★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-3579〜3588

2015年11月新譜 5点 11月下旬以降発売予定★DSD録音

78CDR-3584
サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調作品61
ミケル・カンデラ(ヴァイオリン)
フィリップ・ゴーベール指揮
パリ音楽院管弦楽団
(1928年2月13、20-21日録音)
ミケル・カンデラ(1877-1957)はパリ音楽院管弦楽団やオペラ座のヴァイオリニストを長くつとめた人物で、よく息子のミゲル・カンデラ(1914-?)と混同される。息子は1926年11月にパリ音楽院のジュール・ブーシュリ教授(1877-1962)のクラスに入り、翌1927年に一等賞を得た。ということは、この録音が行われた時わずか14歳だったから、この録音は父親のミケルが弾いたとするのが妥当と思う。これはこの名曲の世界初録音だった。指揮者のフィリップ・ゴーベール(1879-1941)はポール・タファネル(1844-1908)の父親にフルートの手ほどきを受け、引き続きタファネル自身から指導を受けた。1894年パリ音楽院のフルート科で一等賞を得て、パリ音楽院管弦楽団、パリ・オペラ座の首席フルート奏者を務めた後、パリ・オペラ座の指揮者・音楽監督としても活躍した。弟子にフルート奏者のマルセル・モイーズ(1899-1984)等がいる。

78CDR-3585
ベル・エポックの寵児レナルド・アーンの想い出
"村の占い師" のエール
もしお前が望むなら、かわいい人よ
哀れな農夫
我が歌に翼ありせば
いみじき時
見放された女
リデ
悲しい風景
最高の贈り物
牢獄より
Odeon 188.635(KI 2172-2)(Recorded 25 January 1929)
レナルド・アーン(バリトン)
ニノン・ヴァラン(ソプラノ)
ギ・フェラン(テノール)
ロジェ・ブルダン(バリトン)
レナルド・アーン(ピアノ)
レナルド・アーン(1875-1947)はベネズエラのカラカス生まれ。3歳の時に両親と共にパリに移住した。6歳の時に神童として、ナポレオン3世に従妹マティルドのサロンにデビュー、ボーイソプラノのピアノの弾き語りでサロンの寵児となり、作曲家ジュール・マスネ(1842-1912)の推薦を得て10歳でパリ音楽院に入学した。長じて美声と数カ国語をあやつる巧みな話術、豊かな教養で各界の名士、貴婦人たちと交友を築き、またパリ・オペラ座の指揮者として活躍、ザルツブルク音楽祭でもモーツァルト指揮者として名声をあげた。また作曲家として声楽曲の作品が多数あるが、親交のあった音楽家のために作曲した器楽作品もある。ここではアーンの弾き語りと当時の名歌手たちが歌う自作品にピアノ伴奏をした貴重な音源を集めた。ニノン・ヴァラン(1886-1961)はオペラ、オペレッタ、フランス歌曲で評判だった。78CDR-3299で聴ける。ギ・フェラン(?-1963)は1920年代から俳優とオペラで活躍した。ロジェ・ブルダン(1900-1973)はフランス国内中心に活躍したバリトン。

78CDR-3586
J.S.バッハ:
「シャコンヌ」
-無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV 1004 より
ゲルハルト・タシュナー(ヴァイオリン)
独 ODEON O-8764/5
(1941年11月25日& 28日録音)
ゲルハルト・タシュナー(1922-1976)はチェコ生まれのヴァイオリニスト。ブダペストでイエノ・フバイ(1858-1937)に、ウィーンでブロニスワフ・フーベルマン(1882-1942)に師事した。ヒトラー政権下のドイツでユダヤ系ヴァイオリニストが払底した中で、フルトヴェングラーが率いるベルリン・フィルのコンサートマスターのオーディションに「シャコンヌ」を弾いて採用され、1941年から1945年までその地位にあった。この録音は丁度その時期にあたり日米開戦直前のもの。録音当時タシュナーは19歳だった。

33CDR-3587
モーツァルト:
2台のピアノのための協奏曲変ホ長調 K.365(316a)
2台のピアノのための協奏曲ヘ長調 K.242
レーヌ・ジャノーリ(ピアノ)
パウル・バドゥラ=スコダ(ピアノ)
ヘルマン・シェルヘン指揮
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
米 WESTMINSTER WL5095(Mono)
(1951年6月ウィーン、コンツェルトハウス録音)
レーヌ・ジャノーリ(1915-1979)はパリ生まれ。エコール・ノルマルでアルフレッド・コルトー(1887-1962)に、パリ音楽院でイヴ・ナット(1890-1956)に師事した。さらにルツェルンでエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)に学び、フィッシャーと共に2台、3台のピアノ演奏を数多く行った。パウル・バドゥラ=スコダ(1927-)はウィーン生まれ。ウィーン音楽院に学び1947年オーストリア音楽コンクールに優勝し、エトヴィン・フィッシャーの薫陶を得た。ヘルマン・シェルヘン(1891-1966)はベルリン生まれ、現代音楽の推進者と知られた指揮者。LP時代に登場したレコード会社WESTMINSTER と契約し、ウィーンで数多くの録音を残した。レーヌ・ジャノーリはこのシリーズでベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第18番(78CDR-3258)が出ている。

33CDR-3588※試聴はありません
モーリン・オハラ-アイルランド愛唱歌集
ケリーの雌牛
ギヴ・ヒム・トゥ・ミー
あの金満男が死んだ
ウィ・ヒュイー
ジョニーは戦争に行った
一人の老婦人がいた
ダニー・ボーイ
一人の老人がいた
彼は祭りの中を通っていった
結婚相手は誰かしら
あの夜を覚えているかい、愛しい人よ
あの男達よりあの女達が悪いのはほんとう
こんどの市の日
ノラ・リー - いちど一人の少年を愛した
日曜日に嫁にいくの
エリンに帰れ
モーリン・オハラ(ヴォーカル)
米 COLUMBIA CS 8550(Stereo)
(1961年録音)
2015年10月24日に95歳で逝去した名女優モーリン・オハラ(1920-2015)はアイルランドのダブリン出身。第2次世界大戦中から戦後にかけて活躍した。このアルバムは彼女がアメリカ・コロンビアに録音したヴォーカル・アンバム。母親がオペラ歌手だった彼女は、幼少の頃から声楽の指導を受て以来、女優として活躍中もずっと声楽のトレーニングを続けていた。ダイナ・ショアのTVショーに出演したのが歌い手としてのデビューだったとアルバムの中で述べている。それをきっかけにペリー・コモ・ショー、ボブ・ホープ・ショー、ゲイリー・ムーア・ショー等にシンガーとして出演し、1960年にはブロードウェイのミュージカル「クリスティーヌ」に華々しくデビューして批評家や聴衆から喝采をあびた。これは米コロンビアのオリジナルキャスト・アルバム(OL5520/OS2016)で発売された。このアルバムに収録されたアイルランドの歌は、「ダニー・ボーイ」「ノラ・リー」(ラヴ・ミー・テンダーの原曲)の他は日本ではあまり知られていないが、彼女の圧倒的な歌唱を是非知って頂きたくこのシリーズに組み込んだ。このLP復刻には世界的に希少なWESTERN ELECTRIC製 MODEL 10Aカートリッジを使用した。
2015年10月新譜 5点 発売中

78CDR-3579※試聴はありません
ベニー・グッドマン六重奏団-フィーチャリング・チャーリー・クリスチャン
(1)ローズ・ルーム
(2)エア・メイル・スペシャル
(3)フライング・ホーム
(4)いい娘を見つけた
(5)プア・バタフライ
(6)グランド・スラム
(7)ワン・ワン・ブルーズ
(8)アズ・ロング・アズ・アイ・リヴ
ベニー・グッドマン
チャーリー・クリスチャン
アーサー・バーンスタイン
フレッチャー・ヘンダーソン
カウント・ベイシー
ライオネル・ハンプトン、他
米 COLUMBIA C-102 Set
(1939-1942年録音)
ベニー・グッドマン(1909-1986)はシカゴ生まれ、クラリネットを習得し11歳でデビュー。1923年にコルネット奏者のビックス・バイダーベックと共演、1925年にベン・ポラック楽団に入った。1928年にニューヨークに移り、1932年に自身の楽団を結成し、NBC放送にレギュラー出演し一躍スターになった。1938年にカーネギー・ホールで初のジャズ・コンサートを開きキング・オブ・スイングと呼ばれた。これは米COLUMBIAに録音した30曲以上の六重奏団による演奏の中からグッドマン自身の選曲による名演奏集で、25歳で世を去った天才ギタリストのチャーリー・クリスチャン(1925-1942)が在籍した時代の名演が収録されている。SPレコード特有の迫力のある演奏が楽しめる。ベニー・グッドマンはこのシリーズで他にペギー・リーとの共演(78CDR-3538)が出ている。

78CDR-3580
ベートーヴェン
交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
カール・シューリヒト指揮
パリ音楽院管弦楽団
英 DECCA AK2253/6(ffrr Recording)
(1949年6月10-12日パリ、ラ・メゾン・ド・ラ・ミュチュアリテ録音)
カール・シューリヒト(1880-1967)はドイツの指揮者。1912年から1944年までヴィスバーデン歌劇場の音楽監督をつとめると同時にベルリン・フィルやウィーン・フィルを指揮した。シューリヒトのベートーヴェン交響曲第1番から第9番はLP時代のパリ音楽院管弦楽団を指揮したEMI録音がよく知られているが、この録音は大戦後間もなく英デッカに録音されたもの。颯爽と直進する若々しさが横溢している名演奏。復刻LPにはない鮮やかなサウンドが素晴らしい。シューリヒトのベートーヴェン交響曲はこのシリーズでスイス・ロマンド管弦楽団との第2番(78CDR-3115)とベルリン市立管弦楽団を振った第4番(78CDR-3127)が出ている。

78CDR-3581
モーツァルト:
ピアノ四重奏曲第1番ト短調 K.478
ピアノ・ソナタ第16番変ロ長調 K.570
ロンドイ短調 K.511
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
プロ・アルテ四重奏団のメンバー(ピアノ四重奏曲)
アルフォンス・オンヌー(ヴァイオリン)
ジェルマン・プレヴォ(ヴィオラ)
ロベール・マース(チェロ)
英 HMV 2155/8 (ピアノ四重奏曲)
英 HMV 6839/40(ソナタ)
英 HMV 6298 (ロンド)
(1934年1月31日=ピアノ四重奏曲)/1948年6月16日=(ソナタ)
/1946年6月4日=(ロンド)ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音)
アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はポーランドのリプニク(旧オーストリア領)に生まれた。1889年7歳でウィーン音楽院に入り、1891年から1897年に名教授テオドール・レシェティツキ(1830-1915)に師事した。1901年ベルリンにデビュー、1933年までこの地を本拠にした。その後1933年にロンドンに居を構え、1939年にアメリカに移住した。シュナーベルのモーツァルトはこのシリーズでピアノ協奏曲第21番K.467(78CDR-3387)が出ている。

33CDR-3582
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)
ジャック・ティボー指揮
パリ音楽院管弦楽団
仏 ODEON XOC804(Mono)
(1953年1月12日パリ録音)
ヘンリク・シェリング(1818-1988)はポーランド生まれ。同郷の大ヴァイオリン奏者フーベルマン(1882-1947)のすすめでベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)について研鑽を積み、その後パリ音楽院でジュール・ブーシュリ(1877-1962)とガブリエル・ブイヨン(1896-1986)に師事し1937年に一等賞を得た。第2次世界大戦の勃発でポーランド政府はシェリングが8カ国語を流暢に話すことに目をつけ、亡命先を探していたヴラディスワフ・シコルスキ将軍の通訳としてメキシコを訪れたのが縁で、自身も1945年にメキシコ国籍を取得し首都の音楽院で教鞭をとる。1952年12月にブイヨン指揮パドルー管弦楽団でJ.S.バッハのヴァイオリン協奏曲第1番と第2番(33CDR-3540)を録音した。このジャック・ティボー(1880-1953)指揮のベートーヴェンは翌月の1953年1月の録音で、ティボーはこの年の9月に日本に向かう航空機の墜落事故で命を落とした。

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すみれ、野ばら-エルナ・ベルガー・リサイタル
(1)すみれ (モーツァルト/ゲーテ詞)
(2)寂しい森の中で (モーツァルト/ド・ラ・モット詞)
(3)いましめ (モーツァルト)
(4)魔術師 (モーツァルト/ヴァイセ詞)
(5)夕べの思い (モーツァルト/カンペ詞)
(6)野ばら (シューベルト/ゲーテ詞)
エルナ・ベルガー(ソプラノ)
ジョージ・シック(ピアノ)
RCA VICTOR LM133(U.S.)(Mono) 米 RCA VICTOR LM133(モノ)
(Recorded 1951, New York) (1951年ニューヨーク録音)
※初期LP特有のノイズあり
エルナ・ベルガー(1900-1990)はドイツのコロラトゥーラ・ソプラノ。ドレスデンに生まれ、5歳の頃には「魔弾の射手」(ウェーバー)のアリアを歌いこなしたという。17歳の時にエリーザベト・レートベルクのすすめで、ドレスデン王立歌劇場の合唱団に入った。第1次世界大戦(1914-1918)後に家族は南米のパラグアイに移住したが、父親が死亡し、ウルグアイのモンテビデオで働きながらピアノと声楽をつづけた。1923年ドレスデンに戻り、銀行員をしながら声楽の勉強をして、1925年にはバイロイトに出演している。その後ベルリン市立歌劇場、ベルリン国立歌劇場、ザルツブルク音楽祭、コヴェント・ガーデン歌劇場、メトロポリタン歌劇場に出演、1955年に引退を表明、1960年から1971年ハンブルク音楽大学で教鞭をとった。SP時代から録音も多く、特に1937年「魔笛」の世界初の全曲録音(トーマス・ビーチャム指揮)の夜の女王役で世界的に知られるようになった。このシリーズでシューマン「女の愛と生涯」他(33CDR-3478)が出ている。