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★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-3279〜3288

2010年11月新譜 5点 発売中★DSD録音

78CDR-3284
ラヴェル:序奏とアレグロ(1906)
リリー・ラスキーヌ(ハープ)
マルセル・モイーズ(フルート)
ユリス・ドレクリューズ(クラリネット)
カルヴェ弦楽四重奏団
(1938年5月19日パリ、アルベール・スタジオ録音)
小ハープ協奏曲と目されるラヴェルの傑作。ハープのリリー・ラスキーヌ(1893-1988)は12歳の時パリ音楽院で一等賞を得た。コンセール・ラムルーのハーピスト、ソリストとしても活躍し、1948年から1958年まで母校の教授をつとめた。フルートのマルセル・モイーズ(1899-1984)は1906年にパリ音楽院で一等賞を得て、1908にソロ・デビュー。オペラ・コミック、ストララム管弦楽団に席を置き、1932年から1949には母校の教授もつとめた。クラリネットのユリス・ドレクリューズ(1907-1995)は1925年にパリ音楽院で一等賞を得た後、ギャルド・レピュブリケーヌのソリストに就任。1948年退団後母校の教授をつとめた。カルヴェ四重奏団は1919年ジョゼフ・カルヴェによって組織され、1950年に解散したフランスの名門四重奏団。本シリーズではモイーズ、ラスキーヌ、ジノによるドビュッシー:フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ(78CDR-3064)が出ている。

78CDR-3285
ハイドン:チェロ協奏曲第2番ニ長調作品101 Hob. VIIb-2
エマヌエル・フォイアマン(チェロ)
サー・マルコム・サージェント指揮
管弦楽団
米 COLUMBIA 69925/8D(英COLUMBIA LX8227/30と同一録音)
(1935年11月25日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
エマヌエル・フォイアマン(1902-1942)はウクライナのコロミア生まれ。ライプツィヒの音楽院で名教授ユリウス・クレンゲル(1859-1933)に師事した。1929年ベルリン高等音楽院の教授になり斎藤秀雄(1902-1974)も教えた。ナチスを逃れて一時スイスに居を構えたが、1938年アメリカに移住した。フィラデルフィアのカーティス音楽院で教える一方、ヴァイオリンのハイフェッツ、ピアノのルービンシュタインと "百万ドル・トリオ" を結成して活躍した。1942年に40歳の若さでニューヨークで死去した。指揮者のマルコム・サージェント(1895-1967)は指揮者、オルガニスト、作曲家。特に合唱作品の指揮に秀でていた。SP時代に協奏曲の録音を多く残した。

78CDR-3286
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
(カデンツァ:ヨアヒム)
ヨーゼフ・ヴォルフスタール(ヴァイオリン)
マンフレート・グルリット指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
米 BRUNSWICK 90277/81 (独 GRAMMOPHON 95243/7 と同一録音)
(1929年1月ベルリン高等音楽院録音)
ヨーゼフ・ヴォルフスタール(1899-1931)はウクライナのレンブルク(現在のリヴォフ)に生まれた。1912年13歳の時ベルリンの名教師カール・フレッシュ(1873-1944)につき厳格な指導を受け、3年後にデビュー。オーケストラのコンサートマスターをつとめた後、1922年に師フレッシュのアシスタントとしてベルリンで後進の指導にあたった。1928年指揮者のオットー・クレンペラー(1885-1973)の要請でベルリンのクロル・オペラのコンサートマスターに就任したが、1930年11月にインフルエンザに感染、それをこじらせたのが原因で翌1931年2月、32歳で他界した。指揮者のマンフレート・グルリット(1890-1972)はドイツ生まれ。ベルリン高等音楽院で教鞭をとると同時に国立歌劇場の客演指揮者として活躍した。1939年から日本に住みわが国の音楽界の発展に寄与した。

78CDR-3287
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第7番ヘ長調作品59-1「ラズモフスキー第1番」
ハイドン:
弦楽四重奏曲第83番変ロ長調作品103 よりメヌエット・マ・ノン・トロッポ
ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ゲスタ・アンドレアソン(第2ヴァイオリン)
カール・ドクトル(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)
米 COLUMBIA 71474/9D
(1942年5月15&25日ニューヨーク録音)
ブッシュ弦楽四重奏団は1919年にアドルフ・ブッシュ(1891-1952)によって組織され、1930年代には英 HIS MASTER'S VOICE に多くの録音をしている。ブッシュはまたピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とのデュオ録音でも活躍した。ブッシュは1939年に実弟でチェリストのヘルマン・ブッシュと共にアメリカに移住、その後四重奏の二人のメンバーもアメリカに渡り、1941年からアメリカCOLUMBIAに録音を再開した。このシリーズではヨーロッパ時代に録音したベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番作品135(78CDR-3195)が出ている。

78CDR-3288
J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV.988
(1945年RCA VICTOR録音)
ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)
米 RCA VICTOR 11-8939/44
(1945年3月29-30日、4月2日、6月5-6日+12日ニューヨーク、
RCA VICTORスタジオ録音)
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)による2回目の「ゴルトベルク変奏曲」の録音。ランドフスカはポーランドのワルシャワ生まれ。20世紀最高のハープシコード奏者。またピアニスト、音楽学者、教授で1900年から13年間パリのスコラ・カントルムで教鞭をとった。二列の鍵盤と七個のペダルを有する自分のハープシードをパリのプレイエル社に作らせて生涯この楽器を使用した。1940年フランス国籍を得たが、1941年ドイツ軍のフランス侵攻によりアメリカに逃れた。アメリカへ移住後、1942年2月21日、14年ぶりにニューヨークのタウン・ホールでゴルトベルク変奏曲を弾いた。作曲家ヴァージル・トムソン(1896-1989)の感激的なリポートがこのオリジナルSPアルバムに載っている。ランドフスカは1933年にゴルトベルク変奏曲をフランスDISQUE GRAMOPHONEに録音していた(78CDR-3073)。
2010年10月新譜 5点 発売中★DSD録音

78CDR-3279
J.S.バッハ:
無伴奏チェロ組曲第1番ト長調 BWV1007
無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調 BWV1012
パブロ・カザルス(チェロ)
米 VICTOR 17658/64(Set M-742)
(英 HIS MASTER'S VOICE DB8590/96と同一録音)
(1938年6月2-4日パリ, アルベール・スタジオ録音)
米RCA VICTOR盤による復刻。パブロ・カザルス(1876-1973)はスペインのカタルーニャ地方の町エル・ベドレルに生まれた偉大なチェロ奏者。バルセロナ音楽院でチェロ、ピアノ、楽理、作曲を学んだ。1890年バルセロナでバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜に出会った。1899年23歳でパリにデビュー、1904年バッハの無伴奏チェロ組曲を初めて公開演奏した。1905年ピアノのコルトー、ヴァイオリンのティボーとトリオを結成。1908年コンセール・ラムルー管弦楽団で指揮デビューした。カザルスのバッハ:無伴奏チェロ組曲全6曲は2曲ずつ録音された。第1巻は組曲2番と3番で1936年録音(78CDR-3004/HMV盤、78CDR-3100/RCA盤)。第2巻はここに収録の組曲1番と6番で1938年録音(78CDR-3224/HMV盤)。第3巻は組曲4番と5番(78CDR-3070/RCA盤)で1939年4月にパリで録音された。1930年代のカザルスのSPはどれを聴いても圧倒的な感銘をうける。

78CDR-3280 ※試聴はありません
テネシー・ワルツ/ジョー・スタッフォードSP録音集
テネシー・ワルツ
テネシー・ワルツ(1950) #7 39065(RHCO4303)
ユー・ビロング・トゥ・ミー(1952) #1 39811(RHCO 10204)
ジャンバラヤ(1952) #3 39838(RHCO 10260)
シュリンプ・ボート(1951) #2 39581(RHCO 4554)
ヘイ、グッドルッキン(1951) #9 39570(RHCO 4588)
ア・フール・サッチ・アズ・アイ(1952) 39930(RHCO 10374)
霧のロンドン橋(1956) #38 B22024 H(AA 22008.2 H)
また会う日まで(1951) 1-G(RHCO-4435)
ジョー・スタッフォード/JO STAFFORD(1-8)
フランキー・レイン/FRANKIE LAINE(5)
ネルソン・エディ/NELSON EDDY(8)
ポール・ウェストン楽団/PAUL WESTON AND HIS ORCHESTRA(1-8)
ノーマン・ルボフ合唱団/NORMAN LUBOFF CHOIR(3、4)
ジョー・スタッフォード(1917.11.12-2008.07.16)はアメリカのポップス・シンガー。1938年、男女4人編成のヴォーカルグループ "パイド・パイパーズ"の一員としてトミー・ドーシー楽団に加わり、その後ソロ・シンガーに抜擢された。1942年にバンドを辞して独立、ヴォーカリストとしての道を歩みはじめた。1950年にCAPITOLからコロンビアに移籍。夫君のピアニスト=アランジャーのポール・ウェストンと二人三脚でスターシンガーの地位を築いた。ここには第2次大戦後わが国でもヒットした名唱を集めた。SPレコードならではの声の温もり、力強さをダイレクト・トランスファーで聴いていただきたい。括弧内の年号は録音年と#はチャートの最高位。さらに使用した米コロンビアのオリジナルレコード番号と原盤番号を付記した。「霧のロンドン橋」はオランダ・フィリップスのSPを使用した。

78CDR-3281
ビング・クロスビー/フォスター歌曲集
金髪のジェニー 18801-A(DLA 1968) (1940.03.22)
ネルと私 18801-B(DLA2503) (1941.07.15)
夢みる人 18802-A(DLA1967) (1940.03.22)
やすらかに眠る、私の美しいアリス 18802-B(DLA2442) (1941.06.26)
なつかしいケンタッキーの我が家よ 18803-A(DLA2261) (1940.12.09)
草競馬 18803-B(DLA2259) (1940.12.09)
故郷の人びと(スワニー川) 18804-A(DLA96) (1935.02.21)
オールド・ブラック・ジョー 18804-B(DLA2445) (1941.06.16)
ビング・クロスビー/BING CROSBY(1-8)
ジョン・スコット・トロッター楽団(1、2、3、4、8)
キングズ・メンとヴィクター・ヤング楽団(5、6)
クリノライン合唱団とジョージー・ストール楽団(7)
米 DECCA 18801/4(Album A-440)
スティーヴン・コリンズ・フォスター(1826-1864)は19世紀のアメリカのポピュラーソングの作曲家。その作品は旅回りのE.クリスティのミンストレルズのために作曲した。作曲後150年を経た今日まで歌いつづけられている名曲が多い。ビング・クロスビー(1903-1977)はアメリカの歌手、俳優。アメリカ初のマルチエンタテイナーのひとり。高校時代から演劇や音楽に関心を持ち、大学は法学部に進むがジャズバンドを友人と結成して中退。1926年に当時人気の高かったポール・ホワイトマン楽団に歌手として入団、3人の男声コーラスグループ "リズム・ボーイズ" のメンバーになる。1931年ソロ歌手として独立、ラジオの「ビング・クロスビー・ショー」で大人気を獲得した。マイクロフォンの特性を生かして滑らかに発声する歌唱法を確立して、新しいポピュラーソングに大きな影響を与えた。その後映画に進出した。「ホワイト・クリスマス」は1942年に発売され後のリメイク盤を含めて全世界で4500万枚を超える大ヒット、生涯のレコード売り上げ枚数は4億枚を越えた。この「フォスター歌曲集」は第2次世界大戦前にアメリカDECCAに録音されたもの。滑らかな歌唱がダイレクト・トランスファーで際だって聞こえる。

78CDR-3282
ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮
NBC交響楽団
仏 LA VOIX DE SON MAITRE DB8691/4 (米 VICTOR 15965/8と同一録音)
(1939年2月28日、3月1+29日ニューヨーク、NBC 8-H スタジオ録音)
アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)はイタリアのパルマ生まれ。最初チェロを学んだ。1886年南米への演奏旅行中に指揮者の代役をつとめ、それを機に指揮者に転向した。1898-1908年ミラノ・スカラ座音楽監督、1908-1915年ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場音楽監督、1926-1936年ニューヨーク・フィルハーモニー音楽監督を歴任した。1930-1931年バイロイト音楽祭出演、1934-1937年ザルツブルク音楽祭に出演した。1937年ムッソリーニの独裁政権に反対してアメリカに亡命、一旦引退を表明したが、NBC交響楽団が創立され復帰し、途中一年間の空白(1943年)があったが、1954年まで常任指揮者をつとめた。トスカニーニは1939年にNBC交響楽団を指揮したSP録音による「運命」。LP時代のトスカニーニには見られない覇気と白熱に満ちた圧倒的な演奏が聴かれる。

78CDR-3283
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調
レナード・バーンスタイン(ピアノと指揮)
フィルハーモニア管弦楽団
米 RCA VICTOR 18-0115/7
(1946年6月1日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
レナード・バーンスタイン(1918-1990)はアメリカ、マサチューセッツ州ローレンスに生まれた指揮者。ハーバード大学とカーティス音楽院で学んだ。指揮をフリッツ・ライナー(1888-1963)とセルゲイ・クーセヴィツキー(1874-1951)にピアノをイザベラ・ヴェンゲローヴァ(1877-1956)に師事した。1943年アルトゥール・ロジンスキー(1892-1958)の指名でニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の副指揮者に就任、1943年病気のブルーノ・ワルター(1876-1962)の代役として指揮者デビュー大評判をとった。この録音は1946年バーンスタイン27歳の時のもの。この大音楽家の初レコード録音であろう。得意のピアノと指揮である。米RCA VICTORは主要アーティストの録音はほとんどロンドンのアビー・ロードに送り込んで録音するしきたりがあったが、バーンスタインもこの例にもれなかった。復刻にはRCA社がSPレコード時代に開発したビニール素材を使用した'RED SEAL'DELUXE盤を使用した。LP並に雑音が少ないのが特長。