★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-3609〜3618

2016年5月新譜 5点 発売中★DSD録音

33CDR-3614
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」
クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)
ピエール・バルビゼ(ピアノ)
独 TELEFUNKEN TW 30011(Mono)
(1953年5月15日ハンブルク録音)
クリスチャン・フェラス(1933-1982)は49歳の若さで世を去ったフランスの名ヴァイオリニスト。父親の手ほどきで7歳からヴァイオリンを始め、1941年にニース音楽院に入学、1943年に一等賞を得た後、1944年にパリ音楽院に入りヴァイオリンをルネ・ベネデッティ(1901-1975)に、室内楽をジョゼフ・カルヴェ(1897-1984)に師事し1946年に一等賞を得た。1948年オランダのスケフェニンヘンで開かれた国際ヴァイオリン・コンクールで優勝、その後ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)について更なる研鑽を積んだ。1949年のロン=ティボー国際コンクールでは1位なしの2位入賞だったが、ここでピアニストのピエール・バルビゼ(1922-1990)と出会い以降ずっとデュオを組んだ。やがてフェラスはDECCA、EMI、DEUTCHE GRAMMOPHONに大量の録音を残していくが、この独TELEFUNKEN録音は20歳の時のもので、みずみずしい音色と高い音楽性で既に大家の風格を備えている。この時ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番も録音していた。

33CDR-3615
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
(カデンツァ:クライスラー)
シャルル・シルルニク(ヴァイオリン)
ピエール・デルヴォー指揮
コンセール・コロンヌ管弦楽団
英 WORLD RECORD CLUB T310(Mono)(仏 DUCRETET-THOMSON CC506 と同一録音)
(1962年3月2日パリ、サル・ワグラム録音)
シャルル・シルルニク(1923-2003)はパリ生まれのフランスのヴァイオリニスト。パリ音楽院ではジュール・ブーシュリ(1877-1962)とマルセル・シャイエ(1881-1936)のクラスで学び1939年に一等賞を得た。師ブーシュリゆずりの清楚で気品のある奏法はこのベートーヴェンを高貴に仕上げている。指揮のピエール・デルヴォー(1917-1992)はフランスの名指揮者。1958年から死去する1992年まで名門コンセール・コロンヌの首席指揮者をつとめ、1986年までエコール・ノルマル音楽院の教授でもあった。わが国の女流指揮者松尾葉子の師でもあった。レジオンドヌールを授与された。

78CDR-3616
ドビュッシー:
ヴァイオリン・ソナタト短調(第1&第2楽章のみ)(未発売録音)
シューベルト:
ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第3番ト短調作品137-3 D408
シューベルト(クライスラー編):
ロザムンデからのバレエ音楽
イダ・ヘンデル(ヴァイオリン)
アデラ・コトフスカ(ピアノ)
英 DECCA AR10622/3(ドビュッシー)(白レーベル・テストプレス盤)
英 DECCA K1704/5(シューベルト)
(1946年9月=ドビュッシー、1941年4月2日=シューベルト、
ロンドンNW6 デッカ・スタジオ録音)15歳で英DECCAに初録音したイダ・ヘンデル(1924年12月15日生まれ)はポーランド生まれのヴァイオリニスト。1935年ワルシャワで開かれたヴィエニアフスキ国際ヴァイオリン・コンクールでジネット・ヌヴー(18歳)、ダヴィド・オイストラフ(27歳)についで第3位に入賞、そのとき11歳だった。ヘンデル一家は1939年に祖国ポーランドを離れロンドンに移住し1940年に市民権を得た。その年に英DECCAと契約し初録音を行った。第2次世界大戦中であったにもかかわらず50枚近い録音を行ってDECCA社の看板ヴァイオリニストになった。このドビュッシーは戦後の1946年9月に録音されたもので、全曲録音されたどうか不明。ヘンデルは生涯ドビュッシーは録音していないので、資料的に重要と考え発売することにした。

78CDR-3617
シューベルト:
3つの軍隊行進曲作品51 D733
行進曲ト短調作品40-2 D819-2
モーツァルト:
2台のピアノのための協奏曲変ホ長調 K.365(316a)
アルトゥール・シュナーベル&カール・ウルリヒ・シュナーベル
(ピアノ・デュオ)
サー・エイドリアン・ボールト指揮
ロンドン交響楽団(モーツァルト)
英HMV DB3527/8(シューベルト)
英DB3033/5(モーツァルト)
(1937年10月24 & 29=シューベルト/ 1936年10月28日=モーツァルト、
ロンドン、アビー・ロード EMIスタジオ録音)
(HMV 盤特有のノイズがあります)
20世紀を代表する大ピアニスト、アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)と長男のカール・ウルリヒ・シュナーベル(1909-2001)の共演盤。父親のアルトゥールはウィーン音楽院で名教授テオードール・レシェティツキ(1830-1913)に師事した。1901年ベルリンでデビューし、1933年までこの地を本拠にした。カール・ウルリヒはベルリン生まれ。ベルリン高等音楽院でレオニード・クロイツァー(1884-1952)とパウル・ユオン(1872-1940)に師事した。後年ニューヨークのマンハッタン音楽院でピーター・ゼルキン(1947-)やマレイ・ペライア(1947-)を指導したことでも知られている。サー・エイドリアン・ボールト(1889-1983)はイギリスの指揮者。1930年にBBC交響楽団の初代指揮者に就任
した。

78CDR-3618
ベートーヴェン
ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」
ゲオルク・クーレンカンプ(ヴァイオリン)
ジークフリート・シュルツェ(ピアノ)
独 TELEFUNKEN E 3108/11
(1940年6月4-5日ベルリン録音)
(トラック4の途中にコツコツ・ノイズがあります)
ゲオルク・クーレンカンプ(1898-1948)はドイツのヴァイオリニスト。第2次世界大戦中はドイツを代表する演奏家だった。またベルリン高等音楽院のヴァイオリン科教授も務めた。クーレンカンプは1944年にスイスのルツェルン音楽院教授になり、ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)、チェロのエンリコ・マイナルディ(1897-1976)とトリオでも活躍した。ピアノのジークフリート・シュルツェは経歴不明。ポーランド出身の大ヴァイオリニスト、ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)と多くの録音をしていた。クーレンカンプの「クロイツェル・ソナタ」はピアノのケンプと入れた1935年録音がこのシリーズで出ている(78CDR-3547)。またこの「クロイツェル」と同時期にTELEFUNKENに録音した「スプリング・ソナタ」(78CDR-3217)もこれと対になる名演奏。
2016年4月新譜 5点 発売中★DSD録音

33CDR-3609
サン=サーンス:
ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調作品61
パガニーニ(クライスラー編曲):
ヴァイオリン協奏曲第1番(単一楽章のための)
アルフレート・カンポーリ(ヴァイオリン)
ピエリーノ・ガンバ指揮
ロンドン交響楽団
米 LONDON LL1624(Mono)(英DECCA LXT5298 と同一録音)
(1956年10月22-23日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
アルフレード・カンポーリ(1906-1991)はイタリア生まれのヴァイオリニスト。5歳の時、両親とイギリスに移住し、1923年にロンドンのウィグモア・ホールでデビューした。ネリー・メルバ(1861-1931)やクララ・バット(1872-1936)などの大物歌手とツアーをする一方、自らの名前を冠したサロン・オーケストラを作りBBCラジオやレコード録音で活躍した。第2次世界大戦後はクラシックの演奏家に返り咲き、英デッカの看板アーティストになった。指揮者のピエリーノ・ガンバ(1936-)はローマ生まれ。11歳で指揮者としてデビューした神童。LP初期に英デッカに録音をしていた。その後欧米各地のオーケストラを指揮して活躍し、現在ニューヨークで後進の指導にあたっている。カンポーリはこのシリーズで「クライスラー作品集」(33CDR-3563)、「カンポーリ・アンコール !」(33CDR-3577)、J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番(78CDR-3414)が出ている。復刻にはウェストレックス10Aカートリッジをモノ接続にて使用した。

33CDR-3610
モーツァルト:
ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調 K.218
(カデンツァ:ヨアヒム)
ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219
(カデンツァ:ヨアヒム)
ミッシャ・エルマン(ヴァイオリン)
ヨーゼフ・クリプス指揮
新ロンドン交響楽団
米 LONDON LL1271(Mono)(英DECCA LXT5078 と同一録音)
(チリ、パチ・ノイズあり)
(1955年5月3-5日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
ミッシャ・エルマン(1891-1967)はウクライナ出身のヴァイオリニスト。ペテルブルク音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に師事し、1904年にベルリンにデビューした。1908年、17歳でカーネギー・ホールでアメリカ・デビュー。機械式吹き込み、電気録音のSP時代のアメリカ・ヴィクターの看板ヴァイオリニストとなり、日本でも絶大な人気を博した。1950年代になって英DECCAに録音を再開した。これはその中の一枚。指揮者のヨーゼフ・クリプス(1902-1974)はウィーン生まれ。1921年名指揮者フェリックス・ワインガルトナー(1863-1942)の助手兼合唱指揮者としてウィーン・フォルクスオーパーに入り、1933にはウィーン国立歌劇場の指揮者に就任した。戦後はロンドン交響楽団、コヴェント・ガーデン王立歌劇場などの指揮者をつとめた。英DECCAに録音が多かった。復刻にはウェストレックス10Aカートリッジをモノ接続にて使用した。

78CDR-3611
モーツァルト:
交響曲第41番ハ長調 K.551「ジュピター」
ブルーノ・ワルター指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
米 VICTOR 12471/4S(HMV DB3428/31と同一録音)
(1938年1月11日ウィーン、ムジークフェライン大ホール録音)
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、その後指揮者に転向した。1894年ケルン市立歌劇場でデビュー、1896年ハンブルク歌劇場へ移った。そこで音楽監督だったグスタフ・マーラー(1880-1911)と出会い交友を深めた。ワルターは以降ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団等のの楽長、音楽監督を歴任し、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団も指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると、迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカに逃れた。この録音はウィーンを去る直前のもの。このシリーズでワルターは数多く出ているが、中でも自身でピアノを弾きながらウィーン・フィルを指揮をしたモーツァルト:ピアノ協奏曲第20番K.466(78CDR-3219)は超名演。

78CDR-3612
シューベルト:
弦楽四重奏曲第13番イ短調作品29 D.804「ロザムンデ」
弦楽四重奏曲第12番ハ短調 D.703「断章」
コーリッシュ弦楽四重奏団
ルドルフ・コーリッシュ(第1ヴァイオリン)
フェリックス・クーナー(第2ヴァイオリン)
オイゲン・レーナー(ヴィオラ)
ベルナール・ハイフェッツ(チェロ)
日本コロムビア J8413/6(英COLUMBIA LX-286/9 と同一録音)
(1934年1月8-9日ロンドン、アビー・ロードEMI第2スタジオ録音)
コーリッシ弦楽四重奏団は新ウィーン楽派の弦楽四重奏曲を演奏する目的でルドルフ・コーリッシュ(1896-1978)によって1921年に結成された。結成当時は作曲家シェーンベルクの指導のもとでウィーン弦楽四重奏団と名乗っていたが、後にコーリッシュ弦楽四重奏団に改称し、現代音楽だけではなく古典レパートリーの演奏にも取り組んだ。コーリッシュは子供の頃左手に怪我をしたため右手でヴァイリンを持ち、左手弓を持って弾いた。このシリーズでモーツァルト:弦楽四重奏第21番「プロシャ王第1番」(78CDR-3298)、第22番「プロシャ王第2番」(78CDR-3197)、音楽の冗談 K.522(78CDR-3250)、シューマン:ピアノ四重奏曲作品47(78CDR-3242)が出ている。

78CDR-3613
モーツァルト:
ピアノ・ソナタ第11番イ長調 K.331(300i)「トルコ行進曲つき」
エリー・ナイ(ピアノ)
独 POLYDOR 67596/8
(1940年9月23日ベルリン録音)
エリー・ナイ(1882-1968)はドイツの女流ピアニスト。初録音は1906年にウェルテ・ミニョン社のピアノ・ロール。ウィーンでレシェティツキーやフォン・ザウアーの薫陶を得た。1911年にオランダの指揮者ウィレム・ファン・ホーフストラーテン(1884-1964)と結婚。1921年から夫君とニューヨークに暮らす。だが1927年に離婚。ドイツに戻りヒトラー政権下で演奏活動を続けた。戦後の名誉回復後も演奏活動を続けたが、一流レコード会社には録音できずマイナーレーベルに録音していた。ナイはこのシリーズにモーツァルト:ピアノ協奏曲第15番 K.450(ホーフストラーテン指揮)(78CDR-3237)が出ている。