2016年3月新譜 5点 発売中★DSD録音
33CDR-3604
モーツァルト:
モテット「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」K.165(158a)
オッフェルトリウム「神に祝福あれ」K.117(66a)
ヴェスペレ「証聖者の荘厳な晩祷」K.339 ALP1496B
エルナ・ベルガー(ソプラノ)
マルガ・ヘフゲン(コントラルト)
ホルスト・ヴィルヘルム(テノール)
フェルディナント・フランツ(バス)
カール・フォルスター指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ベルリン聖ヘドヴィッヒ聖堂合唱団
英 HMV ALP 1496
(1956年1月31日-2月2日ベルリン、ヴィンテルガルテン録音)
ソプラノのエルナ・ベルガー(1900-1990)はドレスデン生まれ、17歳でドレスデン王立歌劇場の合唱団に入った。一時家族と共に南米パラグアイに移住したが、1923年ドレスデンに戻り、1925年にバイロイトに出演した。その後各地の一流オペラハウスに出演、世界的に名前が知られるようになった。1955年に現役引退後は大学で後継の指導にあたった。コントラルトのマルガ・ヘフゲン(1921-)は1952年にベルリン・デビューした。バスのフェルディナント・フランツ(1906-1959)はドイツのカッセル生まれた。ヨーロッパ各地のオペラで活躍した。指揮者のカール・フォルスター(1904-1963)はドイツの合唱指揮者で教会音楽の専門家。ベルリン聖ヘドヴィッヒ聖堂の楽長を1934年から務めた。
33CDR-3605
シューマン:女の愛と生涯 FRUENLIEBE UND LEBEN, OP.42
ベートーヴェン:ゲラートの詩による6 つの歌 作品48
エリーザベト・ヘンゲン(アルト)
フェルディナント・ライトナー(ピアノ)(シューマン)
ミヒャエル・ラウハイゼン(ピアノ)(ベートーヴェン)
独 GRAMMOPHON LPEM 19068(Mono)
(1951年2月17日ベルリン録音)
エリーザベト・ヘンゲン(1906-1997)はドイツ生まれ、1933年ヴッパタール歌劇場でデビュー。デュッセルドルフ歌劇場(1935-1939)、ドレスデン歌劇場(1940-1943)を経てウィーン国立歌劇場に登場した。ヘンゲンは1951年に開催されたバイロイト音楽祭でフルトヴェングラー指揮のベートーヴェン「第九」交響曲に出演していた。「女の愛と生涯」でピアニストを務めるフェルディナント・ライトナー(1912-1996)はベルリン生まれ。後に指揮者として活躍するがピアニストとしてスタートした。ドイツ・グラモフォンに300
タイトル以上の録音を残した。「ゲラートの詩による6 つの歌」のピアニスト、ミヒャエル・ラウハイゼン(1889-1984)はドイツ生まれ。歌曲伴奏者として名声を上げた。1933年からドイツ語歌曲のすべてをレコードに録音することを企画し、そのため1940年からベルリン帝国放送局の声楽・室内楽部長に就任。戦後このことがナチス協力に問われ、数年間の活動禁止を命じられた。ラウハイゼンはこのシリーズでワーグナー:
ヴェーゼンドンク歌曲集ほか(ティアナ・レムニッツ Sop)が出ている(78CDR-3428)。
78CDR-3606
シューマン:ピアノ協奏曲イ短調作品54
アルフレッド・コルトー(ピアノ
サー・ランドン・ロナルド指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
米 VICTOR 8317/20(英 HMV DB2181/4 と同一録音)
(1934年3月12日ロンドン、アビー・ロード EMI第1スタジオ録音)
アルフレッド・コルトー(1877-1962)は20世紀最高のフランスのピアニスト。スイスのニヨンでフランス人の両親のもとに生まれた。1892年パリ音楽院のルイ・ディエール(1843-1919)のクラスに入り1893年に一等賞を得た。1902年にヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)、チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とピアノ・トリオを結成した。コルトーは1917年にパリ音楽院教授に任命され、1919年にパリのエコール・ノルマル(音楽師範学校)を設立した。指揮者のサー・ランドン・ロナルド(1873-1938)はロンドン生まれ。レコード黎明期からロンドンのコヴェントガーデン・オペラに出演した大歌手たちにレコード録音をすすめた功労者。ピアニスト出身で1909年ロイヤル・アルバート・ホール管弦楽団の指揮者にになり多くの録音を残した。電気録音になってからはコルトーやクライスラー(1875-1962)の協奏曲の指揮者をつとめた。コルトーとロナルドの顔合わせでフランク:
交響的変奏曲(78CDR-3130)がこのシリーズで出ている。
78CDR-3607
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
(カデンツァ: Auer/Heifetz)
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
セルゲイ・クーセヴィツキ指揮
ボストン交響楽団
米 VICTOR 15531/5S
(1939年4月11日ボストン録音)
ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に師事し10歳でデビューした。1917年16歳の時に革命を逃れ一家はアメリカに移住し、少年ハイフェッツは一流演奏家として待遇された。その後青年期、壮年期から引退するまで世界最高のヴァイオリン奏者として崇められた。セルゲイ・クーセヴィツキ(1874-1951)はロシア生まれの指揮者。ロシア革命後パリに移住、1924年から1949年の24年にわたってボストン交響楽団常任指揮者をつとめ、このオーケストラを世界的水準に育てあげた。アメリカVICTORに数多くの録音を残したが、復刻盤の数は少ない。今後このシリーズで順次紹介する予定。
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ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
イッサイ・ドブローウェン指揮
フィルハーモニア管弦楽団
英 HMV DB9032/5
(1946年6月5 & 7日ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音)
アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はシレジアのリプニク生まれ、1899年7歳でウィーン音楽院に入り、1891年から97年に名教授テオドール・レシェティツキ(1830-1913)に師事した。1901ベルリンでデビューし、1933年までこの地を本拠にした。その後イギリス、イタリアに、1939年にはアメリカに移住した。この録音は大戦後のもので、シュナーベルのベートーヴェン協奏曲の第2回目の中のもの。1930年代の第1回のものと較べて、音質が圧倒的に優っている。指揮者のイッサイ・ドブローウェン(1891-1953)はロシア帝国に生まれ、1921年ソビエトを離れノルウェーに定住しオスロ・フィルハーモニーの指揮者になった。フィルハーモニア管弦楽団を指揮してシュナーベルと共演したベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番(78CDR-3601)がこのシリーズで出ている。またウィーン・フィルハーモニーを指揮してブロニスワフ・フーベルマンと共演したJ.S.バッハの協奏曲第1番(78CDR-3228)と第2番(78CDR-3595)も出ている。 |