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★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

ご注文は当店HPよりどうぞ

DSD録音による再発売シーリーズ
78CDR-3060〜3069


2006年秋に発売を開始した当シリーズもおかげさまで約230タイトルを発売する事ができましたが、2009年2月よりマスター制作にDSD録音を採用する事にいたしました。これまでより更に生々しい音質をお届けする事が出来るようになりましたのでご期待下さい。

DSD録音の商品番号は78CDR-3000番を使用します。また今後、これまで発売しました78CDR-1000番台のタイトルを随時DSD録音の新マスターで再発売を行なってまいります。商品番号は下3桁は共通で使用いたします。従来の78CDR-1000番台の商品は、当面は販売を継続いたします。また近日DSD録音による有料サンプラー(\300)も制作いたしましたので、こちらもご利用下さい。

■製作者からのメッセージ
DSD録音になったグッディーズ・ダイレクト・トランスファーCDR!従来のCDを高音質化するさまざまな試みが盛んな中で、「グッディーズ・オリジナル企画」のダイレクト・トランスファーCDRは、2009年2月発売新譜からDSD録音を採用することになりました。DSD録音によって、これまでのSP復刻からさらに飛躍し、SPレコードの直接再生と区別がつかないところに到達したと自負しています。DSD録音は従来の方式に較べて中音から低音にかけての音の形が明瞭になり、高音は一皮剥けた感じです。LPとは比較にならない強大な音響勢力を持つSPレコードをカスタムメイドの直熱真空管フォノイコライザーを使用し、またノイズ除去と共に失われる音楽情報に最も気を配り一切のノイズリダクションを使用していないのは従来通りです。(新 忠篤)
●発売中

78CDR-3070
J.S.バッハ:
無伴奏チェロ組曲第4番 変ホ長調 BWV1010
無伴奏チェロ組曲第5番 ハ短調 BWV1011
パブロ・カザルス (チェロ)
米VICTOR 12-0890/06,英HIS MASTER'S VOICE DB6538/44S と同一録音
(1939年6月13日パリ,アルベール・スタジオ録音)
パブロ・カザルス(1876-1973) はスペインのカタルーニャ地方の町エル・ベドレルに生まれた偉大なチェロ奏者。バルセロナ音楽院でチェロ、ピアノ、楽理、作曲を学んだ。1890年バルセロナでバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜に出会った。1899年23歳でパリでデビュー、1904年バッハの無伴奏チェロ組曲を初めて公開演奏した。1902年ピアノのコルトー、ヴァイオリンのティボーとトリオを結成。1908年コンセール・ラムルー管弦楽団で指揮デビューした。カザルスのバッハ無伴奏チェロ組曲全6曲は2曲ずつ録音された。第1巻は組曲2番と3番で1936年録音(78CDR-3004)、第2巻は組曲1番と5番で1938年録音、この組曲4番と5番は1939年4月にパリで録音され、アルバム第3巻として発売された。1930年代のカザルスのSPはどれを聴いても圧倒的な感銘をうける。

78CDR-3071
J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番 ホ長調 BWV1042
デプラーヌ=ナシェ編:イントラーダ
ジャック・ティボー (ヴァイリン)
R.オートマンス指揮 オーケストラ (バッハ)
P.アダミ (ピアノ)(デプラーヌ)
英HIS MASTER'S VOICE DB789/91
(1924年10月21,31,11月1日ヘイズ, スタジオ "A" 録音)
機械式録音盤。ジャック・ティボー (1880-1953)の残した数多いSPレコードの中の最高傑作。録音は1924年、ティボーが44歳の時のもの。1924年にはおそらく電気録音開発を知っていたであろうHMVが敢行した録音で、大ヴァイオリニスト、ティボーの気力漲るベスト・フォームが聴ける。これはSP時代からの稀少盤で、「珍品レコード」(グラモフィル社1940年刊、復刻版富士レコード社1972年刊)によれば、「我國に輸入された數は三組と言い、或いは五組と噂されてゐるが、その後歐州から直接求めた人士、おあるから實際は最少限度十組はあると想像される。久禮傳三氏の調べたところに依ると七八組所有者が判ってゐると云うことであるから、或いはもう少し多いかもしれない。」との記述がある。

78CDR-3072
ショパン:ワルツ集
アルフレッド・コルトー (ピアノ)
英HIS MASTER'S VOICE DB2311/6
(1934年6月19-20日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
アルフレッド・コルトー(1877-1962)は20世紀最高のフランスのピアニスト。1892年パリ音楽院のルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスに入り、1896年一等賞を得て卒業した。1905年にヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)とチェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とピアニ・トリオを組んだ。1917年にパリ音楽院教授、1919年パリに音楽学校エコール・ノルマルを設立した。この「ワルツ集」はコルトーのショパン録音の中核をなすもので、「エチュード」作品25(78CDR-1061)と同時期に録音された。コルトーは録音時57歳だった。この時代のコルトーが弾いていたフランスのプレイエル社のピアノの絢爛たる音色がダイレクト・トランスファーで聴ける。

78CDR-3073
J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV.988
ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)
英HIS MASTER'S VOICE DB4908/13
(1933年パリ録音)
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)がSP時代に録音した初の大曲で、「ゴルトベルク変奏曲」の原点。ランドフスカは二列の鍵盤と七個のペダルを有する自分のハープシードをパリのプレイエル社に作らせて生涯この楽器を使用した。ランドフスカの「ゴルトベルク変奏曲」は英HMVの "バッハ・ソサイエティ" の第1回発売で、英国盤の初版300部のアルバムには、ランドフスカの紫色のインクと羽根ペンによる自筆署名のシールが貼られていた。これは愛蔵家番号No.272のセットからのダイレクト・トランスファー。

78CDR-3074
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番 ニ長調 K.218
フリッツ・クライスラー (ヴァイオリン)
サー・ランドン・ロナルド指揮管弦楽団
(1924年12月1-2日ヘイズ、スタジオ "A”録音)
機械式録音盤。この録音は電気録音出現前夜のものである。機械式録音時代の大曲録音は省略版で演奏されることが多かった中で、ノーカットでの録音である。これもSP時代から人気の高かった稀少盤で、理由は聴いてみると納得する。クライスラー(1875-1962)の49歳の録音である。これも人類の遺産的な価値を持つ偉大なレコードである。

78CDR-3075
ラヴェル:
ピアノ協奏曲ト長調
亡き王女のためのパヴァーヌ
マルグリット・ロン(ピアノ)
モーリス・ラヴェル指揮 交響楽団(協奏曲)
フレイタス・ブランコ指揮 交響楽団(パヴァーヌ)
英 COLUMBIA LX194/6
(1932年4月パリ録音)
マルグリット・ロン(1874-1996) はフランスのニームに生まれた。17歳でパリ音楽院の一等賞を得た後、1893年19歳でコンサート・デビュー。1906年32歳でパリ音楽院の教授に就任した。この録音はロンが作曲者モーリス・ラヴェル(1875-1937)自身の指揮で録音した音楽史上の記念碑的レコード。この名曲演奏の原点である。録音時ロンは58歳、ラヴェルは57歳だった。ロンは1943年ヴァイオリニストのジャック・ティボー(1880-1954)と共に若い優秀な音楽家を発掘する国際音楽コンクールをパリに創設した。ロンの弟子にはサンソン・フランソワ(1924-1970)、イヴォンヌ・ルフェビュール(1898-1986)、リュセット・デカーヴ(1906-)、ジャン・ドワイアン(1907-1982)などLPの時代に活躍した人がいる。

78CDR-3076
R.シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ 変ホ長調作品18
タルティーニ=クライスラー編:コレッリの主題による変奏曲
ジネット・ヌヴー (ヴァイオリン)
グスタフ・ベック (ピアノ)
英HIS MASTER'S VOICE DB4663/6
(1939年ベルリン録音)
ジネット・ヌヴー (1919-1949)の20歳の時の録音。初録音はこの録音の前年の1938年、同じくベルリンで12インチ盤2枚と10インチ盤1枚だった。リヒャルト・シュトラウスのヴァイオリン・ソナタは作曲者が24歳の作品で、シュトラウスは室内楽の作曲をこれ以降せず、交響詩やオペラに集中するようになった。ヴァイオリン・ソナタにはその後の交響詩やオペラに聴くフレーズが顔を出して思わず微笑んでしまう魅力的作品。ヌヴーは真摯な情熱を傾けて演奏を展開する。

78CDR-3077
チャイコフスキー:
ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35
メロディ変ロ長調作品42-3
ブロニスワフ・フーベルマン(ヴァイオリン)
ウィリアム・スタインバーグ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団(1-7)
ピアノ伴奏(8)
独 PARLOPHONE P9855/59(英COLUMBIA L2335/8と同一録音)
(1928年12月28,30日ベルリン録音)
ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)はポーランソ出身のヴァイオリニスト。1892年10歳で当時の大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)の指揮でベルリン・デビュー。このチャイコフスキーは電気録音初期のもので、SP時代にはこの曲の決定盤だった。フーベルマンはヴァイオリンを自在に操り、聴き手を自らの世界に引き込んでいく魔術的な演奏である。これはよりリアルな音を持つドイツ・パーロフォン盤からのダイレクト・トランスファー。

78CDR-3078
J.S.バッハ:
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV.1004
ナタン・ミルスタイン(ヴァイオリン)
米COLUMBIA S70198-D/70200-D
(1935年12月,1936年2月ニューヨーク録音)
ナタン・ミルスタイン(1904-1992)はロシアのオデッサに生まれ、11歳でサンクトペテルブルク音楽院に入学、名教師レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。後にピアニストのホロヴィッツと出会い一緒に演奏旅行をした。1929年にアメリカ・デビュー、1942年のアメリカ市民権を得た。このSP録音は「シャコンヌ」の演奏を生涯の芸術としたミルスタインが31歳の時のもので、ほとんど知られていないもの。後年の演奏との比較が興味ある。

78CDR-3079
シューベルト:歌曲集「美しき水車屋の娘」作品25 D.795
ロッテ・レーマン(ソプラノ)
パウル・ウラノフスキー(ピアノ)(1-6,8-20)
エルノ・バロー(ピアノ)(7)
米COLUMBIA 71778-D/71783-D(1-6,8-20)
英HIS MASTER'S VOICE DA1467(7) (原録音:米VICTOR 1371)
(1942年録音 「いらだち」を除く、「いらだち」は1935年10月17日録音)
ロッテ・レーマン(1888-1976)はオペラだけではなくリートを得意とした。この「美しき水車屋の娘」はアメリカ・コロンビアに録音したが、第7曲「いらだち」だけがアメリカ・ヴィクター社に録音していたため、コロンビア盤からは除外された。「冬の旅」(78CDR-1048,78CDR-1049)につづくレーマンのシューベルトで、第2次世界大戦のため日本ではSPレコードでは発売されなかった。
●発売中

78CDR-3060
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲ロ短調作品104
パブロ・カザルス(チェロ)
ジョージ・セル指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
米 VICTOR 163665/9(Set DM458)(英 HIS MASTER'S VOICE DB3288/92 と同一録音)
(1937年4月28日プラハ, ドイチェ・ハウス録音)
チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)のボッケリーニに続くソロ協奏曲録音第2弾にあたる。録音場所には作曲者ドヴォルザークの故郷プラハが選ばれ、録音時カザルスは61歳だった。指揮者のジョージ・セル(1897-1970)はハンガリー生まれ。ウィーンとライプツィヒで学び、10歳の時ピアニストとしてウィーン交響楽団演奏会でデビュー、17歳でベルリン・フィルを指揮した。リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)のベルリン・オペラ時代(1915-1917)アシスタントを務めたこともある。1930年から1936年にはチェコ・フィルの音楽監督、1942年から1946年にはニューヨークのメトロポリタン歌劇を指揮し、1946年にアメリカ市民となった。1946から1970年までクリーヴランド管弦楽団の音楽監督を務めた。これはセルが40歳の録音。SP時代のチェコ・フィルのHIS MASTER'S VOICE録音はほとんどがロンドンで行われた中で、プラハでの録音は珍しい。ちなみにセル指揮チェコ・フィルのドヴォルザーク:「新世界」(78CDR-1104)は1937年10月30日のロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音だった。カザルスはこのシリーズでJ.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第2番&第3番(78CDR-3004, 78CDR-1100)第4番&第5番(78CDR-1070)、ボッケリーニ:チェロ協奏曲(78CDR-3030)、ブラームス:チェロ・ソナタ第2番(78CDR-1084)、エルガー:チェロ協奏曲 78CDR-1137)が出ている。

78CDR-3061
ショパン:エチュード作品25(全12曲)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
英 HIS MASTER'S VOICE DB12308/10
(1934年6月18-19日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
20世紀最高のピアニスト、アルフレッド・コルトー(1877-1962)のショパン:エチュード集作品10(78CDR-3001)と対になるもので、録音は作品10の1年後のもの。コルトーは録音時57歳だった。曲順はSPレコードの順のままで収録した。コルトーは第2次世界大戦中の1942年にパリでエチュードを再録音している。このシリーズのコルトーはショパン:ピアノ協奏曲第2番(78CDR-3000)、サン=サーンスピアノ協奏曲第4番(78CDR-3009)、ラヴェル:左手のためのピアノ協奏曲(78CDR-3032)、ショパン:ピアノ・ソナタ第3番 78CDR-3051)が発売されている。

78CDR-3062
モーツァルト:弦楽四重奏曲第15番ニ短調 K.421
レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)
英 COLUMBIA L1965/7
(1926年3月26日ロンドン録音)
レナー弦楽四重奏団は20世紀前半の活躍したハンガリー出身の名団体。メンバーはブダペスト音楽院出身で、デビュー前の2年間は田舎の村にこもって一日12時間の練習を重ねたと伝えられる。1922年ロンドンにデビューして絶賛され、同時にイギリス・コロンビアの専属アーティストとなった。この録音は電気録音最初期の1926年3月のもの。SP時時代の決定盤だった。このシリーズのレナー弦楽四重奏団はモーツァルト:クラリネット五重奏曲(78CDR-3045)、モーツァルト:弦楽四重奏曲第14番(78CDR-3055)、モーツァルト:弦楽五重奏曲K.516(78CDR-1085)、モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番「狩り」(78CDR-1097)、モーツァルト:弦楽四重奏曲第19番「不協和音」(78CDR-3196)が出ている。

78CDR-3063
スーク:4つの小品作品17
ジネット・ヌヴー(ヴァイオリン)
ジャン・ヌヴー(ピアノ)
英 HIS MASTER'S VOICE DB6359/60
(1946年8月12-14日ロンドン, アビー・ロード第3スタジオ録音)
ジネット・ヌヴー(1919-1949)はアメリカへの演奏旅行に向かう航空機事故で30歳の生涯を終えた。ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)に手ほどきを受けた後、11歳でパリ音楽院のジュール・ブーシュリ(1878-1962)にクラスにはいり、8カ月後に一等賞を得た。8カ月は50年前にヴィエニャフスキ(1835-1880)が打ち立てた記録と同じだった。その後ベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)のもとで研鑽を積んだ。1935年ワルシャワで開かれたヴィエニャフスキ・ヴァイオリン・コンクールに16歳で参加し、180人の競争者に勝ち抜き優勝した。その時の第2位はソ連から参加した27歳のダヴィド・オイストラフ(1908-1974)だった。ヌヴーはこのシリーズでブラームス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3003)、シベリウス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3017)、R.シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-1076)が出ている。

78CDR-3064
ドビュッシー:フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ
マルセル・モイーズ(フルート)
ウジェーヌ・ジノ(ヴィオラ)
リリー・ラスキーヌ(ハープ)
仏 ODEON 165.243/5
(1928年2月3日録音)
フルートのマルセル・モイーズ(1889-1984)はパリ音楽院でポール・タファネル(1844-1908)、アドルフ・エンヌバン、フィリップ・ゴーベール(1879-1941)らに師事し1906年に一等賞を得、1908年にソロ・デビューした。1913年から1938年にオペラ・コミック、1922年から33年にはストララム管弦楽団に席を置いた。1932年から1949年にパリ音楽院の教授もつとめた。1952年にルドルフ・ゼルキン(1903-1991) 、アドルフ・ブッシュ(1891-1952)と共に若い音楽家を育成するマールボロ音楽祭の創立に加わった。SPレコードの録音も多い。ハープのリリー・ラスキーヌ(1893-1988)は12歳の時パリ音楽院で一等賞を得た。コンセール・ラムルーのハープ奏者であったが、ソロ奏者としても活躍した。1948年から1958年にはパリ音楽院の教授も務めた。ラスキーヌもSPレコード時代から、LP時代、ステレオ時代と録音が多い。

78CDR-3065
機械式録音盤(電気録音以前)
@モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219-第3楽章
Aマスネ=マルシック編:タイスの瞑想曲
ジュール・ブーシュリ(ヴァイオリン)
ルイ・ディエメール(ピアノ)
仏 ZONOPHONE X77906/77913
(1906年パリ録音)
ジュール・ブーシュリ(1878-1962)はフランスのヴァイオリニスト。ジャック・ティボー(1880-1953)の2歳年上で、1892年に15歳でパリ音楽院の一等賞を得た。ちなみにティボーは1897年に17歳で一等賞を得た。モーツァルトの演奏を得意としたブーシュリだったが、病弱のため早い時期にコンサート活動を停止しパリ音楽院のヴァイオリン科の教授として後進を育成にあたった。録音は1906年、28歳の時に13面を残したのみで、これはその中の2面である。ブーシュリの弟子には、後にブーシュリ夫人となったドゥニーズ・ソリアーノ(1916-2006)、ジャニーヌ・アンドラード(1918-)、ジネット・ヌヴー(1919-1949)、ローラ・ボベスコ(1919-2003)、イヴリー・ギトリス(1922-)、ミシェール・オークレール(1924-2005)、ドゥヴィ・エルリー(1928-)ほかがいる。ピアニストの名前はレーベルに記載されていないが、ルイ・ディエメール(1843-1919)という説がある。ディエメールはパリ音楽院のピアノ科の教授として弟子にコルトー(1877-1962)、リスレル(1873-1929)、カザドゥシュ(1899-1972)らがいた。ヴァイオリニストとしてのブーシュリは電気時代になってからは録音をしなかったが、愛弟子ソリアーノのために指揮棒を取ったモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番がこのシリーズ(78CDR-1031)で発売されている。

78CDR-3066
機械式録音盤(電気録音以前)
@クライスラー:プロヴァンスの朝の歌-L.クープランの様式による
Aダンブロジオ:セレナード作品 4
ジョルジュ・エネスコ(ヴァイオリン)
エドワード・C・ハリス(ピアノ)
米 COLUMBIA 20023-D(1924年ニューヨーク録音)
ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)はルーマニアに生まれた。ヴァイオリンは4歳で作曲を5歳で始めた。1888年、7歳でウィーン音楽院に入学を許され、1893年、12歳で音楽院の最高栄誉賞メダルを得た。1894年パリ音楽院に入学、1899年までにヴァイオリンをマルシック(1848-1924)、和声法と作曲をアンドレ・ゲダルジュ(1856-1926)、ガブリエル・フォーレ(1845-1924)、ジュール・マスネ(1842-1914)に師事し、1899年にヴァイオリンで一等賞を得た。1902年にベルリン・デビュー、1903年にはロンドンを訪問した。1910年にはピアニストのエドゥアール・リスレル(1873-1929)とベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲演奏会を開いた。1917年には祖国のルーマニアの首都ブカレトにエネスコの名を冠したオーケストラを作った。1923年には初のアメリカ楽旅をし、その後生涯に14回この地を訪れた。第2次世界大戦中は祖国に留り、ヴァイオリン演奏、指揮、作曲と後進の指導にあたった。この録音は1923年にアメリカ訪問をした時にニューヨークのコロンビアで行ったものの2曲で録音時エネスコは42歳だった。彼は1929年にもニューヨークで12面6枚の電気録音を行った。このシリーズでショーソン:詩曲(78CDR-3018)とヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番(78CDR-3035)、プニャーニ:ラルゴ・エスプレッシーヴォ、クライスラー:テンポ・ディ・メヌエット、コレッリ:ラ・フォリア(78CDR-1088)が出ている。

78CDR-3067
機械式録音盤(電気録音以前)
@マルシック:スケルツァンド作品 6-2
AJ.S.バッハ:ガヴォット-無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調 BWV1006 より
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
ピアノ伴奏(1)
伊 FONOTIPIA 39087/39222
(1905年マルシック、1904年バッハ、パリ録音)
20世紀フランス最高のヴァイオリニスト、ジャック・ティボー(1880-1953)は1893年14歳でパリ音楽院にはいりマルシックに師事した。1897年一等賞を得た。卒業後生計を立てるためパリのカフェ・ルージュで演奏しているところを指揮者エドゥアール・コロンヌ(1838-1910)に見出され、コロンヌの主宰するオーケストラに入った。ある日急病のコンサート・マスターの代役を務めていたとき、サン=サーンスのオラトリオ「大洪水」の前奏曲のソロ・パートを弾き、聴衆から絶賛され、以降コロンヌのソリストとしてパリの楽壇の寵児となった。1903年にアメリカにデビュー世界的なヴァイオリニストとして名声を確立した。この録音は1904年のティボーの初レコードで、録音時ティボーは24歳だった。このシリーズでティボーはベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」(78CDR-3015)、ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-3044)、J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番(78CDR-1071)、モーツァルトヴァイオリン協奏曲第6番 K.268(78CDR-1080)、ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための複協奏曲(78CDR-1101)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番 K.216(78CDR-1118)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番 K.219(78CDR-3209)が出ている。

78CDR-3068
機械式録音盤(電気録音以前)
ヴィターリ:シャコンヌ ト短調
ヴァーシャ・プシホダ(ヴァイオリン)
ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(オルガン)
独 GRAMMOPHON 68074/6
(1923年録音)
ヴァーシャ・プシホダ(1900-1960)チェコのヴォズナニーに生まれたヴァイオリニスト。11歳でプラハ音楽院に入った。ミラノの演奏会に居合わせた大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)を驚嘆させ、「新しいパガニーニ」と称賛したのがきっかけで、ヨーロッパ諸国で認められた。1921年にアメリカ・デビュー、1927年にはロンドン公演をした。この録音はプシホダの最初期のもので、伴奏がシートマイヤー・フリューゲル(オルガン)である。片面盤3面に収録されたノーカット版であることもこの時代には珍しい。ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(1880-1960)はベルリン生まれ。ピアノの神童と言われた。録音プロデューサの草分けで、作曲・編曲・オーケストラ指揮・ピアノ伴奏のすべてをこなした多才な音楽家。19世紀末からドイツ・グラモフォンで活躍し、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」や第9番「合唱」の電気以前の録音もある。1935年から1944年はドイツ・エレクトローラの専属だった。

78CDR-3069
機械式録音盤(電気録音以前)
@ドヴォルザーク=ウィルヘルミ編:ユモレスク
Aヴェチェイ:奇想曲第2番「滝」
フランツ・フォン・ヴェチェイ(ヴァイオリン)
カロル・シュレター(ピアノ)
独 VOX 06294
(1925年録音)
フランツ・フォン・ヴェチェイ(1893-1935)はハンガリー生まれ。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。神童で10歳の時に大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)の指揮でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を弾いた。42歳で惜しまれつつ早逝した。シベリウス(1865-1957)のヴァイオリン協奏曲はヴェチェイに献呈された。ドイツのVOX 社は機械式録音時代の末期に存在したレコード会社。機械式録音に自信があったため電気録音に乗り遅れ倒産した。他社が電気に切り換えた後の1927年まで旧式録音を継続していた。