★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-3539〜3548

2015年3月新譜 5点 発売中★DSD録音

今月はLPからの復刻が4点です。

33CDR-3544
ブルッフ:
ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調作品26
コル・ニドライ(ヘブライの旋律)作品47
ミシェル・オークレール(ヴァイオリン)
ヴィルヘルム・ロイブナー指揮
オーストリア交響楽団
米 REMINGTON R-199-127
(1952年11月11-12日ウィーン録音)
(第3楽章58秒から1分3秒に音がかすれる部分があります)
ミシェル・オークレール(1924-2005)はフランスの女流ヴァイオリン奏者。パリ音楽院で名教授ジュール・ブーシュリ(1887-1962)に師事し一等賞を得て卒業。1943年19歳の時にロン=ティボー国際コンクールで優勝し、ティボーの指揮でハイドン:ヴァイオリン協奏曲第1番ハ長調でレコード・デビューした(78CDR-3011)。1950年代初頭に新興レコード会社米REMINGTONに数枚のLP録音を残した。ステレオ時代にはエラートやフィリップスに珠玉の名録音がある。オークレールは1960年代の半ばに左手の故障で現役を引退したが母校のパリ音楽院で教鞭をとり、また日本の桐朋学園の招聘でマスタークラス(1977年)を開いた。指揮者のヴィルヘルム・ロイブナー(1909-1971)はウィーン生まれ。1957年-1959年にNHK交響楽団の常任指揮者をつとめた。オーストリア交響楽団の実体はウィーン・トンキュンストラー・オーケストラである。

33CDR-3545
ベートーヴェン:
ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調作品106 「ハンマークラヴィーア」
ミエツィスワフ・ホルショフスキ(ピアノ)
英 VOX PL6750
(1950年7月5-6日録音)
ミエツィスワフ・ホルショフスキ(1892-1993)はポーランド生まれ、99歳までコンサート・ステージで活躍していた。母親はショパンの直弟子カール・ミクリ(1819-1897)に学んだピアニスト。4歳の頃から神童といわれ、1899年にウィーンに移り住み、名教師テオドール・レシェティツキ(1830-1915)の指導を受けた。1930年代にカザルスがHMVに録音したベートーヴェン:チェロ・ソナタ集(第3番は除く)のピアニストをつとめた。第2次世界大戦中にアメリカに移住、フィラデルフィアのカーティス音楽院で後進の指導にあたる一方、室内楽奏者としての録音が多い。このシリーズではカザルスとのベートーヴェン:チェロ・ソナタ第1番(78CDR-3221)、第2番(78CDR-3034)、ショパン:ピアノ協奏曲第1番(33CDR-3372)、ベートーヴェン:ディアベリ変奏曲(33CDR-3535)が出ている。

33CDR-3546
J.S.バッハ:
無伴奏チェロ組曲第1番ト長調 BWV1007
無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調 BWV1008
無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調 BWV1009
アウグスト・ヴェンツィンガー(チェロ)
独BARENREITER-MUSICAPHON BM 30 L 1057/8A
(1960年9月=BWV1007 & BWV1008、1961年6月=BWV1009ハンブルグ録音)

33CDR-3547
J.S.バッハ:
無伴奏チェロ組曲第4番変ホ長調 BWV1010
無伴奏チェロ組曲第5番ハ短調 BWV1011
無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調 BWV1012
アウグスト・ヴェンツィンガー(チェロ)
独BARENREITER-MUSICAPHON BM 30 L 1058B/9
(1961年6月=BWV1010、1960年9月=BWV1011 & BWV1012ハンブルグ録音)
アウグスト・ヴェンツィンガー(1905-1996)はスイス出身のチェロ、ヴィオラ・ダ・ガンパ奏者、指揮者。バーゼルに生まれ、生地の音楽院で音楽理論をベルリンで大チェリスト、エマヌエル・フォイアマン(1902-1942)の個人レッスンを受けた。1929年から1934年までブレーメンのオーケストラの首席をつとめた。また1925年からヴィオラ・ダ・ガンパの研究を始め、1930年にフルート奏者のグスタフ・シェックと古楽器の演奏団体を結成、また1933年にはカペル・カンマームジークという名の古楽器集団を立ち上げたが、政治的な圧力で解散、スイスに帰りバーゼル・スコラ・カントルムのヴィオラ・ダ・ガンパ教授をつとめた。指揮者としても活躍し、1958年から1966年までハノーファーで定期的にバロック・オペラの上演を手掛けていた。このバッハの無伴奏チェロ組曲全6曲は、自身が校訂して出版(ベーレンライター版)に合わせて録音されたもので、楽譜は現在でも流布しているが、この録音はまったく忘れ去られていたもので初CD化である。

78CDR-3548 ※試聴はありません
ダイナとデート/ダイナ・ショア
あなたはしっかり私のもの
デキシー
愛さないではいられない
ケリー・ダンス
スリル・イズ・ゴーン
アフター・アイ・セイ・アイム・ソーリー
ゼアル・ビー・サム・チェンジズ・メイド
ゼイ・ディドント・ビリーブ・ミー
ダイナ・ショア DINAH SHORE(vo)
モーリス・ストロフ楽団と合唱団
Orchestra and Chorus under the direction of MORRIS STOLOFF
米 COLUMBIA C125(Set) 1946年録音
ダイナ・ショア(1916-1994)はアメリカのポップス・シンガー。テネシー州ウィンチェスターの生まれ。大学時代に地元のラジオ局に歌手として出演していた。大学卒業後ニューヨークに出てプロの歌手を目指し、WNEW局にフランク・シナトラと出演したこともある。BLUEBIRDレーベルにザヴィア・クガート楽団と「そよ風と私」を録音して歌手としての第1歩を踏み出した。これは1946年にCOLUMBIAから発売された4枚組のアルバム・セット。美声でエレガントな歌い回しが聴き手を魅了する。このシリーズでボタンとリボン-ダイナ・ショアSP録音集(78CDR-3400)が出ている。
2015年2月新譜 5点 発売中★DSD録音

33CDR-3539
ローラ・ボベスコ-ヴァイオリンの黄金時代(ステレオ録音)
ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-13
ルクレール:ヴァイオリン・ソナタニ長調作品9-3
ヴェラチーニ:ヴァイオリン・ソナタホ短調作品2-8
タルティーニ:ヴァイオリン・ソナタト短調作品1-10「捨てられたディドーネ」
ローラ・ボベスコ(ヴァイオリン)
ジャック・ジャンティ(ピアノ)
ベルギーALPHA CL4008(Stereo)
(1965年録音)
ローラ・ボベスコ(1921-2003)はルーマニア出身の女流ヴィオリン奏者。パリ音楽院で名教授ジュール・ブーシュリ(1877-1962)のクラスに入り、1934年13歳で一等賞を得、同年ポール・パレー指揮コンロンヌ管弦楽団でデビューした。1937年ブリュッセルのイザイ国際コンクールで入賞し、以降ソリストとして活躍する一方ブリュッセル音楽院の教授もつとめた。レコード録音は21歳の1942年にラロ:スペイン交響曲(78CDR-3139)が最初。この録音はステレオ時代になってからものでボベスコの名を日本に広めたレコードだった。ピアノのジャック・ジャンティはパリ音楽院出身。1948年にボベスコと結婚(後に離婚)、伴奏者として活躍した。1981年9月にボベスコとジャンティは日本のフィリップスにLP5枚を録音し、世界の注目を集めた。

33CDR-3540
モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲ハ長調 K.299
ディヴェルティメント第11番ニ長調 K.251
ジャン=ピエール・ランパル(フルート)(@-B)
ドーラ・ワグネル(ハープ)(@-B)
カール・リテンパルト指揮
ザール室内管弦楽団
仏 DISCOPHILES FRANCAIS DF134
(1954年11月録音)
ジャン=ピエール・ランパル(1922-2000)はフランスのマルセイユ生まれ、音楽院教授だった父親にフルートの手ほどき受けた。医学ををめざしたが大戦のため1943年にパリ音楽院のフルート科に入りわずか5カ月で一等賞を得た。音楽院ではガストン・クリュネルに師事した。1946年にヴィシー・オペラ管弦楽団のメンバーになり、1947年にジュネーヴ国際コンクールで優勝しソロ活動を開始した。1956年からパリ・オペラ座管弦楽団の首席奏者となり、1962年退団後はフランス最高のフルート奏者として活躍した。このフルートとハープのための協奏曲はランパルにとって記念すべきこの曲の初録音で、それまで存在があまり知られていなかったもの。指揮者のカール・リステンパルト(1900-1967)はドイツのキール生まれ。1954年から1967年の間に手兵のザール室内管弦楽団と169枚のLP録音をした。この盤はその最初期の一枚。

78CDR-3541
モーツァルト:ピアノ協奏曲第12番イ長調 K.414
ルイス・ケントナー(ピアノ)
サー・トーマス・ビーチャム指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
米COLUMBIA 71495/7(英COLUMBIA LX894/6と同一録音)
(1940年1月12日、3月26日、5月10日ロンドン、アビー・ロードEMI第1スタジオ
録音)
ルイス・ケントナー(1905-1987)はシレジアのカルウィン(現チェコ共和国カルヴィーナ)にハンガリー国籍の両親のもとに生まれた。1911-1922年にブダペスト音楽アカデミーでピアノをアントン・セーケイ、室内楽をレオ・ワイネル、作曲をゾルタン・コダーイに学んだ。15歳でコンサー・ピアニストとして活躍を始め、1935年にイギリス国籍を得た。1933年にバルトークのピアノ協奏曲第2番を作曲者の要請でオッー・クレンペラーの指揮のもとで初演。ピアノ協奏曲第3番をエイドリアン・ボールトの指揮でヨーロッパ初演をロンドンで行った。また義兄にあたるユーディ・メニューイン(1916-1999)とウォルトン(1902-1983)のヴァイオリン・ソナタを1949年9月30日にチューリッヒで初演した。指揮者のサー・トーマス・ビーチャム(1879-1961)は英国で最も尊敬された指揮者。1932年にロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を組織し、1947年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を作った。ビーチャムの指揮するモーツァルトはSP時代最も権威あものとして欧米では受け入れられた。

78CDR-3542
ショパン:ピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11
アレクサンダー・ブライロフスキー(ピアノ)
ユリウス・プリューヴァー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
独 POLYDOR 66753/6
(1928年ベルリン高等音楽院録音)
アレクサンダー・ブライロフスキー(1896-1976)はウクライナのキエフ生まれ、8歳でピアノをはじめ18歳でキエフ音楽院に入り、1911年ゴールド・メダルを得て卒業。その後ウィーンでテオドール・レシェティツキ(1830-1915)についてさらに研鑽を積んだ。さらにチューリッヒでフェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)に、最後にフランスでフランシス・プランテ(1839-1934)についた。1926年にフランスの市民権を得た。ブライロフスキーはショパンの全160のピアノ作品を6回のコンサートで演奏する歴史上初の快挙をうちたて、その一部では作曲者ショパンの所持したピアノを演奏した。この協奏曲録音はブライロフスキーの初録音の一つ(他にリスト:ピアノ協奏曲第1番がある)で、輝かしい豪快な指さばきは師のブゾーニやプランテを思わせるもので、後年の録音とは一線を画す見事なもの。ユリウス・プリューヴァー(1874-1943)はドイツの指揮者。ドイツ・ポリドールにシューベルト:交響曲第8番「未完成」ほかシュトラウス:ワルツ集などがあった。

78CDR-3543
ドビュッシー:
ヴァイオリン・ソナタト短調
月の光(ローレンス編)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
アンドール・フォルデス(ピアノ)
米 COLUMBIA 71592/3(Set X-MX-242)
(1941年11月26日録音)
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はブダペスト生まれ。ブダペスト音楽アカデミーでイェノ・フバイ(1858-1937)に師事し、13歳でデビューした。1907年から1913年に英国に住み、ピアニストのマイラ・ヘス(1890-1965)やフェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)らとのソナタ演奏から大きな音楽的影響を受け、その後ヨーロッパ大陸に戻り、1917年から1924年スイスのジュネーヴ音楽院で教えた。第2次世界大戦前の1932年と翌1933年に来日した。アンドール・フォルデス(1913-1992)はハンガリー出身のピアニスト。フランツ・リスト音楽院でエルンスト・フォン・ドホナーニ(1877-1960)の薫陶をうけ1933年にリスト国際音楽コンクールでリスト賞を得たが、第2次世界大戦の影響でアメリカに亡命した。