2016年1月新譜 5点 発売中★DSD録音
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ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第11番ヘ長調作品95「セリオーソ」
シュナイダーハン弦楽四重奏団
ヴォルフガング・シュナイダーハン(第1ヴァイオリン)
オットー・シュトラッサー(第2ヴァイオリン)
エルンスト・モラヴェッツ(ヴィオラ)
リヒャルト・クロチャック(チェロ)
英 COLUMBIA LX8727/8
(1949年2月22、24日&3月7日ウィーン録音)
ヴォルフガング・シュナイダーハン(1915-2002)はウィーン生まれのヴァイオリニスト。ウィーン音楽院でオタカール・シェヴチーク(1852-1934)に、ついでユリウス・ヴィンクラーに師事した。1937年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に入団、1938年にアルノルト・ロゼー(1863-1946)の後任としてコンサート・マスターに就任した。1937年にウィーン・フィルハーモニーの楽員と共に自らの名前を冠した弦楽四重奏団を組織し、1951年にソリストとして独立するまで活躍した。この四重奏団はシュナイダーハンからワルター・バリリ(1921-)に引き継がれバリリ四重奏団として活躍した。
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J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調 BWV1042
ブロニスワフ・フーベルマン(ヴァイオリン)
イッサイ・ドブローウェン指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
米COLUMBIA 68376/8-D(英COLUMBIA LX407/9と同一録音)
(1934年6月13日ウィーン録音)
(オーケストラ・パートに音割れあり)
ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)はポーランド生まれ。ヴァイオリンを自在に操り、聴き手を自らの世界に引き込んでいく魔術的な演奏は1895年にブラームスのヴァイオリン協奏曲を作曲家の前で弾いて作曲者を唸らせた。フーベルマンは1892年10歳の時に大ヴァイリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)の指揮でベルリンにデビューした。活動拠点をウィーンに置いていたが、ナチスの台頭後パレスチナに移り、ドイツを追われたユダヤ系の音楽家のためにオーケストラを組織した。それが現在のイスラエル・フィル。フーベルマンはこのシリーズでJ.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番(78CDR-3228)、ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3128)と「クロイツェル・ソナタ」(78CDR-3006)、ラロ:スペイン交響曲(78CDR-3040)、チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3077)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番(78CDR-3021)、他が出ている。
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シベリウス:
交響曲第2番ニ長調作品43
カレリア組曲作品11-間奏曲
ロベルト・カヤヌス指揮
管弦楽団
米COLUMBIA 67833/7-D(英COLUMBIA LX50/4 と同一録音)
(1930年5月27-8日録音)
ロベルト・カヤヌス(1856-1933)はフィンランドの作曲家で指揮者。同国の作曲家シベリウス(1865-1957)の先輩にあたり、英国コロンビアに入れたシベリウスの交響曲第1番と第2番はこれら曲の世界初録音だった。これはその中の一曲。カヤヌスは1930年代になって英HMVが企画した「シベリウス協会」全6巻(SPレコード105枚組)の第1巻と第2巻で交響曲第3番、第5番と第7番に加え、交響詩「ポヒヨラの娘」と「タピオラ」をロンドン交響楽団を指揮して録音(SP14枚)したが、以降の巻はカヤヌスの死去によって他の指揮者に代わった。この「シベリウス協会」を推進した中心人物はロベルト・カヤヌスに他ならなかったと思う。シベリウスの交響曲第2番という名曲の原点にあたる演奏を本シリーズに加えた。
33CDR-3597 ※試聴はありません
オネゲル:チェロ・ソナタ
ドビュッシー:チェロ・ソナタ
コダーイ:無伴奏チェロ・ソナタ
ギ・ファロ(チェロ)
モニーク・ファロ(ピアノ)
仏 VEGA C30 A310(Mono)
(1961年5月パリ録音)
(全体にノイズあり)
ギ・ファロ(1927-)はフランスのチェロ奏者。ナンシーに生まれ。 9歳でスイスのローザンヌ音楽院に入り、14歳の時妹のモニークと共にジュネーヴのコンクールのソナタ部門で一等賞を得た。1946年パリ音楽院に入りポール・バズレール(1886-1958)教授のクラスで一等賞を得た。バズレールはピエール・フルニエ(1906-1986)の師としても知られている。1970年左腕の故障で演奏活動中止を余儀なくされたが、その後世界中でピアニストのリタ・ロッサと共に演奏活動をしながら、スイスのジュネーヴとローザンヌの音楽院で後進の指導にあたった。これはギ・ファロが全盛期に残した数少ない録音の一枚で、20世紀のチェロ・ソナタの名作3曲が一枚に収録された貴重な名盤の復刻。
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J.S.バッハ:
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調 BWV1001
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調 BWV1005
オシー・レナルディ(ヴァイオリン)
米 LONDON LPS423(No.1)(Mono)
英 DECCA LM4536(No.3)(Mono)
(1950年5月25-26日=No.3 、1951年6月6-7日=No.1 ロンドン NW6デッカ・スタジオ録音)
オシー・レナルディ(1920-1953)はウィーン生まれのヴァイオリニスト。1932年13歳の時にウィーンでデビュー。1937年にアメリカに移住した。1941年米国陸軍に入隊、2年後に除隊しステージに立った。レナルディが最も評判をとったのがカーネギー・ホールの演奏会で弾いたパガニーニの「奇想曲」だった。レナルディは英デッカにブラームスのヴァイオリン協奏曲をシャルル・ミュンシュ指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団と1948年に録音した(78CDR-3141)。レナルディは将来を嘱望されたアーティストだったが1953年自動車事故で世を去った。享年33歳。 |