★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-3349〜3358

2012年1月新譜 5点 発売中★DSD録音

LP復刻の33CDRシリーズが加わりました。従来の78CDR-部分が33CDR-に変わり、番号の部分は3000番台を通し番号で使用いたします。

33CDR-3354
メンデルスゾーン:交響曲第3番イ短調作品56「スコットランド」
ルドルフ・ケンペ指揮
ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
チェコ SUPRAPHON LPV 213(MONO)
(録音:1952年7月15日)
ルドルフ・ケンペ(1910-1976)はドレスデン生まれ、オーボエを学んだ。1929年にライプツィヒ・ゲヴァントハウスのオーボエ奏者となり、当時ブルーノ・ワルター(1876-1962)が首席指揮者、シャルル・ミュンシュ(1891-1966)がコンサートマスターをつとめていた。1950年にドレスデン国立歌劇場の音楽監督に就任した。この録音はチェコ・スプラフォンの録音でドレスデン時代のケンペの指揮を貴重な録音。録音の古さを吹き飛ばす圧倒的な感激をもたらす快演。近年再評価の高いこの指揮者の原点を是非聴いていただきたい。

33CDR-3355
ベートーヴェン:
交響曲第2番ニ長調作品36
交響曲第4番変ロ長調作品60
ブルーノ・ワルター指揮
コロンビア交響楽団
米 COLUMBIA MS-6078 (第2番), MS-6055(第4番)
(録音:1959年1月5&9日=第2番, 1958年2月8&10日ハリウッド, アメリカン・リージョン・オーディトリアム)
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、その後指揮者に転向した。1894年ケルン市立歌劇場でデビュー、1896年ハンブルク歌劇場へ移った。そこで音楽監督だったグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。以後ワルターはウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカに逃れた。この録音はステレオ・レコードが開発されたのを期に、既に引退していた巨匠ワルターを起用して録音されたもの。復刻はLPレコードの持つ音を、ありのままに引き出すことを意図した。

78CDR-3356
フォーレ:レクイエム作品48
マルノリ=マルセイヤック(ソプラノ)
ルイ・マルテュリエ(バス)
ギュスタヴ・ブレ指揮
パリ・バッハ協会合唱団と管弦楽団
アレックス・セイエ(オルガン)
仏 LA VOIX DE SON MAITRE W 1154/8
(1929年3月パリ録音)
この曲の世界初録音。初CD化。指揮者のギュスタヴ・ブレ(1875-1969)は作曲をウィドール(1844-1937)に学び、オラトリオを残している。また "プレス" 紙に批評を書いていた。ドビュッシーのペレアスとメリザンドに糾弾の炎が上がった時この作品擁護側に立った。1904年にバッハ協会を設立した。セヴェラック(1873-1921)やフォーレ(1845-1924)との親交があった。アレックス・セイエ(1883-1968)は1910年から1969年までパリ・エトワール寺院のオルガン奏者をつとめた。この演奏は作曲者フォーレと同時代の息を吸った音楽家の時代証言とも言えるもので、原盤のノイズなどの悪条件を越えた音楽は、後世の演奏の規範になると考え復刻した。現代演奏にはない不思議な感動がある。このシリーズではリヨンのサン=ジャン大聖堂で1938年に録音されたエルネスト・ブールモーク指揮の同曲(78CDR-3304)も出ている。

78CDR-3357
ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」
レオポルド・ストコフスキー指揮
交響楽団
ミッチェル・ミラー(イングリシュ・ホルン)(第2楽章)
米 VICTOR 18-0194/8(Set DV 25)
(1947年12月19&21日録音)
RCA VICTORのビニールプレスの78回転SP盤復刻。指揮者のレオポルド・ストコフスキー(1882-1977)はロンドン生まれ。最初教会のオルガニストだったが指揮者になり1912年フィラデルフィア管弦楽団の指揮者に就任し1940年までその地位にあった。その後数多くのオーケストラを指揮し、1965年に来日したこともある。ストコフスキーはレコード録音に積極的で、機械式録音時代の1917年にハンガリー舞曲第5番&第6番をヴィクターに初録音。1925年には電気録音による初のオーケストラ録音をした。また1932年にはベル研究所では世界初のステレオ録音の実験に参加した。この録音は第2次世界大戦後、自ら優秀なミュージシャンを集めて組織した特別オーケストラ(ストコフスキーと彼の交響楽団)によっての録音。第2楽章のイングリッシュ・ホルンはイーストマン音楽学校出身のミッチェル・ミラー(1911-2010)が起用されている。ミラーはミッチ・ミラーの名でクシックの木管奏者から、レコード会社のプロデユーサー/アーティストとして、戦後のアメリカポップス界で大活躍した人物。

78CDR-3358
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
ダヴィッド・オイストラフ(ヴァイオリン)
アレクサンドル・ガウク指揮
ソヴィエト国立放送管弦楽団
ソ連 MK D-01930/41
(1950年録音)
ソ連製SPレコードからの復刻。ダヴィッド・オイストラフ(1908-1974)はオデッサに生まれた大ヴァイオリニスト。1937年ブリュッセルのエリーザベト王妃音楽コンクールに優勝した。モスクワ音楽院で後進の指導をしていたが、ソビエトの第2次世界大戦参戦で慰問演奏を行った。その後の活躍はめざましく、20世紀後半に活躍した世界屈指のヴァイオリン奏者であった。オイストラフはベートーヴェンの協奏曲を3回録音しているが、これは第1回目の録音。鉄のカーテンの奥に閉ざされた時代のもので、SP録音ながらソ連の録音技術の高さを感じさせるもの。LP初期にアメリカのマイナーレーベル数社から同一演奏が発売されたことがあったが、このオリジナルSP盤の演奏は別物のように聴こえる。アレクサンドル・ガウク(1893-1963)は指揮者で作曲家、ソ連の音楽界を支えた人物であった。
2011年12月新譜 5点 発売中★DSD録音

LP復刻の33CDRシリーズが加わりました。従来の78CDR-部分が33CDR-に変わり、番号の部分は3000番台を通し番号で使用いたします。

33CDR-3349
ベートーヴェン:
交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
交響曲第1番ハ長調作品21
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団
米 COLUMBIA MS-6036 (第3番), MS-6071(第1番)
(録音: 1958年1月20, 23, 25日=第3番、1959年1月5, 6, 8, 9日
ハリウッド, アメリカン・リージョン・オーディトリアム)
1959 No.1 American Legion Auditorium, Hollywood)
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、その後指揮者に転向した。1894年ケルン市立歌劇場でデビュー、1896年ハンブルク歌劇場へ移った。そこで音楽監督だったグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。以後ワルターはウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカに逃れた。この録音はステレオ・レコードが開発されたのを期に、既に引退していた巨匠ワルターを起用して録音されたもの。復刻はLPレコードの持つ音を、ありのままに引き出すことを意図した。

33CDR-3350
リスト:
クリスマス・ツリー
1. 古いクリスマスの歌
2. おお聖なる夜
3. 飼い葉桶のそばの羊飼いたち
4. 誠実な人びとよ来れ(東方の三人の博士聖者の行進)
5. スケルツォーソ(クリスマス・ツリーに点火する時)
6. グロッケンシュピール
7. 子守歌
8. 古いプロヴァンスのクリスマスの歌
9. 夕べの鐘
10.昔むかし
11.ハンガリー風
12.ポーランド風
アルフレッド・ブレンデル(ピアノ)
米 SOCIETY OF PARTICIPATING ARTISTS SPA-26(Mono)
(1952年春頃録音)
このピアノ組曲はリストが孫娘のダニエラのために作曲した。ダニエラはコジマとハンス・フォン・ビューローの娘で作曲年代は1874-6年頃とされている。この組曲の中に聴いたことのあるクリスマスキャロルが数曲あって心が和む。他の曲はリストのオリジナル作品。アルフレッド・ブレンデル(1931-)は北モラヴィアのヴィーゼンベルク生まれ、オーストリアのグラーツ音楽院で学んだ。1949年ブゾーニ国際コンクールで入賞後、ウィーン・デビュー。その後エトヴィン・フッシャーのマスタークラスを受講し多大な影響を受けた。この録音はブレンデルが20代の半ばにアメリカのSPAレコードに録音したもので、ほとんど知られていないもの。ここに既にブレンデルの音楽が聴ける貴重なアルバム。SPAにはもう一枚R.シュトラウスの5つの小品とピアノ・ソナタ(SPA-26)があり、33CDR-3337で出ている。

78CDR-3351
ベルリオーズ:幻想交響曲作品14
シャルル・ミュンシュ指揮
フランス国立放送管弦楽団
仏 COLUMBIA LFX 880/85
(1949年9月9日パリ、シャンゼリゼ劇場録音)
1950年フランス・ディスク大賞受賞レコード。指揮者のシャルル・ミュンシュ(1891-1968)はストラスブール生まれ。パリ音楽院でリュシアン・カペー(1873-1928)にヴァイオリンを学んだ。1928-32年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のソロ第一ヴァイオリン奏者をつとめ、ブルーノ・ワルター(1876-1962)やヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)のもとで演奏し、指揮法も身につけた、1938年-45年にパリ音楽院管弦楽団の指揮者をつとめ、1939年には同音楽院の指揮科の教授に任命された。1949年にボストン交響楽団の正指揮者となり1962年までつとめた。これはボストンに出向く直前にパリで録音された貴重なSPレコード。数種類あるミュンシュの「幻想交響曲」の最初の録音。

78CDR-3352
シューマン:ピアノ協奏曲イ短調作品54
イヴ・ナット(ピアノ)
ウジェーヌ・ビゴー指揮管弦楽団
仏 COLUMBIA LFX 320/23
(1933年4月25-26日パリ録音)
1933年フランス・ディスク大賞受賞レコード。イヴ・ナット(1890-1956)はフランスノピアニスト。1907年パリ音楽院のルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスで一等賞を得てデビュー、1910年代からアメリカ、ヨーロッパ、ロシアとコンサート・ピアニストとして活躍した。演奏家として絶頂期の1934年にパリ音楽院の教授に任命され、生涯その地位にあった。このシューマンはナットが音院教授に就任の前年のもの。ナットは1929年にリストのハンガリー狂詩曲第2番が初レコード録音だったが、これは2番目レコード録音。ナットの門下生にはユーリ・ブコフ、イエルク・デムス、ジャクリーヌ・エマール、レーヌ・ジャノリ、ジュヌヴィエヴ・ジョワ、ジャック・ルーシェ、ジャン・ヌヴー、ロベール・ヴェイロン=ラクロワなどがいる。ウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)は華麗な経歴を持つフランスの指揮者。SPレコード時代に数多くの録音がある。

78CDR-3353
シューベルト:
ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第3番ト短調作品137-3 D408
ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第1番ト短調作品137-1 D384
ロンド
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
タッソ・ヤノプロ(ピアノ)
仏 DISQUE GRAMOPHONE DB11103/4
(1944年5月28日パリ、ペルーズ・スタジオ録音)
第2次世界大戦下のパリでの録音。ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀前半に活躍したフランスの大ヴァイオリニスト。ボルドー出身で1893年からパリ音楽院のマルタン・マルシック(1848-1924)に師事し、1896年16歳で一等賞を得た。生活のためにカフェのコンセール・ルージュで弾いていたところを指揮者のエドゥアール・コロンヌ(1836-1910)に見いだされ楽員に採用された。そのとき、ティボーの親友で後にパリ音楽院の教授になったジュール・ブーシュリ(1877-1962)もコロンヌの楽員になった。1905年にピアノのアルフレッド・コルトー(1877-1962)、チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とトリオを結成し1930年頃まで活動した。ティボーは1923年と1936年に来日、1953年の3度目の来日時、乗っていたエール・フランス機がアルプスの支峰スメ山に激突し死亡した。享年72歳。この録音と同日に録音されたラヴェルとフォーレの小品2曲は78CDR-3149で出ている。