★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-3619〜3628

2016年7月新譜 5点 発売中★DSD録音

33CDR-3624
ルクー:ヴァイオリン・ソナタト長調
ディーリアス:セレナーデ(ハッサンより)
ヘンデル:祈り
ニン:グラナディーナ(スペイン組曲より)
ベートーヴェン(ブルメステル編):メヌエット
リムスキー=コルサコフ:くまん蜂の飛行
ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
マルセル・ガゼル(ピアノ)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)
米 RCA VICTOR LM2014(Mono)
(1954年12月2日&1953年6月30日ロンドン、アビー・ロードEMI 第3スタジオ録音)
ユーディ・メニューイン(1916-1999)はニューヨーク生まれ。サンフランシスコに移り3歳からヴァイオリンを始めた。ジグムンド・アンカー、ルイ・パーシンガー(1872-1966)に師事し、1926年10歳の時アルフレッド・ヘルツ(1872-1942)指揮サンフランシスコ交響楽団とラロのスペイン交響曲でデビューした。その後パリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)、ベルリンでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)の手ほどきを受けた。1928年に初レコード録音を行った。そのとき12歳だった。メニューインはルクーのソナタを1938年に妹のヘフツィバのピアノでSPに録音していたが、これは第2次世界大戦後の初期LP時代に再録音されたもの。当時RCAでは重要な録音はロンドンのアビー・ロード・スタジオで録音した。これはその一枚。

33CDR-3625
メンデルスゾーン:
(1)最初のすみれ
(2)恋人の手紙
(3)ゆりかごのそばで
(4)月
(5)春の歌
フランツ:
(6)私の大きな苦しみから
(7)小鳥よどこへ急ぐ
(8)静かな確信
(9)願い
(10)恋人はここにいる
(11)母よ安らぎの歌を歌って
(12)おやすみ
(13)献呈
ヴォルフ:
(14)花のあいさつ
(15)いざ、さすらえマリア
(16)私がユーフラテス川を舟で渡ったとき
(17)セレナード
(18)世をのがれて
(19)現象
(20)アナクレオンの墓
(21)つきることない愛
エリーザベ・シュマン(ソプラノ)
ジョージ・シック(ピアノ)(メンデルスゾーン & フランツ)
ジョージ・リーヴス(ピアノ)(ヴォルフ)
英 ALLEGRO ALL746(Mono)
(1950年2月6&27日、4月3日(メンデルスゾーン&フランツ)、
1950年12月7-8&18日(ヴォルフ)、ニューヨーク録音)
エリーザベト・シューマン(1885-1952)はドイツの名ソプラノ歌手。1909年ハンブルク歌劇場でデビューした。シューマンはオペラ、オペレッタ、宗教曲、リートと幅広いレパートリーを誇り、1910年代の機械式録音時代からレコード録音で活躍した。この録音はシューマンが65歳のもの。マンハッタンの75丁目東に住んでいたシューマン邸で録音されたもの。当時シューマンはEMIとの録音契約が続いていたが、ALLEGRO社はEMIと交渉し、この録音を実現させた。大歌手の人生最後の滋味深い歌唱がテープ録音で残された貴重な文化遺産である。ピアノのジョージ・シック(1908-1985)プラハ生まれ。1940年にアメリカに移住し、ピアニスト、指揮者、ヴォーカル・コーチとして活躍した。もう一人のピアニスト、ジョージ・リーヴスは英国生まれ、クレール・クロワザ(1882-1947)のSP録音(78CDR-3341)の伴奏者でもあった。シューマンはこのシリーズで「すみれ・野ばら」(78CDR-3300)とシューマン「女の愛と生涯」(78CDR-3273)が出ている。

78CDR-3626
ジネット・ヌヴー初録音集
アパッショナータ-4つの小品より(スーク)
ノクターン第20番嬰ハ短調遺作(ショパン:ロディオノフ編)
精霊の踊り-オルフェオとエウリディーチェより(グルック)
シチリアーノ(パラディス:ドゥシュキン編)
ジネット・ヌヴー(ヴァイオリン)
ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(ピアノ)
(1938年ベルリン録音)
ヌヴー19歳の初録音SP盤3枚の内の2枚で、もう一枚は78CDR-3148で出ている。ジネット・ヌヴー(1919-1949)はジョルジュ・エネスコ(1881-1955)にヴァイオリンの手ほどきを受けた後、11歳でパリ音楽院のジュール・ブーシュリ(1877-1962)のクラスに入り8カ月後に一等賞を得た。この8カ月という短期間はヌヴー受賞の50年前にヴィエニャフス(1835-1880)が打ち立てた記録と同じだった。ヌヴーはその後ベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)のもとでさらに研鑽を積んだ。1935年にワルシャワで開かれたヴィエニャフスキ・ヴァイオリン・コンクールに16歳で参加し180人の競争者に勝ち抜き優勝した。その時の第2位はソ連から参加した27歳のダヴィド・オイストラフ(1908-1974)だった。ヌヴーは1949年アメリカに向かう航空機事故で30歳の生涯を閉じた。

78CDR-3627
ベートーヴェン:
チェロ・ソナタ第3番イ長調作品69
メヌエット ト長調
パブロ・カザルス(チェロ)
オットー・シュルホフ(ピアノ)
米 VICTROLA 7568/70(英HMV DB1417/9と同一録音)
(1930年3月6-7日イギリス、ミドルセックス州ヘイズ、HMV スタジオA 録音)
パブロ・カザルス(1878-1973)はスペインのカタルーニャ地方の町エル・ベドレルに生まれた偉大なチェロ奏者。バルセロナ音楽院でチェロ、ピアノ、楽理、作曲を学んだ。1890年バルセロナでバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜に出会った。1899年23歳でパリ・デビュー、1904年バッハの無伴奏チェロ組曲を初めて公開演奏した。1902年ピアノのコルトー、ヴァイオリンのティボーとトリオを結成。1908年コンセール・ラムルー管弦楽団で指揮デビューした。レコード録音は機械式録音時代の1915年から始めバッハの無伴奏チェロ組曲第3番から4曲、G線上のアリアほか小品を18面録音した。ピアノのオットー・シュルホフ(1889-1958)はオーストリア出身。ウィーン音楽院の教授をつとめたほか、パブロ・カザルスとの演奏活動を行った。カザルスはこのシリーズでベートーヴェン:チェロ・ソナタ第1番(78CDR-3221)ほか多数出ている。

78CDR-3628
タルティーニ:
ヴァイオリン・ソナタト短調作品6-2 「悪魔のトリル」
ヴァーシャ・プシホダ(ヴァイオリン)
オットー・グレーフ(ピアノ)
独 GRAMMOPHON 57099/100
(1938年8月28日ベルリン録音)
ヴァーシャ・プシホダ(1900-1960)はチェコのヴォズナニーに生まれた。11歳でプラハ音楽院に入った。ミラノの演奏会に居合わせた大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)を驚嘆させ「新しいパガニーニ」と称賛されたのがきっかけでヨーロッパ諸国で認められた。1921年にアメリカ・デビュー、1927年にはロンドン公演をした。プシホダは1930年にヴァイオリニストのアルマ・ロゼー(1906-1944)と結婚したが1935年に別れた。アルマ・ロゼーはウィーン・フィルのコンサート・マスターを長年つとめたアルノルト・ロゼー(1863-1946)の娘。プシホダは第2次世界大戦中はザルツブルクのモーツァルテウムで教鞭をとった。大戦後はウィーンを拠点に教鞭と演奏活動をした。このアルバムの第4面でプシホダ自身の豪華絢爛なカデンツァが聴けるのが大きな特長。このシリーズにある「ヴァーシャ・プシホダの芸術」(78CDR-3574)と共にこのヴァイオリニストの名人芸を堪能していただきたい。
2016年6月新譜 5点 発売中

33CDR-3619
ラロ:スペイン交響曲作品21
アルフレート・カンポーリ(ヴァイオリン)
エドゥアルト・ファン・ベイヌム指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
英 DECCA LXT2801(Mono)
(1953年3月3-4日ロンドン、キングスウェイ・ホール録音)
アルフレード・カンポーリ(1906-1991)はイタリア生まれのヴァイオリニスト。5歳の時両親とイギリスに移住し、1923年ロンドンのウィグモア・ホールでデビューした。ネリー・メルバ(1861-1931)やクララ・バット(1872-1936)などの大物歌手とツアーをする一方、自らの名を冠したサロン・オーケストラをつくりBBCラジオやレコード録音で活躍した。第2次世界大戦後はクラシックの演奏家に返り咲き、英デッカの看板アーティストになった。指揮者のエドゥアルト・ファン・ベイヌム(1901-1959)はオランダ生まれ。1929年にアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団にデビュー、1931年メンゲルベルグの招きで次席指揮者に、1938年からはメンゲルベルクと共に首席指揮者として活躍した。1945年メンゲルベルクの後をついでコンセルトヘボウ管弦楽団の音楽監督となった。また1949年から51年にかけてロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者もつとめた。1959年コンセルトヘボウ管弦楽団とのリハーサル中に心臓発作で急逝した。享年57歳。

78CDR-3620
シューマン:
謝肉祭 作品9
交響的練習曲 作品13
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
英 HMV ALP1142(Mono)
(1953年5月7-8日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
アルフレッド・コルトー(1877-1962)は20世紀最高のフランスのピアニスト。スイスのニヨンでフランス人の両親のもとに生まれた。1892年パリ音楽院のルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスに入り1893年に一等賞を得た。1902年にヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)、チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とピアノ・トリオを結成した。コルトーは1917年にパリ音楽院教授に任命され、1919年パリのエコール・ノルマル(音楽師範学校)を設立した。この録音は1953年、LP時代にコルトーが残した貴重な演奏で録音時コルトーは75歳だった。コルトーはこの録音の前年の1952年、 9月から11月に日本に滞在し公演を行った。その時立ち寄った山口県の川棚村のホテルの窓から見た無人島の厚島に是非住みたいと言って、島の名を「孤留島」(コルトー)とすることも討議されが、帰国後体調を崩し再来日は叶わなかった。

78CDR-3621
ドビュッシー:
フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ(1916)
マルセル・モイーズ(フルート)
リリー・ラスキーヌ(ハープ)
アリス・メルケル(ヴィオラ)
米 RCA VICTOR 13810/11(仏 V.S.M. L1066/7 と同一録音)
(1938年11月7日パリ録音)
フルートのマルセル・モイーズ(1889-1984)はパリ音楽院でポール・タファネル(1844-1908)、アドルフ・エンヌバン、フィリップ・ゴーベール(1879-1941)らに師事し、1906年に一等賞を得て1908年にソロ・デビューした。1913年から32年にオペラ・コミック、1922年から33年にはストララム管弦楽団に席を置いた。1932年から49年にパリ音楽院の教授もつとめた。ハープのリリー・ラスキーヌ(1893-1988)は12歳の時パリ音楽院で一等賞を得た。コンセール・ラムルーのハープ奏者であったが、ソリストとしても活躍した。1948年から58年にかけてパリ音楽院の教授をつとめた。アリス・メルケルはヴァイオリニストのアンリ・メルケル夫人。モイーズとラスキーヌは1928年にフランス・オデオンにこの曲を録音していた(78CDR-3064)が、この10年後の再録音と是非聴き比べをおすすめしたい。

78CDR-3622
ベートーヴェン:
弦楽四重奏曲第8番ホ短調作品59-2「ラズモフスキー第2番」
ブダペスト弦楽四重奏団
ヨーゼフ・ロイスマン(第1ヴァイオリン)
アレクサンダー・シュナイダー(第2ヴァイオリン)
イシュトヴァン・イポリー(ヴィオラ)
ミッシャ・シュナイダー(チェロ)
米 RCA VICTOR 16856/9 英 HMV DB2907/10と同一録音
(1935年4月24日ロンドン、アビー・ロードEMI 第3スタジオ録音)
(レコードのキズに起因するパチノイズがあります)
ブダペスト弦楽四重奏団は1917年ブダペスト歌劇場管弦楽団のメンバー 4人によって結成され、1967年に解散した。1932年に初代のリーダーだったエミール・ハウザー(在籍1917-32)からヨーゼフ・ロイスマン(1900-1974)になり、アメリカをベースに活躍し20世紀中期最高の四重奏団として君臨した。アレクサンダー・シュナイダー(在籍1933-45、1955-67)は第2ヴァイオリン奏者で一時期ソリストと自からの四重奏団を結成して活躍していた。ヴィオラのイシュトヴァン・イポリー(在籍1917-36)はボリス・クロイト(在籍1936-67)に代わった。チェロのオリジナル・メンバーであるハリー・ソン(在籍1917-30)はミッシャ・シュナイダー(在籍1936-67)に代わった。この録音はヴィオラがオリジナル・メンバーのイシュトヴァン・イポリーが弾いている。イポリーは4 人の中で唯一のハンガリー人で、他はロシア人。

78CDR-3623
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番変ロ長調 作品130
ブダペスト弦楽四重奏団
ヨーゼフ・ロイスマン(第1ヴァイオリン)
アレクサンダー・シュナイダー(第2ヴァイオリン)
イシュトヴァン・イポリー(ヴィオラ)
ミッシャ・シュナイダー(チェロ)
独 ELECTROLA DB2239/43(英 HMV DB2239/43と同一録音)
(1933年8月10日&1934年4月4-5日ロンドン、アビー・ロードEMI 第3スタジオ録音)
ブダペスト弦楽四重奏団は1917年ブダペスト歌劇場管弦楽団のメンバー 4人によって結成され、1967年に解散した。1932年に初代のリーダーだったエミール・ハウザー(在籍1917-32)からヨーゼフ・ロイスマン(1900-1974)になり、アメリカをベースに活躍し20世紀中期最高の四重奏団として君臨した。アレクサンダー・シュナイダー(在籍1933-45、1955-67)は第2ヴァイオリン奏者で一時期ソリストと自からの四重奏団を結成して活躍していた。ヴィオラのイシュトヴァン・イポリー(在籍1917-36)はボリス・クロイト(在籍1936-67)に代わった。チェロのオリジナル・メンバーであるハリー・ソン(在籍1917-30)はミッシャ・シュナイダー(在籍1936-67)に代わった。この録音はヴィオラがオリジナル・メンバーのイシュトヴァン・イポリーが弾いている。イポリーは4 人の中で唯一のハンガリー人で、他はロシア人。