ(1910-1996)はイタリア、ミラノ生まれ。ミラノ音楽院出身。1941年に指揮者デビュー。第二次世界大戦勃発でスイスに亡命。1945年にルツェルン音楽祭に出演後、演奏活動を再開した。シャルル・デュトワの師。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3922
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第10番変ホ長調作品74「ハープ」
レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)
英 COLUMBIA LX319/322
1932年3月10&14日ロンドン録音
レナー弦楽四重奏団は1918年にハンガリーのブダペストで結成された。メンバー全員がブダペスト音楽院出身。リーダーのイェノ・レナー(1858-1948)、第2ヴァイオリンのヨゼフ・スミロヴィッツとヴィオラのシャーンドル・ロートの3人がイェノ・フバイ(1858-1937)の弟子、チェロのイムレ・ハルトマンはダヴィッド・ホッパー(1843-1913)に師事した。4人はブダペスト・オペラの楽員だっただったが、1918年のハンガリー革命を機に弦楽四重奏団を結成した。2年間田舎の村にこもって練習を積んだ後、1920年にウィーンでデビューした。その後1922年にロンドンに、1929年にアメリカにデビュー。1927年のベートーヴェン没後100年を記念して16曲の弦楽四重奏曲中11曲(SPレコード40枚)を英コロンビアに録音した。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
2023年11月新譜 3点 11発売中★DSD録音

78CDR-3923
シューマン:ヴァイオリン協奏曲ニ短調
J.S.バッハ:
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調 BWV.1006 より
ガヴォットとロンド
ゲオルク・クーレンカンプ(ヴァイオリン)
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
日TELEFUNKEN 23653/6(独TELEFUNKEN 2395/8 と同一録音)
1937年12月20日ベルリン、ジングアカデミー録音
協奏曲は作曲者シューマンが死の3年前に名ヴァイオリン奏者ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)の依頼で作曲したが、ヨアヒムは楽譜を封印し演奏しなかった。1937年にベルリン図書館のヨアヒムの蔵書から発見され、ナチス宣伝省の主導で録音された。ヴァイオリンのクーレンカンプ(1898-1948)はドイツのブレーメン生まれ。第二次世界大戦中ソリストとして活躍する傍ら、ベルリン高等音楽院教授を1943年までつとめた。指揮者のハンス・シュミット=イッセルシュテット(1900-1973)は大戦中も非ナチス党員を保ち、戦後に北ドイツ放送交響楽団の創立に尽力した。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3924
ブラームス:チェロ・ソナタ第1番ホ短調作品38
グルック:メロディ(オルフェオより)
エマヌエル・フォイアマン(チェロ)
テオ・ファン・デル・パス(ピアノ)
日COLUMBIA J 8517/19(英 COLUMBIA LX 404/6と同一録音)
1934年7月10&11日ロンドン録音
チェロのエマヌエル・フォイアマン(1902-1942)は現ウクライナのコロミア生まれ。ライプツィヒ音楽院でユリウス・クレンゲル(1859-1933)に師事した。1929年にベルリン高等音楽院の教授になり齋藤秀雄(1902-1974)も教えた。ナチスを逃れ、一時スイスに居を構えたが1938年アメリカに移住した。20世紀前半を代表するチェリストとしてカザルスに次ぐチェロの巨匠として期待されたが、第二次世界大戦中に若くして亡くなった。1934年と1936年の2回来日し、日本コロムビアに多くのSP録音を残した。ピアノのテオ・ファン・デル・パス(1902-1896)はオランダ生まれ。ハーグ音楽院出身。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3925
ドイツのナイチンゲール/エルナ・ザックの芸術
(1)メドレー: 1.思い出(ドルドラ)- 2.セレナード(トゼリ)-
3.デュバリ伯爵夫人-私は一人の人にのみ心を捧げます(ミレッカー)-
4.こうもり-侯爵様、あなたのようなお方には(J. シュトラウス 2世)
U.S.CAPITOL 81700A (8033-1D-1) 1935年11月26日録音
(2)メドレー: 1.ワルツ春の声(J.シュトラウス 2世)-
2.セレナード第1番(ドルドラ)- 3.ジプシーの歌(ボルディ)-
4.ウィーンの森の物語(J.シュトラウス 2世)
U.S.CAPITOL 81701A (8034-1D-1) 1935年11月26日ベルリン録音
Recorded 26 November 1935
(3)フニクリ・フニクラ(L.ダンツァ)
U.S.CAPITOL 81702A (8035-1D-1) 1938年録音
(4)語りたまえ(パルラ・ワルツ)(アルディーティ)
U.S.CAPITOL 81702B (8033-1D-1) 1935年1月29日録音
(5)ユビラーテ(ジルヒャー)
U.S.CAPITOLA 81701B (8036-1D-7) 1939年録音
(6)オーストリアの村つばめ(ヨーゼフ・シュトラウス)
U.S. CAPITOL 81700B (8048-1D-3) 1939年ベルリン録音
エルナ・ザック(ソプラノ)
ヴィリー・チェルニック指揮
ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団&合唱団((1),(2),(6))
ロルフ・シュレーダー指揮
ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団&合唱団(3)
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮
ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団(4)
ヴォルフガング・ヴァリシャウザー指揮
ジルヒャー・ダブル四重唱団(5)
原録音は独テレフンケン。復刻は米CAPITOL の戦後盤SPレコードによった。エルナ・ザック(1898-1972)はベルリン生まれのソプラノ。ドイツの "ナイチンゲール" と言われ人気を得た。戦前のレコード批評家あらえびすはその著書「名曲決定盤」で彼女の魅力をこう書いていた。「近頃ドイツで騒がれている人気歌手だ。若さと美しさをまき散らすようなところがこの人の受け容れられる原因だろう。声も技巧も良いが、それよりも張り切った若さと、魅力が特色だ。」今回の復刻CDはこれまでのものと一線を画すると思う。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
2023年12月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3926
モーツァルト:ピアノ協奏曲第22番変ホ長調 K.482
エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)
ジョン・バルビローリ指揮
管弦楽団
英HIS MASTER'S VOICE DB2681/4
1935年6月6日ロンドン、アビー・ロード EMI第1スタジオ録音
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイス生まれのピアニスト、指揮者、教育者。ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事し、1933年にEMIのアーティストになりJ.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」全曲(78CDR-1142/6)の世界初録音を行った。ジョン・バルビローリ(1899-1970)はロンドン生まれ。最初チェロ奏者(78CDR-3443 J.S.バッハ:チェロ・ソナタBWV.1027、1929年録音)として音楽活動を始め、1925年室内管弦楽団を組織して指揮者にに転向。1936年ニューヨーク・フィルハーモニーの首席指揮者になり1943年までつとめた。1943年からイギリスのハレ管弦楽団の音楽監督を1958年までつとめ、その後ヒューストン交響楽団の常任指揮者(1961-1967)もつとめた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3927
サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番イ短調 作品33
ピエール・フルニエ(チェロ)
ワルター・ジュスキント指揮
フィルハーモニア管弦楽団
英 HIS MASTER'S VOICE DB 6602/03
1947年9月29&30日ロンドン、アビーロード EMI第1スタジオ録音
ピエール・フルニエ(1906-1986)はパリ生まれ。最初ピアノを学んだが6歳の時小児麻痺による右足障害のためにチェロに転向した。1923年パリ音楽院一等賞を得て楽壇にデビュー、ヴァイオリンのガブリエル・ブイヨン、ピアノのヴラド・ペルルミュテールとのトリオで注目された。1937年エコール・ノルマル教授、1941年から49年までパリ音楽院教授をつとめた。1942年ヴァイオリンのシゲティ、ピアノのシュナーベルとのピアノ・トリオ、ヴィオラのプリムローズを加えての四重奏で活躍、さらに1945年にはヴァイオリンのティボー、ピアノのコルトーと演奏活動をした。指揮者のワルター・ジュスキント(1913-1980)はプラハ生まれ。1934年にプラハのドイツ歌劇場でセルのアシスタントとして活躍、1938年にナチスの迫害をのがれてイギリスに移住。以降スコットランド管弦楽団、メルボルン交響楽団、トロント交響楽団、セントルイス交響楽団、シンシナティ交響楽団の指揮者を歴任した。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3928
R.シュトラウス:オーボエ協奏曲ニ長調(1945-6)
レオン・グーセンス(オーボエ)
アルチェオ・ガリエラ指揮
フィルハーモニア管弦楽団
英 COLUMBIA DX 1444/6
1947年9月15&23日ロンドン、アビー・ロード EMI第1スタジオ録音
レオン・グーセンス(1897-1988)は20世紀前半を代表するイギリスの優れたオーボエ奏者。指揮者のアルチェオ・ガリエラ(1910-1996)はミラノ生まれのイオタリアの指揮者。パルマ音楽院の教授だった父親から音楽の手ほどきを受けた後、生地のミラノ音楽院でピアノ、オルガン、作曲を学んだ。1932年から母校で教鞭をとっていたが、1941年に指揮者に転向し、ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団を指揮してデビューした。第二次世界大戦中にスイスに亡命し、1945年にルツェルン音楽祭に出演した。以降レコード録音を含め活躍した。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル〔ゼロSP 78rpm〕(3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。