★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-3689〜3698

2017年9月新譜 5点 9月下旬発売開始予定★DSD録音

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ラロ:
スペイン交響曲作品21
ノルウェー狂詩曲
ドヴィ・エルリ(ヴァイオリン)
デジレ=エミ-ル・アンゲルブレシュト指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
仏デュクレテ・トムソン 320 C 124(Mono)
1956年10月29-31日パリ、サル=アポロ録音
(原盤のキズによるノイズが多数あります。ご容赦ください)
ドヴィ・エルリ(1928-2012)はパリ生まれのフランスのヴァイオリニスト。パリ音楽院でジュール・ブーシュリ(1877-1962)に師事し1942年に14歳で一等賞を得た。1955年のロン=ティボー国際音楽コンクールのヴァイオリン部門で優勝しソリストとして活動を開始した。1968年にマルセイユ音楽院の教授になり、1973年にはマルセイユ・ゾリステンを設立した。1982年にパリ音楽院教授に就任。1995年以降はエコル・ノルマル音楽院で後進の指導にあたった。2012年2月7日火曜日の朝、音楽院に向かう途中トラックに接触して事故死した。享年83歳。エルリの師ブーシュリの指導についての思い出の書簡が「ヴァイオリンの奥義ジュール・ブーシュリ回想録」マルク・ソリアノ編桑原威夫訳(音楽之友社)の168ページにある。師ブーシュリとドニーズ・ソリアノ、兄弟弟子のセルジュ・ブランと第2次大戦中の1942年に撮った写真も同書213ページにある。指揮者のデジレ=エミ-ル・アンゲルブレシュト(1880-1965)はフランスの指揮者。パリ音楽院では放校処分を受けたが、作曲家ドビュッシー(1862-1918)に認められ「聖セバスチャンの殉教」(1911年初演)の合唱指揮者に起用された。1934年に設立されたフランス国立放送管弦楽団の初代指揮者に就任した。この録音はデュクレテ・トムソン社に残された貴重な記録である。

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パリのお嬢さん-ジャクリーヌ・フランソワ初期録音集
パリのお嬢さん(1948)
ボレロ(1948)
バラ色の人生(1948)
ラ・メール(1948)
ラ・セーヌ(1948)
パリの夜(1948)
詩人の魂(1950)
三度もありがとう(1950)
ジャクリーヌ・フランソワ/歌
ポール・デュラン楽団
ポール・バロン楽団
ジョー・ボワイエ楽団
米 VOX VL 3010 & VL 3070(モノ)仏 POLYDOR録音
1950年発売()内年号は録音年)
(原盤のキズによるノイズが多数あります。ご容赦ください)
ジャクリーヌ・フランソワ(1922-2009)はフランスのシャンソン歌手。最初ピアノとソルフェージュ(一種の歌唱訓練)を学んだが歌手になるのが夢だった。作曲家兼バンドリーダーのポール・デュラン(1907-1977)に出会い、フランスPOLYDORに「春なのよ C'est le printemps 」と「春 Printemps」の2曲を録音した。「春なのよ」は20世紀フォックス映画「ステート・フェア」の中で歌われた「It might as well be spring」が原曲で、リチャード・ロジャースのアカデー賞受賞作品。フランソワはこの仏訳をデュランのオーケストレーションで録音した。それはフランソワにとって初レコーディングだったが、いきなりACCディスク大賞に輝いた。続いて1948年制作の映画「パリのスキャンダル」の中で「パリのお嬢さん」と「ボレロ」を歌った。この2曲がフランスだけではなくアメリカでも大ヒットした。「ボレロ」はアメリカで「オール・マイ・ラヴ」としてパティ・ペイジが歌い、ベスト・セラーになった。「マドモワゼル・ド・パリ」はヒット曲を追って同名映画が制作されフランソワが出演した。ここでは懐かしいシャンソンの名曲が聴ける。

78CDR-3696
J.S.バッハ:結婚カンタータ「消えよ、悲しみの影よ」BWV. 202
エリーザベト・シューマン(ソプラノ)
ミッチェル・ミラー(オーボエ)
イェラ・ペッスル(指揮とハープシコード)
シルヴァン・シュルマン(ヴァイオリン)
アラン・シュルマン(チェロ)
米 VICTOR 2075/7
1941年10月10日&11月22日ニューヨーク、RCA VICTOR第2スタジオ録音
エリーザベト・シューマン(1885-1952)はドイツ生まれの名ソプラノ。1909年ハンブルク歌劇場でデビューし、機械式録音の時代から活躍した人気歌手。この録音時シューマンは56歳だった。オーボエのミッチェル・ミラー(1911-2010)はニューヨーク州ロチェスター生まれ。1932年にイーストマン音楽学校を卒業後オーボエ、イングリッシュ・ホルン奏者として活躍し、その後アメリカCOLUMBIAの制作部長として多くの名アーティストを世に送り出した。また自らミッチ・ミラー合唱団を組織しヒット作品を生んだ。指揮とハープシコードのイェラ・ペッスル(1906-1991)はウィーン生まれの女流。1931年アメリカに移住した。ヨーロッパ時代から名声があったがアメリカではトスカニーニやワルターの指揮のもとで演奏したりソロ・リサイタルを多数開いた。またコロンビア大学でも教鞭をとった。ヴァイオリンのシルヴァン・シュルマンとチェロのアラン・シュルマンはスタイヴザント弦楽四重奏団のメンバー。これは日米開戦前夜の録音。

78CDR-3697
ブラームス:クラリネット五重奏曲ロ短調作品115
レジナルド・ケル(クラリネット)
ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ゲスタ・アンドレアソン(第2ヴァイオリン)
カール・ドクトル(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)
英 HMV DB3383/6
1937年10月10日ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音
レジナルド・ケル(1908-1981)は英国のクラリネット奏者。王立音楽アカデミーでハイドン・ドレイパーに師事し、在学中からロイヤル・フィルハーモニー協会オーケストラの首席奏者をつとめ、卒業後ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団に移籍した。戦後の1948年アメリカに渡りコンサートやレコーディングのほかベニー・グッドマン(1909-1988)やピーナッツ・ハッコー(1918-2003)らにクラシック奏法を指導した。1958年に母国に帰り晩年は画家として余生を送った。このシリーズでベートーヴェン「街の歌」(78CDR-3672)とモーツァルト:クラリネット五重奏曲(78CDR-3691)が出ている。ブッシュ弦楽四重奏団は1919年にヴァイオリニストのアドルフ・ブッシュ(1981-1952)によって組織され、1930年代に英HMVに多くの録音を残した。このシリーズでも多数出ている。

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シューベルト:歌曲集「美しき水車屋の娘」作品25 D.795
エルンスト・ヴォルフ(バリトン&ピアノ)弾き語り
米COLUMBIA 9137/41M & 4196/8M
1937年3月-1938年1月ニューヨーク録音
エルンスト・ヴォルフ(1905-1992)はバリトン歌手、ピアニスト、指揮者のユダヤ系ドイツ人。1937年にアメリカ国籍を得て移住し、ユダヤ系の音楽家マックス・ラインハルト(1873-1943)とクルト・ヴァイル(1900-1950)の後押しで、フランツ・ウェルフェルの戯曲の制作アシスタントとして働いた。ウェルフェルはグスタフ・マーラーの未亡人アルマが三度目に結婚した人物。ヴォルフはニューヨークでユダヤ人音楽家組織の中心人物となり、またピアノの弾き語りでこのシューベルト「美しき水車屋の娘」の他にロベルト・フランツ歌曲集、クララ・シューマン歌曲集、フランツ・リスト歌曲集をアメリカCOLUMBIAの78回転盤に録音を残した。大戦後の1948年ヨーロッパに戻りスイスに定住、後進の指導にあたった。
2017年8月新譜 5点 発売中★DSD録音

今月はモーツァルト特集です。

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モーツァルト:
ヴァイオリン・ソナタ第32番ヘ長調 K.376(374d)
ヴァイオリン・ソナタ第25番ト長調 K.301(293a)
ヴァイオリン・ソナタ第28番ホ短調 K.304(300c)
ヴァイオリン・ソナタ第24番ハ長調 K.296
ジョージ・セル(ピアノ)
ラファエル・ドルイアン(ヴァイオリン)
米 COLUMBIA MS7064 (ステレオ)
録音:1967年8月1日
ジョージ・セル(1897-1970)はハンガリー生まれ。ウィーンとライプツィヒで学び、10歳の時にピアニストとしてウィーン交響楽団の演奏会でデビュー、17歳でベルリン・フィルを指揮した。1930年から36年にはチェコ・フィルの音楽監督、1942年から46年にはニューヨークのメトロポリタン歌劇場の指揮者だった。1946年にアメリカ市民となり、46年から70年までクリーヴランド管弦楽団の音楽監督の地位にあった。ヴァイオリンのラファエル・ドルイアン(1922-2002)はロシアのヴォローダ生まれ、幼少の頃両親はキューバのハバナに移住した。ハバナ・フィルハーモニーの指揮者だったアマデオ・ロルダン(1900-1939)に最初の手ほどきを受け、さらにフィラデルフィアのカーティス音楽院でエフレム・ジンバリスト(1899-1985)のもとで研鑽を積んだ。1943年から46年の兵役後、指揮者のアンタル・ドラティ(1906-1988)からダラス交響楽団のコンサートマスターに指名され、1949年ドラティがミネアポリス交響楽団に移ったとき一緒にコンサートマスターとして移籍した。1960年にはジョージ・セルに乞われてクリーヴランド管弦楽団のコンサートマスターになった。このシリーズでシューベルト「大幻想曲」ほか(33CDR-3515)が出ている。

33CDR-3690
モーツァルト:
ヴァイオリン・ソナタ第34番変ロ長調 K.378(317d)
ルッジェーロ・リッチ(ヴァイオリン)
グラウコ・ダッティーリ(ピアノ)
ピアノ・ソナタ第10番ハ長調 K.330(300h)
幻想曲ニ短調 K.397(385g) (4:53)
エマ・ボワネ(ピアノ)
米 VOX VLP 6400(U.S.)(モノ)
1949年録音(原盤に起因する音ユレあり)
ルッジェーロ・リッチ(1918-2012)はアメリカのヴァイオリニスト。名教師ルイ・パーシンガー(1887-1966)に師事し、16歳でサンフランシスコでデビューした。1930年代にベルリンでゲオルク・クーレンカンプ(1898-1948)の門下に入った。1942年から45年まで米軍籍で慰問演奏に携わった。ピアノのグラウコ・ダッティーリはローマ生まれ。テノール歌手ベニャミーノ・ジーリ(1890-1957)が1927年ニューヨークに連れてきて、ファースト・ピアノ四重奏団(1941年設立)のメンバーになり活躍し2007年に死去した。エマ・ボワネ(1891-1971)はパリ音楽院のピアノ科の名教授イジドール・フィリップ(1863-1958)のクラスで一等賞を得た。ボストン交響楽団の指揮者だったセルゲイ・クーセヴィツキー(1874-1951)はボワネのモーツァルトを聴いて "まるで天使が弾いているようだ" と絶賛し、ボストン交響楽団の演奏会にソリストとして何度も招いて共演した。ボワネはニューヨークのアメリカン・カレッジ・オブ・ミュージックで教鞭を取った。録音はSP時代米RCAに、初期LP時代には米VOXに残した。

78CDR-3691
モーツァルト:クラリネット五重奏曲イ長調 K.581
レジナルド・ケル(クラリネット)
フィルハーモニア弦楽四重奏団
ヘンリー・ホルスト(第1ヴァイオリン)
アーネスト・エレメント(第2ヴァイオリン)
ハーバート・ダウンズ(ヴィオラ)
アンソニー・ピーニ(チェロ)
英 COLUMBIA DX8206/8209
録音:1945年2月5日ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ
レジナルド・ケル(1908-1981)は英国のクラリネット奏者。王立音楽アカデミーでハイドン・ドレイパーに師事し、在学中からロイヤルフィルハーモニー協会オーケストラの首席奏者をつとめ、卒業後ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団に移籍した。戦後の1948年にアメリカに渡りコンサートやレコーディングのほかベニー・グッドマン(1909-1988)やピーナッツ・ハッコー(1918-2003)らにクラシック奏法を指導した。1958年に母国に帰り晩年は画家として余生を送った。このシリーズでベートーヴェン「街の歌」(78CDR-3672)が出ている。フィルハーモニア弦楽四重奏団は1940年代初頭にできたイギリスの団体。リーダーのヘンリー・ホルスト(1899-没年不詳)は1923年から1931年までベルリン・フィルのコンサートマスターをつとめていた。ヴィオラのハーバート・ダウンズ(1909-2004)はポール・ビアードやカール・フレッシュ(1873-1944)に師事した。チェロのアンソニー・ピーニ(1902-1989)はソリストとしても活躍し録音も多くある。

78CDR-3692
モーツァルト:
セレナード第11番変ホ長調 K.375
(2本のオーボエ、2本のクラリネット、2本のホルン、2本のバスーンのための)
ミッチェル・ミラー&アルバート・ゴルツァー(オーボエ)
クラーク・ブロディ&シドニー・パワーズ(クラリネット)
エレン・ストーン&フリップ・パーマー(ホルン)
ハロルド・ゴルツァー&ルイ・マストロコーラ(バスーン)
ナショナル・オーケストラ・アソシエーション同窓会のメンバー
(リチャード・コーン監修)
米 RCA VICTOR 18174/6(Set DM826)
録音:1941年5月27日
オーボエを吹いているミッチェル・ミラー(1911-2010)は後にミッチ・ミラーとしてアメリカのポップス業界を牛耳った大人物。ニューヨーク州ロチェスターに生まれ10代の頃オーボエを習い始め、名門のイーストマン音楽学校に進んだ。1932年に優秀な成績で卒業後オーボエ、イングリッシュ・ホルン奏者として活躍した。これはミッチ・ミラーが30歳の時のもので、演奏家として恐らく最初の録音と思われる。ここに登場する演奏家が所属していたナショナル・オーケストラ・アソシエーションは1930年に創立され、若い演奏家達の "トレーニング・スクール" だった。それは音楽学校を卒業したての若手ミュージシャンを既成のオーケストラに橋渡しをする機関でオーケストラメンバーの人たちが直面する演奏テクニックや音楽解釈上の問題を指導した。音楽監督は1930から1958年までレオン・バージン(1900-1999)、1958年以降はジョン・バーネット(1917-)がつとめた。このシリーズでロジーナ・レヴィーンの演奏するショパン: ピアノ協奏曲第1番(33CDR-3649)が出ている。

78CDR-3693
モーツァルト
弦楽四重奏曲第15番ニ短調 K.421(417b)
ハンガリー弦楽四重奏団
ゾルタン・セーケイ(第1ヴァイオリン)
アレクサンドル・モシュコフスキー(第2ヴァイオリン)
デーネシュ・コロムサイ(ヴィオラ)
ヴィルモシュ・パロタイ(チェロ)
英 HMV DB9106/8
録音:1946年5月13-14日ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ
ハンガリー弦楽四重奏団は1935年にブダペストで結成され、1970年に解散した。メンバーの在籍期間は次の通り。第1ヴァイオリン:シャードル・ヴェーグ(1935)、ゾルタン・セーケイ(1935-70)。第2ヴァイオリン:ペーテル・セルヴァンスキー(1935)、シャーンドル・ヴェーグ(1935-1940)、アレクサンドル・モシュコフスキー(1940-59)、マイケル・カットナー(1959-70)。ヴィオラ:デーネシュ・コロムサイ(1935-70)。チェロ:ヴィルモシュ・パロタイ(1935-56)、ガブリエル・マジャール(1956-70)。グループは1937年にオランダに移住、1956年にアメリカ国籍をえた。これは第2次世界大戦直後に録音されたもの。リーダーのゾルタン・セーケイ(1903-2001)は名ヴァイオリン奏者イエノ・フバイ(1858-1937)に師事し、ゾルタン・コダーイ(1882-1967)に作曲を学び、作曲家ベラ・バルトーク(1881-1945)とは少年時代からの友人だった。