★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-3289〜3298

2011年1月新譜 5点 発売中★DSD録音

★今月は個性あふれる演奏家によるモーツァルトの室内楽をを5枚集めました。

78CDR-3294
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第34番変ロ長調 K.378(317d)
ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第5番イ長調作品1-14    
カール・フレッシュ(ヴァイオリン)
フェリックス・ダイク(ピアノ)
日 POLYDOR 90004/6(独Polydor 67179/80 & 67178 と同一録音)
(1936年2月26日=モーツァルト、2月25日=ヘンデル、パリ録音)
カール・フレッシュ(1873-1944)はハンガリー出身のヴァイオリニスト。ウィーンで学んだ後、パリ音楽院でマルタン・マルシック(1847-1924)に師事し、1894年に一等賞を得た。マルシックはジャック・ティボー(1880-1953)、ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)の師でもあった。フレッシュは演奏家とヴァイオリン教師として活躍、ブカレスト(1897-1902)、アムステルダム(1903-8)、フィラデルフィア(1924-28)、ベルリン高等音楽院(1929-34)で教えた。弟子にはイダ・ヘンデル、ジョセフ・ハッシド、シモン・ゴールドベルク、マックス・ロスタルらがいる。フレッシュは名声の高かったわりには録音が少なく、この2曲は彼の残した大曲の唯一のもので、59歳の時の録音だった。

78CDR-3295
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第36番変ホ長調 K.380(374f)
アルバート・スポールディング(ヴァイオリン)
アンドレ・ブノワ(ピアノ)
米 VICTOR 18156/7(Set M819)
(1940年5月1日ニューヨーク、RCA Victor 第2スタジオ録音)
アルバート・スポールディング(1888-1953)はシカゴ生まれのアメリカのヴァイオリニスト。パリとボローニャの音楽学校で学んだ後1906年にパリでデビュー。第1次世界大戦の1922年、パリ音楽院管弦楽団の初のアメリカ人独奏者に迎えられた。その1年後同音楽院のヴァイオリン科の卒業審査員に選ばれた。スポールディングはエジソンレコードに初期の円筒レコード時代から小品の録音を始め、縦振動のダイアモンドディスク、短命だったエジソンの電気録音レコードにも録音を残した。1930年代にはRCA VICTORの専属アーティストとなった。第2次世界大戦後のLP時代になってベートーヴェンとブラームスのヴァイオリン協奏曲をREMINGTONに録音、同レーベルにはエルネ・ドホナーニ(1877-1960)のピアノでブラームスのヴァイオリン・ソナタ3曲を残した。ピアノのアンドレ・ブノワ(1879-1953)はフランスのピアニスト。パリ音楽院でラウル・ピュニョ(1852-1914)とサン=サーンス(1835-1921)に師事した。名伴奏ピアニストとして多くの大物アーティストと共演した。

78CDR-3296
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第40番変ロ長調 K.454
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
エマヌエル・ベイ(ピアノ)
米 VICTOR 14328/30
(1936年2月10日ニューヨーク、RCA Victor スタジオ録音)
ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-87)はリトアニアのヴィルナ生まれ。サンクト
ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー教授に師事、10歳の春にデビューした。1916年16歳の時に革命を逃れ一家はアメリカに移住し、少年ハイフェッツは一流演奏家として待遇された。その後青年期、壮年期を経て引退するまで世界最高のヴァイオリン奏者として崇められた。この録音はハイフェッツが35歳の時のものである。ピアノのエマヌエル・ベイ(1891-1968)はロシア生まれ。ハイフェッツの伴奏ピアニストとして活躍した。ハイフェッツはこのシリーズでチャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3036)とメンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3114)、シベリウス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3179)が出ている。

78CDR-3297
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第24番ハ長調 K.296
ナタン・ミルスタイン(ヴァイオリン)
アルトゥール・バルサム(ピアノ)
米COLUMBIA 70628/9-D(Set X-MX-143)
(1939年4月5日ニューヨーク、コロンビア・スタジオ録音)
ナタン・ミルスタイン(1904-92)はロシアのオデッサの生まれ、11歳でサンクトペテルブルグ音楽院に入学、名ヴァイオリン教授レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。後にピアニストのウラディミル・ホロヴィッツと出会い一緒に演奏旅行を行ったこともある。1929年にアメリカ・デビュー、1942年にアメリカ市民権を得た。アメリカ移住後のSP時代、米COLUMBIAの若手アーティストとして多くの録音をしている。ピアノのアルトゥール・バルサム(1906-94)はポーランド生まれのピアニスト。ベルリン高等音楽院に学び、1930年にメンデルスゾーン賞を得た。1932年にヴァイオリンのユーディ・メニューイン(1916-99)のアメリカ・ツアーに同行した。ナチスの台頭でアメリカに移住し、ソロ、室内楽に活躍した他、イーストマン音楽学校、ボストン大学、マンハッタン音楽院で教鞭をとった。ミルスタインは本シリーズではJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番(78CDR-3078)とラロ:スペイン交響曲(78CDR-3132)が出ている。

78CDR-3298
モーツァルト:弦楽四重奏曲第21番ニ長調 K.575「プロシャ王第1番」
コーリシュ弦楽四重奏団
ルドルフ・コーリッシュ(第1ヴァイオリン)
フェリックス・クーナー(第2ヴァイオリン)
オイゲン・レーナー(ヴィオラ)
ベルナール・ハイフェッツ(チェロ)
英 COLUMBIA LX337/8
(1934年6月25日ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音)
コーリッシュ弦楽四重奏団は新ウィーン楽派の弦楽四重奏曲を演奏する目的でルドルフ・コーリッシュ(1896-1978)によって1921に結成された。結成当初は作曲家シェーンベルクの指導の下でウィーン弦楽四重奏団と名乗っていたが、後にコーリッシュ弦楽四重奏団に改称し、現代音楽だけではなく古典レパートリーの演奏にも取り組んだ。コーリッシュは子供の頃左手に怪我をしたため、右手でヴァイオリンを持ち、左手に弓を持って弾いた。このシリーズで他にモーツァルト:弦楽四重奏曲第22番 K.589「プロシャ王第2番」(78CDR-3197)、シューマン:ピアノ四重奏曲作品47(78CDR-3242)、モーツァルト:音楽の冗談 K.522(78CDR-3250)が出ている。
2010年12月新譜 5点 発売中★DSD録音

78CDR-3289
ヴィヴァルディ(モリナーリ編):協奏曲「四季」作品8-1-4
ベルナルディーノ・モリナーリ指揮
ローマ・サンタ・チェチーリア音楽院管弦楽団
米 Cetra-Soria BB2043/8(Set No.107)
(伊 Parlophone BB 25067/72と同一録音)
(1941年11月-12月録音)
ヴィヴァルディの「四季」の世界初レコード。ベルナルディーノ・モリナーリはローマ生まれのイタリアの指揮者。サンタ・チェチーリア音楽院で指揮を学び1912年にローマ・アウグステオ管弦楽団(後にサンタ・チェチーリア音楽院管弦楽団と改名)の音楽監督に就任し、第2次世界大戦終了時までその地位にあった。モリナーリはヨーロッパやアメリカの主要オーケストラに多く客演した。彼は他のイタリアの指揮者とは異なり管弦楽曲の指揮を好み、オペラの指揮はめったにしなかったという。レスピーギの交響詩「ローマの松」の初演(1924)の指揮をした。この「四季」の編曲は1927年に出版された。1928年1月にモリナーリの指揮でアメリカ初演がセントルイス交響楽団で行われた。同年2月にはアルトゥーロ・トスカニーニがニューヨーク・フルハーモニーで「春」を指揮した。これは第2次世界大戦中の録音でイタリア以外では知られていなっかたため、「四季」の初録音はルイス・カウフマン(1905-94)のヴァイオリンによるコンサートホール盤(1948年録音)とされていたが、こちらが7年も早く録音されていた。

78CDR-3290
モーツァルト:フルート協奏曲第1番ト長調 K.313
(カデンツァ:タファネル)
モーツァルト:フルート協奏曲第2番ニ長調 K.314
(カデンツァ: ド・ドンジョン)
マルセル・モイーズ(フルート)
ウジェーヌ・ビゴー指揮(第1番)
ピエロ・コッポラ指揮(第2番)
管弦楽団
米 Victor 12853/5 (第1番)& 12477/8 (第2番)
(仏Gramophone L1021/3 & L.835/6と同一録音)
(1936年2月17日=第1番 & 1930年3月28日=第2番パリ録音)
フルートのマルセル・モイーズ(1889-1984)はパリ音楽院でポール・タファネル(1844-1908)、フィリップ・ゴーベール(1879-1941)に師事し1905年に一等賞を得た。1932年から49年まで母校パリ音楽院の教授をつとめた。指揮者のウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)はパリ音楽院出身。シャンゼリゼ劇場の指揮者を経てパリ音楽院管弦楽団、フランス放送管弦楽団、ラムルー管弦楽団、オペラ・コミックの指揮者を歴任。母校の指揮科の教授もつとめた。ピエロ・コッポラ(188-1977)はミラノ生まれ、フランスで活躍した。SPレコードの録音も多い。

78CDR-3291
モーツァルト:ホルン協奏曲第4番変ホ長調 K.495
モーツァルト:ホルン協奏曲第2番変ホ長調 K.417
デニス・ブレイン(ホルン)
サー・マルコム・サージェント指揮(第4番第1楽章)
ローレンス・ターナー指揮(第4番第2 & 3楽章)
ワルター・ジュスキンド指揮(第2番)
ハレ管弦楽団(第4番)
フィルハーモニア管弦楽団(第2番)
英 Columbia DX1123/4(第4番)& DX1365/6( 第2番)
(1943年6月21日録音=第4番、1947年5月21日=第2番)
デニス・ブレイン(1921-1957)は夭折した伝説的なイギリスのホルン奏者。父親のオーブリー・ブレイン(1893-1955)の指導を受けた。デニス・ブレインは1957年9月1日、エディンバラからロンドンに戻る途中、自身の運転するスポーツカー(トライアンフTR2)の事故で命を落とした。享年36歳。この録音は1953年にカラヤン指揮で録音したモーツァルト:ホルン協奏曲集(4曲)以前の、若いブレインが聴ける貴重な遺産。第2番が26歳、第4番が22歳の時の録音である。ワルター・ジュスキンド(1913-80)はプラハ生まれのイギリスの指揮者。マルコム・サージェント(1895-1967)はイギリスの名指揮者。二人ともレコード録音が多い。

78CDR-3292
ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第5番ニ長調作品102-2
ピエール・フルニエ(チェロ)
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
英HIS MASTER'S VOICE DB9438/40
(1948年6月21日ロンドン、アビー・ロードEMI 第3スタジオ録音))
ピエール・フルニエ(1906-1986)はパリ生まれのチェリスト。最初ピアノを学んだが9歳のとき小児麻痺による右足障害のためチェロに転向した。1923年パリ音楽院で一等賞を得て楽壇にデビュー、ヴァイオリンのガブリエル・ブイヨン、ピアノのヴラド・ペルルミュテールとのトリオで注目された。1937年エコール・ノルマル教授、1941年から1949年までパリ音楽院教授をつとめた。1942年にヴァイオリンのシゲティ、ピアノのシュナーベルとのピアノ・トリオ、ヴィオラのプリムローズを加えて四重奏で活動、さらに1945年にはカザルスの抜けたカザルス・トリオに加わりヴァイオリンのティボー、ピアノのコルトーと演奏活動をした。1954年に初来日。その後何度も日本を訪れた。ピアノのシュナーベル(1882-1951)はオーストリアの大ピアニスト。ウィーンで高名なレシェティツキーに師事した。この顔合わせによるベートーヴェン: チェロ・ソナタ第3番(78CDR-3171)第4番(78CDR-3232)がこのシリーズで出ている。

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ラヴェル:弦楽四重奏曲ヘ長調
カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エヴィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミーユ・ドローベル(チェロ)
英COLUMBIA D15057/60
(1928年6月15&19日パリ録音)
「人類の遺産」の一つに数えられるカペー弦楽四重奏団が1928年にフランス・コロンビアに録音した一曲である。リーダーのリュシアン・カペー(1873-1928)は医師の誤診による腹膜炎で1928年12月18日に急逝した。享年55歳。カペーは1893年パリ音楽院で一等賞を得て, その年に弦楽四重奏団を組織した。1920年頃から毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏会をパリで開催していた。カペーは1928年6月10日から10月15日にかけてフランス・コロンビアに51枚の録音をした。まるで自らの死を予期したようなハイペースの録音だった。このシリーズでカペーはフランク:ピアノ五重奏曲(ピアノ=シャンピ)(78CDR-3034)、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第5番(78CDR-3042)、シューマン:弦楽四重奏曲第1番(78CDR-3056)、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第7番「ラズモフスキー第1番」(78CDR-3277)、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番(78CDR-3082)、ドビュッシー:弦楽四重奏曲(78CDR-3168)、ハイドン:弦楽四重奏曲「ひばり」(78CDR-3194、シューベルト:弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」(78CDR-3270)が出ている。