2010年10月新譜 5点 発売中★DSD録音
78CDR-3279
J.S.バッハ:
無伴奏チェロ組曲第1番ト長調 BWV1007
無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調 BWV1012
パブロ・カザルス(チェロ)
米 VICTOR 17658/64(Set M-742)
(英 HIS MASTER'S VOICE DB8590/96と同一録音)
(1938年6月2-4日パリ, アルベール・スタジオ録音)
米RCA VICTOR盤による復刻。パブロ・カザルス(1876-1973)はスペインのカタルーニャ地方の町エル・ベドレルに生まれた偉大なチェロ奏者。バルセロナ音楽院でチェロ、ピアノ、楽理、作曲を学んだ。1890年バルセロナでバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜に出会った。1899年23歳でパリにデビュー、1904年バッハの無伴奏チェロ組曲を初めて公開演奏した。1905年ピアノのコルトー、ヴァイオリンのティボーとトリオを結成。1908年コンセール・ラムルー管弦楽団で指揮デビューした。カザルスのバッハ:無伴奏チェロ組曲全6曲は2曲ずつ録音された。第1巻は組曲2番と3番で1936年録音(78CDR-3004/HMV盤、78CDR-3100/RCA盤)。第2巻はここに収録の組曲1番と6番で1938年録音(78CDR-3224/HMV盤)。第3巻は組曲4番と5番(78CDR-3070/RCA盤)で1939年4月にパリで録音された。1930年代のカザルスのSPはどれを聴いても圧倒的な感銘をうける。
78CDR-3280 ※試聴はありません
テネシー・ワルツ/ジョー・スタッフォードSP録音集
テネシー・ワルツ
テネシー・ワルツ(1950) #7 39065(RHCO4303)
ユー・ビロング・トゥ・ミー(1952) #1 39811(RHCO 10204)
ジャンバラヤ(1952) #3 39838(RHCO 10260)
シュリンプ・ボート(1951) #2 39581(RHCO 4554)
ヘイ、グッドルッキン(1951) #9 39570(RHCO 4588)
ア・フール・サッチ・アズ・アイ(1952) 39930(RHCO 10374)
霧のロンドン橋(1956) #38 B22024 H(AA 22008.2 H)
また会う日まで(1951) 1-G(RHCO-4435)
ジョー・スタッフォード/JO STAFFORD(1-8)
フランキー・レイン/FRANKIE LAINE(5)
ネルソン・エディ/NELSON EDDY(8)
ポール・ウェストン楽団/PAUL WESTON AND HIS ORCHESTRA(1-8)
ノーマン・ルボフ合唱団/NORMAN LUBOFF CHOIR(3、4)
ジョー・スタッフォード(1917.11.12-2008.07.16)はアメリカのポップス・シンガー。1938年、男女4人編成のヴォーカルグループ
"パイド・パイパーズ"の一員としてトミー・ドーシー楽団に加わり、その後ソロ・シンガーに抜擢された。1942年にバンドを辞して独立、ヴォーカリストとしての道を歩みはじめた。1950年にCAPITOLからコロンビアに移籍。夫君のピアニスト=アランジャーのポール・ウェストンと二人三脚でスターシンガーの地位を築いた。ここには第2次大戦後わが国でもヒットした名唱を集めた。SPレコードならではの声の温もり、力強さをダイレクト・トランスファーで聴いていただきたい。括弧内の年号は録音年と#はチャートの最高位。さらに使用した米コロンビアのオリジナルレコード番号と原盤番号を付記した。「霧のロンドン橋」はオランダ・フィリップスのSPを使用した。
78CDR-3281
ビング・クロスビー/フォスター歌曲集
金髪のジェニー 18801-A(DLA 1968) (1940.03.22)
ネルと私 18801-B(DLA2503) (1941.07.15)
夢みる人 18802-A(DLA1967) (1940.03.22)
やすらかに眠る、私の美しいアリス 18802-B(DLA2442) (1941.06.26)
なつかしいケンタッキーの我が家よ 18803-A(DLA2261) (1940.12.09)
草競馬 18803-B(DLA2259) (1940.12.09)
故郷の人びと(スワニー川) 18804-A(DLA96) (1935.02.21)
オールド・ブラック・ジョー 18804-B(DLA2445) (1941.06.16)
ビング・クロスビー/BING CROSBY(1-8)
ジョン・スコット・トロッター楽団(1、2、3、4、8)
キングズ・メンとヴィクター・ヤング楽団(5、6)
クリノライン合唱団とジョージー・ストール楽団(7)
米 DECCA 18801/4(Album A-440)
スティーヴン・コリンズ・フォスター(1826-1864)は19世紀のアメリカのポピュラーソングの作曲家。その作品は旅回りのE.クリスティのミンストレルズのために作曲した。作曲後150年を経た今日まで歌いつづけられている名曲が多い。ビング・クロスビー(1903-1977)はアメリカの歌手、俳優。アメリカ初のマルチエンタテイナーのひとり。高校時代から演劇や音楽に関心を持ち、大学は法学部に進むがジャズバンドを友人と結成して中退。1926年に当時人気の高かったポール・ホワイトマン楽団に歌手として入団、3人の男声コーラスグループ
"リズム・ボーイズ" のメンバーになる。1931年ソロ歌手として独立、ラジオの「ビング・クロスビー・ショー」で大人気を獲得した。マイクロフォンの特性を生かして滑らかに発声する歌唱法を確立して、新しいポピュラーソングに大きな影響を与えた。その後映画に進出した。「ホワイト・クリスマス」は1942年に発売され後のリメイク盤を含めて全世界で4500万枚を超える大ヒット、生涯のレコード売り上げ枚数は4億枚を越えた。この「フォスター歌曲集」は第2次世界大戦前にアメリカDECCAに録音されたもの。滑らかな歌唱がダイレクト・トランスファーで際だって聞こえる。
78CDR-3282
ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮
NBC交響楽団
仏 LA VOIX DE SON MAITRE DB8691/4 (米 VICTOR 15965/8と同一録音)
(1939年2月28日、3月1+29日ニューヨーク、NBC 8-H スタジオ録音)
アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)はイタリアのパルマ生まれ。最初チェロを学んだ。1886年南米への演奏旅行中に指揮者の代役をつとめ、それを機に指揮者に転向した。1898-1908年ミラノ・スカラ座音楽監督、1908-1915年ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場音楽監督、1926-1936年ニューヨーク・フィルハーモニー音楽監督を歴任した。1930-1931年バイロイト音楽祭出演、1934-1937年ザルツブルク音楽祭に出演した。1937年ムッソリーニの独裁政権に反対してアメリカに亡命、一旦引退を表明したが、NBC交響楽団が創立され復帰し、途中一年間の空白(1943年)があったが、1954年まで常任指揮者をつとめた。トスカニーニは1939年にNBC交響楽団を指揮したSP録音による「運命」。LP時代のトスカニーニには見られない覇気と白熱に満ちた圧倒的な演奏が聴かれる。
78CDR-3283
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調
レナード・バーンスタイン(ピアノと指揮)
フィルハーモニア管弦楽団
米 RCA VICTOR 18-0115/7
(1946年6月1日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
レナード・バーンスタイン(1918-1990)はアメリカ、マサチューセッツ州ローレンスに生まれた指揮者。ハーバード大学とカーティス音楽院で学んだ。指揮をフリッツ・ライナー(1888-1963)とセルゲイ・クーセヴィツキー(1874-1951)にピアノをイザベラ・ヴェンゲローヴァ(1877-1956)に師事した。1943年アルトゥール・ロジンスキー(1892-1958)の指名でニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の副指揮者に就任、1943年病気のブルーノ・ワルター(1876-1962)の代役として指揮者デビュー大評判をとった。この録音は1946年バーンスタイン27歳の時のもの。この大音楽家の初レコード録音であろう。得意のピアノと指揮である。米RCA
VICTORは主要アーティストの録音はほとんどロンドンのアビー・ロードに送り込んで録音するしきたりがあったが、バーンスタインもこの例にもれなかった。復刻にはRCA社がSPレコード時代に開発したビニール素材を使用した'RED
SEAL'DELUXE盤を使用した。LP並に雑音が少ないのが特長。 |