第11回以降 発売分 2008年11月新譜 5点 11月下旬以降発売予定
78CDR-1164
ラヴェル:ボレロ
シャルル・ミュンシュ指揮
パリ音楽院管弦楽団
英 DECCA K1637/8
(1946年10月10日ロンドン、ウォルサムストウ・アセンブリー・ホール録音)指揮者のシャルル・ミュンシュ(1891-1968)はストラスブール生まれ。生家は音楽一家でアルバート・シュヴァイツァー(1875-1965)の甥でもあった。生地の音楽院でオルガンを学んだ後、パリに出てリュシアン・カペー(1873-1928)についてヴァイオリンを学び、後にベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)に師事した。1926年からライプツィヒの音楽院の教授に就任、1925年から32年にはゲヴァントハウス管弦楽団のソロ第一ヴァイオリン奏者もつとめ、ブルーノ・ワルター(1876-1962)やヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)の指揮のもとで演奏し、指揮法も身につけた。その後パリに戻り1935年から38年にはパリ・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者としてパリ・デビュー、1936年にはエコル・ノルマルのヴァイオリン科教授に任命された。1937年にはベルリンの国際現代音楽協会に招かれ、1938年から45年にパリ音楽院管弦楽団指揮者に迎えられた。1939年には同音楽院の指揮科の教授に任命され、同年セントルイス交響楽団を指揮してアメリカ・デビューした。1949年にニューヨーク・フィルとさらにボストン交響楽団と全米ツアーをし、クーセヴィツキー(1874-1951)を継いでボストン交響楽団の正指揮者になり1962年までつとめた。この録音は1946年パリ音楽院管弦楽団との英国公演中の録音で、英デッカ社への初録音。英デッカのFFRR録音が本格的に胎動しはじめた頃の素晴らしい録音で音楽院の名手たちのこぼれるばかりの名演がみごとにとらえられている。
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ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58
クララ・ハスキル(ピアノ)
カルロ・ゼッキ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
英 DECCA AK1944/7
(1947年7月7日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
ピアニストのクララ・ハスキル(1895-1960)はルーマニアのブカレスト生まれ。1901年、6歳でブカレスト音楽院に入った。ルーマニア女王エリザベスの奨学金を得て1902ウィーンでリヒャルト・ロベルトの下でピアノを学んだ。同じころウィーンには神童ジョージ・セル(1897-1970)が居た。ハスキルはピアノと一緒にヴァイオリンも学んだ。1905年にパリの赴きフォーレに出会った。1907年のパリ音楽院に入り、最初にコルトー(1877-1962)のクラスで学び、その後ラザール・レヴィ(1882-1964)に師事した。1909年のジャック・ティボーが主宰した
"若い音楽家のためのコンクール" のヴァイオリン部門で一等賞を得た。一方音楽院ではピアノ部門ではアリーヌ・ファン・バレツェン(1897-1981)とユーラ・ギュレ(1895-1981)に次いで二等賞にとどまった。だが1910年には一等賞を得た。1912年にブゾーニ(1886-1924)やパデレフスキ(1860-1941)に出会い影響をうけた。1934年に初レコード(仏ポリドール)を吹き込んだ。指揮者のカルロ・ゼッキ(1903-1984)はローマ生まれのイタリアの指揮者。最初はピアニストだったが後に指揮者に転向した。この録音はハスキルの英デッカへの初録音。同時期にシューマン:
森の情景も同レーベルに録音している。FFRR録音。
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サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調作品61
アンリ・メルケル(ヴァイオリン)
ピエロ・コッポラ指揮パドゥルー管弦楽団
仏 DISQUE "GARAMOPHONE" L1000/2
(1935年4月12日 & 6月25日パリ録音)
ヴァイオリンのアンリ・メルケル(1897-1969)は1914年にパリ音楽院ヴァイオリン科の一等賞を得た。パリ・オペラの管弦楽団、コンセール・ラムルー管弦楽団のつとめた後、1929年からパリ音楽院管弦楽団のコンサート・マスターになり、その後ソリストとして活躍、一方オペラ座管弦楽団のソロ・ヴァイオリンもつとめた。指揮者のピエロ・コッポラ(1887-1977)はミラノ生まれ。フランスのDISQUE
GRAMOPHONE 社の協奏曲に多く登場した。この録音はメルケルの協奏曲デビューだったラロ:スペイン交響曲につづくもの。メルケルはこのシリーズでベートーヴェン:
ヴァイオリン協奏曲(78CDR-1020)、ラロ: スペイン交響曲(78CDR-1107)が出ている。
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フォーレ:ピアノ四重奏曲第1番ハ短調作品15
シャイエ=リシェ四重奏団
セレニー=シャイエ・リシェ(ピアノ)
マリー・テレーズ・イボ(ヴァイオリン)
マリー・テレーズ・シャイエ(ヴィオラ)
ジャクリーヌ・アイオーム(チェロ)
仏 COLUMBIA LFX647/40
(1941年10月23日 & 1942年4月24日パリ録音)
セレニー・シャイエ=リシェ(1884-1973)はフランスのリール生まれのピアニスト。14歳(1898年)でパリ音楽院の一等賞を得た。1908年にヴァイオリニストのマルセル・シャイエと結婚。マルセル・シャイエはパリ音楽院のジュール・ブーシュリ(1872-1962)教授や名奏者ジャック・ティボー(1880-1953)と盟友だったが、1936年に惜しくも世を去った。セレニー・シャイエ=リシェは1926年ヴァイオリンのジョルジュ・エネスコ(1881-1955)に出会い、1932年から1952年の間にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲やJ.S.バッハのヴァイオリン・ソナタ全曲の演奏会を開いた。シャイエ=リシェはまた女性メンバーのピアノ五重奏団を組織して話題を呼んだ。この録音はそのメンバーによるもので第2次大戦下のパリで録音された。マルグリット・ロンとジャック・ティボーによるフォーレ:
ピアノ四重奏曲第2番(78CDR-1152)と対をなす名録音である。
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ドビュッシー:弦楽四重奏曲ト短調作品10
カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エウィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミユ・ドゥロベール(チェロ)
日本COLUMBIA J7992/5(仏 COLUMBIA D15085/8と同一録音)
(1928年6月パリ録音)
史上最高の弦楽四重奏団だったカペー弦楽四重奏団のリーダー、リュシアン・カペー(1873-1928)は医師の誤診による腹膜炎で1928年12月18日に急逝した。享年55歳。カペーはパリ音楽院でJ.-P.
モーラン(1822-1894)に師事し1893年に一等賞を得て、その年に弦楽四重奏団を組織した。録音時のメンバーは1918年からのもの。1920年頃から毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の連続演奏会をパリで開催していた。カペーは1928年4月にフランス・コロンビアに録音を始めた。そしてその年の10月までの6ヶ月間に弦楽四重奏曲11曲とピアノ五重奏曲1曲の録音をした。SP盤10インチが7枚、12インチが44枚である。まるでカペーが自らの死を予期したようなハイペースの録音だった。80年前の録音ながら、この稀有四重奏団の音色がダイレクト・トランスファーで見事にとらえられている。 |