★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-3965〜3973

2025年1月新譜 3点 発売中★DSD録音


33CDR-3965
モーツァルト:
ピアノ協奏曲第26番ニ長調 KV.537 「戴冠式」
アダージヨ ロ短調 KV,540
リリー・クラウス(ピアノ)
ルドルフ・モラルト指揮
ウィーン交響楽団(協奏曲)
米 VOX PL 7300
1950年ウィーン録音
LP最初期の録音。リリー・クラウス(1905-1988)はハンガリー生まれの女流ピアニスト。17歳でブダペスト音楽院に入学、ベラ・バルトーク(1881-1945)、ゾルタン・コダーイ(1882-1987)らに師事した。1922年にウィーンに赴きウィーン音楽アカデミーでアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)とエドゥアル・シュトイアマン(1892-1964)についてさらに研鑽を積んだ。1930年代からモーツァルトやベートーヴェンの演奏家として名声をあげ、ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルク(1909-1993)と共演して各国で評判をとった。1942年インドネシアのジャワで公演中、ゴールドベルクと共に日本軍によって軟禁され大戦終結まで現地で過ごした。指揮者のルドルフ・モラルト(1902-1958)はミュンヘン生まれ、リヒャルト・シュトラウスの遠縁にあたる。
復刻にはKLANG KUNST Model 10A カートリッジをモノラル接続にして、コルグのDS-DAC-10R DSD録音機を使用した。

33CDR-3966
モーツァルト:
ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 KV.219(カデンツァ: ヨアヒム)
エヴァ・ヒッツカー(ヴァイオリン)
フリッツ・ヴァイトリッヒ指揮
ザルツブルク祝祭管弦楽団
米 REMINGTON RLP-149-37(25cm 盤)
1951年発売
エヴァ・ヒッツカー(1921-2016)はオーストリア生まれの女流ヴァイオリン奏者。この録音の他にハイドン:ヴァイオリン協奏曲第3番イ長調 H.VIIa, No.3(1765)"Melk"(Amadeo AVRS 6355)があった。指揮者のフリッツ・ヴァイトリッヒ(1898-1952)はウィーン生まれ。インスブルック楽友協会の指揮者をつとめた。
復刻にはKLANG KUNST Model 10A カートリッジをモノラル接続にして、コルグのDS-DAC-10R DSD録音機を使用した。

33CDR-3967
クープラン:クラヴサン組曲第1巻より第24組曲
大殿様
若殿様
毒槍
花飾り
がらくた
みごとな犬、またはおどけた恋
美しいおしゃべり女
二重生活者
エタ・ハーリッヒ=シュナイダー(ハープシコード)
米 URANIA RECORDS URLP 5001(25cm 盤)
1951年発売
エタ・ハーリッヒ=シュナイダー(1894-1986)はベルリン生まれの女流ハープシコード奏者。第2次世界大戦中ナチス・ドイツから「ユダヤ人贔屓」とにらまれ、戦時中を日本で過ごした。この録音は最初期のLPに残されていたもので、ほとんど知られていなかった貴重盤。
復刻にはKLANG KUNST Model 10A カートリッジをモノラル接続にして、コルグのDS-DAC-10R DSD録音機を使用した。
2025年2月新譜 3点 発売中★DSD録音

45CDR-3968
モーツァルト:きらきら星変奏曲-ダニエル・バレンボイム14歳の初録音
きらきら星変奏曲 K.265 (モーツァルト)
カプリッチョ 嬰ヘ短調 作品5 (メンデルスゾーン)
間奏曲 ハ長調 作品119-3 (ブラームス)
ダニエル・バレンボイム(ピアノ)
PHILIPS ELECTICAL LIMITED LONDON NBE 11013(17cm 45回転盤)
1956年ロンドン録音
ダニエル・バレンボイム(1942-)が1956年、14歳の初録音集。アルゼンチンのブエノス・アイレス生まれ。5歳でピアノを始め、1950年8月19日、7歳のときブエノス・アイレスで最初のコンサートを開いた。1952年に一家と共にイスラエルに移住し、2年後の1954年の夏に両親と共にザルツブルクに行き、イーゴリ・マルケヴィッチのクラスに参加した。その年ヴィルヘルム・フルトヴェングラーに出会い、この大指揮者に強い印象を与えた。この録音の1年前の1955年にパリでナディア・ブーランジェ教授に和声と作曲の個人指導を受けた。その後ピアニスト、指揮者として20世紀後半のクラシック音楽界で大活躍した。
復刻にはKLANG KUNST Model 10A カートリッジをモノラル接続にして、コルグのDS DAC10R DSD録音機を使用した。

33CDR-3969
モーツァルト:
ピアノ・ソナタ第8番イ短調 K.310
ピアノ・ソナタ第11番イ長調 K.331「トルコ行進曲付き」
リリー・クラウス(ピアノ)
米 VOX PL 6310
1950年フランス録音
LP最初期の録音。リリー・クラウス(1905-1986)はハンガリー生まれの女流ピアニスト。17歳でブダペスト音楽院に入り、ベラ・バルトーク(1881-1945)、ゾルタン・コダーイ(1882-1987)に師事した。1922年にウィーンに赴きウィーン音楽アカデミーでアルトゥール・シュナーベル(1882-1987)とエドゥアルト・シュトイアーマン(1882-1964)についてさらに研鑽をつんだ。1930年代からモーツァルトやベートーヴェンの演奏家として名声を確立し、ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルグ(1909-1993)と共演して各国で評判をとった。1942年インドネシアのジャワで公演中、ゴールドベルグと共に日本軍によって軟禁され大戦終結まで現地で過ごした。
復刻にはKLANG KUNST Model 10A カートリッジをモノラル接続にして、コルグのDS DAC10R DSD録音機を使用した。

78CDR-3970
モーツァルト:ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲変ホ長調 K.364
アルバート・サモンズ(ヴァイオリン)
ライオネル・ターティス(ヴィオラ)
サー・ハミルトン・ハーティ指揮
ロンドン交響楽団
英 COLUMBIA DX 478/81
1933年4月30日ロンドン録音
この名曲の世界初録音。ヴァイオリンのアルバート・サモンズ(1886-1957)はロンドン生まれ。指揮者のトーマス・ビーチャムに見いだされ、ビーチャムが設立したオーケストラのコンサート・マスターに迎えられた。その後ロンドン弦楽四重奏団を立ち上げ、その後ジョージ5世の御前演奏家に選ばれた。ヴィオラのライオネル・ターティス(1876-1975)はライプツィヒ音楽院とロンドン王立音楽院でヴァイオリンを学んだが、在学中に弦楽四重奏でヴィオラを弾いたのがきっかけで転向した。パウル・ヒンデミットやウィリアム・プリムローズらと共にヴィオラの独奏楽器としての地位を確立した。指揮者のハミルトン・ハーティ(1879-1941)は1920年にハレ管弦楽団の指揮者に就任し、1933年までその地位にあった。1935年にナイトに叙せられた。録音はヨーゼフ・シゲティのソロによるブラームスのヴァイオリン協奏曲(78CDR-3220)が出ていた。
復刻には「音のエジソン」http://www.otono-edison.com./ のSPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。
2025年2月新譜 3点 3月下旬以降発売予定★DSD録音

33CDR-3971
ヴィオッティ:ヴァイオリン協奏曲第22番イ短調
ナルディーニ:ヴァイオリン協奏曲ホ短調
ペーター・リバール(ヴァイオリン)
クレメンス・ダヒンデン指揮
ヴィンタートゥール交響楽団
米WESTMINSTER WL50-49
1950年録音
ヴィオッティ:ヴァイオリン協奏曲第22番はLP最初期にこの演奏で評判になった。この作曲家の初レコード。ペーター・リバール(1913-2002)はウィーン生まれのスイスのヴァイオリニスト。プラハ音楽院で作曲家のヨゼフ・スーク(1874-1935)に師事した後、パリでカール・フレッシュ(1873-1944)にも師事した。1938年からスイスに居住し、ヴィンタートゥール・コレギウム・ムジクムのコンサートマスターに就任した。また同地の音楽院の教授として後進の指導にあたった。大戦後録音活動を活発に行い、特にウェストミンスター録音は評判を呼んだ。指揮者のクレメンス・ダヒンデン(1912-1989)はチューリッヒ音楽院出身。1939年からペーター・リバールが創設したヴィンタートゥール弦楽四重奏団の第2ヴァイオリンを担当し、1950年からヴィンタートゥール交響楽団の指揮者をつとめ1978年に引退した。
復刻にはKLANG KUNST Model 10A カートリッジをモノラル接続にして、コルグのDS DAC10R DSD録音機を使用した。

33CDR-3972
モーツァルト
ピアノ協奏曲第12番イ長調 K.414
ピアノ協奏曲第18番変ロ長調 K.456
リリー・クラウス(ピアノ)
ピエール・モントゥー指揮
ボストン交響楽団
米 RCA VICTOR LM 1783
1953年ボストン録音
リリー・クラウス(1905-1986)はハンガリー生まれの女流ピアニスト。17歳でブダペスト音楽院に入り、ベラ・バルトーク(1881-1945)、ゾルタン・コダーイ(1882-1987)に師事した。1922年にウィーンに赴きウィーン音楽アカデミーでアルトゥール・シュナーベル(1882-1987)とエドゥアルト・シュトイアマン(1882-1964)についてさらに研鑽をつんだ。1930年代からモーツァルトやベートーヴェンの演奏家として名声を確立し、ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルグ(1909-1993)と共演して各国で評判をとった。1942年インドネシアのジャワで公演中、ゴールドベルグと共に日本軍によって軟禁され、大戦終結まで現地で過ごした。指揮者のピエール・モントゥー(1875-1964)はパリ生まれの大指揮者。パリ音楽院でヴァイオリンを学び、卒業後はパリ・オペラ=コミック座やコロンヌ管弦楽団の楽員だったが、1906年にコロンヌ管でを指揮者デビュー。1911年からディアギレフのロシア・バレエ団の指揮者となり、ストラヴィンスキーの「春の祭典」、「ペトルーシュカ」など、20世紀の名作バレエ音楽の初演を指揮した。第一次世界大戦後にアメリカのメトロポリタン歌劇場の指揮者に就任、1935年からはサンフランシスコ交響楽団の常任指揮者をつとめた。アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、ボストン交響楽団(1919から24年まで音楽監督)を指揮している。これは第2次大戦後のボストン響との録音。
復刻にはKLANG KUNST Model 10A カートリッジをモノラル接続にして、コルグのDS DAC10R DSD録音機を使用した。

78CDR-3973
モーツァルト
交響曲第38番ニ長調 K.504「プラハ」
ブルーノ・ワルター指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
日COLUMBIA JW 8/10(英HIS MASTER'S VOICE DB 3112/4と同一録音)
1936年12月18日ウィーン、ムジークフェライン録音
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビューし、後に指揮者に転向した。1894年ハンブルク歌劇場の指揮者だった時、音楽監督のグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長、音楽監督を歴任、またウィーン・フィルハーモニーやベルリン・フィルハーモニーを指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると、迫害を避けてアメリカに逃れた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com./ のSPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD 録音機を使用した。