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★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-1169〜1178

第11回以降 発売分 2009年1月新譜 5点 1月下旬以降発売予定

78CDR-1174
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
(カデンツァ:ヨアヒム)
ジョコンダ・デ・ヴィトー(ヴァイオリン)
パウル・ファン・ケンペン指揮
ベルリン・ドイツ・オペラ劇場管弦楽団
独 GRAMMOPHON 68308/12
(1941年ベルリン録音)
ジョコンダ・デ・ヴィトー(1907-94)はイタリアの女流ヴァイオリニスト。この録音はデ・ヴィトーのレコードデビュー。1941年第2次世界大戦下のベルリンでポリドール・レーベルに行われた。この時デ・ヴィトーは34歳だった。初々しく、輝かしいヴァイオリンは戦後のEMIへの再録音とはかなり異なる。指揮者のパウル・ファン・ケンペン(1893-1955)はオランダの指揮者。17歳でアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団にヴァイオリニストとして入団。1916年以降ドイツで活躍。1932年にオーバーハウゼンで指揮者としてデビュー。1934年から1942年の8年間ドレスデン・フィルハーモニーの首席指揮者を務めた。戦後はオランダに戻ったが第2次大戦中ナチ政権下のドイツで活躍したことで1949年まで指揮活動が制限された。1949年からオランダのヒルファーサムの放送管弦楽団を指揮している。録音はSP期にはドレスデン・フィル、LPになってベルリン・フィルやアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団がある。1955年、62歳で他界した。なお第10面は原盤不良によるダビングで他の面に較べて音質が劣る。

78CDR-1175
ラロ:チェロ協奏曲ニ短調
モーリス・マレシャル (チェロ)
フィリップ・ゴーベール指揮管弦楽団
日 COLUMBIA J8133/5(仏 Columbia LFX282/4と同一録音)
(1932年パリ録音)
モーリス・マレシャル(1892-1964)はフランスの名チェリスト。パリ音楽院でチェロをジュール・レブに、室内楽をルフェーブルに、指揮法をポール・デュカに学び、1911年一等賞を得た。マレシャルは第1次世界大戦(1914-18)に従軍、戦後の1919年にコンセール・ラムルーにソリストとデビューした。以来世界中を楽旅し、日本にも何度か来訪した。日本コロムビアに日本録音をしたこともある。フィリップ・ゴーベール(1879-1941)はフランスのフルート奏者で指揮者。1914年パリ音楽院のフルート科で一等賞を得た後、1905年第2回のローマ賞を得た。フルート独奏者としてフランスの一流オーケストラの首席を務め、1919年パリ音楽院管弦楽団の指揮者となり1938年でその任にあった。SP時代にレコード録音も多い。

78CDR-1176
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第7番ハ短調作品30-2
マックス・ロスタル(ヴァイオリン)
フランツ・オズボーン(ピアノ)
英 DECCA AK2356/9
(1949年12月19-20日ロンドン、デッカ・スタジオ録音)
ヴァイオリンのマックス・ロスタル(1905-1991)はオーストリア生まれ。ウィーンでアルノルト・ロゼー(1863-1964)に、ベルリンではカール・フレッシュ(1873-1944)に師事した。1930-33年にベルリン高等音楽院のヴァイリン科教授、1934-58年にはロンドンのギルドホール音楽学校の教授を務め、アマデウス弦楽四重奏団のメンバー育成にたずさわった。1957-82年にはケルン音楽院、1957-85年にはスイスのベルン音楽院の教授を務めた。弟子にエディット・パイネマン(1937-)やイゴール・オジム(1931-)がいる。SPレコード末期の英デッカにベートーヴェン: ヴァイオリン・ソナタ集(第1番と第3番以外)の録音をした。ピアノのフランツ・オズボーンはレオニード・クロイツァー(1884-1953)のドイツ時代の弟子の一人。英デッカのFFRR録音。

78CDR-1177
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調作品57「熱情」
ハロルド・バウアー(ピアノ)
英 HIS MASTER'S VOICE DB1293/4(米 VICTOR 6697/8と同一録音)
(1927年アメリカ録音)
ハロルド・バウアー(1873-1951)はロンドン生まれ。父親はドイツ人でヴァイオリン奏者、母親はイギリス人。父親の手ほどきでヴァイオリンを学び、1883年にロンドンでヴァイオリニストとしてデビューし、9年間に渡ってイギリス国内で演奏活動をした。1892年、19歳の時にパリに行き、大ピアニスト、パデレフスキ(1860-1941)にすすめられてピアノに転じた。第1次世界大戦(1914-18)以前には、主にパリで活動し、ティボーやカザルスとトリオ演奏会を開いたこともある。1917にアメリカに渡りニューヨークに在住し、ベートーヴェン協会を創立した。この「熱情」はソナタは電気録音の最初期のもの。78CDR-1170「月光」の翌年録音された。バウアーの特質がよく表れた名演奏とされたもの。現在では忘れられた存在の名ピアニストの演奏に耳を傾けたい。

78CDR-1178(機械式録音)
J.S.バッハ:
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 BWV 1004 より「シャコンヌ」
イゾルデ・メンゲス(ヴァイオリン)
英 HIS MASTER'S VOICE D875/6
(1924年4月7日録音)
イゾルデ・メンゲス(1893-1976)は20世紀の前半に最も精力的に活動したイギリスの女流ヴァイオリン奏者。1910年、17歳で名ヴァイオリン教授レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事するためにロシアのザンクトペテルブルグに向かった。アウアーには通算3年師事し教授の最もお気に入りの弟子になった。1913年、20歳でロンドンにデビューした。その時のプログラムはチャイコフスキーの協奏曲、ラロのスペイン交響曲に加えて、ベートーヴェンとブラームスの協奏曲の縮刷版だった。1916年から1919年には北米公演を行いアメリカのメジャーオーケストラのほとんどと共演し名声を高めた。レコード録音は機械式録音時代に、世界最初の録音になるベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲、電気初期のベートーヴェン:「クロイツエル・ソナタ」、ブラームス: ヴァイオリン・ソナタ第2番及び第3番がHIS MASTER'S VOICEにあり、室内楽はデッカに録音していた。この「シャコンヌ」もおそらくこの名曲の世界初録音のようだ。楽譜の隅々まで行き届いた柔和な表情は、女流ヴァイオリニストならではのもので、マイクロフォンを使わない録音がヴァイオリンの音を素直にひろいあげている。
第11回以降 発売分 2008年12月新譜 5点 発売中

78CDR-1169
グノー:ファウストのバレエ音楽
@ヌビア人の奴隷の踊り
A昔の踊り
Bアダージョ
Cクレオパトラの踊り
Dトロイ人の娘の踊り
E鏡のヴァリエーション
Fヘレネの踊り(終曲)
アナトール・フィストラーリ指揮
ナショナル交響楽団
英 DECCA AK1339/40
(1945年9月6日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
アナトール・フィストラーリ(1907-1995)はロシアのキエフ生まれ。神童とうたわれ8歳の時チャイコフスキーの「悲愴」交響曲を指揮した。その後パリにデビュー、1931年にシャリアピンがグランド・ロシア・オペラの首席指揮者に任命した。1937年にはモンテカルロのロシア・バレエの指揮者になり、アメリカ公演も行った。第2次世界大戦中にロンドン・フィルの指揮者をつとめ、イギリスの市民権を得た。フィストラーリはバレエ音楽の権威者で、LP時代にチャイコフスキーの「白鳥の湖」「胡桃割り人形」の名録音をデッカに残した。このファウストのバレエ音楽は大戦直後のもの。フィストラーリはSP時代にもデッカに多くの録音をしていた。FFRR録音。

78CDR-1170
ベートーヴェン:
ピアノ・ソナタ第14番嬰ハ短調作品27-2「月光」
バートーヴェン=バウアー編:
ガヴォット ヘ長調
ハロルド・バウアー(ピアノ)
米 VICTROLA 6591/2
(1926年6月14日&7月13日アメリカ, ニュージャージー州キャムデン録音)
ハロルド・バウアー(1873-1951)はロンドン生まれ。父親はドイツ人でヴァイオリン奏者、母親はイギリス人。父親の手ほどきでヴァイオリンを学び、1883年にロンドンでヴァイオリニストとしてデビューし、9年間に渡ってイギリス国内で演奏活動をした。1892年、19歳の時にパリに行き、大ピアニスト、パデレフスキ(1860-1941)にすすめられてピアノに転じた。第1次世界大戦(1914-18)以前には、主にパリで活動し、ティボーやカザルスとトリオ演奏会を開いたこともある。1917にアメリカに渡りニューヨークに在住し、ベートーヴェン協会を創立した。この「月光」ソナタは電気録音の最初期のもので、バウアーの特質がよく表れた名演奏とされたもの。現在では忘れられた存在の名ピアニストの演奏に耳を傾けたい。

78CDR-1171
ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番イ長調作品69
ピエール・フルニエ(チェロ)
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
英 HIS MASTER'S VOICE DB9123/5
(1947年6月6日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
ピエール・フルニエ(1906-1986)はパリ生まれのチェリスト。幼少より母親の手ほどきでピアノを学んだが9歳のとき小児麻痺による右足障害のためチェロに転向。1923年パリ音楽院で一等賞を得て楽壇にデビュー。ヴィオリンのガブリエル・ブイヨン、ピアノのヴラド・ペルルミュテールとのトリオで注目された。1937年エコール・ノルマル教授、1941年から1949年までパリ音楽院教授をつとめた。1942年にヴァイリンのシゲティ、ピアノのシュナーベルとのトリオ、ヴィオラのプリムローズを加えた四重奏で活動。さらに1945年にはカザルスが抜けたカザルス・トリオに加わりヴァイオリンのティボー、ピアノのコルトーと演奏活動をした。1954年初来日。その後何度も日本を訪れた。ピアノのアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はオーストリアの大ピアニスト。ウィーンで高名なレシェティツキーに師事した。EMIにベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲を2回録音、ピアノ・ソナタ全曲を録音した。

78CDR-1172
シューベルト:
幻想曲ハ長調作品159, D.934
レーガー:
ヴァイオリン・ソナタ第5番嬰ヘ短調作品84-第2楽章
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
米 RCA VICTOR 7562/4(英 HIS MASTER'S VOICE DB1521/3と同一録音)
(1931年5月6日ロンドン、小クイーンズ・ホール)
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの名ヴァイオリニスト。 2歳からヴァイオリンを始め1902年ケルン音楽院でウィリー・ヘスやブラム・エルデリンクに師事した。16歳の時に大作曲家マックス・レーガーに注目された。1912年、20歳の時ウィーンのコンツェルトフェライン(ウィーン交響楽団)のソロ・ヴァイオリンに抜擢された。1918年ベルリン高等音楽院のヴァイオリン教授に任命され、弦楽四重奏団も組織した。1927年以降スイスのバーゼルに住居をかまえ、若きユーディ・メニューインの指導をしたこともある。ナチの台頭でユダヤ系のピアニスト、ルドルフ・ゼルキン(1903-1991)と共にドイツを去り、アメリカに移住した。ゼルキンは1920年にアドルフ・ブッシュのデュオ相手に抜擢され、後にブッシュの娘イレーネと結婚した。1951年マールボロ音楽学校と音楽祭を創設、主宰した。このダイレクト・トランスファーにはノイズが少ないアメリカVICTOR盤を使用した。

78CDR-1173
ショーソン:協奏曲ニ長調作品21
フォーレ:子守歌作品16
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
弦楽四重奏団(イスナール、ヴルフマン、ブランパン、アイゼンベルグ)(1-9)
日本 VICTOR DB1649/53 (英 HIS MASTER'S VOICE DB1649/53と同一録音)
(1931年7月1-2日パリ、プレイエル音楽堂録音)
ジャック・ティボー(1880-1953)のヴァイオリン、アルフレッド・コルトー(1877-1962)のピアノと弦楽四重奏によるショーソンの協奏曲ニ長調。作曲者のショーソンはパリ音楽院でジュール・マスネ(1842-1912)に師事した。フランスのエスプリにあふれた作風を完成した人。ヴァイオリン曲の「詩曲」がよく知られているが、このティボーとコルトーによる協奏曲は、フランスの音楽家の至芸を聴くことができる名演。これまで良い復刻がなかったこのSPにダイレクト・トランスファーでチャレンジした。