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★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-3209〜3218

2009年9月新譜 5点 発売中 ★DSD録音

78CDR-3214
モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番ハ短調 K.491
(カデンツァ:E.フィッシャー)
エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)
ローランス・コリングウッド指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
(1937年3月5日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのピアニスト。バーゼル音楽院で学んだ後、ベルリンに出てリスト(1811-1886)の高弟マルティン・クラウゼ(1853-1918)についた。1930年ベルリン高等音楽院の教授に就任、また演奏家としても活躍した。このモーツァルトはフィッシャーが51歳の時の録音。弟子にレーヌ・ジャノーリ(1915-1979)、パウル・バドゥラ=スコダ(1927-)、アルフレッド・ブレンデル(1931-)らがいる。指揮者のローランス・コリングウッド(1887-1982)はイギリスの指揮者。ロンドンのギルドホール音楽学校で学んだ後、オックフォード大学に進んだ。1912年ロシアのペテルブルク音楽院に留学、グラズノフ、チェレプニン等に指導を受けた。1918年イギリスに戻り指揮者として活躍、1931年から1941年サドラーズ・ウェルズ・オペラの首席指揮者、1941年から47年音楽監督を務めた。フィッシャーはこのシリーズでモーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番 K.330(78CDR-3036)、モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番「トルコ行進曲つき」(78CDR-1096)、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番作品110(78CDR-1106)、ハイドン:ピアノ協奏曲ニ長調(78CDR-1129)、J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集全曲(78CDR-1142-1146分売)、ブラームス:ピアノ四重奏曲第1番作品25(78CDR-1160)、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」(78CDR-3202)が出ている。                             

78CDR-3215
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
マックス・シュトループ(ヴァイオリン)
カール・ベーム指揮
ザクセン国立歌劇場管弦楽団
独 ELECTROLA DB5516/21S
(1939年6月29-30日ドレスデン録音)
マックス・シュトループ(1900-1966)はドイツのヴァイオリン奏者。1922年、当時ザクセン国立歌劇場の音楽監督だったフリッツ・ブッシュ(1890-1951)の招きでコンサート・マスターに就任。1924年から1928年にワイマール音楽学校のヴァイオリン教授になり、一方オットー・クレンペラーの要請でベルリン国立歌劇場のコンサートマスターも務めた。1934年にはピアニストのエリー・ナイ(1882-1968)、チェリストのルートヴィヒ・ヘルシャー(1907-1996)とピアノ三重奏団を組織した。カール・ベーム(1894-1981)はオーストリアのグラーツ生まれの大指揮者。グラーツ大学で法律を専攻した法学博士でもある。1917年グラーツ市立歌劇場で指揮者としてデビュー、1921年ブルーノ・ワルター(1876-1962)に招かれバイエルン国立歌劇場の指揮者になった。その後ダルムシュタット、ハンブルクの歌劇場の指揮者を歴任、1934年にフリッツ・ブッシュの後任としてザクセン国立歌劇場の音楽監督に就任、1943年にウィーン国立歌劇場に転出するまでその地位にあった。これは第2次世界大戦勃発三ヵ月前の録音である。当時ベームは45歳だった。第6面のカデンツァが聴き物。

78CDR-3216
J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調 BWV.1042
コレッリ(ブッシュ編):ソナタヘ長調作品5-10よりプレリュード
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ブッシュ室内合奏団
米 COLUMBIA 11914/6-D(Set M-MM-530)
(1941年10月3日バッハ、1942年 5月27日コレッリ、ニューヨーク録音)
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツのヴァイオリニスト。1922年からピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んで活躍した。1936年ゼルキンはブッシュの娘イレーネと結婚したが、ゼルキンはナチのユダヤ人迫害を避けてアメリカに移住した。その後ブッシュもドイツを去ってスイスに移住、1939年実弟でチェリストのヘルマン・ブュッシュと共にアメリカに定住した。この録音はブッシュがアメリカでの最初の録音にあたる。ブッシュの演奏はこのシリーズでモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第33番 K.377(78CDR-3038)、シューベルト:幻想曲ハ長調(78CDR-1172)が出ている。ピアノはいずれもゼルキン。

78CDR-3217
ベートーヴェン:
ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」
ゲオルク・クーレンカンプ(ヴァイオリン)
ジークフリート・シュルツェ(ピアノ)
独 TELEFUNKEN E3124/6
(1940年6月15日ベルリン録音)
ゲオルク・クーレンカンプ(1898-1948)はドイツのヴァイオリニスト。第2次世界大戦中はソリストとしてドイツを代表する演奏家だった。またベルリン高等音楽院のヴァイリン科教授も務めた。この録音は1940年ドイツ・テレフンケン社への録音。クーレンカンプは1944年にスイスのルツェルン音楽院の教授になり、ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)、チェロのエンリコ・マイナルディ(1897-1976)とのトリオでも活躍した。彼は1948年50歳を迎えて間もなく急逝した。ピアノのジークフリート・シュルツェは経歴不明。ポーランド出身の大ヴァイオリニスト、ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)と多くの録音をしていた。クーレンカンプは本シリーズでブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番(シューリヒト指揮チューリッヒ・トンハレ管弦楽団、1947年録音)(78CDR-1123)が出ている。

78CDR-3218
ブラームス:ホルン三重奏曲変ホ長調作品40
オーブリー・ブレイン(ホルン)
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
米 VICTOR 17112/5 (英 HIS MASTER'S VOICE DB2105/8と同一録音)
(1933年11月13日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
オーブリー・ブレイン(1893-1955)は20世紀の前半に活躍したイギリスの名ホルン奏者、デニス・ブレイン(1921-1957)の父親にあたる。1911年王立アカデミーで奨学金を受け、同年、新交響楽団の首席奏者に就任。翌1912年には大指揮者アルトゥール・ニキシュ指揮ロンドン交響楽団の北米楽旅に参加した。1923年から母校の王立アカデミーでホルン教え始めた。ずっと後になるが、生徒の一人が息子のデニス・ブレインだった。アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツのヴァイオリニスト。1922年からピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んで活躍した。このブラームスは3人の名人によるブラームスの濃厚なロマンティシズムが表出した名演奏。
2009年8月新譜 5点 発売中 ★DSD録音

今月はヴァイオリン協奏曲の特集です。

78CDR-3209
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219
(カデツァ:J.ヨアヒム)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
シャルル・ミュンシュ指揮
パリ音楽院管弦楽団
仏 DISQUE GRAMOPHONE DB5142/4
(1941年1月6日パリ、アルベール・スタジオ録音)
ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀フランス最高のヴァイオリニスト、世界中で最も優れたモーツァルト演奏家のひとりだった。この録音が行われた当時、フランスはナチ・ドイツの占領下だったが、1941年はモーツァルト没後150年にあたりヨーロッパの各地で記念行事が行われた。この録音もその記念のためのものと思われる。指揮者のシャルル・ミュンシュ(1891-1968)はストラスブール生まれ。パリ音楽院でリュシアン・カペー(1873-1928)にヴァイオリンを学んだ。1926年-32年にはライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団のソロ第一ヴァイオリン奏者をつとめ、ブルーノ・ワルター(1876-1962)やヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)のもとで演奏し指揮法も身につけた。1938年-45年にパリ音楽院管弦楽団の指揮者をつとめ、1939年には同音楽院の指揮科の教授に任命された。この録音はその当時のものである。ティボーのモーツァルトはヴァイオリン協奏曲第3番(78CDR-1118)とヴァイオリン協奏曲第6番(78CDR-1080)がこのシリーズで出ている。

78CDR-3210
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
(カデンツァ:H.レオナール)
カール・フロイント(ヴァイオリン)
ヴァルター・ダヴィッソン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
独 POLYDOR 15205/09
(1938年3月5&8日ベルリン高等音楽院録音)
戦前の全盛期にあったベルリン・フィルによるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲でLP、CDを通じて初復刻と思われる。ヴァイオリンのカール・フロイント(1904-)はドイツのヴァイオリニスト。経歴の詳細は不明だが、ドイツ・ポリドールのSPにピアノ・トリオの録音がある。ドイツの女流ヴァイオリニスト、シュザンヌ・ラウテンバッハー(1932-)の師だった。指揮者のヴァルター・ダヴィッソン(1885-1973)はフランクフルト生まれ。フランクフルト音楽院でヴァイオリンを学び、卒業後母校でヴァイオリンを教えた。その後指揮者として活躍し、1932年にライプツィヒ音楽院の校長に就任した。この録音が行われた1938年は大指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)がベルリン・フィルの正指揮者の時代だった。フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの演奏はこのシリーズでチャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」(78CDR-1103)が出ている。

78CDR-3211
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調 K.218
(カデンツァ:J.ヨアヒム)
ハインツ・シュタンスケ(ヴァイオリン)
パウル・ファン・ケンペン指揮
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
独 POLYDOR 67888/90
(1942年ドレスデン録音)
ハインツ・シュタンスケ(1912-)はカール・フレッシュ(1873-1944)に師事したヴァイオリニスト。1937年のウィーン音楽祭で金賞を受賞した。第2次大戦中のドイツ・ポリドールにSP録音がある。シュタンスケは戦後コンサート活動と同時に後進の指導にあたり、女流ヴァイオリニスト、エディット・パイネマン(1939-)は弟子の一人だった。指揮者のパウル・ファン・ケンペン(1893-1955)はオランダの指揮者。17歳でアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のヴァイオリン奏者になり、1916年からドイツ各地のオーケストラで指揮者として活動した。1934年-42年にはドレスデン・フィルの常任指揮者としてこのオーケストランをヨーロッパ有数の楽団に育てあげた。このシリーズではジョコンダ・デ・ヴィトーのヴァイオリンでブラームス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-1174)、ヴィルヘルム・ケンプのピアノでモーツァルト:ピアノ協奏曲第20番(78CDR-1153)、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番(78CDR-1112)、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番(78CDR-1120)が出ている。

78CDR-3212
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47
アニヤ・イグナティウス(ヴァイオリン)
アルマス・ヤルネフェルト指揮
ベルリン市立管弦楽団
独 POLYDOR 68046/49
(1943年ベルリン録音)
アニヤ・イグナティウス(1911-1995)はフィンランドの女流ヴァイオリニスト。1924年-28年までパリ音楽院、1928年-29年にチェコの巨匠シェヴチーク(1852-1934)、1929年-31年にはベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)に師事した。特にシベリウスのヴァイオリン協奏曲は作曲家自身が高く評価し、この曲のスペシャリストになった。1955年-78年にヘルシンキのシベリウス・アカデミーの教授を務めた。指揮者のアルマス・ヤルネフェルト(1869-1958)はフィンランドの作曲家で指揮者。ヤルネフェルトの「子守歌」の作曲者でもある。この録音は第2次世界大戦後期のもの。

78CDR-3213
J.S.バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 BWV.1043
アルテュール・グリュミオー&ジャン・プーニエ(ヴァイオリン)
ワルター・ジュスキンド指揮
フィルハーモニア室内管弦楽団
ボリス・オード(ハープシコード)
蘭 COLUMBIA DX1276/77
(1946年3月27日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
アルテュール・グリュミオー(1921-1986)はベルギーの名ヴァイオリニスト。3歳から祖父にヴァイオリンの手ほどきを受け、6歳で生地のシャルルロワ音楽院に入った。5年の間にヴァイオリンとピアノで一等賞になり、ブリュッセル王立音楽院でアルフレッド・デュボワ(1898-1944)についてさらに研鑽をつんだ。1939年にアンリ・ヴュータン賞とフランソワ・プリューム賞を受賞、シャルル・ミュンシュ(1891-1955)の指揮でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を弾きデビューした。その後パリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)の指導を受けた。第2次大戦中は英米軍の兵士に慰問活動をした。戦後すぐにEMIのプロデューサー、ワルター・レッグに招かれイギリス・コロンビアに録音した。この演奏はグリュミオーの初協奏曲録音にあたる。ジャン・プーニエ(1907-1968)はインド洋のモーリシャス島にイギリス人の両親のもとに生まれ、2歳の時にイギリスに移住し王立アカデミーで学んだ。ワルター・ジュスキンド(1913-1980)はチェコ出身のイギリスの指揮者。プラハ音楽院でスークやハーバに師事した後、ベルリンでジョージ・セル(1897-1970)のアシスタントになり薫陶を得た。