★★★グッディーズ・オリジナル企画★★★

新 忠篤 氏協力
ダイレクト・トランスファー CD-R

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第11回以降発売分 78CDR-3929〜3943

2024年1月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3929
「超人歌姫! 関屋敏子名唱集(1)」
見よ優しいひばりを(ビショプ)(英語歌唱)
セレナーデ(シューベルト-堀内敬三訳詩)
子守歌(シューベルト-内藤 濯訳詩
旅愁(オードウェイ作曲-犬童球渓訳詩)
故郷の廃家(ヘイズ作曲-犬童球渓訳詩)
庭の千草(アイルランド民謡)

関屋敏子(ソプラノ)
ナサニエル・シルクレット指揮
ヴィクター・サロン・オーケストラ
Nカルロ・サバイーノ指揮
ミラノ・スカラ座管弦楽団
管弦楽伴奏
日VICTOR J1001 1932年2月4日ニューヨーク録音
日VICTOR 13233 1932年2月4日ニューヨーク録音
日VICTOR 4135 1929年10月ミラノ録音
日VICTOR 11384 1934年日本録音
関屋敏子(1903-1941)は20世紀前半を代表するソプラノ歌手。東京・小石川生まれ。東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)中退。1928年にデビュー後イタリアに留学し、ボローニャ大学で学んだ後スカラ座のオーディションに合格しヨーロッパ各地で活躍した。その経歴は近刊の「関屋敏子-日本唯一の超人歌姫の謎」(江本弘志著)(文芸社)に詳しい。ここではポピュラーな曲を選んだが、関屋は50枚以上のSPレコード録音があり、未復刻のものを含めて将来このシリーズで発売する予定。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジのスピリッツSP78rpm(4mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3930
シューマン:子供の情景 作品15
マリラ・ジョナス(ピアノ)
米 COLUMBIA 72498/9C
1947年9月30日ニューヨーク録音
マリラ・ジョナス(1911-1959)はポーランドのワルシャワ生まれ。9歳の時ワルシャワでデビューし、大ピアニスト、パデレフスキの弟子になった。1922年に国際ショパン賞、翌23年にはウィーンでベートーヴェン賞を受賞、1926年からヨーロッパ各地でリサイタルを開くようになった。しかし1939年にナチス・ドイツのポーランド侵攻によって、強制収容所に収監されたが、数週間後に演奏を聴いたことがあるドイツの高官の手助けを得て脱走、数カ月かけてベルリンのブラジル大使館まで約520キロメートルを徒歩で逃亡、リスボン経由でブラジルのリオ・デジャネイロへ亡命した。しかし同郷のアルトゥール・ルービンシュタインが声をかけ、1946年2月25にニューヨークのカーネギー・ホールでアメリカ・デビューして成功をおさめた。1946年にアメリカCOLUMBIAに録音を始めたが、1959年に病気のため48歳で死去した。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジのスピリッツSP78rpm(4mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。

78CDR-3931 ※機械式録音(電気録音以前)の復刻音源
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調 作品131
レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)
英 COLUMBIA L1581/85
1924年2月11日、2月21日、2月22日&8月24日録音
レナー弦楽四重奏団は1918年にハンガリーのブダペストで結成された。メンバー全員がブダペスト音楽院出身。リーダーのイェノ・レナー(1894-1948)、第2ヴァイオリンのヨーゼフ・スミロヴィッツとヴィオラのシャーンドル・ロートがイェノ・フバイ(1858-1937)の弟子、チェロのイムレ・ハルトマンがダヴィッド・ホッパー(1843-1913)に師事した。4人はブダペスト・オペラの楽員だったが、1918年のハンガリー革命を機に弦楽四重奏団を結成した。2年に渡って田舎の村にこもって練習を積んだ後、1920年にウィーンでデビューした。そこに居合わせた作曲家のラヴェル(1875-1937)が演奏に感動し、彼らをパリに招いた。公演はセンセーショナルな成功を収め、その後1922年にロンドンにデビューした。この録音はレナー弦楽四重奏団初のベートーヴェン録音。9年後の1933年には電気録音で再録音している。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジのスピリッツSP78rpm(4mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。
2024年2月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3932
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」
シモン・ゴールドベルク(ヴァイオリン)
リリー・クラウス(ピアノ)
日COLUMBIA JW100/104
1936年12月4、5&7日、ロンドン録音
ヴァイリンのシモン・ゴールドベルク(1909-1993)はポーランド生まれ。8歳の時ベルリンで名教師カール・フレッシュ(1873-1944)に師事し、12歳でワルシャワでデビューした。1916年16歳でドレスデン・フルハーモニーのコンサートマスターに任命され、1929年20歳の時フルトヴェングラー(1886-1954)の招きでベルリン・フィルハーモニーのコンサートマスターに就任した。1934年政権を得たナチスによってその地位を追われ、ニューヨークでデビュー、戦後アメリカ国籍を得て演奏活動と後進の指導を行った。1990年から没年まで新日本フィルハーモニーの指揮者をつとめ、富山県の立山のホテルで死去した。ピアノのリリー・クラウス(1903-1986)はハンガリー生まれ、ブダペスト音楽院でゾルターン・コダーイ(1882-1951)の薫陶を得た。1942年シモン・ゴールドベルクと楽旅中、ジャワ島で日本軍に捕らえられ、家族共々1945年まで抑留生活を送った。戦後はイギリス国籍を取得し活発な演奏活動を行った。
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78CDR-3933
ブラームス:チェロ・ソナタ第1番ホ短調作品38
ベアトリス・ハリソン(チェロ)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)
英 HIS MASTER'S VOICE D1380/82
1927年4月11日 ロンドン録音
ベアトリス・ハリソン(1892-1965)は20世紀前半に活躍したイギリスの女流チェロ奏者。インド北西部のルーキーに生まれ、幼少期に一家はイギリスに戻り、ロンドンの王立音楽院で学んだ。その後ベルリン高等音楽院に留学、1910年にメンデルスゾーン賞を受賞、ベヒシュタイン・ホールでデビューした。師はフーゴ・ベッカー(1863-1941)。ハリソンは1920年11月、HIS MASTER'S VOICEにエルガーのチェロ協奏曲を作曲者の指揮で録音(HMVD1507/09)したのを皮切りに、イギリスの作曲家、特にディーリアス(1862-1934)の作品の多くの初演を行った。ピアノのジェラルド・ムーア(1899-1987)はイギリスのハートフォード生まれ。名伴奏ピアニストとして多くの歌手や器楽奏者と共演した。
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78CDR-3934
シューマン: 女の愛と生涯 作品42
(1)あの人に会ってから
(2)だれよりも素晴らしい彼
(3)わたしにはわからない
(4)指につけた指輪よ
(5)やさしい友よ、君の眼差しは
(6)いまあなたは最初の悲しみをわたしに与えた
エミー・ベッテンドルフ(ソプラノ)
フリーデル・ヴァイスマン(ピアノ)
日Parlophone E 10696/89(独 Parlophone P 9281/3と同一録音)
1926年12月13日&9月30日 ベルリン録音
(第5曲「友に手をかして」と第7曲「わたしの心に、わたしの胸に」は録音されていません)
エミー・ベッテンドルフ(1895-1963)はフランクフルト生まれのソプラノ。1909年、14歳の時フランクフルト歌劇場でデビュー。1920年から1924年にベルリン国立歌劇場、その後ベルリン・ドイツ・オペラに出演した。ドラマティック・ソプラノでオペラだけではなく、あらゆるジャンルの声楽曲をこなし、生涯に300枚に及ぶSPレコードをドイツのPARLOPHONEに録音した。舞台を引退後レコード録音を続けると同時にベルリン音楽院で教鞭をとり、その後病気がちで68歳で死去した。伴奏者のフリーデル・ヴァイスマン(1893-1984)は指揮者でピアニスト。1921年から1933年の間に、ドイツのPARLOPHONEとODEONレーベルに多数の録音を残した。ラッパ吹き込み時代の1924年-25年にかけてベートーヴェンの交響曲全曲の初録音をしている。
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2024年3月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3935
ショパン:ワルツ集(第1-14番)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)(ピアノ:Steinway)
仏 DISQUE GRAMOPHONE DA4982/84(25cm盤), W1603/05(30cm盤)
1943年5月24日パリ録音
コルトー2回目のショパン:ワルツ集。第1回は1934年録音(78CDR-3072)。アルフレッド・コルトー(1877-1962)は1892年パリ音楽院のルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスに入り、1896年一等賞て卒業した。1905年にヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)、チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とピアノ・トリオを結成した。1917年にパリ音楽院教授に任命され、1919年パリにエコール・ノルマル音楽学校を設立した。この録音はコルトー66歳の時にパリで行われた。1934年の第1回録音では、プレイエル社のピアノを弾いていたが、ここではスタインウェイ社のピアノを弾いている。
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78CDR-3936
R.シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ変ホ長調作品18
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
アルパード・シャーンドル(ピアノ)
日VICTOR JI-22/25A (米VICTOR 7894/7Sと同一録音)
1934年2月6日 ニュージャージー、キャムデン、RCAスタジオ録音
オリジナルSP盤の面と面の間は編集していません。レコードに入っているままです。曲はリヒャルト・シュトラウス(1864-1949)が1887年から1888年にかけて作曲した唯一のヴァイオリン・ソナタ。ヴァイオリンのヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1939)に師事し、10歳でデビューした。1917年16歳の時にロシア革命を逃れ一家はシベリア経由でアメリカに移住した。その途中日本に立ち寄ったと伝えられる。移住後、少年ハイフェッツは一流ヴァイオリニストトして待遇された。その後青年期、壮年期から引退するまで世界最高のヴァイオリニストとして崇められた。ピアノのアルパード・シャーンドル(1896-1972)はブダペスト生まれ。ブダペスト音楽院でバルトークやコダーイに師事した。1933年にアメリカに渡り、1943年に市民権を得た。
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78CDR-3937
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第12番変イ長調作品26「葬送」
レオニード・クロイツァー(ピアノ)
日COLUMBIA JW 93/4
1937年6月頃、東京録音
レオニード・クロイツァー(1884-1953)はドイツと日本で活躍したロシア生まれのピアニストで指揮者。両親はユダヤ系ドイツ人。サンクトペテルブルク音楽院でアンナ・エシポワにピアノを、アレクサンドル・グラズノフに作曲を学んだ。1906年ライプツィヒに移住、アルトゥール・ニキシュに指揮法を学んだ。1922年から1933年までベルリン音楽大学教授。1931年初来日。1933年再来日。近衛秀麿の要請で帰国せず、1937年から亡くなるまで東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)教授をつとめた。1942年ナチス・ドイツの欠席裁判によってドイツ国籍を剥奪され無国籍となった。1953年10月28日リサイタル中に心筋梗塞を起こし2日後に死去した。
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2024年4月新譜 3点 発売中★DSD録音

78CDR-3938
関屋敏子名唱集(2)
埴生の宿(ホーム・スイート・ホーム)
ソルヴェイグの歌(二見孝平訳詩 グリーグ作曲)
アイ・アイ・アイ(フレイレ作曲)
オー・ソレ・ミオ(私の太陽)(伊庭 孝訳詩 ディ・カプア作曲)
ブラームスの子守歌(堀内敬三訳詩 ブラームス作曲)
ドリゴのセレナード(堀内敬三訳詩 ドリゴ作曲)(3:40)
関屋敏子(ソプラノ)
ピアノ伴奏:デイヴィス
日本ビクター管弦楽団
(1930年頃録音)
日VICTOR 13046 1930年1月発売(25cm盤)
日VICTOR 13074 1930年7月発売(25cm盤)
日VICTOR 13076 1930年9月発売(25cm盤)
日VICTOR 13089 1930年11月発売(25cm盤)
関屋敏子(1903-1941)20世紀前半を代表する日本のソプラノ。東京・小石川生まれ。東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)中退。1926年にデビュー後イタリアに留学し、ボローニャ大学で学んだ。その後スカラ座のオーディションに合格しヨーロッパ各地で活躍した。第1集(78CDR-3929)ではイタリア、アメリカでの海外録音を紹介したが、ここでは日本ビクターに吹き込んだ作品を集めた。
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78CDR-3939
シューマン:交響曲第4番ニ短調作品120
ブルーノ・ワルター指揮
ロンドン交響楽団
英 HMV DB3793/5
1939年4月26日ロンドン録音
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ生まれ。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後にピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1894年ハンブルク歌劇場の指揮者だった時、音楽監督のグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン州立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任。またウィーン・フィルやベルリン・フィルを指揮した。1938年オーストリアがナチスに併合されると、迫害を避けてフランス、イギリスを経由してアメリカに逃れた。この録音はその途中に立ち寄ったロンドンでの録音。
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78CDR-3940
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番ヘ短調作品57「熱情]
ヴィルヘルム・ケンプ(ピアノ)
独 POLYDOR 66033/5
1926年ベルリン録音
ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)はドイツのピアニスト。これは電気録音(1925-)の最初期に録音されたもの。おそらく米ブランズウィック社が開発したライト・レイ方式電気録音と聴こえる。ケンプはモノLP、ステレオLPにベートーヴェンのソナタ全曲録音を残している。ケンプは1936年(昭和11年)にドイツ文化使節団の一人として初来日、以降1979年までに合計10回日本を訪れて、日本のクラシック音楽の発展に寄与した。1970年にはベートーヴェン生誕200年記念で来日し、ピアノ・ソナタ全曲演奏会を開いた。
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2024年5月新譜 3点 5月下旬以降発売予定★DSD録音

78CDR-3941
ドヴォルザーク:チェロ協奏曲ロ短調作品104
ガスパール・カサド(チェロ)
ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
日TELEFUNKEN 13622/26(独TELEFUNKEN 1893/7 と同一録音)
1935年11月14日ベルリン録音
チェロのガスパール・カサド(1897-1966)はスペインのバルセロナ生まれ。7歳でチェロを学び始めた。9歳でリサイタルを開いたとき、聴衆中に居たパブロ・カザルス(1876-1973)に認められ、以来カザルスの薫陶を得た。バルセロナでは街をあげて、カサド少年がパリのカザルスのもとで音楽修行を続けられるよう奨学金を集めた。職業演奏家としての活動は第一次世界大戦(1914-1918)中に始め、欧米各地で演奏活動やレコード録音活動を繰り広げた。1959年に日本人ピアニストの原智恵子(1914-2001)と結婚した。指揮者のハンス・シュミット=イッセルシュテット(1900-1973)はベルリン生まれのドイツの名指揮者。第2次世界大戦中も非ナチス党員をつらぬいた。当シリーズではヴァイオリニストのゲオルク・クーレンカンプとのシューマン:ヴァイオリン協奏曲(1932年録音)(78CDR-3923)が出ていた。大戦後のLP時代にDECCA, PHILIPS, Deutsche Grammophon, TELEFUNKEN に多くの名録音を残している。
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78CDR-3942
ウェーバー:ピアノ・ソナタ第1番ハ長調作品24
クラウディオ・アラウ(ピアノ)
加 VICTOR 18524/6 (米VICOTR 18521/3と同一録音)
1941年2月20日ニューヨーク、VICTORスタジオ2 録音
クラウディオ・アラウ(1903-1991)は南米チリ生まれ。5歳でリサイタルを開き、8歳の時にチリ政府の奨学金を得てドイツに留学、ベルリンのシュテルン音楽院でリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。1914年ベルリンでデビュー、以降ヨーロッパで名声を確立。1927年にジュネーブ国際音楽コンクールに第1位入賞。1935年からはベルリンでバッハとモーツァルトの全クラヴィーア曲の連続演奏会を開いた。またベートーヴェンやウェーバー、シューベルトのピアノ・ソナタの連続演奏会も開いた。1941年カーネギー・ホールにデビューし、翌年から本拠地をアメリカに移した。第二次大戦後は南北アメリカ、東西ヨーロッパなど世界的に活躍し、レコード録音もRCA VICTOR,CBS COLUMBIA, EMI, PHILIPS に多く残した。この録音はアメリカ・デビュー時にニューヨークで行われたもの。
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78CDR-3943※試聴はありません
ストラヴィンキー:ピアノと管楽器のための協奏曲ニ長調(1923/4)
スリマ・ストラヴィンキー(ピアノ)
フェルナン・ウーブラドゥ指揮
パリ管楽器協会管弦楽団
仏 DISQUES "GRAMOPHONE" DB 11.105/6
1943年11月17日パリ、アルベール・スタジオ録音
ピアノのスリマ・ストラヴィンスキー(1910-1994)は作曲家イーゴリ・ストラヴィンスキーの次男で、父親が「火の鳥」を発表した1910年にローザンヌで生まれた。スリマはパリ音楽院でピアノをイシドール・フィリップ(1863-1958)、作曲をナディア・ブーランジェ(1887-1979)に師事した。1934年にパリでデビューし、父親の作品を共に演奏・録音した。1939年父親はアメリカに亡命したが、スリマはフランス陸軍に籍を置いていた。1948年父の招きで渡米し、以降アメリカで活動した。1950年から1978年までイリノイ大学でピアノを教えた。スリマの作品は父の没後に出版された。大部分はピアノ曲で演奏会用の作品の他に教育用作品があった。レコード録音は父のピアノ曲がこの他にもあった。指揮者のフェルナン・ウーブラドゥ(1903-1986)はパリ生まれ。パリ音楽院出身。パリ音楽院管弦楽団、パリ・オペラ座管弦楽団の首席ファゴット奏者を勤めた後、1939年フェルナン・ウーブラドゥ室内管弦楽団を立ち上げ演奏会やレコード録音で活躍した。1941年から母校パリ音楽院教授をつとめた。
復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジのスピリッツSP78rpm(4mil 針)とコルグの[DS-DAC-10R]DSD録音機を使用した。