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★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

ご注文は当店HPよりどうぞ

DSD録音による再発売シーリーズ
78CDR-3100〜3119


2006年秋に発売を開始した当シリーズもおかげさまで約240タイトルを発売する事ができましたが、2009年2月よりマスター制作にDSD録音を採用する事にいたしました。これまでより更に生々しい音質をお届けする事が出来るようになりましたのでご期待下さい。

DSD録音の商品番号は78CDR-3000番を使用します。また今後、これまで発売しました78CDR-1000番台のタイトルを随時DSD録音の新マスターで再発売を行なってまいります。商品番号は下3桁は共通で使用いたします。従来の78CDR-1000番台の商品は、当面は販売を継続いたします。また近日DSD録音による有料サンプラー(\300)も制作いたしましたので、こちらもご利用下さい。

■製作者からのメッセージ
DSD録音になったグッディーズ・ダイレクト・トランスファーCDR!従来のCDを高音質化するさまざまな試みが盛んな中で、「グッディーズ・オリジナル企画」のダイレクト・トランスファーCDRは、2009年2月発売新譜からDSD録音を採用することになりました。DSD録音によって、これまでのSP復刻からさらに飛躍し、SPレコードの直接再生と区別がつかないところに到達したと自負しています。DSD録音は従来の方式に較べて中音から低音にかけての音の形が明瞭になり、高音は一皮剥けた感じです。LPとは比較にならない強大な音響勢力を持つSPレコードをカスタムメイドの直熱真空管フォノイコライザーを使用し、またノイズ除去と共に失われる音楽情報に最も気を配り一切のノイズリダクションを使用していないのは従来通りです。(新 忠篤)
●発売中

78CDR-3110
サン=サーンス:ヴァイオリン・ソナタ第1番ニ短調作品75
アンドレ・パスカル(ヴァイオリン)
イジドール・フィリップ(ピアノ)
米 COLUMBIA P-71214/6D(仏Pathe PAT 15/7と同一録音)
(1934年6月28 & 30日パリ録音)
フランス近代ヴァイオリン・ソナタの名作であるフォーレの第1番(1877年作)やフランクのソナタ(1886年作)の間に埋もれている感のあるこのソナタはカミーユ・サン=サーンス(1835-1921)が1885年に作曲した。ピアニストのイジドール・フィリップ(1863-1958)はハンガリー系のフランスのピアニストで、1883年パリ音楽院で一等賞を得てサン=サーンスにも師事した。1903年から1934年まで母校の教授を務め、門下に多くの名ピアニストを輩出した。ヴァイオリンのアンドレ・パスカル(1894-没年不詳)はパリ音楽院に学び、パリ音楽院管弦楽団の第1ヴァイオリン奏者、フォンテーヌブローのアメリカ音楽院の教授を務めた。この録音は作曲者サン=サーンスの生誕100年の年に、故人と縁の逢った演奏者によって録音された貴重なもの。この曲の世界初録音であった。

78CDR-3111
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調 K.218
(カデンツァ:J.ヨアヒム)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
サー・トーマス・ビーチャム指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
日COLUMBIA J8445/7 (英 COLUMBIA LX-386/8と同一録音)
(1934年10月8日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はブダペスト生まれのヴァイオリニスト。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事し、13歳でデビューした。1907年から1913年に英国に住みピアノのマイラ・ヘス(1890-1965)やフェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)らとのソナタ演奏から大きな音楽的影響を受け、その後ヨーロッパ大陸に戻り1917年から1924年スイスのジュネーヴ音楽院で教えた。第2次世界大戦前の1932年(昭和7年)と翌1933年(昭和8年)に来日した。その時日本コロムビアに録音もしている。このモーツァルトはシゲティの長い録音経歴で唯一のモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲。トーマス・ビーチャム(1879-1961)は英国で最も尊敬された指揮者で1932年ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を組織し、1947年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を作った。シゲティとビーチャムの顔合わせはメンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-1124)で出ている。

78CDR-3112
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37
ヴィルヘルム・ケンプ(ピアノ)
パウル・ファン・ケンペン指揮
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
独 POLYDOR 67946/50
(1942年6月11日ドレスデン録音)
ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)はドイツのピアニスト。機械式録音時代からステレオ録音の時代まで多くの録音を残した。パウル・ファン・ケンペン(1893-1955)はオランダの指揮者。1932年から1942年までドレスデン・フィルハーモニーの首席指揮者を務めた。ケンプとファン・ケンペン指揮ベルリン・フィルのベートーヴェン:ピアノ協奏曲全5曲はLP初期の1953年の録音が有名だが、これは1942年第2次世界大戦下のドレスデン録音。ケンプ47歳の壮年期の演奏が聴ける。物資窮乏の時代のためプレス枚数が極めて少なく、おそらくこれが初復刻だと思う。ケンプとファン・ケンペンの組み合わせはベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番(78CDR-1120), モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番K.466(78CDR-1153)が出ている。

78CDR-3113
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216
ジョコンダ・デ・ヴィトー(ヴァイオリン)
サー・トーマス・ビーチャム指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
蘭 HIS MASTER'S VOICE DB9570/2
(1949年5月3-4日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
ジョコンダ・デ・ヴィトー(1907-94)はイタリアの女流ヴァイオリニスト。戦後の1947年にエディンバラ音楽祭に初登場、同時にEMIの専属アーティストになった。この録音はSP時代の末期のもの。指揮者のサー・トーマス・ビーチャム(1879-1961)は英国で最も尊敬された指揮者。1932年ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を組織し、1947年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を作った。ビーチャムの指揮するモーツァルトはSP時代最も権威のあるものとして欧米では受け入れられた。デ・ヴィトーはJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番BWV1004(78CDR-3019)とJ.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番 BWV1042(78CDR-3052),ブラームス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-1174)が出ている。

78CDR-3114
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
サー・トーマス・ビーチャム指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
英 HIS MASTER'S VOICE DB9413/5
(1949年6月10日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-87)はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に学び、10歳の春にデビューした。1917年16歳の時に革命を逃れ一家はアメリカに移住し、少年ハイフェッツは一流演奏家として待遇された。その後青年期、壮年期から引退するまで世界最高ののヴァイオリン奏者として崇められた。この録音はSP最後期の録音。ハイフェッツ初のメンデルスゾーンであった。指揮者のサー・トーマス・ビーチャム(1879-1961)は英国で最も尊敬された指揮者で1932年ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を組織し、1947年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を作った。ハイフェッツはチャイコフキー:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3086)が出ている。

78CDR-3115
ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調作品36
カール・シューリヒト指揮
スイス・ロマンド管弦楽団
英 DECCA AK1610/3
(1947年2月14日ジュネーヴ放送局スタジオ録音)
おそらくLP、CDでの初復刻。カール・シューリヒト(1880-1967)はドイツの指揮者。SP時代からベートーヴェンやブルックナーの録音を独ポリドールに残していた。これはシューリヒトがスイス・ロマンドを指揮した珍しいもので、わが国ではほとんど知られていなっかった。LP時代にパリ音楽院やウィーン・フィルを指揮していたこの大指揮者の第2次世界大戦直後のスイス録音は、颯爽とと直進する若々しさが横溢している。英デッカのffrr録音。

78CDR-3116
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第7番ハ短調作品30-2
ヴォルフガング・シュナイダーハン(ヴァイオリン)
フリートリヒ・ヴューラー(ピアノ)
英 COLUMBIA LX8673/6
(1947年12月1&6 日ウィーン録音)
おそらくLP、CDでの初復刻。ヴォルフガング・シュナイダーハン(1915-2002)はウィーン生まれ。幼少期に神童と注目されヴォルフィの名でオーストリア・コロンビアに小品の録音があった。17歳でウィーン交響楽団の第1ヴァイオリン奏者になり、その後ウィーン・フィルハーモニーに入り、1937年から1950年までコンサート・マスターの地位にあった。その時期にシュナイダーハン弦楽四重奏団のリーダーやエトヴィン・フィッシャー・トリオのメンバーとしても活躍した。このSP録音はシュナイダーハンがドイツ・グラモフォン専属になる前のもの。ピアノのフリートリヒ・ヴューラー(1900-75)はウィーン音楽アカデミーに学び、母校の教授をつとめた。LPの初期に米VOXに録音を残していた。

78CDR-3117
モーツァルト:ピアノ協奏曲第26番ニ長調 K.537「戴冠式」
モーツァルト:幻想曲ニ短調 K.397
ワンダ・ランドフスカ(ピアノ)
ワルター・ゲール指揮管弦楽団
仏 LA VOIX DE SON MAITRE DB3147/50
(1937年3月25日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)はポーランド出身のハープシコード&ピアノ奏者。パリのプレイエル社に2段鍵盤の特注したハープシコードでSPレコードの電気録音初期から多くの録音を残した。この「戴冠式」はランドフスカが初めてピアノを弾いた録音。イギリス国王ジョージ6世(1895-1952、現エリザベス女王の父君)の即位を記念した録音と伝えられる。指揮者のワルター・ゲール(1903-1960)はドイツ出身でシェーンベルクについて作曲を勉強した後イギリスに亡命。指揮者として活躍した。ランドフスカはJ.S.バッハ:ゴルトベルグ変奏曲(78CDR-3073)、フランソワ・クープラン:クラヴサン曲集18曲(78CDR-3081)が出ている。

78CDR-3118
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
ポール・パレー指揮管弦楽団
仏 POLYDOR 566230/232
(1947年10月29日パリ録音)
ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀フランス最高のヴァイオリニスト。モーツァルトの作品を得意として生涯プログラムの中心だった。この録音は第2次世界大戦後の1947年、ティボーが67歳の時のもの。指揮者のポール・パレー(1886-1979)は1911年パリ音楽院の作曲部門でローマ賞を得て、後に指揮者として活躍した。戦後の1951年アメリカのデトロイト交響楽団の指揮者に就任1963年まで務めた。DSDトランスファーによってこれまでの復刻LPとは違ったティボーのエレガントなヴァイオリンが聴ける。ティボーはモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番 K.219(78CDR-3209)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第6番 K.268(78CDR-3080)が出ている。

78CDR-3119
J.S.バッハ:二つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 BWV.1043
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調 BWV.1001からアダージョ
アルノルト・ロゼー(ヴァイオリン)
アルマ・ロゼー(ヴァイオリン)
室内管弦楽団
チェコ HIS MASTER'S VOICE ES663/5
(1929年5月29日ウィーン録音)
ロゼー父娘による唯一の録音。アルノルト・ロゼー(1863-1946)はウィーン・フィルやウィーン国立歌劇場オーケストラのリーダーを50年間(1881-1931)務め、機械式録音時代にも録音していた名手。アルノルト・ロゼーはグスタフ・マーラーの妹ユスティーネと結婚し、娘のアルマ・ロゼー(1906-1944)をもうけた。アルマはヴァイオリニストとなり、1932年に女性だけのオーケストラである "ウィーン・ワルツ・オーケストラ" を組織し好評を得た。アルマ・ロゼーはチェコ出身のヴァイオリニスト、ヴァーシャ・プシホダ(1900-1960)と1930年に結婚したが1935年に離婚。1938年にナチスのウィーン侵攻でロゼー父娘はロンドンに逃れたが、アルマはヨーロッパ大陸の戻りフランスで演奏活動中、ナチスのゲシュタボにつかまりアウシュウィッツに送られた。アルマはガス室に送られる人々の僅かの時間を慰めるために楽団を作ることを許されたが、1944年アウシュヴィッツで他界した。ガス室ではなく食中毒が死因とされている。ロゼーはベートーヴェン:ロマンスヘ長調作品50(78CDR-3059)が出ている。
●発売中

※78CDR-3108は製造上の都合で、発売が延期となりました

78CDR-3100
★米RCA VICTOR盤からの復刻
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調 BWV1008
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調 BWV1009
パブロ・カザルス(チェロ)
米 RCA VICTOR 16015/16020(英HIS MASTER'S VOICE DB8414/19と同一録音)
(1936年11月23日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
パブロ・カザルス(1876-1973)のJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲全6曲は2曲ずつ録音された。この第2番と第3番はアルバムの第1巻として発売された。この2曲だけがアビー・ロードでの録音。他の4曲は1938年と1939年にパリで録音された。1930年の半ばにしてEMIの録音技術は完成していた。ノイズの少ない米RCA VICTOR盤からの復刻。英 HIS MASTER'S VOICE盤からの復刻は78CDR-3004で出ている。

78CDR-3101
ブラームス:
ヴァイオリンとチェロのための複協奏曲イ短調作品102
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
パブロ・カザルス(チェロ)
アルフレッド・コルトー指揮
バルセロナ・パブロ・カザルス管弦楽団
英 HIS MASTER'S VOICE DB1311/4
(1929年5月10-11日バルセロナ、オリンピア劇場録音)
アルフレッド・コルトー(1877-1962)、ジャック・ティボー(1880-1953)、パブロ・カザルス(1876-1973)の壮年期の3人が一同に会した最後の録音。ここではコルトーが指揮者を務めている。香り立つロマンが横溢して、タイムカプセルが80年前の世界に導いてくれる。

78CDR-3102
ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
独 ELECTROLA BD7666/71
(1943年3月31-4月1日ベルリン、ベートーヴェンザール録音)
ハンス・クナッパーツブッシュ(1888-1965)による唯一正規録音の「英雄」。第2次世界大戦の真っ只中、ヒトラーの統制下のベルリンで行われた録音。ク
ナッパーツブッシュはベルリン・フィルと1942年からエレクトローラ(EMI)に録音を始めた。そしてこの「英雄」がベルリン・フィルの戦前最後の商業録音になった。このレコードは戦中のためプレス枚数が極めて少なく、現在SP盤を見ることは滅多にない。この時期のベルリン・フィルはフルトヴェングラーやヨッフムが指揮して帝国放送局(RRG)に録音を行っていた。それらはLP時代になってウラニアやメロディア、VOX等から発売された。


78CDR-3103
チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
独 ELECTROLA BD4609/14
(1938年10月25-27日ベルリン、ベートーヴェンザール録音)
大指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)がEMIに録音した正規録音。正規録音とは指揮者自身がレコードとして承認したもので、放送録音など指揮者が生前レコードになることを許可しなかった演奏とは違うものをさす。今回の復刻はオーケストラの細部を克明に彫りだすことに努めたことで、演奏の感動がまた新たになるだろう。

78CDR-3104
ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」
ジョージ・セル指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
米RCA VICTOR 12259/63 (英HIS MASTER'S VOICE C2949/53 と同一録音)
(1937年10月30日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
指揮者のジョージ・セル(1897-1970)はハンガリー生まれ。ウィーンとライプツィヒ学んだ。10歳の時にピアニストとしてウィーン交響楽団の演奏会でデ
ビュー、17歳でベルリン・フィルを指揮した。リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)のアシスタントを務めたこともある。1930年から36年にはチェコ・フィ
ルの音楽監督、1942年から46年にはニューヨークのメトロポリタン歌劇場の指揮者だった。1946年にアメリカ市民となり、46年から70年までクリーヴランド管弦楽団の音楽監督の地位にあった。この録音はカザルスをソリストに迎えたドヴォルザーク:チェロ協奏曲(78CDR-3060)の半年後、チェコ・フィルがヨーロッパ・ツアーした際にアビー・ロードで録音された。

78CDR-3105
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
レオ・ブレッヒ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
独 ELECTROLA BD1120/24
(1927年11月21,23,25日ベルリン、ジングアカデミー録音)
フリッツ・クライスラー(1875-1962)は電気録音最初期の1926/7年にベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を指揮者レオ・
ブレッヒとベルリンでHIS MASTER'S VOICEに録音した。このブラームスがベートーヴェン、メンデルスゾーンより1年遅かったため前2作品より優れた音質の録音になっている。クライスラーは1936年に3大協奏曲をロンドンで再録音した。これらはすべて78CDRシリーズで復刻されている。50歳代初頭のクライスラーと60歳代に入ってからの演奏を聴きくらべるのも面白い。

78CDR-3106
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番変イ長調作品110
エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)
独 ELECTROLA DB3707/8
(1938年ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのピアニスト。バーゼル音楽院で学んだ後、ベルリンに出てリスト(1811-86)の高弟マルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。1930年ベルリン高等音楽院の教授になり、一方演奏家としても活躍した。1942年スイスに戻り、ソロ活動に加えヴァイオリンのクーレンカンプ(1898-1948)、後にヴォルフガング・シュナイダーハン(1915-1990)、チェロのマイナルディ(1897-1976)とフィッシャー・トリオを結成した。フィッシャーのベートーヴェンの演奏は同時代に活躍したバックハウス(1884-1969)やシュナーベル(1882-1951)には無い "心の内に燃えさかる感情の炎" が見える。

78CDR-3107
ラロ:スペイン交響曲作品21
アンリ・メルケル(ヴァイオリン)
ピエロ・コッポラ指揮
コンセール・パドゥルー管弦楽団
仏 DISQUE GRAMOPHONE L-923/6
(1932年2月パリ録音)
アンリ・メルケル(1897-1969)はパリ・オペラ座の管弦楽団やコンセール・ラムルー管弦楽団の団員を務めた後、1927年にパリで独奏会を開いた。1929年からパリ音楽院管弦楽団のコンサート・マスターになり、その後ソリストとして独立した。このスペイン交響曲はSPレコード時代にカットされることが多かった第3楽章インテルメッツォが収録されている。指揮者のピエロ・コッポラ(1888-1977)はミラノ生まれ。フランスのDISQUE GRAMOPHONE社の専属指揮者を務め、主として協奏曲の録音で活躍した。大バス歌手フェオドール・シャリアピン(1873-1938)のアメリカ公演に乞われて随行したこともある。メルケルはこのシリーズでベートーヴェン・ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3020)が出ている。

78CDR-3108
モーツァルト:
ヴァイオリン協奏曲第7番ニ長調 K.271a
モーツァルト(A.バッハマン編):
ディヴェルティメント第17番ニ長調 K.334からメヌエット
ドニーズ・ソリアノ(ヴァイオリン)
シャルル・ミュンシュ指揮管弦楽団(協奏曲)
アンドレ・レルミット(ピアノ)(メヌエット)
仏 Pathe PAT143/6
(1939年3月14&15日パリ、アルベール・スタジオ録音)
ドニーズ・ソリアノ(1916-2006)はパリ音楽院の名ヴァイオリン教授ジュール・ブーシュリ(1878-1962)に師事したカイロに生まのフランスの女流ヴァイオリニスト。1932年16歳でパリ音楽院の一等賞を得た。1934年にはピアノのマグダ・タリアフェロと録音したフォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番がディスク大賞を受賞した。ソリアノはソリストとしての活動の傍ら、ブーシュリ教授の片腕として後進の指導にあたり、後に結婚してブーシュリ夫人になった。ソリアノは2006年3月5日パリの病院で90歳の生涯を閉じた。指揮者のシャルル・ミュンシュ(1891-1968)はストラスブール生まれのフランスの指揮者、録音当時パリ音楽院の指揮科の教授だった。モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第7番ニ長調 K.271a はモーツァルトが21歳の時に作曲されたと伝えられた曲だがオリジナル楽譜は存在せず、19世紀中頃に作成された筆写譜に基づいた楽譜が1927年に出版された。1932年に当時16歳だったユーディ・メニューイン(1916-1999)によって初録音されたが現在ではモーツァルトの作品ではない疑作に分類されている。ソリアーノの演奏はモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番 K.216(指揮:ジュール・ブーシュリ)(78CDR-1031)とモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第40番変ロ長調 K.454(ピアノ:マグダ・タリアフェロ)(78CDR-3027)が出ている。

78CDR-3109
サン=サーンス: 交響曲第3番ハ短調作品78「オルガン付き」
アレックス・スイエ(オルガン)
リュシアン・プティジャン&ドニーズ・エルブレシュト(ピアノ)
ピエロ・コッポラ指揮
交響楽団
米 RCA VICTOR 13238/41(仏 DISQUE GRAMOPHONE W1092/5と同一録音)
(1930年2月パリ録音)
その昔、このオルガンを聴きえた人は居たのだろうか。電気録音初期のこの曲の初レコードで、SPレコードながらオルガンが自然なバランスで録音されている。当時の蓄音機や電蓄などでは再生が難しかったと思われる。またこのディスクは作曲家サン=サーンス(1835-1921)の生前の演奏様式を知ることができる貴重な録音。ライブを彷彿させる熱気溢れる演奏。ピエロ・コッポラ(1888-1977)はミラノ生まれの指揮者で作曲家。フランスのDISQUE GRAMOPHONE社の専属指揮者を務め、主として協奏曲の録音で活躍したほか、大バス歌手フェオドール・シャリアピン(1873-1938)のアメリカ公演に乞われて随行したこともある。