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★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

ご注文は当店HPよりどうぞ

DSD録音による再発売シーリーズ
78CDR-3040〜3059


2006年秋に発売を開始した当シリーズもおかげさまで約200タイトルを発売する事ができましたが、2009年2月よりマスター制作にDSD録音を採用する事にいたしました。これまでより更に生々しい音質をお届けする事が出来るようになりましたのでご期待下さい。

DSD録音の商品番号は78CDR-3000番を使用します。また今後、これまで発売しました78CDR-1000番台のタイトルを随時DSD録音の新マスターで再発売を行なってまいります。商品番号は下3桁は共通で使用いたします。従来の78CDR-1000番台の商品は、当面は販売を継続いたします。また近日DSD録音による有料サンプラー(\300)も制作いたしましたので、こちらもご利用下さい。

■製作者からのメッセージ
DSD録音になったグッディーズ・ダイレクト・トランスファーCDR!従来のCDを高音質化するさまざまな試みが盛んな中で、「グッディーズ・オリジナル企画」のダイレクト・トランスファーCDRは、2009年2月発売新譜からDSD録音を採用することになりました。DSD録音によって、これまでのSP復刻からさらに飛躍し、SPレコードの直接再生と区別がつかないところに到達したと自負しています。DSD録音は従来の方式に較べて中音から低音にかけての音の形が明瞭になり、高音は一皮剥けた感じです。LPとは比較にならない強大な音響勢力を持つSPレコードをカスタムメイドの直熱真空管フォノイコライザーを使用し、またノイズ除去と共に失われる音楽情報に最も気を配り一切のノイズリダクションを使用していないのは従来通りです。(新 忠篤)
●8月下旬発売予定

78CDR-3050 ※試聴はありません
モーツァルト=クライスラー:ロンド ニ長調 K.250 -「ハフナー・セレナード」より
パガニーニ=クライスラー:ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調(第1楽章より)
フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
フランツ・ルップ(ピアノ)(モーツァルト)
ユージン・オーマンディ指揮
フィラデルフィア管弦楽団(パガニーニ)
英 HIS MASTER'S VOICE DB3731(モーツァルト)
英 HIS MASTER'S VOICE DB3234/5(原録音=米 VICTOR 14420/1 パガニーニ)
(1938年 2月14日ロンドン, アビー・ロード第3スタジオ録音=モーツァルト,
1936年12月13日&1937年1月9日フィラデルフィア、アカデミー・オブ・ミュージック録音=パガニーニ)
20世紀最高のヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラー(1875-1962)は作曲家としても編曲者としても才能を発揮した。昔の作曲家の名前を冠した多くの作品を弾いて名声を上げたが、後にそれらは編曲ではなく、作曲家の名前を借りたクライスラー自身の作品であることを公表した。この2曲は実在する作品をクライスラーが編曲したもの。モーツァルトの「ロンド」はクライスラー以前にティボー(1880-1953)の録音もあった。パガニーニはクライスラーの手になる絢爛豪華なオーケストレーション。ソロ・パートは原曲を尊重しているが第4部のカデンツァはこの演奏は最大の聞きどころである。このシリーズでクライスラーはベートーヴェン:ヴァイオリンン・ソナタ集 I-IV(78CDR-3002, 3014, 3025, 3033分売)、ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3007新版、1090旧版)、ブラームス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3003新版、1105旧版)、メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3024新版、1091旧版)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番(旧版)(78CDR-1074)が出ている。

78CDR-3051
ショパン:ピアノ・ソナタ第3番ロ短調作品58
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
英 HIS MASTER'S VOICE DA1333/6
(1933年7月6日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
20世紀最高のフランスのピアニスト、アルフレッド・コルトー(1877-1962)は1892年パリ音楽院のルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスに入り研鑽を積む。1896年一等賞を得て卒業。ワーグナーに心酔し1897年バイロイトに赴き合唱指揮者となった。1902年には「神々の黄昏」と「トリスタンとイゾルデ」のパリ初演をし、またソプラノのフェリア・リトヴァンヌ(1863-1936)のピアノ伴奏者として初レコード録音を行った。このショパンのピアノ・ソナタ第3番はコルトーの2回目の録音。録音時コルトーは56歳だった。このシリーズでコルトーはショパン:ピアノ協奏曲第2番(78CDR-3000)、ショパン:エチュード作品10(78CDR-3001)、サン=サーンス:ピアノ協奏曲第4番(78CDR-3008)、ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(78CDR-3032)、ショパン:24 の前奏曲(1926年版)(78CDR-3043)、ショパン:エチュード作品25(78CDR-1061)、ショパン:ワルツ集(78CDR-1072)、ラヴェル:ソナチネ+水の戯れ(78CDR-1083)、J.S.バッハ:コンチェルト・ダ・カメラ+アリア(78CDR-1094)、フランク:交響変奏曲(78CDR-1130)、ショパン:24の前奏曲(1933年版)(78CDR-3181)が出ている。

78CDR-3052
J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調 BWV1042
ジョコンダ・デ・ヴィトー(ヴァイオリン)
アンソニー・バーナード指揮
ロンドン室内管弦楽団
ジェレイント・ジョーンズ(ハープシコード)
英 HIS MASTER'S VOICE DB6884/6
(1949年2月17日録音)
ジョコンダ・デ・ヴィトー(1907-1994)は20世紀イタリア最高の女流ヴァイオリニスト。1944年ローマのサンタ・チェチーリア音楽院の終身教授に任命された。1947年エディンバラ音楽祭に出演を機にEMIのアーティストとなった。このバッハの協奏曲は彼女の初期の録音にあたる。SPレコード末期の優秀録音で、典雅なヴァイオリンが聴く人を魅了する。ダイレクト・トランスファー・シリーズではデ・ヴィトーのJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番(78CDR-3019)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番(78CDR-1113)、ベートーヴェン:ロマンシ第2番ヘ長調(78CDR-1151)、ブラームス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-1174)が出ている。

78CDR-3053
ハイドン:ハープシコード協奏曲ニ長調作品21 Hob. XVIII-11
ハイドン:ピアノ・ソナタ第36番嬰ハ短調からメヌエット&ドイツ舞曲
ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)
ウジェーヌ・ビゴー指揮 管弦楽団
英 HIS MASTER'S VOICE DB8782/4
(1937年4月19日パリ録音)
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)はポーランドのワルソー生まれ。20世紀最高のハープシコード奏者。彼女はピアニスト、音楽学者、教授で1900年から13年間パリのスコラ・カントルムで教鞭をとった。二列の鍵盤と七個のペダルを有する自分のハープシコードをパリのプレイエル社に作らせ、生涯この楽器を使用した。1940年フランス国籍を得たが、1941年ドイツ軍のフランス侵攻によりアメリカにのがれた。パリに残したハープシコードは後にアメリカ軍によって彼女の手元に送られた。このハイドンはランドフスカが58歳の録音。指揮者のウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)はパリ音楽院出身。シャンゼリゼ劇場の指揮者を経て1923年パリ音楽院管弦楽団、1928年フランス放送管弦楽団、1935年ラムルー管弦楽団、オペラ・コミックの指揮者を歴任。パリ音楽院の指揮科の教授も務めた。SPレコードの録音も多い。ランドフスカはこのシリーズでJ.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲(78CDR-1073)、フランソワ・クープラン:クラヴサン曲集(78CDR-1081)とピアノによるモーツァルト:ピアノ協奏曲第26番「戴冠式」(78CDR-1117)が出ている。

78CDR-3054
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第6番変ホ長調 K.268(365b)
モーツァルト=ブルメスタ-編:メヌエット-ディヴェルティメント第17番 K.334より
アルフレッド・デュボワ(ヴァイオリン)
デジレ・ドゥフォー指揮
ブリュッセル王立音楽院管弦楽団(協奏曲)
フェルナン・ゴーヤン(ピアノ)(メヌエット)
仏 COLUMBIA LFX201/3
(1931年6月12日録音)
アルフレッド・デュボワ(1898-1948)はアルテュール・グリュミオー(1921-1986)の師として知られている。デュボワはウジェーヌ・イザイ(1858-1931)に師事し、1920年のヴュータン賞を受賞、ソリストとしてデビューした。1927年に母校ブリュッセル王立音楽院の教授に就任、ピアノ三重奏団や弦楽四重奏団のリーダーもつとめた。このヴァイオリン協奏曲第6番はモーツァルトの死後 8年目の1799年にヨハン・アントン・アンドレによって楽譜が出版された。モーツァルト時代にミュンヘンで活躍したヴァイオリニスト、ヨハン・フリートリヒ・エックがモーツァルトから手渡された楽譜にもとづいて自分で加筆し、さらにモーツァルトの弟子のフランツ・ジュスマイアー(1766-1803)が筆を加えたという。ジュスマイアーはモーツァルトの最後の作品「レクイエム」を補筆完成させた人物。モーツァルト学者の間では第2楽章は疑わしいが、他の楽章はモーツァルトの作品であるという説だったが、現在では疑わしい作品としてモーツァルトの作品表から除外されている。デジレ・ドゥフォー(1885-1960)はベルギーのガンに生まれた指揮者。1943年から1947年シカゴ交響楽団の指揮者を務めた。デュボワはこのシリーズでヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第5番作品37(78CDR-3013)、フランク:ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-3201)で出ている。

78CDR-3055
モーツァルト:弦楽四重奏曲第14番ト長調 K.387
レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)
米 COLUMBIA 67806/9D(原録音:英 COLUMBIA LX-24/27)
(1930年1月20-21日録音)
レナー弦楽四重奏団は1918年ハンガリーのブダペストで結成された。メンバー全員がブダペスト音楽院出身で、レナー(1894-1948)、スミロヴィッツ、ロートがイェノ・フバイ(1858-1937)の弟子。チェロのハルトマンがダヴィド・ポッパー(1843-1913)に師事した。4人はブダペスト・オペラの楽員だったが、1918年に起こったハンガリー革命を機に弦楽四重奏団を結成した。2年に渡って田舎の村にこもって練習を積んだ後、1920年にウィーンでデビューした。そこに居合わせた作曲家のラヴェル(1875-1937)が演奏に感動し、彼らをパリに招いた。公演はセンセーショナルな成功を収めた。その後1922年にロンドン、1929年にはアメリカ・デビューした。レコードは機械式録音時代の1922年にイギリス・コロンビアに録音したのが最初。1927年のベートーヴェン没後100年では、16曲の弦楽四重奏曲中11曲(SPレコード40枚)を録音した。このシリーズではモーツァルト:クラリネット五重奏曲K.581(78CDR-3045)、モーツァルト:弦楽四重奏曲第15番ニ短調 K.421(78CDR-1062)、モーツァルト:弦楽五重奏曲K.516(78CDR-1085)、モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番「狩り」(78CDR-1097)、モーツァルト:弦楽四重奏曲第19番「不協和音」(78CDR-3196)が出ている。この復刻にはアメリカ・コロンビアのブルーシェラック盤を使用した。

78CDR-3056
シューマン:弦楽四重奏曲第1番イ短調作品41-1
カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エウィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミユ・ドゥロベール(チェロ)
日本コロムビアJ7629/31(原録音:仏 COLUMBIA D15107/9)
(1928年10月3日録音)
フランスのカペー弦楽四重奏団は史上最高の弦楽四重奏団。1928年12月18日にリーダーのリュシアン・カペー(1876-1928)の死でその活動は終止符を打った。カペーはパリ音楽院でJ.-P.モーランに師事し1893年に一等賞を得た。その年に弦楽四重奏団を組織した。第1ヴァイオリンのカペー以外は何回か交代したが、1918年からは不動のメンバーであった。1920年頃から毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の連続演奏会をパリで開いていた。カペー弦楽四重奏団は1928年6月にフランス・コロンビアに録音を始めた。その年の10月迄の5カ月に弦楽四重奏曲11曲とピアノ五重奏曲1曲を録音した。10インチSP盤が7枚、12インチSP盤が44枚である。このシリーズでは、フランク:ピアノ五重奏曲(78CDR-3034)とベートーヴェン:弦楽四重奏曲第5番作品18-5(78CDR-3042)、ベートーヴェン弦楽四重奏曲第14番作品131(78CDR-1082)、ドビュッシー弦楽四重奏曲(78CDR--168)、ハイドン:弦楽四重奏曲「ひばり」(78CDR-3194)が出ている。

78CDR-3057
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調作品57「熱情」
エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)
英 HIS MASTER'S VOICE DB7899/7901
(1935年2月12日ロンドン, アビー・ロード第3スタジオ録音)
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのピアニスト。バーゼル音楽院で学んだ後、ベルリンに出てリスト(1811-1886)の高弟マルティン・クラウゼ(1853-1918)についた。1930年ベルリン高等音楽院の教授に就任、また演奏家としても活躍した。1942年スイスに戻り、ソロ活動に加え、ヴァイオリンのクーレンカンプ(1898-1948)、後にヴォルフガング・シュナイダーハン(1915-1990)、チェロのマイナルディ(1897-1976)とフィッシャー・トリオを結成した。弟子にレーヌ・ジャノーリ(1915-1979)、パウル・バドゥラ=スコダ(1927-)、アルフレッド・ブレンデル(1931-)らがいる。この「熱情」はフィッシャーが49歳の時の録音。このシリーズにはモーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番 K.330(78CDR-3036)、モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番「トルコ行進曲つき」(78CDR-1096)、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番作品110(78CDR-1106)、ハイドン:ピアノ協奏曲ニ長調(78CDR-1129)、J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集全曲(78CDR-1142-1146分売)、ブラームス:ピアノ四重奏曲第1番作品25(78CDR-1160)、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」(78CDR-3202)が出ている。

78CDR-3058
ヘンデル=ブルメスタ-編:
アリオーソ (2:37)
メヌエット (2:17)
ヴィリー・ブルメスター(ヴァイオリン)
ピアノ伴奏
独 GRAMMOPHON 47984/5
(1909年9月27日ベルリン録音)
(古いレコードのため雑音大)
電気録音以前の機械式録音。ヴィリー・ブルメスター(1869-1933)はハンブルグ生まれのドイツのヴァイオリニスト。ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)に師事し、1894年ベルリンでセンセーショナルにデビューした。1909年に録音した4枚8面のレコードだけで約100年後の今日に語り継がれている。ヴァイオリン教師として有名なカール・フレッシュ(1873-1944)はブルメスターのレコードを、メジャー演奏家の残した録音で、最もリズム感に欠けた生気のない非音楽的なものと酷評した。だがこの言葉は正しいだろうか疑問を感じる。盛大な雑音の中に潜んでいる澄みきった湖の底を覗くような透明なヴァイオリンの音色は、日本古来のワビサビの世界に通じるものがあるように思う。それは電気録音ではとても不可能と思わせる。ラッパ吹き込み(機械式録音の俗称)ならではの世界がここにある。ブルメスター1923年来日し公演の合い間に大阪のニットーに録音を残した。

78CDR-3059
ベートーヴェン:
ロマンスヘ長調作品50 (3:02)
アルノルト・ロゼー(ヴァイオリン)
ピアノ伴奏
英 GRAMOPHONE 47975
(1909年ウィーン録音)
(注:古いレコードのため雑音大)
電気録音以前の機械式録音。アルノルト・ロゼー 1863-1946)はルーマニア生まれ。1874-7年にウィーン音楽院で学び、1881年ウィーン宮廷歌劇場オーケストラのコンサートマスターになり1938年までその地位にあった。また弦楽四重奏団も組織した。ロゼーはグスタフ・マーラー(1860-1911)の妹のユスティーヌと結婚した。1888年バイロイト・フェスティヴァル・オーケストラのコンサート・マスターになり、また宮廷歌劇場オーケストラはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団として演奏会を開くようになった。コンサート・マスターの傍ら1893年から1924年までウィーン音楽院で教鞭をとった。1938年にナチの迫害でロンドンに移住した。ロゼーはソリストとしてラッパ吹き込み時代にかなりのレコード録音をした。この録音はロゼーが45歳の時のもの。ここにもラッパ吹き込みならではの独特の弦の音が聴き取れる。ロゼーはこのシリーズでJ.S.バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲 BWV.1043(78CDR-1119)が出ている。
78CDR-3040
ラロ:スペイン交響曲作品21
ブロニスワフ・フーベルマン(ヴァイオリン)
ジョージ・セル指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
日本コロムビアJ8320/22(英COLUMBIA LX-347/9 と同一録音)
(1934年6月20日&22日ウィーン録音)
ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)はポーランドのヴァイオリニスト。1892年10歳の時に大ヴァイオリニスト、ヨアヒム(1831-1907)の指揮でベルリン・デビュー。 3年後の1895年13歳の時、名ソプラノ、アデリナ・パッティ(1843-1919)に招かれウィーンでの「パッティ告別演奏会」で演奏した。この「スペイン交響曲」の録音は1934年フーベルマンが52歳の時のもの。指揮者のジョージ・セル(1897-1970)はブダペスト生まれ、最初にウィーン、後にライプツィヒで学んだ。ヨーロッパ各地のオペラ劇場で指揮した後、ニューヨークに移住。1942年から1946年はメトロポリタン歌劇場、1946年から死去する1970年までの24年間はクリーヴランド管弦楽団を指揮した。この録音はセルが37歳の時のもの。ヴァイオリンをもってオーケストラに真剣勝負で切り込んでいくフーベルマンの鬼気せまる演奏がダイレクト・トランスファーによって初めて聴ける。このシリーズではのフーベルマンのベートーヴェン「クロイツェル・ソナタ」(78CDR-3006)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番K.216(78CDR-3021)、チャイコフスキー:ヴァイオリオン協奏曲(78CDR-1077)、ベートヴェン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-1128)、サラサーテ:アンダルシアのロマンス他(78CDR-1147)が出ている。復刻には最高品質を誇っていた時代の日本コロムビア盤を使用した。

78CDR-3041
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番イ短調 BWV1003
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
米 COLUMBIA 68152/3-D (英COLUMBIA LX-259/60と同一録音)
(1933年6月2日録音)
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はブダペスト生まれのヴァイオリニスト。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事し、13歳でデビューした。1907から1913年に英国に住みピアノのマイラ・ヘス(1890-1965)やフェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)らとのソナタ演奏から大きな音楽的影響を受け、その後ヨーロッパ大陸に戻り1917年から1924年スイスのジュネーヴ音楽院で教えた。第2次世界大戦前の1932年(昭和7年)と翌1933年(昭和8年)に来日した。その時日本コロムビアに録音も行なっている。このバッハはシゲティが41歳の録音。復刻には米 COLUMBIA のブルーシェラック盤を使用した。

78CDR-3042
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第5番イ長調作品18-5
カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エウィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミユ・ドゥロベール(チェロ)
日本コロムビアJ5091/4 (仏COLUMBIA D-13066/9と同一録音)
(1928年10月4日録音)
史上最高の弦楽四重奏団だったカペー弦楽四重奏団のリーダー、リュシアン・カペー(1873-1928)は医師の誤診による腹膜炎で1928年12月18日に急逝した。享年55歳。カペーはパリ音楽院でJ.-P. モーランに師事し1893年に一等賞を得た。その年に弦楽四重奏団を組織した。録音時のメンバーは1918年からもの。1920頃から毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の連続演奏会をパリで開催していた、カペーは1928年6月にフランス・コロンビアに録音を始めた。そしてその年の10月までに弦楽四重奏曲11曲とピアノ五重奏曲1曲の録音をした。10インチSP盤が7枚、12インチ盤が44枚である。まるでカペーが自らの死を予期したようなハイペースの録音である。約80年前の録音ながら、この洗練された四重奏団の音色がダイレクト・トランスファーで見事にとらえられている。このシリーズではフランク:ピアノ五重奏曲(78CDR-3034)、シューマン:弦楽四重奏曲第1番(78CDR-1056)、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番(78CDR-1082)、ドビュッシー:弦楽四重奏曲(78CDR-1168)、ハイドン:弦楽四重奏曲第67番「ひばり」(78CDR-3194)が出ている。

78CDR-3043
ショパン:24の前奏曲作品28
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
英HIS MASTER'S VOICE DB957/60
(1926年3月22日&23日イギリス、ヘイズ "A"スタジオ録音)
(HMV盤特有のノイズがあります)
アルフレッド・コルトー(1877-1962)は20世紀最高のフランスのピアニスト。スイスのニヨンに生まれ、両親はフランス人。1892年パリ音楽院のルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスに入り研鑽を積む。1896年一等賞を得て卒業。1905年にヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)、チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とピアノ・トリオを組んだ。1917年にパリ音楽院教授、1919年にパリに音楽学校エコール・ノルマルを設立した。コルトーはショパンの「前奏曲」を生涯に3回録音していて、これはその第1回目の録音。コルトーは戦後の1952年(昭和27年)に初来日した。その時75歳だったコルトーは山口県下関市の響灘にある厚島が気に入り購入を申し出た。無人島の厚島はコルトーに贈られ「孤留島」と名づけられたが、コルトーは帰国後体調を崩し、再来日は果たせなかった。

78CDR-3044
ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ
ドビュッシー(ハルトマン編曲):ミンストレル-「前奏曲集第1巻」より
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
仏DISQUE "GRAMOPHONE" DB1322/3
(1929年6月7日ロンドン、小クイーンズ・ホール録音)
ヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)とピアノのアルフレッド・コルトー(1877-1962)の1929年6月7日の録音。ティボーが49歳、コルトーが52歳だった。二人はこの録音の10日前の5月27日と28日にベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」とフランク:ヴァイオリン・ソナタイ長調(HMV DB1347/50)をパリのプレイエル音楽堂で録音していた。ヴァイオリンのティボーは1953年(昭和28年)9月2日(フランスでは9月1日)、日本を含む東南アジア公演に向かう途中、搭乗機が夜のアルプスの南峰スメ山に激突して命を落とした。享年73歳。ティボーとコルトーはベートーヴェン「クロイツェル・ソナタ」(78CDR-1015)が出ている。

78CDR-3045
モーツァルト:クラリネット五重奏曲イ長調 K.581
チャールズ・ドゥレイパー(クラリネット)
レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴァイオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)
米COLUMBIA 67664/7D (英 COLUMBIA L-2252/5と同一録音)
(1928年11月2日録音)
レナー弦楽四重奏団は1918年にハガリーのブダペストで結成された。メンバーの全員がブダペスト音楽院出身で、レナー(1894-1948)、スミロヴィッツ、ロートがイェノ・フバイ(1858-1937)の弟子。チェロのハルトマンがダヴィッド・ポッパー(1843-1913)に師事した。 4人はブダペスト・オペラの楽員だったが、1918年のハンガリー革命を機に弦楽四重奏団を結成し2年間、田舎の村に籠もって練習を積んだ。1920年にウィーンでデビュー。そこに居合わせたモーリス・ラヴェル(1875-1937)が聴いて彼らをパリに招き、公演はセンセーショナルな成功を収めた。その後1922年にロンドン、1929年にアメリカでデビューした。レコードは機械式録音時代の1922年にイギリス・コロンビアに録音したのが最初で、1927年のベートーヴェン没後100年では弦楽四重奏16曲中11曲(SPレコード40枚)を録音した。このモーツァルトのクラリネット五重奏曲はイギリスのクラリネット界の祖父と尊敬されたチャールス・ドゥレイパー(1869-1952)を迎えて録音された。ドゥレイパーはブラームスのクラリネット五重奏曲もレナーと録音している。

78CDR-3046
ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番イ長調作品69
ウェーバー:アンダンティーノ(変奏曲ヘ長調 J.94)
エマヌエル・フォイアマン(チェロ)
マイラ・ヘス(ピアノ)(ベートーヴェン)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)(ウェーバー)
米COLUMBIA 69081/3-D(英COLUMBIA LX-641/3 と同一録音)
(1937年6月28日&29日=ベートーヴェン、1936年12月22日=ウェーバー録音)
チェロのエマヌエル・フォイアマン(1902-1942)はウクライナのコロミアに生まれた。1909年にウィーンに移りアントン・ワルターに師事し11歳でコンサートデビューした。さらにライプツィヒでチェロの名教師ユリウス・クレンゲルについた。1929年から1933年にベルリン高等音楽院の教授をつとめ、1935年にナチスの迫害を避けるためにチューリヒに在住し、1938年にアメリカに移住した。この録音は35歳の時のもの。フォイアマンは1934年(昭和9年)と1936年(昭和11年)に来日し、演奏会の傍らコロムビアに録音した。ピアノのマイラ・ヘス(1890-1965)はロンドン生まれの女流で1907年17歳の時トーマス・ビーチャム(1879-1961)指揮でベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番でデビューした。その後デイム(男性のサーにあたる)の称号が与えられたイギリス・ピアノ界の重鎮で、門下にソロモン(1902-1988)やビショップ=コワセヴィッチ(1940-)らがいる。ジェラルド・ムーア(1899-1987)はイギリスの名ピアノ伴奏者。

78CDR-3047
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第34番変ロ長調 K.378(317d)
ドゥニーズ・ソリアーノ(ヴァイオリン)
エレーヌ・ピニャリ(ピアノ)
仏PATHE PDT163/4
(1947年12月24日録音)(小さなキズによるノイズがあります)
ヴァイオリンのドゥニーズ・ソリアーノ(1916-2006)はエジプトのカイロ生まれ。パリ音楽院で名ヴァイオリン教授ジュール・ブーシュリ(1878-1962)のクラスで研鑽を積み、1932年16歳で一等賞を得た。1934年にピアノのマグダ・タリアフェロ(1893-1986)と録音したフォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番がディスク大賞を受賞した。このモーツァルトは第2次世界大戦後の1947年の録音で、当時ソリアーノは32歳だった。ピアノのピニャリはパリ音楽院出身の女流奏者。ソリアーノはモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ変ロ長調 K.454(ピアノ=タリアフェロ)(78CDR-3027)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216(ブーシュリ指揮)(78CDR-3031)が出ている。

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ロッテ・レーマンのアメリカ・コロンビア録音による
シューベルト:歌曲集「冬の旅」作品89 D.911より
@第1曲「おやすみ」
A第2曲「風見の旗」
B第3曲「凍った涙」
C第4曲「かじかみ」
D第6曲「あふれる涙」
E第7曲「川の上で」
F第8曲「鬼火」
G第10曲「休息」
H第11曲「春の夢」
I第12曲「孤独」
J第14曲「霜おく髪」
K第16曲「最後の希望」
L第24曲「辻音楽師」
ロッテ・レーマン(ソプラノ)
パウル・ウラノフスキー(ピアノ)
米COLUMBIA 71174/6D, 17367/9D
(1941年3月14日&19日ニューヨーク録音)
ロッテ・レーマン(1888-1976)はドイツの名ソプラノ。1945年にアメリカ国籍を取得しカリフォルニアのサンタバーバラで晩年を過ごした。1910年ハンブルクのオペラで「ラインの黄金」のフライアでデビュー(22 歳)、以後ドイツ・オペラの最高のソプラノとして君臨した。またリートの分野でも活躍した。電気録音の初期に録音したシューマンの「女の愛と生涯」は広く聴かれた名演である。この「冬の旅」はアメリカのコロンビアに録音したもの。13曲を10インチ盤3枚、12インチ盤3枚に録音した。レーマンはソプラノでありながら低声域が豊かで、女声の「冬の旅」でもまったく違和感がない。声をはりあげて歌うのではなく、聴き手に語りかける歌い方が好ましい。レーマン53歳の録音。ダイレクト・トランスファーに声楽が初登場。歌詞はついていない。

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ロッテ・レーマンのアメリカ・ヴィクター録音による
シューベルト:歌曲集「冬の旅」作品89 D.911より
@第5曲「菩提樹」
A第8曲「かえりみ」
B第13曲「郵便馬車」
C第15曲「からす」
D第17曲「村にて」
E第18曲「嵐の朝」
F第19曲「まぼろし」
G第20曲「道しるべ」
H第21曲「宿」
I第22曲「勇気」
J第23曲「幻の太陽」
ロッテ・レーマン(ソプラノ)
パウル・ウラノフスキー(ピアノ)
米VICTOR 2108/9, 17190/1
(1940年2月25日&26日録音)
ロッテ・レーマン(1888-1976)の「冬の旅」はアメリカのコロンビアとヴィクターの2社に録音された。ヴィクター社への録音はコロンビアの1年前の1940年で11曲が10インチ 2枚、12インチ 2枚だった。レーマン52歳の録音。シューベルトの書いた曲順で収録すると、レコード会社による音の違いが気になるため、コロンビアとビクターを別々に収録した。ピアノのパウル・ウラノフスキー(1908-1968)はウィーン生まれでニューヨークに没した。アメリカ時代のレーマンの録音の伴奏の多くを手掛けた。シューベルト:「美しい水車屋の娘」ほかのレーマンとの録音がある。ダイレクト・トランスファーに声楽が初登場。歌詞はついていない。