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★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-1137〜1146

第11回以降 発売分 2008年8月新譜 5点 ※8月下旬発売予定

78CDR-1142前奏曲ハ長調 フーガハ長調
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第1巻(その1)
「前奏曲とフーガ」第1番-第12番 BWV846-BWV857
エトヴィン・フィッシャー (ピアノ)
英 HIS MASTER'S VOICE 2079/85
(1933年4月25日,4月28日,9月12日,9月13日 アビー・ロード第3スタジオ録音)
ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのバーゼル生まれ、ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼに師事した。1933年から1936年の4年をかけて録音されたこの「平均律クラヴィーア曲集」は "バッハ協会盤" として7枚組アルバム全5巻として予約販売されたもの。これはその第1巻にあたり、「前奏曲とフーガ」第1番-第12番が収録されている。HMV盤特有の大きな雑音があるが、耳を澄ますと聞こえてくるピアノの暖かい演奏は復刻盤では味わえないものがある。

78CDR-1143
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第1巻(その2)
「前奏曲とフーガ」第13番-第24番 BWV858-BWV869
エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)
英 HIS MASTER'S VOICE 2092/98
(1933年4月26日,4月28日,1934年5月23日,5月24日,8月27日
アビー・ロード第3スタジオ録音)
ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのバーゼル生まれ、ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼに師事した。1933年から1936年の4年をかけて録音されたこの「平均律クラヴィーア曲集」は "バッハ協会盤" として7枚組アルバム全5巻として予約販売されたもの。これはその第2巻にあたる。「前奏曲とフーガ」第13番-第24番が収録されている。
               
78CDR-1144
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第2巻(その1)
「前奏曲とフーガ」第25番-第34番 BWV870-BWV889
エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)
英 HIS MASTER'S VOICE 2532/38
(1935年2月13日,6月3日,6月4日,6月5日,6月7日,
アビー・ロード第3スタジオ録音)
ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのバーゼル生まれ、ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼに師事した。1933年から1936年の4年をかけて録音されたこの「平均律クラヴィーア曲集」は "バッハ協会盤" として7枚組アルバム全5巻として予約販売されたもの。これはその第3巻にあたる。「前奏曲とフーガ」第25番-第34番が収録されている。
               
78CDR-1145
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第2巻(その2)
「前奏曲とフーガ」第35番-第43番 BWV880-BWV888
エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)
英 HIS MASTER'S VOICE 2944/50
(1936年6月3日,6月4日,6月5日,アビー・ロード第3スタジオ録音)
ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのバーゼル生まれ、ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼに師事した。1933年から1936年の4年をかけて録音されたこの「平均律クラヴィーア曲集」は "バッハ協会盤" として7枚組アルバム全5巻として予約販売されたもの。これはその第4巻にあたる。「前奏曲とフーガ」第35番-第43番が収録されている。
          
78CDR-1146
J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第2巻(その3)
「前奏曲とフーガ」第44番-第48番 BWV889-BWV893
J.S.バッハ:イギリス組曲第2番イ短調 BWV807
エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)(平均律)
ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)(イギリス組曲)
英 HIS MASTER'S VOICE 8276/81
(1936年6月4日,6月5日,6月6日, アビー・ロード第3スタジオ、
1936年9月23日 パリ, アルベール・スタジオ録音)
ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのバーゼル生まれ、ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼに師事した。1933年から1936年の4年をかけて録音されたこの「平均律クラヴィーア曲集」は "バッハ協会盤" としてアルバム全5巻として予約販売されたもの。これはその最終巻にあたり「前奏曲とフーガ」第35番-第43番が収録されている。付録のイギリス組曲第2番がワンダ・ランドフスカ(1879-1959)のハープシコードで収録されている。ランドフスカはSP時代に「ゴルトベルク変奏曲」他のバッハの作品を録音し、後年LP時代になって「平均律」も録音した。
第11回以降 発売分 2008年7月新譜 5点

78CDR-1137
エルガー:チェロ協奏曲ホ短調作品85
パブロ・カザルス (チェロ)
サー・エイドリアン・ボールト指揮BBC交響楽団
英 HIS MASTER'S VOICE DB6338/DBS6341
(1945年10月14日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
サー・エドワード・エルガー (1857-1934)はイギリスの作曲家・指揮者。チェロ協奏曲ホ短調は1919年の作品。パブロ・カザルス(1876-1973)は20世紀最大チェリスト。1939年母国スペイン内戦でフランスに亡命、スペインのフランコ政権を認める国では演奏しない宣言を行いスペインとの国境に近いプラドで隠棲していた。1945年6月から演奏活動を再開、同年10月にアビー・ロードで6年ぶりの録音をしたのが、このエルガー。だが各国政府がフランコ政権を容認したことで、11月より演奏活動を再び停止。それは5年後の1950年にプラド音楽祭が開かれるまで続いた。指揮者のボールト(1889-1983)はニキシュの影響を受けたイギリスの指揮者。1930年BBC交響楽団設立時の初代首席指揮者だった。


78CDR-1138
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
(カデンツァ: ヨアヒム)
ヨーゼフ・シゲティ (ヴァイオリン)
ブルーノ・ワルター指揮ブリティッュ交響楽団
英 COLUMBIA LX174/8
(1932年4月18日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリーのブダペスト生まれ。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1905年ベルリンでデビュー、大ヴァイオリニスト、ヨアヒム(1831-1907)に認められた。1917年から24年スイスのジュネーヴ音楽院で教え、1940年にアメリカに移住。シゲティは1931年の初来日以後何度も日本を訪れ、SP時代の日本録音も数多い。これはシゲティ40歳の初めてのベートーヴェンの協奏曲録音。英 COLUMBIA のアラン・ブラムラインが開発したMC型録音機による最初の録音。シゲティは後年ニューヨークでもブルーノ・ワルター(1876-1962)と再録音した。

78CDR-1139
ラロ:スペイン交響曲作品21
ローラ・ボベスコ (ヴァイオリン)
ウジェーヌ・ビゴー指揮コンセール・ラムルー管弦楽団
仏 COLUMBIA LFX610/13
(1942年7月23日パリ、アルベール・スタジオ録音)
ローラ・ボベスコ (1921-2003)はルーマニアのブカレスト生まれ。パリ音楽院でジュール・ブーシュリ(1878-1962)に師事し1934年13歳で一等賞を得た。同年ポール・パレー指揮コロンヌ管弦楽団でデビューした。1937年ブリュッセルのイザイ国際コンクールで入賞。以後ソリストとして活躍、ブリュッセル音楽院の教授もつとめた。1970年-80年代には日本を数回訪問し録音も多い。これはボベスコ21歳の時の初録音。第2次世界大戦下のパリで録音された。ここでは通常カットされる第3楽章インテルメッツォが演奏されている。指揮者のウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)はフランスの名指揮者。SP時代に多くの録音を残していた。

78CDR-1140
(試聴はフォーレです)
ヴィヴァルディ=ダンドゥロー編:
ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品3-9 「調和の幻想」より
フォーレ: 子守歌作品16
ドゥニーズ・ソリアーノ (ヴァイオリン)
シャルル・ミュンシュ指揮管弦楽団
仏 PATHE PAT154/5
(1939年9月5日パリ録音)
ヴァイオリンのドゥニーズ・ソリアーノ(1916-2006)はカイロ生まれのフランスの女流ヴァイオリニスト。パリ音楽院でジュール・ブーシュリ(1878-1962)に師事し、1932年16歳で一等賞を得た。ソリアーノはソロ演奏活動の傍らブーシュリ教授の片腕として後進の指導にあたり、後に結婚してブーシュリ夫人となった。指揮のシャルル・ミュンシュ(1891-1968)はストラスブール生まれのフランスの名指揮者、録音当時パリ音楽院の指揮科の教授だった。ミュンシュは1949年から1962年までボストン交響楽団の首席指揮者をつとめた。

78CDR-1141
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
(カデンツァ:ヨアヒム)
オシー・ルナルディ (ヴァイオリン)
シャルル・ミュンシュ指揮
アムステルダム・コセルトヘボウ管弦楽団
英 DECCA AK2055/59
(1948年9月13-14日アムステルダム、コンセルトヘボウ大ホール録音)
オシー・レナルディ(1920-1953)はウィーン生まれのヴァイオリニスト。11歳で演奏旅行をするほどの技量を持っていた。13歳でウィーンに戻り正式にデビュー。1937年にアメリカに渡り、大戦前夜を過ごした。1941年米国陸軍に入隊、2年後に除隊しステージに現れた。レナルディが最も評判をとったのはカーネギーホールの演奏会でプログラム後半に弾いたパガニーニの12の奇想曲だった。このデッカ録音は1948年9月にアムステルダムで行われたレナルディ28歳の時のもの。LP初期にも発売されたがトランスファーが悪くこの演奏を十全に伝えていなかった。指揮はシャルル・ミュンシュ(1891-1968)であることもこの演奏に大きな意味を持つ。レナルディは1953年自動車事故で33歳で世を去った。デッカ社のヴィクター・オロフ(プロデユーサー)、ケネス・ウィルキンソン(レコーディィング・エンジニア)によるFFRR録音。