★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-3589〜3598

2016年1月新譜 5点 発売中★DSD録音

78CDR-3594
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第11番ヘ長調作品95「セリオーソ」
シュナイダーハン弦楽四重奏団
ヴォルフガング・シュナイダーハン(第1ヴァイオリン)
オットー・シュトラッサー(第2ヴァイオリン)
エルンスト・モラヴェッツ(ヴィオラ)
リヒャルト・クロチャック(チェロ)
英 COLUMBIA LX8727/8
(1949年2月22、24日&3月7日ウィーン録音)
ヴォルフガング・シュナイダーハン(1915-2002)はウィーン生まれのヴァイオリニスト。ウィーン音楽院でオタカール・シェヴチーク(1852-1934)に、ついでユリウス・ヴィンクラーに師事した。1937年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に入団、1938年にアルノルト・ロゼー(1863-1946)の後任としてコンサート・マスターに就任した。1937年にウィーン・フィルハーモニーの楽員と共に自らの名前を冠した弦楽四重奏団を組織し、1951年にソリストとして独立するまで活躍した。この四重奏団はシュナイダーハンからワルター・バリリ(1921-)に引き継がれバリリ四重奏団として活躍した。

78CDR-3595
J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調 BWV1042
ブロニスワフ・フーベルマン(ヴァイオリン)
イッサイ・ドブローウェン指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
米COLUMBIA 68376/8-D(英COLUMBIA LX407/9と同一録音)
(1934年6月13日ウィーン録音)
(オーケストラ・パートに音割れあり)
ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)はポーランド生まれ。ヴァイオリンを自在に操り、聴き手を自らの世界に引き込んでいく魔術的な演奏は1895年にブラームスのヴァイオリン協奏曲を作曲家の前で弾いて作曲者を唸らせた。フーベルマンは1892年10歳の時に大ヴァイリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)の指揮でベルリンにデビューした。活動拠点をウィーンに置いていたが、ナチスの台頭後パレスチナに移り、ドイツを追われたユダヤ系の音楽家のためにオーケストラを組織した。それが現在のイスラエル・フィル。フーベルマンはこのシリーズでJ.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番(78CDR-3228)、ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3128)と「クロイツェル・ソナタ」(78CDR-3006)、ラロ:スペイン交響曲(78CDR-3040)、チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3077)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番(78CDR-3021)、他が出ている。

78CDR-3596
シベリウス:
交響曲第2番ニ長調作品43
カレリア組曲作品11-間奏曲
ロベルト・カヤヌス指揮
管弦楽団
米COLUMBIA 67833/7-D(英COLUMBIA LX50/4 と同一録音)
(1930年5月27-8日録音)
ロベルト・カヤヌス(1856-1933)はフィンランドの作曲家で指揮者。同国の作曲家シベリウス(1865-1957)の先輩にあたり、英国コロンビアに入れたシベリウスの交響曲第1番と第2番はこれら曲の世界初録音だった。これはその中の一曲。カヤヌスは1930年代になって英HMVが企画した「シベリウス協会」全6巻(SPレコード105枚組)の第1巻と第2巻で交響曲第3番、第5番と第7番に加え、交響詩「ポヒヨラの娘」と「タピオラ」をロンドン交響楽団を指揮して録音(SP14枚)したが、以降の巻はカヤヌスの死去によって他の指揮者に代わった。この「シベリウス協会」を推進した中心人物はロベルト・カヤヌスに他ならなかったと思う。シベリウスの交響曲第2番という名曲の原点にあたる演奏を本シリーズに加えた。

33CDR-3597 ※試聴はありません
オネゲル:チェロ・ソナタ
ドビュッシー:チェロ・ソナタ
コダーイ:無伴奏チェロ・ソナタ
ギ・ファロ(チェロ)
モニーク・ファロ(ピアノ)
仏 VEGA C30 A310(Mono)
(1961年5月パリ録音)
(全体にノイズあり)
ギ・ファロ(1927-)はフランスのチェロ奏者。ナンシーに生まれ。 9歳でスイスのローザンヌ音楽院に入り、14歳の時妹のモニークと共にジュネーヴのコンクールのソナタ部門で一等賞を得た。1946年パリ音楽院に入りポール・バズレール(1886-1958)教授のクラスで一等賞を得た。バズレールはピエール・フルニエ(1906-1986)の師としても知られている。1970年左腕の故障で演奏活動中止を余儀なくされたが、その後世界中でピアニストのリタ・ロッサと共に演奏活動をしながら、スイスのジュネーヴとローザンヌの音楽院で後進の指導にあたった。これはギ・ファロが全盛期に残した数少ない録音の一枚で、20世紀のチェロ・ソナタの名作3曲が一枚に収録された貴重な名盤の復刻。

33CDR-3598
J.S.バッハ:
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調 BWV1001
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調 BWV1005
オシー・レナルディ(ヴァイオリン)
米 LONDON LPS423(No.1)(Mono)
英 DECCA LM4536(No.3)(Mono)
(1950年5月25-26日=No.3 、1951年6月6-7日=No.1 ロンドン NW6デッカ・スタジオ録音)
オシー・レナルディ(1920-1953)はウィーン生まれのヴァイオリニスト。1932年13歳の時にウィーンでデビュー。1937年にアメリカに移住した。1941年米国陸軍に入隊、2年後に除隊しステージに立った。レナルディが最も評判をとったのがカーネギー・ホールの演奏会で弾いたパガニーニの「奇想曲」だった。レナルディは英デッカにブラームスのヴァイオリン協奏曲をシャルル・ミュンシュ指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団と1948年に録音した(78CDR-3141)。レナルディは将来を嘱望されたアーティストだったが1953年自動車事故で世を去った。享年33歳。
2015年12月新譜 5点 発売中★DSD録音

78CDR-3589
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
サー・マルコム・サージェント指揮
ロンドン交響楽団
英 HMV DB1685/9
(1932年3月24日、ロンドン、アビー・ロードEMI第1スタジオ録音)
アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はシレジアのリプニクに生まれた。1889年7歳でウィーン音楽院に入り、1891年から1897年に名教授テオドール・レシェティツキ(1830-1913)に師事した。1901年ベルリンでデビュー、1933年までこの地を本拠にした。その後ロンドンに居を構え、1939年にアメリカに移住した。この録音はシュナーベルの初協奏曲録音で、開発間もないEMIのMC型レコード録音機によるもの。オーケストラの音にきつさがあるのはこのセイ。原盤番号の後の卍記号はその録音機を使用した印で、その後卍は□に変更された。シュナーベルはこのシリーズでモーツァルト:ピアノ協奏曲第21番 K.467(78CDR-3387)、シューベルト:ピアノ・ソナタ第20番D.959(78CDR-3550)、フルニエと共演したベートーヴェン:チェロ・ソナタ第5番 (78CDR-3292)が出ている。

78CDR-3590
シューベルト:交響曲第8番ロ短調「未完成」
カール・ベーム指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
独 ELECTROLA DB 5588/90
(1940年4月ベルリン録音)
カール・ベーム(1894-1981)はオーストリアの指揮者。グラーツ大学で法学博士の学位を得た。個人教授で音楽を学んだ後、1917年グラーツ市立歌劇場でデビュー。ブルーノ・ワルター(1876-1962)の知己を得て、1921年からバイエルン国立歌劇場、1927年ダルムシュタット市立歌劇場、1931年からハンブルク国立歌劇場、1934年からドレスデン国立歌劇場の指揮者を歴任、1943年にはウィーン国立歌劇場総監督に就任した。この録音はウィーンではなく、ベルリンで行われたもので、おそらくベームとウィーン・フィルとの初録音ではないかと思う。当時46歳だったベームの若き日の記録として残したい名演奏。大戦中の録音のためベーム・ファンでもあまり知られていなかったもの。

78CDR-3591
セヴラック:
祭りの農家を目指して
リビアのキリスト像の前のラバひきたち
日向で水浴びする女たち
ブランシュ・セルヴァ (ピアノ)
日 COLUMBIA J 8099/8101(仏COLUMBIA D15140/43と同一録音)
(1929年1月7-11日録音)
ブランシュ・セヴルヴァ(1884-1942)はパリ音楽院でピアノを学び1895年に11歳で一等賞を得た。13歳でコンサート・デビューした後スコラ・カントルム音楽院でヴァンサン・ダンディ(1851-1931)に作曲を学び、1902年から同校で教鞭をとるようになった。1904年にJ.S.バッハのクラヴィーア曲全曲をピアノで演奏しパリ音楽界を驚かせた。セルヴァは1930年11月のコンサート中に卒中に襲われステージ活動から離れた。セルヴァはこのシリーズでJ.S.バッハ:パルティータ第1番 BWV.825(78CDR-3191)、フランク:前奏曲、コラールとフーガ(78CDR-3310)、カタロニア出身の女流ヴァイオリニスト、ジョアン・マッシアと共演したフランク:ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-3012)、ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」(78CDR-3028)が出ている。

33CDR-3592
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」
アルフレッド・レーヴェングート(ヴァイオリン)
フランソワーズ・ドロー(ピアノ)
独 OPERA 1147(Mono)
(1964年録音)
アルフレッド・レーヴェングート(1911-1983)はフランスのヴァイオリニスト。16歳でパリ音楽院に入りヴァイオリン、室内楽、ソルフェージュを学んだ。1929年18歳で弦楽四重奏団を組織しそのリーダーとなり、1983年レーヴェングートの死で解散した。ヴァイオリンの師はカペー弦楽四重奏団の第2ヴァイオリンだったアンドレ・トゥーレ(1903-1909在籍)で、カペーの考案した運弓法を見事に体得している。レーヴェングートのソロ録音はこの「クロイツェル・ソナタ」以外にはないと思われる。ピアノのフランソワーズ・ドロー(1910-2011)はパリ音楽院でマルグリット・ロン(1874-1966)に師事した。レーヴェングートのピアニストとして長年活躍した。

33CDR-3593
カミーユ・モラーヌ〜フォーレ歌曲集
漁夫の歌 (T.ゴーティエ詞)
夢のあとに (R.ビュッシーヌ詞)
この世で (A.シュリー=プリュドム詞)
ネル (C.M. ルコント・ドリール詞
秋 (A.シルヴェストル詞)
ある日の詩 (C.グランジャン詞)
めぐりあい
いつの日も
さらば
ゆりかご (A.シュリー=プリュドム詞)
ひめごと (A.シルヴェストル詞)
イスパハンのばら (C.M.ルコント・ドリール詞)
夜明け (A.シルヴェストル詞)
贈り物 (V.de リール=アダン)
涙 (J.リシュパン詞)
墓地にて (J.リシュパン詞)
ばら (C.M.ルコント・ドリール詞)
消え去らぬ香り L(C.M.ルコント・ドリール詞)
アルページュ (A.サメン詞)
牢獄 P(P.ヴェルレーヌ詞)
夕べ (A.サメン詞)
もっとも心地よい道 (A.シルヴェストル詞)
九月の森の中で(C.マンデス詞)
カミーユ・モラーヌ(歌)
ピエール・マイヤール= ヴェルジェ(ピアノ)
仏 Le Club Francais de Disques 191(Mono)
(1959年4月7日録音) (Recorded 7 April 1959)
(全体にLP特有のノイズあり)
カミーユ・モラーヌ(1911-2010)はフランスのバリトン・レジェ(バリトンとテノールの中間の声域)。生地ルーアンの音楽学校で学んだ後、パリ音楽院でクレール・クロワザ (1882-1946)に師事した。1940年オペラ・コミックでデビュー。ペレアス役でフルネ指揮(ジャニーヌ・ミショー:メリザンド)、アンセルメ指揮(エルナ・スポーレンベルク:メリザンド)、アンゲンルブレシュト指揮(スザンヌ・ダンコ:メリザンド)の三種の録音を残している。このフォーレ歌曲集はフランスの「レコード・クラブ」に録音されたもので、同時期にエラート社に入れたモラーヌのフォーレ歌曲集と曲目が重複していない。ピエール・マイヤール=ヴェルジェ(1910-1968)はフランスの作曲家でピアニスト。パリ音楽院でポール・デュカ(1863-1935)に師事し、1939年にカンタータ "La farce du Mari fondu" でローマ賞を得た。カミーユ・モラーヌの伴奏他いくつかの録音を残している。