★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-3569〜3578

2015年9月新譜 5点 発売中★DSD録音

78CDR-3574
ヴァーシャ・プシホダの芸術
パガニーニ(プシホダ編):「ネル・コル・ピウ」の主題による変奏曲
サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン作品20
パガニーニ:魔女たちの踊り作品8
ヴィエニアフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番ニ短調作品22
ヴァーシャ・プシホダ(ヴァイオリオン)
オットー・グレーフ(ピアノ)
シャルル・セルネ(ピアノ)
管弦楽伴奏
独 POLYDOR 35091(1938年3月録音)
独 POLYDOR 66222(1926年録音)
独 POLYDOR 66481(1926年録音)
独 POLYDOR 68998/9(1925年録音)
ヴァーシャ・プシホダ(1900-1960)はチェコのヴォズナニーに生まれたヴァイオリニスト。11歳でプラハ音楽院に入った。ミラノの演奏会に居合わせた大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)を驚嘆させ、「新しいパガニーニ」と称賛されたのがきっかけでヨーロッパ諸国で認められた。1921年にアメリカ・デビュー、1927年にはロンドン公演をした。プシホダは1930年にヴァイオリニストのアルマ・ロゼー(1906-1944)と結婚したが1935年に別れた。アルマ・ロゼーはウィーン・フィルのコンサートマスターを長年つとめたアルノルト・ロゼー(1863-1946)の娘。プシホダは第2次世界大戦中はザルツブルクのモーツァルテウムで教鞭をとった、大戦後はウィーンを拠点に教鞭と演奏活動をした。このアルバムは電気録音完成期(1938年)のものと、電気録音最初期の "ライトレイ方式" 録音(1926年)、機械式録音(1925年)を集めた。ここに録音の変遷史を聴くことができる。

78CDR-3575
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第8番ト長調作品30-3
フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
セルゲイ・ラフマニノフ(ピアノ)
英 HMV DB1463/4 (米 VICTOR 8163/4と同一録音)
(1928年3月22日アメリカ、ニュージャージー州キャムデン録音)
大ヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラー(1875-1962)が大ピアニストのセルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)と顔を合わせた歴史的録音。クライスラーとラフマノノフは第1次世界大戦後、同じマネージャーだったことからこの録音が実現したと言われる。これは電気録音初期のもので録音時クライスラーは53歳、ラフマニノフは55歳だった。二人の巨匠が顔を合わせて時間をかけて音楽を作りあげてたことがマトリクス(原盤)番号の末尾にあるテイク番号が示している。第1楽章ではテイク数が8で、これは8回の録音後にOKテイクが出来たことを示している。第3楽章もテイク数が7と非常に多い。4面の録音を完成するためになんと24枚の原盤を使ったという記録的録音だった。このクライスラーの演奏を後の1936年の再録音(78CDR-3014)と是非聴き比べていただきたい。

78CDR-3576
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35
イダ・ヘンデル(ヴァイオリン)
ベイジル・キャメロン指揮
ナショナル交響楽団
英 DECCA K1444/7
(1945年4月26日、1946年2月6日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
イダ・ヘンデル19歳の時の録音。イダ・ヘンデル(1924-)はポーランド生まれ。1935年ワルシャワ音楽院で金メダルとフーベルマン賞を得た。同年開かれたヴィエニアフスキ国際コンクールでジネット・ヌヴー(16歳)、ダヴィド・オイストラフ(27歳)に次いで第3位に入賞、そのとき11歳だった。ヘンデル一家は1939年に祖国ポーランドを離れロンドンに移住し、1940年に市民権を得た。その年に英デッカと契約し初録音を行った。第2次世界大戦中であったにもかかわらず50枚近い録音をしてデッカ社の看板アーティストになった。これは彼女がデッカへの初協奏曲録音である。ベイジル・キャメロン(1884-1975)はイギリスの指揮者。サンフラシスコ交響楽団やシアトル交響楽団の指揮者をつとめた後、プロムスでサー・ヘンリー・ウッド(1869-1944)のもとで活躍、1957年にCBEに叙勲された。

33CDR-3577
カンポーリ/アンコール
歌の翼に(メンデルスゾーン=アクロン編)
火花のワルツ(ドリゴ=アウアー編)
気まぐれな女(エルガー)
ケーンブレークから(ガードナー)
深い河(ハイフェッツ編)
吟遊詩人(ドビュッシー)
故郷の人々(フォスター=クライスラー編)
詩曲(フィビヒ)
小さな星(ポンセ)
思い出(ドルドラ)
アレグロ(フィオッコ)
蜜蜂(シューベルト)
タンゴ(アルベニス)
真夜中の鐘(ホイベルガー)
アルフレード・カンポーリ(ヴァイオリン)
エリック・グリットン(ピアノ)
米 LONDON LL1461(Mono)
(1956年1月18日ロンドン、NW6 デッカ・スタジオ録音)
アルフレード・カンポーリ(1906-1991)はイタリア生まれ。5歳の時両親と共にイギリスに移住し、1923年にロンドンのウィグモア・ホールでデビューした。ソプラノのネリー・メルバ(1861-1931)やコントラルトのクララ・バット(1872-1936)などの大物歌手とツァーする一方、自らの名前を冠したサロン・オーケストラを組織しBBC放送やレコード録音で活躍した。第2次世界大戦後はクラシックの演奏家にかえりざき、英デッカの看板アーティストになった。1960年と1966年に日本公演を行い、1966年にはキングレコードの第1スタジオで作曲家でピアニストの和田則彦氏と日本歌曲からの編曲2曲を含む11曲のヴァイオリン名曲集を録音した。カンポーリはストラディヴァリウスの名器 "ドラゴネッティ" を所有していた。このシリーズで「カンポーリ/クライスラーに捧げる」(33CDR-3563)とJ.S.バッハの無伴奏パルティータ第2番BWV1004(78CDR-3414)が出ている。

33CDR-3578
ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
ジーナ・バッカウアー(ピアノ)
英 HMV DLP 1154(Mono)
(1956年6月6-7日録音)
ジーナ・バッカウアー(1913-1978)はギリシャのアテネ生まれ。アテネ音楽院で学ぶかたわらパリのエコール・ノルマル音楽校でアルフレッド・コルトー(1877-1962)にも師事した。さらにラフマニノフ(1873-1943)の最後の弟子のひとりでもあった。1935年にアテネでミトロプーロスの指揮でデビュー、第2次世界大戦中はエジプトに赴き、外人部隊の兵士に通算600回以上の慰問コンサートを開いた。戦後の1947年にロンドン・デビュー、1950年にはカーネギーホールに登場した。力強い男性的なタッチは師コルトーの面影を感じさせる。このシリーズでモーツァルトのピアノ協奏曲第24番K.491(33CDR-3568)が出ている。
2015年8月新譜 5点 発売中★DSD録音

78CDR-3569
J.S.バッハ:
無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 BWV1004より「シャコンヌ」
ハインツ・シュタンスケ(ヴァイオリン)
独 POLYDOR 69891/2
(1942年録音)
ハインツ・シュタンスケ(1914-1996)はベルリン生まれのドイツのヴァイオリニスト。8歳でデビュー、カール・フレッシュ(1873-1944)に師事し、1937年のウィーン・コンクールで金賞を受賞した。第2次世界大戦中にドイツのポリドールに録音をしていた。大戦後はコンサート活動と同時に後進の指導にあたり、女流ヴァイオリニスト、エディト・パイネマン(1939-)は弟子の一人だった。シュタンスケはこのシリーズでモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番 K.218(78CDR-3211)と特に名録音と評判のブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番(78CDR-3319)が出ている。

78CDR-3570
ファリャ:7つのスペイン民謡
グラナドス:昔風のスペインの歌曲集(トナディーリャス)
コンチータ・スペルビア(歌)
フランク・マーシャル(ピアノ)(ファリャ)
フェルナンド・ペリケ(ピアノ)(グラナドス)
英 PARLOPHONE PO153/5(U.K.)(ファリャ)
英 PARLOPHONE PO161/2(U.K.)(グラナドス)
(1930年3月10日、ファリャ/1932年11月1日、グラナドス、バルセロナ録音)
コンチータ・スペルビア(1895-1936)はスペインのバルセロナ生まれのメゾ・ソプラノ歌手。12歳で生地のリセウ音楽院に入り、15歳でアルゼンチンの首都ブエノスアイレスのコロン劇場でデビューした。1912年出身地のバルセロナでビゼーの「カルメン」歌った。第1次世界大戦中にアメリカデビュー。大戦終了後ローマに招かれ、そこでは19世紀後半から慣例的にコロラチューラ・ソプラノによって歌われていたロッシーニのオペラのヒロイン役を、ロッシーニのオリジナル通りメゾソプラノ・レッジェーロの音域で歌ったことで一躍注目された。1930年からはロンドンでも活躍した。1939年出産のためロンドン市内の病院に入院したが、新生児を死産後、自らも死亡した。スペルビアはSPレコードに200面以上の録音を残した。

78CDR-3571
ハイドン:
弦楽四重奏曲第67番ニ長調作品64-5, Hob.III-62「ひばり」
カルヴェ弦楽四重奏団
ジョゼフ・カルヴェ(第1ヴァイオリン)
ダニエル・ギレヴィッチ(第2ヴァイオリン)
レオン・パスカル(ヴィオラ)
ポール・マ(チェロ)
独 TELEFUNKEN A 2243/5
(1937年5月4日ベルリン録音)
リーダーのジョゼフ・カルヴェ(1897-1984)はパリ音楽院でギョーム・レミに師事、1919年に一等賞を得た。1928年にナディア・ブーランジェの発意でベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏会をフランスで開いた。リーダーのカルヴェは1935年にパリ音楽院の教授に任命され、四重奏団の活動と同時に後進の指導にあたった。第2ヴァイオリンのダニエル・ギレヴィッチは1941年米国に移住したダニエル・ギレ(1899-1990)で、トスカニーニ指揮のNBC交響楽団に入り1951年にコンサートマスターになった。またギレ弦楽四重奏団を結成、1954年にはボザール・トリオを作った。ヴィオラのレオン・パスカルは1941年にパスカル弦楽四重団を結成しフランスを代表する弦楽四重奏団として名声を博した。

33CDR-3572
サン=サーンス:
ピアノ協奏曲第2番ト短調作品22
ピアノ協奏曲第4番ハ長調作品44
ジャンヌ=マリ・ダレ(ピアノ)
ルイ・フレスティエ指揮
フランス国立放送管弦楽団
仏 PATHE DTX 176(Mono)
(1955年4月28-29日パリ、メゾン・ド・ラ・ミュチュアリテ録音)
ジャンヌ=マリー・ダレ(1905-1999)はフランスの女流ピアニスト。10歳でパリ音楽院に入りマルグリット・ロン(1874-1966)とイジドール・フィリップ(1863-1958)に師事し、1919年に一等賞を得て翌年パリでデビューした。1923年にはポール・パレー(1886-1979)指揮のラムルー管弦楽団とオーケストラ初共演、1958年にパリ音楽院教授に任命された。このシリーズの78CDR-3189でダレの弾くサン=サーンス:ピアノ協奏曲第2番のSP録音(ポール・パレー指揮コロンヌ管弦楽団)が出ているので、聴きくらべをおすすめする。指揮者のルイ・フレスティエ(1892-1976)はフランスの指揮者。パリ音楽院に学び、和声学、対位法で一等賞を得た後1925年にローマ賞を受賞した。フランス各地のオーケストラの指揮者をつとめた後パリ音楽院の指揮科教授に任命され1945年から1962年にその地位にあった。

33CDR-3573
ベートーヴェン:
ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」
ミシェル・オークレール(ヴァイオリン)
ジュヌヴィエーヴ・ジョワ(ピアノ)
仏 MUSIQUE et CULTURE MC 3003(Stereo)
(1964年頃パリ録音)
この録音は北ランスのストラスブールに本拠を置くMUSIQUE et CULTURE レーベルに録音されたもの。ミシェル・オークレール(1924-2005)はフランスの女流ヴァイオリン奏者。パリ音楽院で名教授ジュール・ブーシュリ(1877-1962)に師事し一等賞を得て卒業。1943年19歳の時ロン=ティボー国際コンクールで優勝し、ティボーの指揮でハイドン:ヴァイオリン協奏曲第1番ハ長調でレコード・デビューした(78CDR-3011)。オークレールは1960年代の半ばに左手の故障で現役を引退したが母校パリ音楽院で教鞭をとり、さらに日本の桐朋学園の招聘でマスタークラス(1977年)を開いた。ピアノのジュヌヴィエーヴ・ジョワ(1919-2009)は1932年12歳でパリ音楽院入学、1945にジャクリーヌ・ロバン(1917-2007)とピアノ・デュオを組み1990年まで45年に渡り活動した。1946年に作曲家アンリ・デュティーユ(1916-2013)と結婚して生涯良き伴侶だった。