★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-3929〜3958

2024年1月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3929
「超人歌姫! 関屋敏子名唱集(1)」
見よ優しいひばりを(ビショプ)(英語歌唱)
セレナーデ(シューベルト-堀内敬三訳詩)
子守歌(シューベルト-内藤 濯訳詩
旅愁(オードウェイ作曲-犬童球渓訳詩)
故郷の廃家(ヘイズ作曲-犬童球渓訳詩)
庭の千草(アイルランド民謡)

関屋敏子(ソプラノ)
ナサニエル・シルクレット指揮
ヴィクター・サロン・オーケストラ
Nカルロ・サバイーノ指揮
ミラノ・スカラ座管弦楽団
管弦楽伴奏
日VICTOR J1001 1932年2月4日ニューヨーク録音
日VICTOR 13233 1932年2月4日ニューヨーク録音
日VICTOR 4135 1929年10月ミラノ録音
日VICTOR 11384 1934年日本録音
関屋敏子(1903-1941)は20世紀前半を代表するソプラノ歌手。東京・小石川生まれ。東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)中退。1928年にデビュー後イタリアに留学し、ボローニャ大学で学んだ後スカラ座のオーディションに合格しヨーロッパ各地で活躍した。その経歴は近刊の「関屋敏子-日本唯一の超人歌姫の謎」(江本弘志著)(文芸社)に詳しい。ここではポピュラーな曲を選んだが、関屋は50枚以上のSPレコード録音があり、未復刻のものを含めて将来このシリーズで発売する予定。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジのスピリッツSP78rpm(4mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3930
シューマン:子供の情景 作品15
マリラ・ジョナス(ピアノ)
米 COLUMBIA 72498/9C
1947年9月30日ニューヨーク録音
マリラ・ジョナス(1911-1959)はポーランドのワルシャワ生まれ。9歳の時ワルシャワでデビューし、大ピアニスト、パデレフスキの弟子になった。1922年に国際ショパン賞、翌23年にはウィーンでベートーヴェン賞を受賞、1926年からヨーロッパ各地でリサイタルを開くようになった。しかし1939年にナチス・ドイツのポーランド侵攻によって、強制収容所に収監されたが、数週間後に演奏を聴いたことがあるドイツの高官の手助けを得て脱走、数カ月かけてベルリンのブラジル大使館まで約520キロメートルを徒歩で逃亡、リスボン経由でブラジルのリオ・デジャネイロへ亡命した。しかし同郷のアルトゥール・ルービンシュタインが声をかけ、1946年2月25にニューヨークのカーネギー・ホールでアメリカ・デビューして成功をおさめた。1946年にアメリカCOLUMBIAに録音を始めたが、1959年に病気のため48歳で死去した。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジのスピリッツSP78rpm(4mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3931 ※機械式録音(電気録音以前)の復刻音源
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調 作品131
レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)
英 COLUMBIA L1581/85
1924年2月11日、2月21日、2月22日&8月24日録音
レナー弦楽四重奏団は1918年にハンガリーのブダペストで結成された。メンバー全員がブダペスト音楽院出身。リーダーのイェノ・レナー(1894-1948)、第2ヴァイオリンのヨーゼフ・スミロヴィッツとヴィオラのシャーンドル・ロートがイェノ・フバイ(1858-1937)の弟子、チェロのイムレ・ハルトマンがダヴィッド・ホッパー(1843-1913)に師事した。4人はブダペスト・オペラの楽員だったが、1918年のハンガリー革命を機に弦楽四重奏団を結成した。2年に渡って田舎の村にこもって練習を積んだ後、1920年にウィーンでデビューした。そこに居合わせた作曲家のラヴェル(1875-1937)が演奏に感動し、彼らをパリに招いた。公演はセンセーショナルな成功を収め、その後1922年にロンドンにデビューした。この録音はレナー弦楽四重奏団初のベートーヴェン録音。9年後の1933年には電気録音で再録音している。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジのスピリッツSP78rpm(4mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
2024年2月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3932
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」
シモン・ゴールドベルク(ヴァイオリン)
リリー・クラウス(ピアノ)
日COLUMBIA JW100/104
1936年12月4、5&7日、ロンドン録音
ヴァイリンのシモン・ゴールドベルク(1909-1993)はポーランド生まれ。8歳の時ベルリンで名教師カール・フレッシュ(1873-1944)に師事し、12歳でワルシャワでデビューした。1916年16歳でドレスデン・フルハーモニーのコンサートマスターに任命され、1929年20歳の時フルトヴェングラー(1886-1954)の招きでベルリン・フィルハーモニーのコンサートマスターに就任した。1934年政権を得たナチスによってその地位を追われ、ニューヨークでデビュー、戦後アメリカ国籍を得て演奏活動と後進の指導を行った。1990年から没年まで新日本フィルハーモニーの指揮者をつとめ、富山県の立山のホテルで死去した。ピアノのリリー・クラウス(1903-1986)はハンガリー生まれ、ブダペスト音楽院でゾルターン・コダーイ(1882-1951)の薫陶を得た。1942年シモン・ゴールドベルクと楽旅中、ジャワ島で日本軍に捕らえられ、家族共々1945年まで抑留生活を送った。戦後はイギリス国籍を取得し活発な演奏活動を行った。
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78CDR-3933
ブラームス:チェロ・ソナタ第1番ホ短調作品38
ベアトリス・ハリソン(チェロ)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)
英 HIS MASTER'S VOICE D1380/82
1927年4月11日 ロンドン録音
ベアトリス・ハリソン(1892-1965)は20世紀前半に活躍したイギリスの女流チェロ奏者。インド北西部のルーキーに生まれ、幼少期に一家はイギリスに戻り、ロンドンの王立音楽院で学んだ。その後ベルリン高等音楽院に留学、1910年にメンデルスゾーン賞を受賞、ベヒシュタイン・ホールでデビューした。師はフーゴ・ベッカー(1863-1941)。ハリソンは1920年11月、HIS MASTER'S VOICEにエルガーのチェロ協奏曲を作曲者の指揮で録音(HMVD1507/09)したのを皮切りに、イギリスの作曲家、特にディーリアス(1862-1934)の作品の多くの初演を行った。ピアノのジェラルド・ムーア(1899-1987)はイギリスのハートフォード生まれ。名伴奏ピアニストとして多くの歌手や器楽奏者と共演した。
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78CDR-3934
シューマン: 女の愛と生涯 作品42
(1)あの人に会ってから
(2)だれよりも素晴らしい彼
(3)わたしにはわからない
(4)指につけた指輪よ
(5)やさしい友よ、君の眼差しは
(6)いまあなたは最初の悲しみをわたしに与えた
エミー・ベッテンドルフ(ソプラノ)
フリーデル・ヴァイスマン(ピアノ)
日Parlophone E 10696/89(独 Parlophone P 9281/3と同一録音)
1926年12月13日&9月30日 ベルリン録音
(第5曲「友に手をかして」と第7曲「わたしの心に、わたしの胸に」は録音されていません)
エミー・ベッテンドルフ(1895-1963)はフランクフルト生まれのソプラノ。1909年、14歳の時フランクフルト歌劇場でデビュー。1920年から1924年にベルリン国立歌劇場、その後ベルリン・ドイツ・オペラに出演した。ドラマティック・ソプラノでオペラだけではなく、あらゆるジャンルの声楽曲をこなし、生涯に300枚に及ぶSPレコードをドイツのPARLOPHONEに録音した。舞台を引退後レコード録音を続けると同時にベルリン音楽院で教鞭をとり、その後病気がちで68歳で死去した。伴奏者のフリーデル・ヴァイスマン(1893-1984)は指揮者でピアニスト。1921年から1933年の間に、ドイツのPARLOPHONEとODEONレーベルに多数の録音を残した。ラッパ吹き込み時代の1924年-25年にかけてベートーヴェンの交響曲全曲の初録音をしている。
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2024年3月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3935
ショパン:ワルツ集(第1-14番)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)(ピアノ:Steinway)
仏 DISQUE GRAMOPHONE DA4982/84(25cm盤), W1603/05(30cm盤)
1943年5月24日パリ録音
コルトー2回目のショパン:ワルツ集。第1回は1934年録音(78CDR-3072)。アルフレッド・コルトー(1877-1962)は1892年パリ音楽院のルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスに入り、1896年一等賞て卒業した。1905年にヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)、チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とピアノ・トリオを結成した。1917年にパリ音楽院教授に任命され、1919年パリにエコール・ノルマル音楽学校を設立した。この録音はコルトー66歳の時にパリで行われた。1934年の第1回録音では、プレイエル社のピアノを弾いていたが、ここではスタインウェイ社のピアノを弾いている。
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78CDR-3936
R.シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調作品18
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
アルパード・シャーンドル(ピアノ)
日VICTOR JI-22/25A (米VICTOR 7894/7Sと同一録音)
1934年2月6日 ニュージャージー、キャムデン、RCAスタジオ録音
オリジナルSP盤の面と面の間は編集していません。レコードに入っているままです。曲はリヒャルト・シュトラウス(1864-1949)が1887年から1888年にかけて作曲した唯一のヴァイオリン・ソナタ。ヴァイオリンのヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1939)に師事し、10歳でデビューした。1917年16歳の時にロシア革命を逃れ一家はシベリア経由でアメリカに移住した。その途中日本に立ち寄ったと伝えられる。移住後、少年ハイフェッツは一流ヴァイオリニストトして待遇された。その後青年期、壮年期から引退するまで世界最高のヴァイオリニストとして崇められた。ピアノのアルパード・シャーンドル(1896-1972)はブダペスト生まれ。ブダペスト音楽院でバルトークやコダーイに師事した。1933年にアメリカに渡り、1943年に市民権を得た。
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78CDR-3937
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第12番変イ長調作品26「葬送」
レオニード・クロイツァー(ピアノ)
日COLUMBIA JW 93/4
1937年6月頃、東京録音
レオニード・クロイツァー(1884-1953)はドイツと日本で活躍したロシア生まれのピアニストで指揮者。両親はユダヤ系ドイツ人。サンクトペテルブルク音楽院でアンナ・エシポワにピアノを、アレクサンドル・グラズノフに作曲を学んだ。1906年ライプツィヒに移住、アルトゥール・ニキシュに指揮法を学んだ。1922年から1933年までベルリン音楽大学教授。1931年初来日。1933年再来日。近衛秀麿の要請で帰国せず、1937年から亡くなるまで東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)教授をつとめた。1942年ナチス・ドイツの欠席裁判によってドイツ国籍を剥奪され無国籍となった。1953年10月28日リサイタル中に心筋梗塞を起こし2日後に死去した。
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2024年4月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3938
関屋敏子名唱集(2)
埴生の宿(ホーム・スイート・ホーム)
ソルヴェイグの歌(二見孝平訳詩 グリーグ作曲)
アイ・アイ・アイ(フレイレ作曲)
オー・ソレ・ミオ(私の太陽)(伊庭 孝訳詩 ディ・カプア作曲)
ブラームスの子守歌(堀内敬三訳詩 ブラームス作曲)
ドリゴのセレナード(堀内敬三訳詩 ドリゴ作曲)(3:40)
関屋敏子(ソプラノ)
ピアノ伴奏:デイヴィス
日本ビクター管弦楽団
(1930年頃録音)
日VICTOR 13046 1930年1月発売(25cm盤)
日VICTOR 13074 1930年7月発売(25cm盤)
日VICTOR 13076 1930年9月発売(25cm盤)
日VICTOR 13089 1930年11月発売(25cm盤)
関屋敏子(1903-1941)20世紀前半を代表する日本のソプラノ。東京・小石川生まれ。東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)中退。1926年にデビュー後イタリアに留学し、ボローニャ大学で学んだ。その後スカラ座のオーディションに合格しヨーロッパ各地で活躍した。第1集(78CDR-3929)ではイタリア、アメリカでの海外録音を紹介したが、ここでは日本ビクターに吹き込んだ作品を集めた。
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78CDR-3939
シューマン:交響曲第4番ニ短調作品120
ブルーノ・ワルター指揮
ロンドン交響楽団
英 HMV DB3793/5
1939年4月26日ロンドン録音
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ生まれ。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後にピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1894年ハンブルク歌劇場の指揮者だった時、音楽監督のグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン州立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任。またウィーン・フィルやベルリン・フィルを指揮した。1938年オーストリアがナチスに併合されると、迫害を避けてフランス、イギリスを経由してアメリカに逃れた。この録音はその途中に立ち寄ったロンドンでの録音。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジのスピリッツSP78rpm(4mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3940
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調作品57「熱情]
ヴィルヘルム・ケンプ(ピアノ)
独 POLYDOR 66033/5
1926年ベルリン録音
ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)はドイツのピアニスト。これは電気録音(1925-)の最初期に録音されたもの。おそらく米ブランズウィック社が開発したライト・レイ方式電気録音と聴こえる。ケンプはモノLP、ステレオLPにベートーヴェンのソナタ全曲録音を残している。ケンプは1936年(昭和11年)にドイツ文化使節団の一人として初来日、以降1979年までに合計10回日本を訪れて、日本のクラシック音楽の発展に寄与した。1970年にはベートーヴェン生誕200年記念で来日し、ピアノ・ソナタ全曲演奏会を開いた。
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2024年5月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3941
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲ロ短調作品104
ガスパール・カサド(チェロ)
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
日TELEFUNKEN 13622/26(独TELEFUNKEN 1893/7 と同一録音)
1935年11月14日ベルリン録音
チェロのガスパール・カサド(1897-1966)はスペインのバルセロナ生まれ。7歳でチェロを学び始めた。9歳でリサイタルを開いたとき、聴衆中に居たパブロ・カザルス(1876-1973)に認められ、以来カザルスの薫陶を得た。バルセロナでは街をあげて、カサド少年がパリのカザルスのもとで音楽修行を続けられるよう奨学金を集めた。職業演奏家としての活動は第一次世界大戦(1914-1918)中に始め、欧米各地で演奏活動やレコード録音活動を繰り広げた。1959年に日本人ピアニストの原智恵子(1914-2001)と結婚した。指揮者のハンス・シュミット=イッセルシュテット(1900-1973)はベルリン生まれのドイツの名指揮者。第2次世界大戦中も非ナチス党員をつらぬいた。当シリーズではヴァイオリニストのゲオルク・クーレンカンプとのシューマン:ヴァイオリン協奏曲(1932年録音)(78CDR-3923)が出ていた。大戦後のLP時代にDECCA, PHILIPS, Deutsche Grammophon, TELEFUNKEN に多くの名録音を残している。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジのスピリッツSP78rpm(4mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3942
ウェーバー:ピアノ・ソナタ第1番ハ長調作品24
クラウディオ・アラウ(ピアノ)
加 VICTOR 18524/6 (米VICOTR 18521/3と同一録音)
1941年2月20日ニューヨーク、VICTORスタジオ2 録音
クラウディオ・アラウ(1903-1991)は南米チリ生まれ。5歳でリサイタルを開き、8歳の時にチリ政府の奨学金を得てドイツに留学、ベルリンのシュテルン音楽院でリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。1914年ベルリンでデビュー、以降ヨーロッパで名声を確立。1927年にジュネーブ国際音楽コンクールに第1位入賞。1935年からはベルリンでバッハとモーツァルトの全クラヴィーア曲の連続演奏会を開いた。またベートーヴェンやウェーバー、シューベルトのピアノ・ソナタの連続演奏会も開いた。1941年カーネギー・ホールにデビューし、翌年から本拠地をアメリカに移した。第二次大戦後は南北アメリカ、東西ヨーロッパなど世界的に活躍し、レコード録音もRCA VICTOR,CBS COLUMBIA, EMI, PHILIPS に多く残した。この録音はアメリカ・デビュー時にニューヨークで行われたもの。
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78CDR-3943※試聴はありません
ストラヴィンキー:ピアノと管楽器のための協奏曲ニ長調(1923/4)
スリマ・ストラヴィンキー(ピアノ)
フェルナン・ウーブラドゥ指揮
パリ管楽器協会管弦楽団
仏 DISQUES "GRAMOPHONE" DB 11.105/6
1943年11月17日パリ、アルベール・スタジオ録音
ピアノのスリマ・ストラヴィンスキー(1910-1994)は作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーの次男で、父親が「火の鳥」を発表した1910年にローザンヌで生まれた。スリマはパリ音楽院でピアノをイシドール・フィリップ(1863-1958)、作曲をナディア・ブーランジェ(1887-1979)に師事した。1934年にパリでデビューし、父親の作品を共に演奏・録音した。1939年父親はアメリカに亡命したが、スリマはフランス陸軍に籍を置いていた。1948年父の招きで渡米し、以降アメリカで活動した。1950年から1978年までイリノイ大学でピアノを教えた。スリマの作品は父の没後に出版された。大部分はピアノ曲で演奏会用の作品の他に教育用作品があった。レコード録音は父のピアノ曲がこの他にもあった。指揮者のフェルナン・ウーブラドゥ(1903-1986)はパリ生まれ。パリ音楽院出身。パリ音楽院管弦楽団、パリ・オペラ座管弦楽団の首席ファゴット奏者を勤めた後、1939年フェルナン・ウーブラドゥ室内管弦楽団を立ち上げ演奏会やレコード録音で活躍した。1941年から母校パリ音楽院教授をつとめた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジのスピリッツSP78rpm(4mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
2024年6月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3944
ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス-スペイン古謡集
(1)うぐいす-カタロニア 古謡
DA1970A
(2)アメリアの遺言-カタロニア 古謡
DA1970B
(3)(a)さようなら、わたしのいい人
-(b)かあさんは私を嫁にやろうとして
ガリシア 古謡 (3:04)
DA1971A
(4)峠をめざして-アストゥリアス 古謡
DA1971B
(5)わたしの心はここにある
カスティーリャのファンダンゴ
DA1972A
(6)(a)泣いていたあの娘
-(b)羊飼いは行ってしまった
カスティーリャ 民謡
DA1972B
(7)(a)ベツレヘムの鐘 Campanas de Belen -
(b)私が歌うハエンの調べ
DA1973A
(8)すぐにおやすみ-ムルシア 古謡
DA1973B
(9)歌の文句が知りたいならば
グラナダの歌
DA1974A
(10)嘆きぶし-アンダルシア 古謡
DA1974B
(11)(a)麦打ち歌
-(b)パルデモーサのバラード
マジョルカ 古謡
DA1975A
(12)(a)わたしのもの-(b)いいなずけ
バスク地方の古謡
DA1975B
ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス(ソプラノ)
レナータ・タラーゴ(ギター)
ガルシア・タラーゴ(編曲)
英 HIS MASTER'S VOICE DB 1970/1975
1950年9月12-15日ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音
ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス(1923-2005)はスペインのバルセロナ生まれ。幼少時からギターと声楽を習い、長じてリセウ高等音楽院に進みピアノと声楽を学んだ。1944年にバルセロナでリサイタルを開いてプロ・デビューした。その後1947年ジュネーヴ国際音楽コンクールで優勝。1949年にはパリ・オペラ座、1950年にはザルツブルク音楽祭、コヴェント・ガーデンのロイヤル・オペラハウス、ミラノ・スカラ座でデビュー。この録音は彼女の最初期のもの。その後EMIにオペラの全曲録音を20作以上残した。ギターのレナータ・タラーゴ(1927-2005)はバルセロナ生まれの女流奏者。父親からギターの手ほどきを受け、14歳で最初の演奏会を開き、17歳でバルセロナ音楽院の助教授に就任した。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの[スピリッツSP78rpm](3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3945※試聴はありません
ストラヴィンスキー:カプリッチョ(ピアノと管弦楽のための)
イーゴリ・ストラヴィンスキー(ピアノ)
エルネスト・アンセルメ指揮
ストララム管弦楽団
仏 COLUMBIA LFX 81/3
1930年5月8-10日パリ録音
この曲は作曲者ストラヴィンスキーがピアニストとしての力量を示すために作曲された。1928年から29年にかけて南フランスで書かれ、初演は1929年末にパリのプレイエル音楽堂で、作曲者自身のピアノ、エルネスト・アンセルメ指揮パリ交響楽団によって行われた。エルネスト・アンセルメ(1883-1969)はスイス生まれ。1910年モントルーで指揮者デビュー。間もなくモントルーのカフェでストラヴィンスキーと運命的な出会いをし交友を深めた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの[スピリッツSP78rpm](3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3946
シューマン:交響曲第4番ニ短調作品120
ハンス・プフィツナー指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
日POLYDOR 40141/4A (独 POLYDOR 66410/3と同一録音)
1926年ベルリン録音
ハンス・プフィッツナー(1869-1949)はドイツ後期ロマン派の作曲家。ドイツ人の両親のもとにロシアで生まれ、幼少時にドイツに移住し指揮者としての地位を固めた後、徐々に作曲活動を活発化させていった。レコード録音は機械式録音(1925年以前)の後期から電気録音の初期の時代にベルリン国立歌劇場管弦楽団を指揮したものがドイツPOLYDORに残されているが、その後は作曲活動に専念したためか録音はほとんど無い。この録音は米ブランズウィック社が開発した「ライト・レイ」方式の電気録音。プフィッツナーは機械式録音時代の1923年にベルリン・フィルを指揮してこの曲を録音していた(独POLYDOR 69625/7)。この音楽家のお気に入り作品。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの[スピリッツSP78rpm](3mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
2024年7月新譜 3点 発売中★DSD録音

●今回はWESTERN ELECTRICが原盤作成時に試聴用として開発したWESTREX 10A カートリッジの復製モデル「クラング・クンスト10A 」MC型カートリッジを使用して、モノラルLPを再生しました。

33CDR-3947
モーツァルト:
ヴァイオリン協奏曲第6番変ホ長調 K.268(365b)
ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216
クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)
カール・ミュンヒンガー指揮
シュトゥットガルト室内管弦楽団
英DECCA LXT 5044(FFRR録音)
1954年10月14日-11月11日、スイス、ジュネーヴ、ヴィクトリア・ホール録音
ヴァイオリン協奏曲第6番K.268(365b)はモーツァルトの死後8年目の1799年にヨハン・アントン・アンドレによって楽譜が出版された。モーツァルト時代にミュンヘンで活躍したヴァイオリニスト、ヨハン・フリートリッヒ・エックがモーツァルトから手渡された楽譜にもとづいて自分で加筆し、さらにモーツァルトの弟子のフランツ・ジェスマイアー(1766-1830)が加筆したという。ジェスマイヤーはモーツァルト最後の作品「レクイエム」を補筆完成させた人物。学者間では第2楽章は疑わしいが、他の楽章はモーツァルトの作品であるという説だったが、現在ではモーツァルトの作品表から除外されている。ジャック・ティボーの(1880-1953)の快心の名演がSPレコード(復刻CDR:78CDR-3080)にあったが、LP時代には録音はごく僅かだった。クリスチャン・フェラス(1933-1982)はパリ音楽院出身。49歳の若さで他界したが、DECCA、EMI、DEUTCHE GRAMMOPHONに大量の録音を残した。これは21歳のフェラスが取り組んだ最初期の録音。指揮者のカール・ミュンヒンガー(1915-1990)はドイツ生まれ。ヘルマン・アーベントロート(1883-1956)に師事し、シュトゥットガルト室内管弦楽団を主宰した。
復刻にはWESTREX 10Aカートリッジの復製モデル「クラング・クンスト10A]をmono接続にし、コルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

33CDR-3948
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35
ナタン・ミルシテイン(ヴァイオリン)
シャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団
米 RCA VICTOR LM 1760
1953年3月23日ボストン・シンフォニー・ホール録音
ナタン・ミルシテイン(1903-1952)はウクライナのオデッサ生まれ。11歳でペテルブルク音楽院に入学し、名ヴァイオリン教師レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。後にピアニストのホロヴィッツと知り合い一緒に演奏旅行をしたこともあった。1929年にストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団のソリストとしてアメリカ・デビュー。1942年にアメリカ市民権を得た。ミルシテインは生涯に8回もチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をレコード録音している。これはその2番目で50歳の時のもの。指揮者のシャルル・ミュンシュ(1891-1968)はドイツのストラスブルク生まれ。ヴァイオリンを学び、1926年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のヴァイオリン奏者になり、1932年まで楽長のフルトヴェングラーやワルターの下でコンサートマスターを務めた。1929年にパリで指揮者デビュー。1937年にはパリ音楽院管弦楽団の指揮者になり1946年まで在任した。1949年にボストン交響楽団の常任指揮者に就任、1962年までその地位にあった。1967年パリ管弦楽団が出来たとき、初代の音楽監督に就任したが、同年アメリカを演奏旅行中に心臓発作で死去した。享年77。
復刻にはWESTREX 10Aカートリッジの復製モデル「クラング・クンスト10A]をmono接続にし、コルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

33CDR-3949
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調作品78
エルンスト・フォン・ドホナーニ(ピアノ)
アルバート・スポールディング(ヴァイオリン)
米REMINGTON R-199-84
1952年録音
ピアノのエルンスト・フォン・ドホナーニ(1877-1960)はオーストリア=ハンガリー帝国のポジョニュ(スロヴァキア語名:ブラティスラヴァ)生まれ。ブダペスト音楽アカデミーを卒業後、1897年オイゲン・ダルベルト(1864-1932)のレッスンを受けてピアニストとしてデビューした。ヨアヒムの招きでベルリン高等音楽院で教鞭をとった(1905-1915)。その後祖国に戻り、ブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督をつとめた。その後アメリカに渡り定住した。ヴァイオリンのアルバート・スポールディング(1888-1955)はシカゴ生まれ。1906年にパリでデビュー。1922年にパリ音楽院管弦楽団初のアメリカ人独奏者に迎えられた。その1年後同音楽院の卒業審査員に選ばれた。スポールディングはエジソンの円筒式レコードの時代から小品の録音を始め、縦振動のダイアモンド・ディスクにも録音を残した。1930年代にはRCA VICTOR社の専属だった。LP時代に米REMINGTONにブラームスとベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ全集などを録音していた。
復刻にはWESTREX 10Aカートリッジの復製モデル「クラング・クンスト10A]をmono接続にし、コルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
2024年8月新譜 3点 発売中★DSD録音

33CDR-3950(Stereo)
J,S,バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ(1)
ソナタ第1番ト短調 BWV 1001
パルティータ第1番ロ短調 BWV 1002
クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)
米 SINE QUA NON SUPERBA SAS 2016
1967年頃のヨーロッパ録音
クリスチャン・フェラス(1933-1982)はパリ音楽院出身。49歳の若さで他界したが、DECCA、EMI、DEUTCHE GRAMMOPHONに大量の録音を残した。この録音は以下の理由で1967年頃のものと思われる。フェラスは当時 DEUTCHE GRAMMOPHONの専属で、カラヤン指揮のベルリン・フィルと多くの録音をしていた。その中にカラヤンと共演したJ.S.バッハ:ヴィオリン協奏曲集があった。当然この録音と同時期にフェラスによるJ.S.バッハ:無伴奏ソナタとパルティータ全曲の録音が予定される筈だが、ある事情により録音はなされなかった。その事情を知らないフェラスは録音準備をしていただろうが、録音がないことをを知らされたフェラスは自費で録音を行ったと想像する。それがこの録音である。(以下33CDR-3951へ)
復刻にはステレオ最初期のMM型カートリッジSHURE M3Dとコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

33CDR-3951(Stereo)
J,S,バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ(2)
ソナタ第2番イ短調 BWV 1003
パルティータ第2番ニ短調 DWV 1004
クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)
米 SINE QUA NON SOPERBA SAS 2016
1967年代頃のヨーロッパ録音
クリスチャン・フェラス(1933-1982)はパリ音楽院出身。49歳の若さで他界したが、DECCA、EMI、DEUTCHE GRAMMOPHONに大量の録音を残した。1967年カラヤン指揮ベルリン・フィルとJ.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲集が録音された。フェラスはこの録音に引き続き、無伴奏ソナタとパルティータ全曲の録音要請がDEUTSCHE GRAMMOPHON社から来ると思い準備をしていたが録音依頼はなかった。それはDG社がヘンリク・シェリングの無伴奏ソナタとパルティータ全曲を発売することになったためと推測する。シェリングの無伴奏は、もともとオランダ PHILIPSが発売権を持っていたが、PHILIPSはアルトゥール・グリュミオーの無伴奏が完成したために、シェリング盤の発売をDG社に委ねたからだ。それでフェラスの無伴奏の録音は無くなった。(以下33CDR-3952へ)
復刻にはステレオ最初期のMM型カートリッジSHURE M3Dカとコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

33CDR-3952(Stereo)
J,S,バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ(3)
ソナタ第3番ハ長調 BWV 1005
パルティータ第3番ホ長調 DWV 1006
クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)
米 SINE QUA NON SUPERBA SAS 2016
1967年頃のヨーロッパ録音
クリスチャン・フェラス(1933-1982)はパリ音楽院出身。49歳の若さで他界したが、DECCA、EMI、DEUTCHE GRAMMOPHONに大量の録音を残した。1967年カラヤン指揮ベルリン・フィルとJ.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲集が録音された。フェラスはこの録音に引き続き無伴奏ソナタとパルティータ全曲の録音要請がDEUTSCHE GRAMMOPHON社から来ると思い準備をしていたが録音依頼はなかった。フェラスは完全に仕上がったJ.S.バッハの「無伴奏」をそのままにしておくのを偲びず、自費で録音をしたと想像する。録音場所は不明だが、音の響き方からスタジオではなくコンサート・ホールだと思われる。時折ホールの外の自動車の音が聞かれる。観客の気配は皆無なのでライヴ録音ではない。
復刻にはステレオ最初期のMM型カートリッジSHURE M3Dとコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
2024年9月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3953
ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
フェリックス・ワインガルトナー指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
米 COLUBIA 68855/68860-D(英 COLUMBIA LX 532/7と同一録音)
1936年5月22&23日ウィーン録音
フェリック・ワインガルトナー(1863-1942)オーストリアの大指揮者。ライプツィヒ大学で哲学を専攻したが、音楽への魅力に惹かれグラーツ、ライプツィヒ、ヴァイマルの音楽院で学んだ。1889年からドイツ各地の歌劇場を転々としたが、1908年にマーラーの後任としてウィーン宮廷歌劇場とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任した。この「英雄」はワインガルトナーが残した唯一の「英雄」。
復刻には「音のエジソン」http//www.otono-edeison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3954
ドビュッシー:弦楽四重奏曲ト短調作品10
ヨハン・クリストフ・フリートリッヒ・バッハ:
弦楽四重奏曲第4番ニ短調よりAllgro moderato
カルヴェ弦楽四重奏団
ジョゼフ・カルヴェ(第1ヴァイオリン)
ダニエル・ギレヴィッチ(第2ヴァイオリン)
レオン・パスカル(ヴィオラ)
ポール・マ(チェロ)
仏 COLUMBIA LFX 210/213
1931年パリ録音
カルヴェ弦楽四重奏団は1919年に結成された。リーダーのジョゼフ・カルヴェ(1897-1984)はトゥールーズ出身。生地の音楽院で1904年に一等賞を得て、その後パリ音楽院に進み1919年に一等賞得た後すぐに弦楽四重奏団を結成した。1928年リーダーの死によって解散したカペー弦楽四重奏団の後継四重奏団となったカルヴェ四重奏団の初録音。
復刻には「音のエジソン」http//www.otono-edeison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3955
超人歌姫!
関屋敏子名唱集(3)
(1)ユーモレスク(岸本操子訳詩 ドヴォルザーク作曲 橋本国彦編曲)
(2)ミネトンカの湖畔にて(妹尾幸陽訳詩 リューランス作曲)
(3)ラ・パロマ(妹尾幸陽訳詩 イラディエル作曲)
(4)悲歌(堀内敬三訳詩 マスネー作曲)
(5)ホフマンの舟唄(堀内敬三訳詩 オッフェンバック作曲)
(6)ローレライ(近藤さく風訳詩 ジルヒャー作曲)
関屋敏子(ソプラノ)
新響サロン・オーケストラ(1)(2)
ピチネリ指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団(3)
日本ビクター管弦楽団(4)(5)(6)
日VICTOR 13190 (1)(2) 1932年7月発売(25cm盤)
日VICTOR 13305 (3) 1933年8月発売(25cm盤)
日VICTOR 13397 (4)(5) 1934年12月発売(25cm盤)
日VICTOR 13410 (6) 1935年3月発売(25cm盤)
関屋敏子(1903-1941)20世紀前半を代表する日本のソプラノ。東京・小石川生まれ。東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)中退。1926年にデビュー後イタリアに留学し、ボローニャ大学で学んだ。その後スカラ座のオーディションに合格しヨーロッパ各地で活躍した。
復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジのスピリッツSP78rpm(4mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
2024年10月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3956
ベートーヴェン:
交響曲第9番ニ短調作品125 「合唱」から第4楽章「歓喜の頌」
(シラー原詩-尾崎喜八訳詞)
橋本国彦指揮
東京交響楽団
国立音楽学校&玉川学園合唱団(岡本敏明指導)
香山淑子(ソプラノ)(1910-?)
四家文子(メゾ・ソプラノ)(1906-1981)
木下保(テノール)(1903-1982)
藤井典明(バリトン)(1915-1994)
日本ビクター JH232/4
1943年(昭和18年)5月13日 日本青年館録音
日本最初の「第九」(第4楽章のみ)のレコード録音。指揮者、ソリスト、合唱団がすべて日本人によるもので、演奏会ライヴではなくセッション録音であることを特記したい。しかも昭和18年5月は日・米戦争の真っ最中の出来事。オリジナルのSPレコード付録の解説書にレコード評論家野村あらえびす氏は、「戦争によって海外からの原盤輸入が断たれたために、日本人の手によってこのような録音が生まれたことは、喜ばしいことである」との記述があった。指揮者の橋本国彦(1904-1949)は東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)出身。作曲家、ヴァイオリニスト、音楽教育者でもあった。
復刻には「音のエジソン」 http.//www.otono-edeison.com SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3957
ハチャトゥリアン:ヴァイオリン協奏曲 ニ短調
ダヴィッド・オイストラフ (ヴァイオリン)
アレクサンドル・ガウク指揮
ロシア国立交響楽団
米 MERCURY DM10(14000/14004) 1942年11月モスクワ録音
この曲の初演者ダヴィッド・オイストラフ(1908-1974)による録音。オイストラフはウクライナのオデーサ生まれ。1937年ブリュッセルで開催された「エリザベト王妃音楽コンクール」で優勝。モスクワ音楽院で後進の指導をしていたが、ソビエトの第2次大戦参戦で慰問演奏を行った。その後の活躍はめざましく、20世紀後半に活躍した世界屈指のヴァイオリン奏者。この録音は戦後米マーキュリー社から発売された。指揮者のアレクサンドル・ガウク(1893-1963)はソ連の音楽界を支えた偉大な人物。このシリーズでベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(1950年モスクワ録音)(78CDR-3358)も出ている。
復刻には「音のエジソン」 http.//www.otono-edeison.com SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3958
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第10番変ホ長調作品74「ハープ」
ブダペスト弦楽四重奏団
ヨーゼフ・ロイスマン(第1ヴァイオリン)
アレクサンダー・シュナイダー(第2ヴァイオリン)
イシュトヴァン・イポリー(ヴィオラ)
ミッシャ・シュナイダー(チェロ)
米 RCA VICTOR 14997/15000
1936年4月27日ロンドン録音
ブダペスト弦楽四重奏団は1917年ブダペスト歌劇場管弦楽団のメンバー4人によって結成され、1967年に解散した。1932年に初代のリーダーだったエミール・ハウザー(在籍1917-32)からヨーゼフ・ロイスマン(1900-1974)になり、アメリカをベースに活躍し20世紀中期最高の四重奏団として君臨した。アレクサンダー・シュナイダー(在籍1933-45)は第2ヴァイオリン奏者で一時期ソリストと自らの四重奏団を結成して活躍していた。ヴィオラのイシュトヴェン・イポリー(在籍1917-36)はボリス・クロイト(在籍1936-67)に代わった。チェロのオリジナル・メンバーであるハリー・ソン(在籍1917-30)はミッシャ・シュナイダー(在籍1936-1967)に代わった。この録音はロンドンのアビーロードでの録音だがEMIからは発売されずRCA VICTORのみの発売だった。
復刻には「音のエジソン」 http.//www.otono-edeison.com SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
2024年11月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3959
モーツァルト:ピアノ協奏曲第14番変ホ長調 KV.449
キャスリーン・ロング(ピアノ)
ボイド・ニール指揮
ボイド・ニール管弦楽団
英 DECCA K.784/6
1935年7月19日ロンドン録音
この曲の初録音。キャスリーン・ロング(1896-1968)はロンドン郊外のベントフォード生まれ。神童として名を馳せ8歳で演奏会を開いた。1915年にロンドンのエオリアン・ホールでデビュー、1920年から1964年まで母校の王立音楽カレッジで教鞭をとった。モーツァルト、ハイドン。バッハなどの作品を得意とし、英DECCAに多く録音を残している。指揮者のボイド・ニール(1905-1981)はイギリス生まれ。外科医師から音楽家に転向し、1932年に自らの名を冠したオーケストラを指揮してデビュー、DECCAと契約して活躍した。
復刻には「音のエジソン」 http.//www.otono-edeison.com SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3960
ベートーヴェン
連作歌曲「遙かなる恋人に寄す」作品98
1.丘の上に私は座って
2.山々の青いところ
3.空高く軽やかに舞う鳥
4.空高くゆく雲
5.五月がめぐってきた
6.お別れにこの歌を
ハインリッヒ・シュルスヌス(バリトン)
セバスチャン・ペシュコ(ピアノ)
Deutsche Grammophon 67544/5(Ger.)
1939年7月19日ベルリン録音
ハインリッヒ・シュルスヌス(1888-1952)はドイツのブラウバッハ生まれ。1915年にハンブルクで初舞台を踏み、1917年から1950年までベルリン国立歌劇場で歌った。その間シカゴ・オペラ、バイロイト音楽祭、パリ・オペラ座にも出演した。シュルスヌスは優れたレガートと気品ある歌唱で知られ、オペラではドイツ人歌手でありながらヴェルディの諸役でも名を馳せた。ドイツリートの歌唱様式の典型を、テノールのレオ・スレザークと共に形作っていた歌い手でもあった。
復刻には「音のエジソン」 http.//www.otono-edeison.com SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3961
ドビュッシー:
ヴァイオリン・ソナタ ト短調(1917)
前奏曲集第1集より第4曲「音と香りは夕べの大気のなかに漂う」
アンドレ・マンジョー(ヴァイオリン)
ライエル・バーブア(ピアノ)
英 NATIONAL GRAMOPHONIC SOCIETY(NGS)127/8
1929年ロンドン録音
この曲の初録音。アンドレ・マンジョーはパリ音楽院出身のヴァイオリニスト。1919年にロンドンでインターナショナル弦楽四重奏団を結成した。ピアノのバーブアはハンガリー生まれ。ブダペスト・トリオのピアニストをつとめた。
復刻には「音のエジソン」 http.//www.otono-edeison.com SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
2024年12月新譜 3点 発売中★DSD録音

今月の新譜は2タイトルとなります

78CDR-3962 ※機械式録音盤(電気式録音以前)を含む復刻音源
唱歌「旅愁」
英語版原曲と犬童球渓訳詞による日本語歌唱
(1)ふるさとと母を夢見て(旅愁の原曲)(J.P. オードウェイ)
エヴァン・ウィリアムズ(テノール)
米Victrora 6321B(1916年3月29日機械式録音)
エヴァン・ウィリアムズ(1867-1918)は米オハイオ州生まれのオラトリオ歌手。生涯に約100枚のSPレコードを米VICTORと英HMVに残した。

(2)旅愁(独唱)
杉本阿さ子(歌)、湯前純親(伴奏)
ニットー・レコード 389B (1922年発売)(機械式録音)
演奏者の経歴は不詳。ニットー・レコードは大正期にあった大阪の会社。

(3)旅愁(少女小曲)
村山道子(歌)、豊田義一(ハーモニカ伴奏)
ニッポノフォン 15939A (1925年12月発売)(機械式録音)
村山道子(1904-1990)は大正中期に童謡歌手としてデビュー。長じてソプラノ歌手として活躍した。

(4)旅愁(犬童球渓訳詞)
植村輝子(歌)、松島ツネ子(ピアノ)
コロムビア 25658(1929年10月発売)
植村輝子はドラマティック・ソプラノとして昭和初期に活躍した。

(5)旅愁(犬童球渓作歌)
関屋敏子(ソプラノ)
カルロ・サバンニョ指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団
ビクター 4135A(BM654-2)(1929年10月ミラノ録音)
関屋敏子(1904-1941)は偉大なソプラノ。イタリア在留中の録音。

(6)旅愁(犬童球渓作詩・杉田良造編曲)
松島詩子(歌)リーガル・オーケストラ
リーガル 65952(74204)(1933年8月発売)
松島詩子(1905-1996)は山口県柳井市出身。1932年音楽教師から歌手に転向。これはデビュー後2枚目の録音。後にキングレコードの看板歌手になった。

(7)旅愁(Traditional)
モーリス・マレシャル(チェロ)、マキシム・シャピロ(ピアノ)
コロムビア J5482(200841)(1935 年東京録音)
モーリス・マレシャル(1892-1964)フランス、ディジョン生まれのチェリスト。パリ音楽院出身。1935年と1937年に来日、コロムビアに小品16曲を録音した。

(8)旅愁(犬童球渓作詩・杉山長谷夫編曲)
中村淑子、四谷文子、藤山一郎、徳山たまき(歌) 日本ビクター弦楽六重奏団
ビクター 53397A(7056)(1935年5月発売)
大物歌手四人の斉唱・重唱が楽しめる。

(9)旅愁(アメリカ民謡・犬童球渓作詞・坂本良隆編曲)
三枝喜美子(歌)、コロムビア・オーケストラ
コロムビア A432z(1210409)(1948年発売)
三枝喜美子(1921-2000)武蔵野音楽学校研究科修了のアルト歌手。藤原歌劇団
に所属していた。

(10)旅愁(犬童球渓作詞・オードウェイ作曲・飯田信夫編曲)
藤井典明指揮日本ビクター女声合唱団  大堀敦子(ピアノ)
ビクター V-40396(1950年6月発売)
藤井典明(1915-1994)は東京音楽学校研究科修了。バリトン歌手として、また合唱指揮者して活躍した。ピアノの大堀敦子は愛知県立芸術大学の名誉教授勤めた。

「旅愁」は日本生まれの歌ではなく、原曲はアメリカの作曲家 J. P.オードウェイ(1824-1880)が1868年に作曲した「ふるさとと母を夢見て Dreaming of Home and Mother」で、明治40年(1907)に詩人犬童球渓(いんどうきゅうけい)(1879-1943)によって訳詞された翻訳唱歌だった。1907年に発表された「中等教育唱歌集」に載ってから広く親しまれ、明治・大正のラッパ吹き込みの時代から親しまれてきた。だが初期のレコードには作曲家や作詞家の名前が記載されなかったこともあって日本生まれの歌だと思われてきた。数年前にアメリカVICTORのカタログにテノール歌手エヴァン・ウィリアムズによる「ふるさとと母を夢見て Dreaming of Home and Mother」を見つけ約 2年かけてSP盤を入手した。
復刻には「音のエジソン」 http.//www.otono-edeison.com SPレコード専用MC型カートリッジの上級モデル「ゼロSP78rpm(3mil針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。


78CDR-3963 ※発売中止
SPレコード復刻「セントルイス・ブルース」第4集


33CDR-3964
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第7番ニ長調 KV,271a
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第8番ト長調作品30-3
ヘレン・エアロフ(ヴァイオリン)
クルト・ヴェス指揮
オーストリア交響楽団(モーツァルト)
セレニ・シャイエ=リシェ(ピアノ)(ベートーヴェン)
米 REMINGTON R-199-46(モーツァルト)1953年発売
米 REMINGTON R-199-93(ベートーヴェン)1952年11月発売
ヴァイオリンのヘレン・エアロフ(1916-1987)はロシア生まれ(ニューヨーク生まれ説あり)。9歳のとき神童としてサンフランシスコでデビュー。ヨーロッパに渡りアドルフ・ブッシュ(1891-1952)とジョルジュ・エネスコ(1881-1955)に師事した。多くの演奏会で成功をしたが、特に第2次世界大戦中は米軍兵士(G.I.)の慰問コンサートでアフリカ、ヨーロッパ、中近東で演奏した。エアロフの最大の功績は、師のエネスコに録音プロデューサーのドン・ガボール(1912-1980)を紹介し、エネスコが録音していなかったJ.S.バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全曲(33CDR-3385&33CDR-3385)の録音完成を後押ししたことである。協奏曲を指揮するクルト・ヴェス(1914-1987)はオーストリアのリンツ生まれ。大指揮者フェリックス・ワインガルトナー(1863-1942)の個人教授で指揮法を学んだ。1951年から1954年までNHK交響楽団の常任指揮者を務めたこともある。ピアノのセレニ・シャイエ=リシェはフランスのリール生まれ。1898年にパリ音楽院で一等賞を得た。エネスコの没後ルーマニアのブカレストでエネスコ資料館を立ち上げ参加した。
復刻にはKLANG-KUNST Model 10A カートリッジをモノ接続にして、コルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。